アイの復帰後、活動を再開したB小町は順調にメディアへの露出を増やしていった。人気も以前と同等どころか上回るまでに回復し、テレビ関連の仕事も右肩上がりに増えている。先日もB小町としてNステに出演し、スタジオで見事な生歌を披露してきた。復帰してすぐの出演から数えて五回目、フロックでも数合わせでもなく最近は純粋な人気ゆえのオファーだ。
その要因はもちろん不動のセンターであるアイの復帰によるものだが、それだけなら以前と同じところで一旦頭打ちになっていただろう。
B小町躍進の理由をより細かく述べるなら二つ。
まず一つ目はアイ自身の成長である。
妊娠・出産を経て愛することを知ったアイは、これまで無意識に使ってきた“嘘”を一部封印した。
――自分が今嘘を吐いているのか、本音を語っているのか?
かつては分からなかったその境界を正しく認識できるようになり、嘘を吐くときと僅かに混ぜるとき、そして本音で語るべきときを瞬時に判断し、場面ごとに最も効果的な選択肢を取れるようになった。今までただ使っていただけの“嘘”を、より効果的に
これにより元々一級品だったアイのパフォーマンスはさらに洗練されたものとなり、ライブにイベントにバラエティにと、あちこちから引っ張りだこの売れっ子アイドルとなったのである。
「みんなーー! 愛してるよーーーー!!」
――アイ~~~~!
――可愛い~~~!
――俺たちも愛してるーーー!
そして、B小町躍進のもう一つの要因は――
…………。
………………。
――――
「苺プロ所属、彩木マナです! 本日はよろしくお願いします!」
「ああ、B小町のマナさんね。今日はよろしく」
「はい! あ、この子は苺プロの新人の…………ん? 新人で良いのかな? えっと、とにかくウチの期待の星のアクア君です! 合わせてよろしくお願いします!」
「お、そのボウヤが例の評判の子か。君にも期待してるよ?」
「は、はいッ、若輩者ですが精一杯努めますので、よろしくお願いいたします!」
「おー、噂通り如才ない子だね。これは演技の方も楽しみだ」
「は、ははは……どうぞお手柔らかに」
――某県、とある山中の撮影現場にて。
監督に頭を下げながら、星野アクアはなんとも渋い表情を浮かべていた。その内心を一言で表すならば、『妙なことになったな』というところだろうか。
以前の現場で五反田という映画監督になぜか気に入られ、ちょうど彼の作品にマナが出演中ということで、『お前もちょっと出てみろ』と雑に誘われたのだ。そのときの演技が多少評判になったのか、以来こうして、同事務所のマナやアイが出る現場にちょくちょく誘われることが多くなっている。
生まれる前から世話になってきた少女が女優業で躍進するのは喜ばしいし、その繋がりでアイにもドラマ等の仕事が増えたのは感謝だが、なぜそこに自分のごとき素人まで呼ばれる必要があるのか? 割と本気で自身の立ち位置が疑問のアクアであった。
「なあアクア、大丈夫か?」
「んえッ!?」
考え込んでいる頭上に影が差した。
「ずっとウンウン唸ってるし、具合悪いならちょっと休ませてもらって――」
「い、いやいや、大丈夫! せっかく声がかかった仕事なのにスケジュール乱して心証悪くすることないよ。このまま始めて問題なし!」
「……そう? 体調悪くなったらすぐ言えよ? 幼児の健康を害してまでやらせるとかありえんから」
「うん、そのときはちゃんと言うよ。ありがと、マナ」
心配そうに顔を近付ける少女に対して苦笑気味に応える。もう同居してずいぶん経つのに、いまだに彼女の家と外での変化には驚かされる。仕事中はまさに天真爛漫なお嬢さんといった具合なのに、家ではぶっきらぼうなツンデレヤンキー?の如し。
さらにはその仮面を一瞬でオンオフできるという器用さだ。アイの“嘘”が余人に真似できない神業なのは今さら言うまでもないが、この少女の変貌ぶりも大概には頭おかしいレベルである。
こんな凄まじいスキルを一体どこで身に付けたのか……。疑問は尽きないが、アイにしろマナにしろ、どうにも重そうな過去の雰囲気を察してしまい、軽々に聞くことはできていない。
(……でもまあ、前世と今世のどちらから見ても、良い子だってことは変わらないしな)
何か胸に秘めた闇があったとしても、彼女がこの数年アイや自分たちに良くしてくれた事実は変わらない。
星野アクアにとって彩木マナがどういう人か?
