設定はホラーと恋は素朴な甘み。
アプリ版のマンハッタンカフェストーリー設定は本当にすごいと思う。
前作のエアグルーヴ短編と同じく、3話構成。
ホラー要素を混ぜながら初恋はコーヒーと飴と同じなんだって事を書きたかった。(
ほんの好奇心だった。
休みの日にいつも通う喫茶店。個人経営の老夫婦が営む小さなお店で、学園から近い場所に店を構える知る人ぞ知る穴場として根強い人気がある場所だ。老夫婦が住んでいた平屋を改造したらしく、昭和の雰囲気が漂うレトロな店づくりとなっている。
売りはなんといっても自家焙煎のコーヒー。老夫婦秘伝の挽き方で淹れるコーヒーは、彼女の腕をもってしてもなかなかに再現できない熟練の技が光っていた。また、スイーツに関しても甘さを控えめにした食べやすい物が多く、食べ過ぎないように心を自制しながらゆっくりと食べているのはここだけの秘密だ。
「すいません……会計をお願いします」
物静かな声だった。腰まで届く漆黒の髪に見るもの全てを惹きつけるような金色の瞳、彼女のお気に入りなのかクリーム色のシャツに黒のチェック柄スカートで着飾り、ベルトやバックルには猫の足跡や顔の形が描かれており柔らかい印象を受けるデザインになっている。頭のてっぺんにはウマ娘だということを表す黒い耳が二つ。そして、頭の先には巷でアホ毛と呼ばれる白い毛がぴょこんと生えていた。
その声を聞いた女性が台所の仕切りを上げながら、はいはいと慣れた様子でレジの前へと向かう。コーヒーにケーキが一切れ、常連と言っても差し支えない彼女が頼む定番のセット、本来であれば伝票をもって会計を行うのが普通だが、彼女がこのセットしか頼まないためいつのまにか伝票を出さずにお会計をするようになっていた。
「ひいふうみい……はい、いつもありがとうね」
ゆっくりと、間違えがないように数えながらお釣りを彼女に手渡す。それを受け取った女性は少し会釈をした。
「……おいしかった……です」
独特なしゃべり方ながらも、ちゃんと毎回お礼を言う彼女に老夫婦はまた来てねと笑みを浮かべて彼女を見送った。
カランコロン。
喫茶店の扉に取り付けられたドアベルが鳴る。所々メッキがはがれた年季のあるドアベルを横目に見つつ、彼女は喫茶店を出た。
「……っ」
視界に入る光に彼女は目を細めた。橙色の空、赤い光が空一面を染め上げて太陽が街並みへ沈んでいく。彼女は携帯を取り出し、時刻を確認した。
もうすぐ十八時。少し長居しすぎてしまったようだ。
門限まであまり時間がないと、彼女は携帯をしまうと走り出した。トレセン学園の寮長はとても厳しいで有名だ。門限を破ったことがない彼女にとって、街中を駆けるのははしたないがそうもいっていられない。
息を吐き、そして吸う。人とウマ娘では圧倒的に違う力の差、全速力で走ればギリギリ間に合う時間。
そして、力強く一歩を踏み出そうとしたところで彼女はお友達がいないことに気が付いた。幼い頃から彼女だけに見えている存在。周りの人々と自身が見えている物の違いによって殻に閉じこもってしまっていた彼女を、外の世界へと導いてくれた存在が。
その時。
小さな音がした。チリンと、鈴のような音が。
「……?」
彼女はピクリと耳を動かした。後ろから聞こえた、微かな鈴の音。道中誰もいないのは確認済みだった。ウマ娘専用レーンに入る人はおらず、時間も相まってか周りに人の気配はない。
そう、人の気配はなかった。感じるのは、もう一つの彼女だけが感じる気配。
ごくりと、喉を鳴らした。初めての感覚だった。いつも感じる彼らの存在とは違う、まったく異質な気配。
夕闇が近づいていた。舗装された道路は徐々に陰で塗りつぶされていき、どこか生暖かい風が彼女の肌を撫でていく。木々の葉がこすれる音が異様に響く感じがした。笑っているような、誘っているようなウマ娘だけが感じ取れる微かな声が。
彼女は周りを見渡した。いつもと変わらない帰り道のはずなのに、今日だけなぜか全く別の世界のように感じる。
「あの子は……どこに……」
そう彼女がつぶやいた時、視線の先で黒い影が小さな小道に入っていくのを捉えた。自身とよく似た容姿の姿、見間違えるはずもない。
「あっ、待って……ください」
お友達を追っていく。少し走ってたどり着いたのは住宅街の間、小さな雑木林に続く小道だった。普段であれば太陽の光が入って散歩コースにちょうどいいのだろうその場所は、今は闇を吸って先が見えず不穏な雰囲気を醸し出している。
