推せない子   作:マゲルヌ

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この言葉が嘘だったら

 

 

○月×日

 

 宮崎県山間部のとある地方病院にて。産科医・雨宮吾郎先生の診断を受けて、無事アイの妊娠は確定した。妊娠10週目、子どもは双子だそうだ。

 これでひとまずは安心。

 社長はずっと不安そうだったし、アイドルに子どもが発覚したら本人も会社も終わりだーと、深刻そうに語っていたが。

 

 

 問題ないだろう。

 だってあのアイだぞ?

 嘘でとびきりの愛を叫ぶ最強アイドルだぞ?

 欲しいものは全て掻っ攫っていく欲張り女、星野アイだぞ?

 アイドルとしての幸せも母親としての幸せも、両方手に入れるつもりに決まっているだろう。

 

 なら私のやることも確定だ。

 あいつが無事に双子を出産して、世間にもバレずに復帰できるようにサポートする。その上で、実力でブッ倒してセンターの座をもぎ取る。

 

 幸い担当の雨宮先生は信頼できそうな人だ。

 みんなでサポートしていけば、きっとアイは無事に子どもと会える。

 これからだいたい8か月。

 アイのやつが()を貫き通すと言うのなら、私も自分にできる精一杯をやってやる。

 

 

 

 

 

 

○月□日

 

 実のところ、妊娠初期にやることはそこまで多くはない。もちろん気を抜いて良いわけではないが、通院も一~二週に一度で良いようだし、空き時間は割とたくさんある。今の内に妊娠期間にやるべきことについてアイにきっちり叩き込んでおこう。

 他にはマタニティウェアや保湿クリームとかを準備するのと、役所に行って母子手帳など必要書類をもらうくらいか?

 まあ母になるんだし、そこらへんは強く言わなくてもきっちりやるだろう。ああ見えて必要なことには手を抜かない女だ。心配はない。

 

 なので、最優先でやるべきは住む部屋の確保だ。

 昨日今日はホテルに泊まっているが、こっちにもちゃんと自宅は確保しておいた方がいい。毎回宮崎まで通うなんて母体への負担が大きいし、誰かに見られることがあってもマズい。

 幸い社長が金銭面のサポートはしてくれるし、いざとなれば私も多少は出せる。(※実は個人での仕事も少し増えてきていたのだ。ドヤッ)

 

 せいぜい安全でリラックスできる住居を見繕ってやろう。

 ……アイに任せるととんでもないとこ選びそうだしな。

 

 

 

 

 

 

○月△日

 

 良い感じの部屋が見つかった。病院から程近く、商業施設や区役所等へのアクセスもいい。近くに公園など運動できる場所もあり、かつ治安も良さそうな立地。おまけに値段も手頃だ。

 不動産屋の兄ちゃんに多少媚びたのが効いたのかもしれない。妊婦のアイがやるよりはフリーの私がやった方が効果的だからな。アイから学んだ嘘の技術も絡めて不自然でない程度に上目使いを見せたら、気前よく良い感じの物件を紹介してくれた。

 特訓の成果アリという意味でもちょっと嬉しかった。

 

 

 ……ただ、二人暮らし前提で部屋を紹介されたことだけはちょっと物申したい。

 おかげでアイにいっしょに住むことを押し切られてしまった。元々一人で近くの部屋を確保するつもりだったのに予定外の事態である。サポートし易い点と、懐事情的にありがたくはあるんだが。

 

 なんかアイに計算づくで誘導されたようでちょっと悔しい。

 ……百合男子って何だ?