そんなの、優しくて頼りになる恩人というだけで今は十分だ。
(ならここらで、恩の一つも返しておかなきゃなッ)
――パシン!
アクアは両頬を叩いて気合を入れた。
「よしッ! マナ、行こうか?」
「分かった。じゃあまずは立ち位置の確認を――」
「あー、君らが今回のコネ枠の人?」
「はい?」
気合を入れ直してさあ行こうというタイミング。声がけに振り返れば、20代そこそこと思われる男がマナに……というか、アクアとセット扱いで不躾な視線を送ってきていた。
割と顔が良いことと自信満々な態度、そしてその露骨な視線でアクアはだいたいを察した。
――あ、いつものだ、と。
「困るんだよねぇ、こっちはプロとして作品作りに臨んでいるのに……。そこへ君らみたいな素人にズカズカ入って来られるとさあ」
「も、申し訳ありません、山岸さん」
マナがそっと頭を下げる。両手をお腹の下に丁寧に添え、腰の角度はぴったり45度。所作の美しさも相まって、まさに非の打ち所のない謝罪姿勢だ。
「アイドルの片手間で女優なんて不快かと思いますが、せめて足を引っ張らないよう心掛けますので。……あ、この子も撮影中に騒いだりしないのでそこは安心してください。この歳ですごく大人びていて賢い子なんですよ?」
「ふーん?」
(……すっげ)
アイドルに当たりの厳しい役者に対し、一瞬で仮面を纏って奥ゆかしい少女に切り替わった。普段間近で接しているアクアでさえ、元からこういう性格なんだと錯覚してしまいそうな完成度。初対面の相手ならまず疑うことなく信じ込んでしまうだろう。
実際、男もマナの態度に多少溜飲を下げたようだ。
「まあ立場を弁えているだけマシか……。アイドルの演技に期待なんてしないけど、せめて見苦しくないようにはしてくれよ?」
「は、はいっ、今日は勉強させていただきます! ほら、アクア君も」
「よ、よろしくお願いします!」
「……フン」
軽く鼻を鳴らして去っていく山岸なんたら。不快ではあるが、事務所の看板を背負っている以上大手と揉めるわけにもいかない。矢面に立っているマナのためにもここはグッと堪え、自分も端役なりに全力を尽くさねば。
「(……悪いな、アクア。変なのに絡まれちゃって)」
「(いや、大丈夫。仕事なんだからこのくらいなんてことないよ)」
医師時代にはもっと理不尽な相手もいた。いくら誠意を込めて説明しても、理解も納得もしてくれない手合いも多かった。それに比べれば本当になんてことはない。
「そっか……ありがとな。じゃあ今日は、いっしょに頑張ろうな」
「うん!」
と、今度こそ二人で仕切り直したところで、その声が聞こえてきてしまった。
「ったく、前の現場のアイって奴は最悪だったな。大した演技もできないくせに妙に画面に映り込みやがって。二流アイドル風情が弁えろってんだ」
「――――は?」
極低温の声が
大地を凍てつかせるような静謐な少女の声。
なぜ一つかって? もう一人は焦って震えているからだ。
(ば……馬鹿ああああッ!! あのボケ男、特大の地雷踏みやがったあああッ!!)