こんな所に雑木林なんてあっただろうか。そんな疑問が頭をよぎる。彼女があの喫茶店を見つけたのはつい最近の事ではない。最初の方こそ学園へ向かう道をいくつか模索し、最終的に今の道のりが最短だということを把握してからは基本的に寄り道はせず一直線で帰ることにしていた。だからこそ、この住宅街にこんな立派に成長した雑木林があることを知らないはずがなかった。
けれども、彼女の目の前にはその姿を現実のものにしている。
そして、そんな雑木林の奥、闇と影の輪郭が一体化しそうな距離の先にお友達はいた。顔は見えず、ここからでは彼女が何を思ってそこにいるのかまでは把握できない。
一歩。
風が吹き抜ける。彼女の背中を押すように。
一歩。
葉の擦れる音が嫌に響いていた。招くように、笑うように、おいでおいでと催促して。
一歩。
砂利の音がする。
一歩。
足を止めなけば。けれども、不思議な感覚に彼女はいつもの思考をなくしてしまう。その瞳に映るのは、彼女が憧れるお友達が手招きする姿。
ソウダ、カノジョガヨンデイル。ハヤク……イカナキャ――。
そして――。
「お嬢ちゃん、やめときや~。そっから先は行きはよいよい、帰りは怖いでっせ」
彼女――マンハッタンカフェの耳に入るなんとも胡散臭いイントネーションで話しかけてきた男性の声で、最後の一歩を踏みとどまった。
男女割合の極化。
今を生きる者であれば、もはや常識と言ってもいいだろう。男性と女性の出生率が半々だった時代なんてもはや過去の話だ。原因は解明されておらず、当初は様々な陰謀論がささやかれていた。一説には某国による細菌兵器の実験やらはたまたウマ娘増加による男性出生率の低下やら噂されているが、どれも眉唾物ばかりだ。
そして男性の出生率が減少し、歪な世界がもはや日常と化してからはそんな陰謀論も娯楽の一つになりつつあるほどに時は過ぎていた。そうなると、自ずと社会は女性主導へと変わっていく。女性は外へ、男性は中へ。どの国も貴重な男性を国内から逃げ出せないように囲い、厳しい監視下に置く。
そんな中でウマ娘という存在は男女というカテゴリーから少し外れた視点で見られていた。容姿端麗、誰よりも強くそして速く、そんな彼女達が本能のままに駆けていく姿は老若男女問わず、心をつかんだ。
特に中央――URAが主体となり開催される競技は、覇権と言っても差し支えないほどだ。時が経過するほどその熱は大きくなり、今や地方のウマ娘にとって中央へ行けることは自分の夢を叶える場所としてこれ以上ない存在となっていた。
だからこそ、ウマ娘だけではなくトレーナーや職員でさえも全てにおいて要求の高いスキルを求められる。現理事長の秋川やよいの方針により、それがたとえこの世で貴重な男性であろうとも優遇することなく平等に扱う姿勢を貫いていることで、学園の男性率は両手で数えられたらいいほどだ。しかも、そのほとんどが内勤で彼女たちの前に姿を見せることは滅多にない。
そのため学園内で出会いという物もほとんどなく、マンハッタンカフェも男性と面を向って話すというのは経験にない事だった。
だがしかし。
「いや~、危なかったよほんま。まさか僕以外に霊能者がおるなんて気づきもせんかった」
にこにこと笑顔を崩さぬまま、子供に対して話しかけるような口ぶり。
「まさか僕としたことが人除けの符を作り間違えたんかなぁ。結構自信あったんやけど」
紺色の小袖に
「いやでも間に合ってよかったわぁ。こんなとこで逝ってもうたら僕の管理責任に問われるところやったし」
端正な顔立ち、少し長めの髪をヘアゴムで後ろにまとめポニーテールのようにしている。青年を印象付けるその眼は鋭い切れ目で、時折こちらを見たときに覗かせる黄色の瞳にどこかどきりとさせるものがあった。
けれどもとてつもなく胡散臭い。男性と二人きりで会話しているはずなのに、あまり喜べないのはなぜなのだろうか。
いったい何者なのだろう、マンハッタンカフェは青年と共に住宅街の入り口まで戻っていた。振り返ってみると、自分の足跡が雑木林の境目近くまで残っている。知らず知らずのうちに、あそこまで歩を進めていたらしい。その奥に広がる暗闇にはお友達はいなかった。今はマンハッタンカフェの後ろでこちらを心配するかのように気にかけている姿が見える。
「……さっきのは……一体」
お友達ではなかった。もう少しで触れ合いそうな距離まで近づいたから理解できる、彼女だけが知覚できる存在――幽霊。それに近い者、けれども今まであった存在とは違う異質な雰囲気を纏った者。
「ん? もしかして知らずに迷い込んだん。あかんよ~、十八時はいわゆる黄昏時や。あの世とこの世の境界線が不確かなものになるタイミング、ここは確かならざる者が行き来する往来道でもある。お嬢ちゃんは運悪くそこの境界線に足を入れてもうたんや」