 

 

 

 

 

 

 

○月§日

 

 今日はつわりが結構辛そうだった。いつ来るか分からないし、終わりが見えない無限ループの苦しさ。普段笑ってばっかのあいつが表情を歪めているのは結構心にキた。

 こんなときでも『嘘』を纏って笑おうとするから、さすがにそれはやめさせた。場に沿った対応をするなら、この場では辛い気持ちを吐き出して楽になってもらうことが正解だから。

 とりあえず、今日は横になってボーっとしておけと言って寝室に放り込んでおいた。下手に干渉しても鬱陶しいだけだろうから、何かあったときには呼べと。

 

 

 寝たおかげか夜には落ち着いていた。食事も取れて一安心だ。

 ……けど添い寝と子守歌をねだるのだけは何とかならんものか。

『えー? 今は弱音を吐くのが正解なんでしょー?』って、そりゃ言ったけどさ。

 

 ちょっと早まって甘くし過ぎたかもしれん。

 

 

 

 

 

 

○月☆日

 

 アイの検診日についていったら、なんか私も健康診断をすることになった。

 私に妊娠の可能性なんてないし、身体もすこぶる健康なんだが……。雨宮先生があまりに勧めてくるもんだから、結局そこそこの全身検査を受けることになった。『検査代は僕のポケットマネーで出すから!』って、えらい熱意で若干引いたぞ。サポート役も健康を維持しとけってことか?

 

 で、結果を聞いたら『マナさんは可愛い女の子です!』って。

 何言ってんだ、当たり前だろが。こっちは病気の有無を聞いてんだよ。

 

 

 こんな感じで妙なところのある先生だが、アイに親身になってくれる気持ちは嘘じゃないし、医者としては信頼していいと思う。

 どうか最後までよろしくお願いします。

 

 

 

 

 

 

 

§月×日

 

 アイが妊娠してからだいたい四か月。妊娠中期一歩手前ぐらいだ。つわりも少し落ち着いてきたし、健康状態も安定している。

 この頃になると胎盤も完成して流産の心配もかなり少なくなるそうだ。へその緒も繋がり、アイの身体から日々赤子たちに栄養が送られている。

 

 説明を聞いたアイはすごく安心したようにお腹を撫でていた。

 その顔は誰が何と言おうと“優しい母”のもので、私は嬉しさと頼もしさと、……ほんのちょっとだけチクリとしたものを感じた。

 

 

 

 

 

 

§月○日

 

 妊娠から五か月、中期に入った。

 お腹もずいぶん大きくなって本格的に妊婦さんって感じの見た目だ。

 

 嬉しいことに最近お腹が動くようになった。アイの中で赤ん坊たちが元気に成長している証だ。聴力なども発達してきているので、よく話しかけてあげてくださいと先生が言っていた。

 優しい手つきでお腹を撫でるあいつは本当に嬉しそうで、こっちの顔もついニヤけてしまって頻繁に視線を逸らすはめになった。

 

 お腹にも触らせてもらった。

 トントンとこっちの手をノックするようで、何かを語りかけているようで、

 ああ、命がここにいるんだなって、なんだか胸の奥がキュッとした。

 

 

 

 

 

 

 

§月×日

 

 妊娠五か月目の最初の戌の日には、『(いぬ)日詣(ひまい)り』という安産祈願の行事をやるそうな。なんでも、犬は多産かつお産が軽くて安産の象徴になっているらしい。調べてみて初めて知った。

 安定期の運動にも良いということで、今日早速近くの神社まで行ってきた。

 祈祷を受ける際のお金――『初穂料』は奮発して二万円包んだぜ。(アイと私で一万ずつ)

 神主さんはさすがに経験豊富で、若過ぎる妊婦にもほとんど変な反応を見せることなく丁寧に祝詞を送ってくれた。

 

 どうかこれで双子にご加護がありますように。

 

 

 

 

 

 

 

(追記)

 

 ああああああ、騙されたああああ!

 ずいぶん久しぶりの『嘘』で油断してた!

 

 のし袋に書く名前って両親の名前じゃん!

 まともに考えたら当たり前だ! 『払う人の名前を書くんだよw』なんてバレバレの嘘になぜ騙されたんだ、私!

 神主さんが一瞬だけ変な顔したのはそのせいか!

 他人の子の父親欄に自分の名前書くとか私すっげーヤベエ女じゃねえかどうしてくれるんだ馬鹿アイこのやろ――(以下罵詈雑言エンドレス)

 

 

 

 

 

 

 

△月○日

 

 妊娠六か月目、ググっとお腹がせり出してきた。背中とか圧迫される感じで痛いらしく、ちょいちょいマッサージをしてやっている。

 あとどうでもいいことだが……、ゆったりした服を着ていてもこいつはホントに見た目が良い。お腹がポコっとしててもなんかカッコ良く感じてしまうのだ。母になる風格的なものでも滲み始めているのだろうか?