推しのアイを貶されて本来なら黙っているアクアではない。あのふざけた男をどう社会的に抹殺してやるか、即座にいくつものシミュレーションを開始していただろう。
しかしながら、こと
「アクア」
「う、うん……」
「私、ちょっと集中すると思うから。体調とか悪くなったときはミヤコさんに声かけてくれる?」
「あ、はい……」
「ごめんな? 一応保護者役なのに放っとくようなこと言って」
「い、いえ、こっちは全然大丈夫ですんで。もう気にせず全力を出していただければと……はい」
「ン、分かった。――潰してくる」
「ヒェ……」
B小町結成時からのアイ推し、いわば最古参のファン0号。彼女の荒れ狂う激情を前にしては、俄かファンの怒りなど余波だけで押し流されてしまう。
以前の現場で有馬かながアイを悪く言ったときもそうだ。本来ならば怒り狂うはずのあのルビーが、かなを謝らせようと必死だったと言えばその激発ぶりが理解できるだろう。……笑顔の横に鬼神が見えたのは気のせいだったと思いたい。
(あのときは子ども相手だったから小言で済んだけど……)
チラリと隣の少女を見る。
「……ざけんじゃねえよ。あいつが二流ならテメエなんぞ三流以下の役者未満だろうが。いつも温い演技しやがって大根が。事務所の力で売れて天狗かクソボケ、○すぞ」
「ぉぉぅ」
――あ、終わったな、あいつ。
推しを貶されて本来なら憎たらしいはずの相手。しかしその命が風前の灯となれば、一人くらいは彼の冥福を祈ってやらねば――と、なんだか慈愛の心が湧いてきていた。
(どうか安らかに眠れ……山岸なんたら)
星野アクアは山の神に祈るように合掌を捧げたのだった。
…………。
………………。
――――
281 名無しの映画ファン
やっぱ有馬かなは頭一つ抜けてるよなー。子役だからとかじゃなくて、ガチの演技力で大人とタメはってる
283 名無しの映画ファン
このまま順調に成長していってほしい。きっと名優になるはず
284 名無しの映画ファン
いや、成長する必要はない。ずっとこのままでいてほしい
……特に他意はないけど
285 名無しの映画ファン
おまわりさん、コイツです
290 名無しの映画ファン
ところでさ、『灰空の下で』ってみんな見た?
291 名無しの映画ファン
お、やっとスレらしく作品の話に戻ってきたな。良かった。
……で、灰空って何?
293 名無しの映画ファン
知らんのかい
この前の土日に放送されたスペシャルドラマ
前後編合わせて4時間の、最近じゃちょっと珍しい?戦争物
久島宗一と彩木マナのW主演
295 名無しの映画ファン
戦争物っていうか、戦時中が舞台のヒューマンドラマ的な?
戦闘シーンとかはあんまりなくて、主役の男女の心の動きがメインな感じ
297 名無しの映画ファン
彩木マナって…………え? これ、B小町のマナ?
298 名無しの映画ファン
せやで。最近女優としてちょこちょこ出とる。
アイドルのときは基本『マナ』呼びだから耳慣れんけど、もともと芸名は名字有りで『彩木マナ』
ちょうどいいからって今はアイドルと役者で使い分けてるみたい
300 名無しの映画ファン
子役とかの経験もないのに演技大丈夫なん?
オレ共感性羞恥ひどいから、見てられない芝居されると困るんだけど
301 名無しの映画ファン
隙有自語乙。
何度かドラマの脇役やってるとこ見たけど、悪くない演技しとったぞ
普段あんなホワっとしてんのに、職場の嫌な女をすごいリアルにやっとった。この前なんか、血まみれで殺される役もドアップでやってたから良い意味で驚いたわ
303 名無しの映画ファン
売れっ子アイドルなのに意外と役柄選ばんのよな。イメージ壊すリスクあるのによーやるわ
304 名無しの映画ファン
せやから今回抜擢されたんやろな。顔とスタイルはありえんほど良いわけだし、その上演技もうまくてキツイ役も全力でこなすって、そりゃ声もかかるわ
306 名無しの映画ファン
ま、それでもアイには敵わないわけだが
307 名無しの映画ファン
出た。はよ巣に帰れ
308 名無しの映画ファン
不毛な争いはアイドル板でやってもろて……
310 名無しの映画ファン
実際今回のドラマはどうだったん? 主役級はほぼ初めてよな?