その言葉に、青年は懐をがさごそと漁り始めた。ここにもない、これでもないとよくわからないお札やらを出しながら目的のものを見つけたのか、小さな紙に包まれた物をマンハッタンカフェに手渡した。不思議そうにそれを受け取り、紙を広げれば中には黒い宝石のような飴が入っている。
「……あの?」
青年も同様に紙を開き、黒色の飴を口に放り込む。
「食べとき。喉からからやろ、流行のもんじゃなくて申し訳ないけど黒砂糖の飴ちゃんや」
青年の顔と、飴を交互に見た。別に飴が珍しいわけじゃない。男性から贈り物をもらうという、よくよく考えれば今起きていることはとんでもない事なんじゃないかと冷静になり始めたからだ。
毒は入ってへんで~と、手をひらひらさせている青年を横目に見つつ、マンハッタンカフェは恐る恐る飴を口に放り込んだ。
口の中に広がる素朴な甘味。思わず、耳がピコピコと揺れしなやかな尻尾は彼女の意識外で嬉しそうに揺れていた。
その光景を見て、青年は驚いたように目を開いた。幸い、彼女はこちらの顔を見ていない。
「まぁ、その様子なら大丈夫やろ。当分はこの道を通るのはやめとき、次はお嬢ちゃんのお友達も道に迷わんから助けてくれるとは思うけど、僕がここを処理し終わるまでは別の道で通うんやね」
そう言いつつ、青年は再度懐に手を突っ込むとあるものを取り出した。今度は迷いなく、マンハッタンカフェの手を取り小さな手の平に懐から出したものを乗せる。
「……えっ、あ……あの」
顔にほんの少し朱色を帯びる。青年の手は細く、ほんのり冷たい感じがした。あまり異性に触れたことのない彼女はその行動に慌てふためく。
「ここで会ったのも何かの縁、もし本当に困ったことがあったらこの鈴をならしい。一回きりやけど助けてあげる」
「……猫の、鈴?」
あたふたとしながらも、マンハッタンカフェは青年から手渡された物を見た。金色に輝く、自分と同じ目の色をした小さな鈴。何故か猫につけるサイズの首輪につけられており、左右に揺らせば綺麗な音が彼女の耳に入った。
「念じて使うんや。そすればきっと届く」
何者なのだろう、改めて彼女は青年の不可思議さに疑問を抱いた。この付近ではあまり見ない服装、それもこの世界ではとても貴重な男性の一人。こんな時間帯に一人で出歩くなんて、日本がいかに治安がいいと言っても限度がある。
けれども、怪しげなイントネーションとは裏腹に青年が口から出る言葉はとても綺麗で聞きやすく、育ちがいいのは彼女でもわかることだった。ならばなおさらこんなところにいるのはおかしい。
それに青年は『僕以外に霊能者』と言っていた。
つまりそれは。
手渡された鈴を見ていたマンハッタンカフェは顔を上げた。青年に問いたいことがある、あなたはもしかして私と同じように――。
けれども。
「……えっ」
顔を上げた先、先ほどまでいたはずの青年は彼女の視界からいなくなっていた。慌てて周りを見渡す。
「……雑木林も」
キツネに化かされたように、先ほどまでいた場所の風景はなくなっていて青年と出会う前の道路にマンハッタンカフェは立っていた。
赤く輝いていた太陽は眠り、夜を告げる星々が空を彩っている。道路に設置された街灯は無機質な光を放ち、光に吸い寄せられるように虫達が辺りを舞っていた。夕方だったはずの時刻はとうに過ぎ、いつのまにか夜になっていた。
ほんの少し呆然としたのちに、彼女ははっと気が付いたようにポケットに手を入れた。指先に当たる感触、取り出してみればそこにあったのは小さな鈴が取り付けられた黒い首輪。
「……夢じゃ……ないんですね」
ぎゅっと握る。非日常な一日、それは彼女にとって日常だった。ただ唯一違うとすれば、そこにもう一人自分と同じ世界を見ている人がいたかもしれないという事実。今までと違う一日。
「……うん、どうしたの。 時間……!?」
お友達がせっついたように彼女の背中を押していた。どうしたのだろうと聞いてみれば、時間を早く確認するようにと慌てた様子。急いで携帯を取り出し時間を確認する。
時刻は二十一時過ぎ。
瞬間、マンハッタンカフェは全速力で駆け出した。門限はとっくの昔にすぎていた。さらに時間が遅くなってしまえばどんな罰が待ち構えているかわからない。
お友達も一緒に走り出し、その背中を追いながら最後にちらりと彼女は後ろを振り返った。
いつもと変わらない街並み。けれども確かにあの場所で青年と出会ったのだ。
風を切って駆けてゆく。夜を走る彼女の姿はまるで暗闇に溶け込む非日常の様な存在で。
その顔は、笑みを浮かべていた。