 

 双子の性別も判明した。男の子と女の子の兄妹?姉弟?だそうだ。

『男女どっちも体験できるなんてお得だね!』なんて、相変わらずよく分からん喜び方をする。たぶん、幸せが二倍でハッピー!的なことが言いたいのだろうが、初産で双子は大変だと聞くぞ?

 

 と言ってもこいつは気にしないだろうし、事実気にしなかった。『私の子どもなら小顔美人だからスルッと出てくるよ!』って。

 賛同するのもやぶさかではなかったが、素直に言うのもなんか悔しかったので適当にあしらっておいた。

 

『いっしょに喜んでよ、パパー』って、誰がパパじゃい。

 こちとらバリバリのJKやぞ?

 ……高校は通ってないけど。

 

 

 

 

 

 

 

△月×日

 

 お腹が大きくなっていろいろ動きにくくなり、体重管理が重要になってくる時期。ゴロー先生のOKも出たので、これから病院でちょいちょい軽い運動を行っていく。ヨガとかマタニティビクスとか、よく妊婦さんの番組なんかでも紹介されるあれらだ。

 

 その付き添いで来たら、流れで私もいっしょにやることになった。パパさんとか家族の人が付き合うことも多いらしいので、別にそれ自体は良いのだが……。

 

 顔見知りになったスタッフさんからも『パパ』呼びされるのは何とかならんものか。いや、親しみを込めた冗談だということは分かるんだが……。

 私、別にイケメン枠でもない正統派美人系アイドルなんだけど、そんなに普段の動作が男っぽいんか?

 

 若干ショック。もうちょっと意識してお淑やかにしてみようか。

 

 

 

 ……あと社長よ、散々いじって笑ってくれたが、アンタも影で『おじいちゃん』呼びされていることを知らんのか?

 ヨガのとき腰をやりかけて年齢についてぼやいていたし、いつか適切なタイミングで“ジジイ”と呼び捨ててやろう。精神ダメージに震えるがいい、おっさんめ。

 

 

 

 

 

 

☆月○日

 

 八か月目、妊娠後期に入った。子どもの大きさも、もう普通に生まれる子に近いくらいまで成長している。(双子だから若干小さいけど)

 それに合わせて母体の方にも、貧血っぽかったり、むくみが出たりといろいろ辛そうな症状が出てきた。

 マッサージしたりクッション置いたりいろいろやってるけど、効いているのかは微妙な感じ。私にやれるのは所詮サポートまでなので、最後はアイ自身に頑張ってもらうしかない……。

 

 そのためにも食事は大事。

 ビタミン、ミネラル、鉄分、タンパク質。

 バランスの取れた食事を叩き込んで、赤ん坊と母親両方に体力を付けさせてやる。

 

 

 

 でもあいつ米が苦手だからなぁ。

 パン食や麺類中心だと栄養的にちょっと心配。(日本人並感)

 卵粥とかリゾット系ならいけるか?

 でも下手に試してストレスになってもアレだし……う~~~ん、悩ましい。

 

 

 

 

 

 

 

▽月○日

 

 妊娠9か月目も終わり頃。いよいよここまで来たって感じだ。

 赤ん坊たちの身体もほとんど育ち切っており、お腹もすごく大きくなっている。その影響かアイは腰やら足が痛かったり、食事が取りづらかったり、夜中に何度も目が覚めたりと、体力的にもかなり辛そうな状態が続いている。

 

 

 ……だけどあいつは、毎日すごく幸せそうだ。

 痛くても辛くても苦しくても、それは全て自分の中で命が育っている証だからって。

 自分にもまた家族ができる嬉しい痛みなんだ、って。

 そう言って輝くような笑顔で笑っていた。

 

 

 