311 名無しの映画ファン
それがその…………やばかった
312 名無しの映画ファン
うん、やばかった
313 名無しの映画ファン
アレがアレすぎてマジやばかったな
315 名無しの映画ファン
急に語彙力が実家帰っとる……
317 名無しの映画ファン
実際すごかったんよ
主役は脇と違って誤魔化し効かないからキツいかなって思ってたんだけど、予想を裏切る……というか三段くらい上回ってきた。
319 名無しの映画ファン
以下ネタバレだから、まだ見てない人は注意。
マナが演じたのは『さつき』っていうキャラで、彼女を産んだときに母親が身体壊して亡くなっている設定。物心ついたくらいに兄や姉からそれを聞かされて、それからずっと責められて、物語開始時点でかなり自罰的な子になっている。
自分は誰か(※特に家族)を助けないといけないっていう強迫観念に囚われていて、そのためなら自己犠牲も当然と思うくらい内面が歪んでる。それを久島演じる『健司』との交流で乗り越えていくというのがメインストーリー。
派手なアクションとかがないから、ちょっとした表情や仕草だけで心の動きを表現しないといけなくて、本来、芝居経験の浅いアイドルにやらせるような役じゃない。
それを最初から最後まで4時間、見事に演じ切ってた。
320 名無しの映画ファン
マジで驚いたよな。すぐそこに『さつき』がいたもん。
アイドルの、そこそこうまい芝居ってレベルじゃない。完全に憑依してた。
322 名無しの映画ファン
今にも死ぬんじゃないかって厭世的な雰囲気はホンマに鳥肌立った
あんなんベテランでもなかなかできん
ウチの婆ちゃんも、この女優さんすごいわねって名前聞いてきたし
323 名無しの映画ファン
はえ~~
326 名無しの映画ファン
相手役の久島もいいんだ。
あの無表情なのに激怒しているのが分かる空気?雰囲気?
しゃべってもないのに感情がめっちゃ伝わる感じ……分かるかな?
327 名無しの映画ファン
分かる。
マナと無言で睨み合っているシーンは息が止まりそうだった。
後からあの無言シーンが3分もあったって聞いてもう一回驚いた。目線と空気だけであんなに画面がもつんだ……って。
329 名無しの映画ファン
結論として、久しぶりに大満足のドラマだったわけよ。
330 名無しの映画ファン
はえ~~~
332 名無しの映画ファン
まあそれだけにね?
一個だけ気になると言えば…………やっぱ山岸平介?
334 名無しの映画ファン
あぁ、さつきの兄の……
336 名無しの映画ファン
山岸って最近事務所がプッシュしてるやつ? なんかマズかったん?
338 名無しの映画ファン
マズかったっつーか……
特に下手ってわけじゃないんだけど、あの二人と並んじゃうと……さすがにレベル差がはっきりする
339 名無しの映画ファン
さつき(マナ)にきつく当たるシーンとかさ。最初は憎しみ全開で激しく罵倒するはずなんだけど……なんていうか、迫力不足?
いや、決して下手なわけではないんだけど、もうちょっと怒り込められない?って注文つけたくなる感じ
340 名無しの映画ファン
なんか終始マナの演技に置いていかれてたよな。憎々しいオーラ出すとこも単体で見ると悪くないんだけど、同じ画面に並ぶとどうにも物足りない感が出てくる。
後半のさつき(マナ)との言い合いなんかはだいぶ良くなってたけど、たぶんアレも、自発的な怒り演技じゃなくてマナに引きずられてただけだと思う。
342 名無しの映画ファン
あれ、本業からしたら屈辱よな。アイドル女優に引っ張り上げてもらうとか、ちょっと立ち直れないんじゃないか?
343 名無しの映画ファン
いやいや、お前らさっきからマナ寄りで見過ぎじゃね?
演技が強過ぎて周りを押しつぶすとか、そんなん主演の独りよがりじゃん。脇役ともうまく合わせられてこそ役者だろ? やっぱアイドルの上っ面演技だわ。
344 名無しの映画ファン
≫343 逆や逆w 山岸だけがフラついてて他から浮いてんのw
345 名無しの映画ファン
むしろ久島とマナはベテランともがっつり噛み合って名シーン連発してたよ。
ていうか感情を爆発させる『さつき』役で手を抜けるわけないやん
347 名無しの映画ファン
343の言いようだと、『アイドル女優が本職の役者に合わせて演技レベルを下げろ』ってことだぞ?
……もしや山岸ファンに見せかけたアンチでいらっしゃる?
350 名無しの映画ファン
お前らがそんなこと言うから山岸君がスランプになったんやぞッ?
351 名無しの映画ファン
え、そうなん?