 あぁ、もう……。

 ずっと付き合ってきたせいか、なんだか私まで変な気持ちになってきた。

 ただの付き添いの他人が何をナイーブになってんだ。一番不安なのはあいつなんだから、こんな動揺しているところなんて見せるんじゃない。

 出産予定日まであと二週間ほど。

 いつ何が起きても完璧に対応できるように、これからは24時間体制でスタンバイだ。余計な感傷なんぞ投げ捨てて集中しろ、集中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄情者の私がここまで付き合ってやったんだ。

 

 絶対に、元気な赤ちゃん産んでくれよ……お母さん。

 

 

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

「では先生、アイさんのことは我々が見ていますので」

「ああ、頼むよ。何かあったら連絡して」

「はい、お疲れさまでした」

 

 担当看護師たちにアイのことを任せ、雨宮吾郎はナースステーションを後にした。

 

「ふぅ……もう出産予定日か。早いもんだな」

 

 ――推しのアイドルが妊娠して自分の元へ受診に来る。

 そんな、ファンとしては憤死モノの事態に遭遇してから早八か月。最初はどうなることかと恐々としたものだが、なかなかどうして、吾郎は充実した日々を送れていた。

 アイドルとしての幸せと母としての幸せ。両方とも手に入れるんだとゾクリとする笑顔で言い切ったアイに魅せられ、ファンとしての彼と医者としての彼が和解した。今は彼女を無事に子どもと会わせてあげるべく、二心なく全力を尽くす毎日だ。

 

「嘘はとびきりの愛……か」

 

 酷い物言いのはずなのに、彼女が言うとなんだか良い言葉に聞こえてくるから不思議だ。これがスターのカリスマ性ってやつなのかもしれない。

 そう苦笑しながら吾郎は屋上の扉を開け、夕空の下に足を踏み入れた。

 

 

「あ……」

 

 視線の先に映った少女の姿に溜め息にも似た声が漏れる。

 夕暮れ時の屋上、日も落ちつつあるだだっ広い空間。

 灰髪の少女が一人、腕を振り、脚を上げ、ステップを踏み、薄闇の空に汗を輝かせていた。

 踊っているのはB小町の人気曲――『STAR☆T☆RAIN』終盤のサビの部分。中でも一際目を引くセンターの振り付け、すなわちアイの担当パートだ。

 煌びやかな照明もファンの歓声も、曲も唄もない無音のステージ。だがずっとアイを推し続けてきた吾郎にはすぐに分かった。彼女の腕の振り、激しいステップ、輝くような笑顔、観客へ送っているであろう視線の強さ、全てがアイのものと遜色ない完成度だ。

 おそらく他のメンバーがやってもこうはならない。他ならぬ彼女だからこそ――ただ一人アイに追い縋れると言われた彩木マナがやるからこそ、重度のアイ推しである吾郎の心をここまで揺さぶることができたのだ。

 

 

 ――パチ、パチ、パチ。

 

 

 気付けば吾郎の手から鳴っていた拍手。

 たった一人のオーディエンスの存在に気付き、ワンマンライブを終えた少女は息を整えながら振り返った。

 

「……盗み見はマナーが良くないんじゃないか、ゴロー先生?」

「ッ……いや、済まない。たまたまここに来たら君が踊っていて、つい見入ってしまったんだよ。いいステージだった」

「へー? 重度のアイ推しなのにそういうお世辞は言えるんだ?」

「い、いや、お世辞ってわけじゃ……」

「いいって。所詮猿真似なのは分かっているし」

 

 いろいろな感情をない混ぜにした少女の笑みに思わず押し黙る。ここ数か月、アイ(推し)の妊娠騒動でずいぶんと心を乱されたものだが、この子の方も負けず劣らず吾郎の脳を引っかき回してくれた。

 

 ――彩木マナ。B小町所属メンバーの中で、唯一アイに対抗できると言われる第二の天才。深窓の令嬢を思わせる神秘的な美しさと、物腰柔らかな受け答え。そしてそれらの印象を覆す圧巻のライブパフォーマンスによって多くのファンを虜にしている。あの重度のアイ推し“さりな”が『第二推しにしても良い』と言うくらいには魅力溢れる少女であった。

 

(その実物が……まさかこんなやさぐれ少女とはなぁ)

 

 ――アイドルどうしは手を繋いでキャッキャしているはず? んなわけないだろ、拗らせキモオタ。

 ――ぐはッ。

 

 最初はアイの旦那かと思わせて吾郎の脳を破壊し、次に素の言動によって吾郎の幻想を打ち砕き、最後に『アイを潰す』発言により吾郎の妄想をも叩き潰した。

 やっぱり仲の良い女の子たちなんて創作の中だけなんだ!