353 名無しの映画ファン
ひと月前くらいからなんか調子悪いっぽい。演技してても前よりぎこちないっていうか、やりにくそうな感じ。
それでも仕事はちゃんとこなしてるけど。
354 名無しの映画ファン
ちょうどこのドラマ撮影した頃やね
355 名無しの映画ファン
かわいそうに。マナという光に焼かれてしまったんか……
356 名無しの映画ファン
だからアイドルを神格化しすぎ。そんな影響力ないだろ。
357 名無しの映画ファン
そうそう、山岸は元からあんなもんよ。心配すんな。
358 名無しの映画ファン
所詮は七光りの二世タレント。元からあの程度よ、安心しろ。
360 名無しの映画ファン
こんなひどい庇い方初めて見た
……事実だけど
361 名無しの映画ファン
お前らもうちょっと優しくしたれ
……事実だけど。
362 名無しの映画ファン
なんでや! 最近は復調の兆しも見えとるんやぞ!
……たぶん。
363 名無しの映画ファン
そんなことよりさ、今度五反田監督が新作出すらしいが
364 名無しの映画ファン
そんなこととか言ってやるなw
「おぉぅ……」
一人の役者がギッタギタのボコボコに評される様を見て、アクアは何とも言えない気分に陥った。アイを馬鹿にするヤツが報いを受けるのは彼の心情にも適うことだが、さすがにここまでだと同情してしまう。
……まあマナは全力の演技をぶつけただけで、決して悪いことはしていないのだが。
とりあえず今後は、アイに敵対的な人物はマナに近付けない方がいいだろうと、アクアは密かに決意を固めるのだった。
「……ったく、どんだけアイのこと好きなんだよ」
同居人から母への愛の深さに苦笑しつつ、二歳児はスマホをソファーへ放り投げた。
………………。
……………………。
◇◇◇
・Case2 星野ルビーの場合。
はあ? 私から見てマナがどういう人かって?
……なんでわざわざそんなこと言わなきゃいけないわけ?
……いや、別に嫌いとかじゃないけど。
ずっとママや私たちの助けになってくれたことは感謝してるし、今さら別に、そんな子どもみたいなことは言わないって。
はあ!? 別に好きでもありませんけど!?
勝手なこと言わないでくれる!? 私の推しは前世も今世もママだけなんですけどッ!?
ったく、これだからキモオタ脳は……。女二人揃えばすーぐそういう目で見てくる。あー、キモッ!
ああもう、うるさいうるさい!
だから感謝はしてるってばッ、私個人としても!
……ほら、前にお遊戯会のとき、私いろいろグズっちゃったじゃない? 『どうせ運動なんて一生できないー』って言って塞ぎ込んで……。
あのとき、そのことをママにそれとなく伝えてくれたのもあの子だし。しばらくママが私と練習できるように、いろいろ仕事を代わってくれたっていうのも後から聞いたし。
そのことはホントに、感謝しなきゃって思ってる。
……まあ、最後に泣きながらアンタも連れて入ってきて、結局全員で踊ることになったのは『なんでだよ!』って感じだったけど。
しかもやっぱりうまいしさ……。
ターンとジャンプのキレが凄すぎるんだよ。見た目可愛いのに動きはめちゃカッコいいとか反則でしょうが……ブツブツブツ。
…………。
……うん、そう。
母の日のことだって感謝してる。
こればっかりはママに頼るわけにもいかなかったし。
幼児でも作れる料理やお菓子教えてくれたり、忙しいのに練習に何度も付き合ってくれたり、ママの欲しいものをそれとなく聞き出してくれたり、すごく力になってくれた。
本番でママをあんなに喜ばせてあげられたのは、間違いなくあの子のおかげ。
いつも『愛してる』って言ってくれるママに私たちの方からも『愛してるよ』って伝えてあげられて、本当に嬉しかった。ママがあんなに泣くところなんて初めて見たし、――ああ、ちゃんと気持ちが伝わったんだなって分かって、すごく幸せな気持ちになった。
まあ結局一番泣いてるのはあの子だったけどね?
愛してるって私たちが言う度ボロボロ泣いて、最後は泣いてるママに逆に慰められてたし。
……前々から思ってたけどさ、あの子ママのことちょっと好き過ぎじゃない? 普通、ただの同期のために同居して子育ての手伝いなんてしないでしょ?
それに私たちのことも、ママのついでかと思ったら結構ガチめに可愛がってくれるし……。
家中の家具の角全部クッションで覆うし、地震で倒れないように固定までするし、部屋も毎日掃除してくれてすごい綺麗だし、離乳食まで超おいしく作ってくれたし。
あとお遊戯会のときもさ。カメラの撮影とか編集もプロか!ってくらいのクオリティだったじゃん。
そりゃここまでされるとさ、嫌いになんてなれないというか……。
その……何?