 と絶望した直後、『ライバルの出産を手助けするため九州までついてきて今度いっしょに住む』と聞かされ、ついに吾郎の脳みそをバグらせた摩訶不思議な少女である。

 ――いずれはアイを叩き潰すつもりだけど、それまでに体力面やスキャンダルで潰れてもらっては困る。だから出産まではサポートしてやる。

 と、一体どこのツンデレライバルだと問いたくなる高湿度発言であった。

 

 

(……でも、それだけでもない気がするんだよなぁ)

 

 肩のストレッチに励むマナを眺めながら、吾郎は首を捻る。

 何度か彼女と間近で接した上での印象。

 テレビで見るよりずっと我が強く、口が悪く、ライバルに嫉妬し、それでも不断の努力を続け、正々堂々と相手を叩き潰すことを信条としている。

 とてもファンには見せられない苛烈な性格だが、一本筋の通った人格であることは間違いない。ゆえに、休業してチームメイトのお世話をするのも決して不自然というほどではないのだが……。

 

 どこか違和感がある。

 ときおりアイに向ける、複雑さを孕んだあの目は何なのか? ただの親切心やライバル心というだけでなく、もっと心の深い部分に根差した何かが――

 

「怪しい奴、って思ってる?」

「えッ?」

 

 整理運動を終えたマナが吾郎の顔を覗き込んでいた。

 怒っているわけではない。笑顔なわけでもない。

 何と言い表していいのか分からない表情で……。

 

「安心していいよ。別にアイに何かしようってわけじゃないから」

「い、いやいやッ、そんなことは疑ってもいないよ!」

 

 ただ同じグループの仲間というだけで、10代の少女が半年以上も仕事を休んで他人の世話をするなど考えられないだろう。根底に親切心がなければとてもできない行いだ。

 

「そう? 無事に子どもを産ませて仕事にも復帰させて、その上で幸せ絶頂のところを週刊誌にタレコんで引退に追い込む――とかそういうことを疑われているのかと。赤子二人を抱えたまま路頭に迷うアイを、高みから見下ろして嘲笑するような悪趣味な女と――」

「どんな鬼畜だよッ!! 考えもしなかったんだけどッ!?」

 

 10代の発想じゃないだろ、それ!

 

「甘いな、先生。芸能界は怖いところだから、このくらいの企みなんて可愛いもんだ。むしろ借金漬けで風呂に沈められないだけ有情という意見もある」

「……や、闇が深い」

 

 そんな古戦場で生きる少女たちに対して戦慄にも似た想いが浮かんだ。この二人が年齢にそぐわない黒さと強かさを持っているのも仕方ない。そう思えるくらいには吾郎の肝が冷えた。

 

「うぅ……なんだか胃の調子が」

「先生の身体も冷えてきたみたいだし、そろそろ戻る? 風邪引いて明日の仕事でミスされても困るし」

「……うん、そうしようか。寒くしてくれたのは君だけど」

 

 控えめな抗議もどこ吹く風。やさぐれた表情の似合う少女はなんとも男らしい足取りで扉を開け、長い階段を降りていく。

 胃薬あったかなぁと薬品棚の在庫を思い浮かべながら、吾郎もその後に続いた。

 

 

「……ただの代償行為だよ」

「え?」

 

 蒼い顔でお腹を押さえる吾郎に向け、マナがポツリと呟いた。

 

「いや、ちょっと言葉が違うか? こういう場合はなんて言うんだろう? 昔から国語は苦手なんだよな」

 

 返事を期待しているわけではないのだろう。マナは吾郎の方を見もせず歩を進め、考えをまとめるように顎に手をやる。

 そのまま無言で歩くこと数秒、数十秒……。

 もしかすると一分は経ったか……。

 結局彼女は続きを語ることなく、代わりに吾郎の目を真摯に見据えて深々と腰を折った。

 

「先生……」

「なんだい?」

「明日はあいつのこと、よろしくお願いします」

「……ッ」

 

 ――アイドルという偶像は嘘という魔法で輝く、と少女たちは言った。

 ――辛くても悲しくても、嘘を吐いてでもステージで夢を見せるのが自分たちの仕事だ、と。

 

 けれど今この場において、彼女の中に嘘など微塵も無いと吾郎は断言できた。

 カウンセラーでも専門家でもない彼がそう確信できるほどに、頭を下げる少女の声にはどこまでも温かな想いが溢れていた。

 ゆえに吾郎も、違和感も気になることも全てを吞み込み、真摯に応えを返したのだ。

 

「ああ、任せてくれ。医者としての誇りにかけて僕も全力を尽くす。だから君も、アイと子どもたちの無事を祈ってやってくれ」

「うん…………ありがと、先生」

 

 

 そう言って顔を上げた彼女の表情を、雨宮吾郎はきっと、生涯忘れることはないだろう。

 

 

 ……たとえこの先、何度生まれ変わることがあったとしても。

 

 

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 □月×日、出産予定日の朝。

 私、星野アイは今日も体調バッチリ。

 待ち望んだ双子ちゃんを無事にお迎えするために、諸々の準備も抜かりなく整っているんだけど……。

 

「来ねえよ、ゴロー先生! キメ顔で偉そうなこと言っといて全然来ねえよッ!!」

 

 私の担当の雨宮吾郎先生が、予定の時間になってもまだ来ないんだよね。

 それで昨日最後に話したっていうマナがさっきから凄い顔して怒っているの。

 コラコラ、アイドルがそんな顔しちゃダメでしょ?

 

「んなこと言ってる場合か! お前と赤ん坊の状態に一番詳しい人が肝心なときにいないんだぞ!? 何度電話しても出ないし、一体どうなってんだ!!」

 

 ウガーッと頭を掻き毟るマナ。

 心配してくれるのは嬉しいけど、ここでそんなに大声上げてると……。

 

「彩木さん。気持ちは分かりますが、院内ではお静かに」

「う……ぐ……ッ。さーせん」

 

 ほら、看護師さんに怒られちゃった。いつもは何でも卒なくこなすマナが珍しい。それだけ先生がいないのが不安ってことかな?

 って笑ってたら、ジト目で睨まれちゃった。

 

「お前は不安じゃないのかよ」

「う~ん? まあ不安は不安だけど、自分よりアタフタしている人がいると逆に落ち着いちゃう、みたいな?」

「う、ぬッ」

「フフ、心配してくれてありがとうね、パパ?」

「パパ言うな、アホ」

 

 ありゃ、そっぽ向かれちゃった。

 ……これは別に嘘じゃないんだけどなぁ。

 

「…………、なあ」

「うん?」

 

 そっぽを向いたままマナが尋ねてくる。

 

「もう一回確認するけど…………本当に私が、立ち会いやるのか?」

「うん、よろしくね?」

「マジで本気だったのかよ」

 

 昨今は多くの妊婦さんが行っているという立ち会い出産。ほとんどの場合は旦那さんが立ち会い、それ以外だと実のお母さんってパターンが多いそうだけど、どちらもいない今の私には無理。

 というわけで、ここは頼れるチームメイト・マナちゃん一択というわけです。

 ……どうにも本人は乗り気じゃないみたいだけど。

 

「仕事仲間が出産に立ち会いとか聞いたことないぞ……。なんなら旦那や家族相手でも嫌がる妊婦もいるってのに」

「私は嫌がらないよ?」

「また簡単に言って……。いいか? お産っていうのはすっごい体力と気力を消耗するんだぞ? 普段よりかなり余裕をなくすだろうし、つい周りに当たり散らしてそれを見られるかもしれない。それで後からウワーって後悔するのも嫌だろ?」

「……ふふ」

「何笑っとんじゃ」

 