まあ好意?みたいな? そんなものも多少はないこともないっていうか……。
は? だったらもうちょっと仲良くしてやれ……って、べ、別に仲悪くはしてないでしょ!
ただちょっと名前で呼べてなくて、いちいち突っかかるような物言いしちゃって、……手を繋ぐときも若干緩く握っちゃうのと。……た、たまにソッポ向いちゃうくらいで。
………………。
い、いずれ直そうとは思ってるって!
いつか! また今度の話!
それよりも今はほらッ、新人女優賞もらったお祝いでしょ!
そろそろ帰ってくるんだから変な話題はもう終わり! ママに連絡してタイミング計って! せっかく準備したサプライズが失敗したらどうすんの!
はあ? ……いや、誰のって……そりゃ……、
マ……マナちゃんにきちんとおめでとうって言うのッ!!
………………。
な、なにその目はッ!? 言いたいことがあるならはっきり言えば!?
えっ、ちょ、待って! 余計なことは言わなくていいってば!! ホントそういうとこデリカシーないわね、このキモオタはッ!!
それは今度ちゃんと自分の口から――ッ!?
~~~~ッ。
な、なんでもないっての、この馬鹿兄ッ!!
…………。
………………。
……………………。
季節は巡る。
アクアとルビーは日々スクスクと成長し、アイやマナの仕事も順調に増えていった。
子どもたちの存在が世間にバレることもなく、休みの日には四人で小旅行へ出かけたり、社長とミヤコも加えて七五三のお祝いをやったり。
年間売り上げ一位の打ち上げでB小町メンバーとちょっと距離が縮まったり……。
泣いたり、笑ったり、怒ったり、驚いたりしながら、気付けば子どもたちが生まれてから三年の月日が経っていた。
「そういえば気になったんだけど、俺たちの父親って誰なんだろうな?」
ソファーにボケっと座りながら、不意にアクアが零した。
「いきなりどしたの?」
「いや、ちょっと気になって」
今までなんとなく機会がなくて聞けなかった、自分たちの父親について。アイの普段の態度からして、何か嫌な記憶があって隠しているわけではなく、単純に今は言う気がないだけというのは察してはいた。
なので気まずいとかそういうことはないのだが、こういうときのアイがいくら聞いても答えてくれないのもまた分かっていた。
一見適当でいて、子どもたちについては真剣に考えている彼女だ。今教えないのもおそらく、『まだ時期ではない』と子どもの情操に配慮しているからだろう。
「マナはなんて?」
「前に聞いたら、『自分も知らない』って言ってたよ。訊いてみたこともないんだって」
「え……意外だな」
あれだけ仲が良いマナなら聞かされているか……、そうでなくても妊娠時に質問くらいはしていそうなものだが。
「『聞いたら抑えが効かなくなるから』って言ってた。無責任男を粛清して捕まったらマズいから、ママの方から話すまでは待つらしいよ」
「えぇぇ……」
予想外の理由に思わず顎が落ちた。
「もう何度目の感想か数えてないんだが、あいつちょっとアイのこと好き過ぎじゃないか?」
「何言ってるの? どこも間違ってないじゃない。だって相手はママなんだよ? この世の全てより優先して何がおかしいの?」
「そういえばここにもやべえのがいたよ」
歴戦のファンであるアクアをして若干引くほどの重度アイ推し女子たち。その内暴走なんかしないように、自分がしっかり見張っておかなければと決意を新たにした。
――が、彼も世間一般からすれば十分頭おかしいオタなのを忘れてはいけない。
「……まあ考えてみれば、顔も知らない父親なんてどうでもいいか。別に男なんかいなくたって子どもの誕生は説明できるんだし」
先ほどとは一転、興味なさげに言い放った兄に妹から怪訝な視線が向けられる。
「まさか処女受胎とか言う気じゃないよね?」
「それも最初は考えたけど」
「……考えたんだ」
「それよりもぴったりな学説が今の我が家にはあるだろ?」
リビングの写真立てに意味ありげな視線を送るアクア。先月の小旅行のときに撮った、大人二人が子ども二人を優しく抱き上げている幸せな
「……あ、そっか。そうだよね」
そして、双子の思考が完全にシンクロした。
「「――マナ(ちゃん)が父親なんだ」」
………………。
冗談でもギャグのつもりでもなく、おそらく子どもたちは本気でそれを主張していた。……二人とも片目の星が怪しい光を発していたけど。
「女の子を妊娠させて放置する男なんて、父親どころか人としての資格すらないもの。そんな奴がこの世界に存在して良いはずがないよ」
「だな。身重の女性を放ってのうのうと生きてる男なんて、存在からしてありえない。つまりそんなやつはこの世のどこにもいやしないってことだ」
「だとすると答えは一つだよね?」
「その通り」
特に示し合わせたわけでもなく、二人同時に同じ答えに達する。
「マナちゃんが私たちのパパなんだ。女の子どうしで子どもができる時代がいつの間にか到来していたんだよ」
「やっぱりそうか、俺もそうだと思ってたんだ。数年を経て仮説が立証されたな。たぶん、女子どうしの子ということで俺たちが奇異の目で見られないように、アイもマナも今は口を噤んでいるんだろう」
「そういうことね、理解した。これが愛なんだ。やっぱり愛情っていうのは近くにいて可愛がってくれてこそ。今さらやって来て父親面するヤツがいたって私は絶対認めない」
「安心しろよ、そんな日は来ないさ。だってそんな最低野郎はこの世に存在しないんだから」
「あはは、そうだったね。変なこと言ってごめんね、お兄ちゃん」
「気にするなって。家族じゃないか」
「そうだよね。今いっしょに暮らしている大切な家族なんだもんね」
「「――あはははははッ!」」
ソファーに座って楽しそうに談笑する可愛い双子たち。
そんな幸せ溢れる光景を目にして、彼らの母親は一言呟いた。
「……やばい」
天下の大嘘吐き、完璧究極アイドル・星野アイ。
その鋼の精神が久方ぶりに大汗をかいていた。やばいくらいの天才と思っていた我が子たちが、どうにもやばい結論に達してしまったようだ。誰かの会話を聞いてこんなに焦るなんていつ以来だろう。
「……う~ん、どうしたものか」
だからと言って、この溺愛ママが子どもたちに負の感情を抱くなどありえないのだが、実際問題として、思考がやばい方向に偏ってしまうのは問題と言えば問題である。正しい家庭の形とやらにこだわるつもりもないが、最初から常識を切り捨てて偏った考えに染まるのも少々危うい。
特殊な育ちをした自分が言うのもなんだが、まずはごく普通の家庭環境について知ってもらい、可能ならば実例などを提示し、その上で判断してもらう必要があるだろう。
「…………番号、どこだっけなー?」
だからこれは――――そのための確認だ。
聞いてみて、確かめて、確証を得て、もう一歩だけ前へ進むために必要な手続きだ。
そうした上であえて子どもたちがそちらを選ぶなら、もはや文句など言うつもりはない。
「でもさ、お兄ちゃん……。マナちゃんは……」
「うん、分かってる……」
「……」
不意に、子どもたちの声が沈み込んだ。年齢にそぐわない憂い顔とその会話内容からしておそらく、子どもたちも自分と同じことを考えているのだろう。
「いつかさ……本当の家族みたいに、思ってくれるといいね?」
「……ああ、そうだな」
(二人とも、もうちょっとだけ待っててね?)
――きっとその不安も、ママがなんとかしてみせるから。
大切な家族の幸せのため、アイは静かに一歩を踏み出した。
…………。
………………。
……………………。
――うん、子どもたちもずいぶん大きくなったしさ。
――……いや、ヨリを戻そうとかそういう話じゃなくて。
――まあなんて言うの? 落ち着いてきたからちょっと報告、みたいな?
――一応知らせておこうかと思って。
会ってほしい、などとは言わなかったし、こちらから何かを頼んだりするつもりもなかった。
――二人ともすっごい賢くてさ~。言葉話すのもめっちゃ早かったんだよ?