 渋い顔で諭す様子につい笑みがこぼれてしまう。マナはこんな風にお説教するけど、それだけ真剣に考えていろいろ調べてくれているって証拠だもんね。

 

「この病院で立ち会いができるかどうか、ずいぶん前に先生に聞いておいてくれたんでしょ?」

「それは……もしかしたら必要かもって思って、一応」

「うん、必要なの。だからお願い」

 

 手を合わせてお願いポーズ。

 そのまま上目遣いでもう一声。

 

「やっぱり初めてだから、一人じゃ不安なの。……ダメ、かな?」

 

 …………。

 

 ………………。

 

「はぁぁ、分かった。……けど後から文句言うなよ?」

「うん、ありがと♪」

 

 最終的にこうやって折れてくれるのがマナだ。

 わざとらしい言葉にもあえてこうして乗っかって意を汲んでくれる。

 ……こういうとこ、マナって彼氏適性高いよね? その内付き合う男子がいたら大変だと思う。彼女の精神がイケメン過ぎて。

 

「分かったから、お前は少しでも身体休めとけ。長丁場の体力勝負になるんだから」

「うん。ありがとね、パパ」

「だからパパ言うな」

「にひひ~~」

 

 

 …………。

 

 

 ………………。

 

 

 なーんて冗談を言い合いながら、ベッドの上で横になってポヤっと時間を待つ。

 すでにお腹の奥にピリッと来る痛み――前駆陣痛は数日前から何度も感じており、段々その感覚も短く、規則的になってきていた。

 だから、そろそろかな~?なんて、痛みを紛らわすためにマナと話していたら、

 

 

 それは唐突にやってきた。

 

 

「ッッ! ……ッ……ッ……ヒ、ぐッ……ぁああ!」

「! ――先生!」

 

 いよいよ本格的に陣痛が始まったんだ!――と本能で理解できた。

 今までと比べものにならない抉られるような痛みに、お腹全体を押さえて見悶えてしまう。予想していたはずなのに思わず悲鳴が出るほどに痛かった。

 

 これが長ければあと一日近く続く?

 その間もどんどん強くなっていって、本番ではもっと痛くなる?

 冗談でしょうッ?

 今さらながら怖くなって身体が震えてきた。

 

 けど、赤ちゃんを産んであげるためにはこの痛みが必要なんだ。

 そう言い聞かせ、担当してくれた先生の指示に従って身体を動かしたりしながらそのときを待った。

 予想通り、陣痛の痛みはその後6時間ぐらい続き、痛む箇所を不規則に変えながら私の精神を削ってくれた。

 そうして身体の準備が終わったことでいよいよ分娩室へ移動する。

 

 

 

 そこからはもう――――本当に命がけの戦いだった。

 

 お腹の下から腰にかけて経験したことのない痛みが突き抜け、赤ちゃんの身体が下がっていくに連れてその強さと範囲が広がっていく。最後の方には腰全体が砕けるんじゃないかってくらいの痛みに襲われた。

 

 それが一瞬じゃなくて何時間もずっと続く。元々の覚悟なんて軽く吹き飛んで酷いくらい取り乱した。

 何度か意識も飛びかけたし、痛みがつら過ぎて当たり散らすようなことも言ったかもしれない。

 なんでこんな痛い思いしなきゃいけないの?って、情けない泣き言も言った気がする。

 

 

 

 ――だけど、

 

 

 

「ッ…………アイ! してほしいことがあれば言って!」

 

 きっと、隣でずっと見ていてくれた人がいたから、ギリギリのところで耐えられたんだと思う。

 傍で何度も声をかけたり、痛いところをさすってくれたりしただけじゃない。

 今日ここに来るまで……妊娠したことが分かってから、社長に『産む』って言い切ったあのときからずっと。

 

 初めて病院にかかるときも、

 知らない町に一人で不安なときも、

 身体が段々重くなっていく辛い毎日も、

 ずっと隣で支えてくれた。

 

 世間が聞けば絶対に顔を顰められる私の決断を、ずっと応援し続けてくれた。

 誰に否定されたとしても、少なくともここに一人、赤ちゃんの誕生を心から喜んでくれる人がいるんだって、そう思わせてくれたから。

 

 

「……アイッ……もう少しだよ……ッ」

 

 

 だから絶対に頑張ろうって、そう思えたんだよ……マナ?