――夜泣きもしないし、むしろこっちを気遣ってくれるくらいで。マジで天才だよ。
今二人はこうなんだ。こんな風に育っているんだ、と。
ただ報告をしただけだ。
――顔も私に似て美形だしさ。こりゃ将来は芸能コースだね。
――二人ともダンスが可愛くって。あ、お遊戯会の映像見る? めちゃくちゃ綺麗に編集までしてくれて、見てるともう興奮がヤバイよ。
だからこれは……そう。
ただの確認作業だ。
すでになんとなく分かっていたことを、一応最後に確かめただけだ。
「でさ、もうホントに…………え? ああ、違うよ? 本当に用件はこれだけ。うん、そう。いやいや本当に……うん……うん
――
………………。
……別に、何かを期待していたわけではない。
そういう深い関係ではなかったし、なんとなく都合がいいからと相手に選んだだけだ。今さら何か求めるのも虫のいい話と理解している。
恨んでいるとかではない。
失望したわけでもない。
何かの責任を負ってほしいわけでもなかった。
ただ――
「なんていうか、さ……私も特殊な育ちだから偉そうなこと言えないんだけど。……たぶん普通は、『あの子たちは元気かー?』とか『何か苦労してないかー?』とか聞くものなんだよ、きっと」
ただ、『……ああ、やっぱりな』と理解して、ほんのちょっとだけ胸がチクリとしただけだ。
少し前の自分ならきっと、そんな情動さえも湧かなかっただろうけど。
「……私さ、『愛してる』がずっと分からなかったんだ。口に出してみても嘘にしか聞こえなくて、仕事以外では怖くて全然言えなかった。……あ、ちょっと前に言えるようにはなったんだけどね?」
この温もりと痛みを知ることができたのは、きっと愛するあの子たちと、大切なあの子のおかげで。
だからあの子たちの真心に背くようなことは、絶対にしないと決めていた。
「言葉で愛を伝えるのをずっと怖がっていたけど……。でも、伝え方ってもう一つあるって気付いたの」
はっきりとした言葉で言えなくてもいい。
自分の心に自信が持てなくてもいい。
「きっとさ……いっしょにいて頭を撫でてくれれば、それだけで伝わる気持ちもたくさんあるんだよ」
ただそばにいてくれるだけで、それは十分に愛だった。
心の内に何かを抱えていても、辛いときに支えてくれるその想いは疑いようもなく愛だった。
だから自分はあのとき信じて一歩を踏み出せた。
――私に愛をくれたあなたが、この想いを愛だと言ってくれるなら、勇気を出して前に進んでみよう、と。
「だからね……これは本当にただの報告。会ってほしいとかそういうんじゃないんだ」
だからこれは――確認だ。
ここに
「忙しいのに時間取らせちゃってごめんね? うん、もう連絡とかしないからさ。……うん、うん、ありがと。……じゃあ、
――さよなら。
…………。
ガチャン――と。
受話器を戻す音が、いやに大きく響いた。
「……ッ」
無意識にもう一度持ち上げた受話器からは、無機質な発信音だけが小さく聞こえてくる。何かを切り離したようなその音は、最後にもう一度だけ彼女の胸に小さな痛みをもたらした。
……打算だけで選んだ相手だった。
けどひょっとすると、爪の先くらいの情はあったのかもしれない。あのとき、ほんの少しだけ勇気を出せていたらどうなっていただろうと、益体もない妄想が浮かんできたりするくらいには……。
「……さて……と。まだちょっと早いし、買い物でもしてから帰ろうかな?」
けれど再び顔を上げた彼女の目にはすでに一点の陰りも浮かんでいなかった。電話ボックスの扉を開け放ち、どこのスーパーに寄ろうかと数秒考えを巡らせる。
些細なことについて長々と考える理由はない。
だってそうだろう?
育ち盛りの子を抱えるお母さんは、ウジウジ悩んでいる暇などないのだから。
「よっし、お肉セールやってるドリームマートにしよう! フフッ、今日はみんなの好きなもの、いっぱい作ってあげよっと!」
曇り空の下を晴れ晴れと歩き出す19歳の少女。
道の先だけを見つめて進むその顔には、どこまでもたくましい母の笑顔が浮かんでいた。
………………。
そう、これはただの確認作業。
何も起こることなく終わった決別の儀式。
彼女の頭の中にはもう、愛しい子どもたちをどう愛するか、大切な友達にどう前を向いてもらうかの二つしかない。
「ハッ……ハッ……ハッ……!」
だからこそ――星のような輝きが闇を引き寄せることになるなど、全く気付いていなかったのだ。
(……ア、アイ……やっと、見つけたッ。…………あ、あんなに幸せそうに、笑いやがって……!)
初めてのドーム公演は、すぐそこまで迫っていた。