 

 

 

 

 …………。

 

 

 

 

 ………………。

 

 

 

 

 ……………………。

 

 

 

 

 

――――

 

 

 

 

「ほらマナ……見て? 私の赤ちゃん、アクアと、ルビーだよ」

 

「……うん」

 

「ぁぁ……こんなに小っちゃいのに……凄く元気に、泣いてる」

 

「……うんッ」

 

 アクアとルビーが今、私の腕の中にいる。

 ずっとお腹の中にいたこの子たちを、無事にこの世界に産んであげられたことがとても誇らしい。

 本当に嬉しくて、嬉しくて、痛かったことも苦しかったことも全部忘れちゃって、涙が溢れてきて止まらない。

 

「ッ……がんば、った。……よく、がん……ばった、ね……アイッ」

「にひひっ……マナ、泣き過ぎー」

 

 ずっと傍にいてくれた親友の顔も涙でスゴイことになっている。マナが人前で泣くところなんて初めて見た。

 そんなにもこの子たちのことを想ってくれていたんだって……。

 言葉もなく伝わってきて、また私も涙が溢れてきた。

 

「アイ……ッ……あり、がとうッ。……ほんとうにッ……ありが、とう……ッ」

「ふふっ……なんでマナが、お礼言うの? ありがとうは、私の方なのに……」

 

 この子がそばにいてくれなかったら、きっと今日まで何度も泣いていた。外では嘘の笑顔を貼り付けたまま過ごして、無理して気を張り続けて、それで赤ちゃんの身に悪いことが起きていたかもしれない。

 今日をこんな幸せな気持ちで迎えられたのは、間違いなくマナのおかげだ。

 

「ありが、とう……アイ……ッ」

 

 それなのにこの子は、ボロボロに泣きながら首を振るんだ。

 

「ッ……お母さんが……自分の、子どもを……ちゃんと愛せるんだって、教えてくれて……ッ。本当に……ありがとう……!」

「……ッ」

 

 もらった言葉にビクリと肩が震えた。

 

「…………私が……愛してる?」

 

 ずっと嘘ばかり吐き続けて、誰かを好きになることなんて分からなかった私が、この子たちを愛している?

 

 腕の中のアクアとルビーを見下ろす。

 むずがるように泣く二人の声に、胸の奥から暖かい何かが湧いてくる。

 今感じるこの気持ちは……“嘘”じゃない?

 私……この子たちのこと……ちゃんと愛せてた?

 

 自問自答してみて、ふっと足元が崩れるような錯覚を覚えた。

 

 

 ――怖い。

 もし口にしてみて、言葉にしてみて、()()が嘘だったらと思うと……。

 今感じているこの嬉しさも、幸せも、仮面の上から纏った嘘に変わってしまうんじゃないかって、怖くて怖くて身体が震えてしまいそうだった。

 

 

 けど――

 

 

「言って、あげて……ッ。この子たちに、ちゃんと……気持ち、伝えてあげて……!」

「……ッ」

 

 今それを言えなかったら、きっとこの先、ずっと後悔してしまうと思ったから。

 

 だから――

 

 

「アクア……?」

「ぁぅぅ」

「ルビー……?」

「だぁぁぅ」

 

 

 怖くても震えても、情けなくても……、絶対に言わなきゃって思ったんだ。

 

 

「私はッ、あなたたちを――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――愛してる

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ッ」

 

 消えなかった。

 

 暖かい何かは消えることなく、今も器からこぼれるほどに溢れてくる。

 

「ッ……ぁぁ、良かったぁ」

 

 これから先、誰に否定されても笑われても、もう二度と疑うことなんてない。

 

 この大切な想いだけは、この瞬間の気持ちだけは絶対に忘れない。

 

 腕の中の宝物たちを、失くさないようにギュッと抱き締めた。

 

 

 

 

「私に……愛を教えてくれて……、ありがとう……ッ」

 

 

 

 

 この気持ちだけは絶対に――――嘘じゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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