競馬界のレジェンドになったら…   作:展開郎

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初一万字突破っ!!
というよりは本来は二話で想定したものを合体させて一話にしました。
いや本当に今までの中で一番しんどくも楽しかったです。


第十六話 浪漫には縁があるようで?

京都のコースと言えば何を思いつくだろうか。皆があげるとすれば3000、3200mの長距離コースでお馴染みの淀の坂であろう。

淀の坂、淀の坂というぐらいなのだから相当大きな坂かと思われるが高低差たったの4m、人間3.5人分である。200mとかじゃないぞ!!

なぁんだ、そんな大した坂じゃないかと思えるかもしれないがそんなわけはない。それだったら中山競馬場も高低差4mだからこっちも、中山の坂なり何か名前がつくだろう。

ということは淀の坂には高低差以外のポイントがあるという事だ。

では何か?答えは単純明快、上ってすぐ下るからだ。それも緩やかな坂ではなくかなり急な坂だ。更に嫌なポイントはカーブにこの坂があるということだ。

恐らく京都競馬場を作った人は頭が変態なのであろう。ちなみに3000、3200mの長距離レースはこの淀の坂を2回登るから相当苦しいものである。

まぁ、そんな淀の坂ではあるが辛いというのは分かるが何をそんなに怖がっているのかというとこの坂で脚の使い所によって勝敗が変わってくるからである。

淀の坂の第三コーナーを回って、更に第四コーナーを回ってようやく直線コースが見える訳であるがその距離は404mしかない。主要四競馬場の中では下から二番目の短さである。ちなみに一番短いのは中山競馬場の293mである、このことを考えるとやはり2000年のテイエムオペラオーがいかに強いかが分かってしまう。

直前コースが一番長いのは東京競馬場の525mで主要G1の日本ダービーではスペシャルウィークだったり、ディープインパクト、キズナだったりの差しや追い込み馬が勝ちやすい。

話を戻して京都競馬場では先行馬が勝ちやすい傾向にあり天皇賞(春)ではメジロマックイーン、ビワハヤヒデ、テイエムオペラオー、メイショウサムソンなどが挙げられる。だからこそ菊花賞のミスターシービー、ゴールドシップや天皇賞(春)のマヤノトップガンがすごいのはそういう事である。

とまぁ、結論を述べると淀の坂がポイントである、それだけである。

 

 

 

いやまぁ、しかしこの調整ルームという部屋に来ると毎回思うのは競馬学校の寮を思い出させる。刑務所の囚人部屋よりは上、一流ホテルよりかは下、そんな独特な調整ルームの雰囲気がどことなく寮の部屋にしか思えないのである。調整ルームと寮の部屋で違うことといえばただ一つ、ベットが一つだけということである。昔は隣にエビちゃんがいた。しょっちゅう寝てるのか寝てないのか困惑させられたけれど。

ベットにずっと寝そべっているかといえばそういうことはない。トウカイローマンのデータを精査したり、他の出走馬のデータ、過去の京都大賞典の結果などを椅子に座りながら考えている。

イメージ上のレースを組み立て、シミュレーションをしてみると()()()()()はトウカイローマンが勝っている。明日の天気は予報によると曇り、雨が降るかどうかについては可能性としては薄い。

あと唯一、心配なのは自分の心意気だけである。トウカイローマンの勝利のヴィジョンとは逆に敗北のヴィジョンには僕の騎乗ミスが出てきてしまう。

サッカーボーイで重賞を勝ったが、それは本当に僕の実力なのか。そういう視線が僕にミスを誘わせるようにしている。

そんなこんなを考えていると、知恵熱が出てしまいそうで気分をリフレッシュしたくなった。寝る、という気分ではないし風呂でも行こうかと思えた。

 

各競馬場の調整ルームはそりゃ、多少は違うが大きく違うことはない。風呂も食べ物もそんなに変わらない。変わっているのがあるとすれば、部屋ぐらいだろう。

そうこうして脱衣所へと向かっていると、目の前に人がいた。恐らくついさっきまで風呂に入っていたのだろうか少し顔を赤くしている。

 

「おぉ〜豊くんじゃないか。この前の函館三歳Sの勝利おめでとう。」

 

「お久しぶりです、多原さん。」

 

「そう他人行儀にしなくてもいいのに。いや〜、しかしサッカーボーイの勝利はすごいねぇ。開催最終日の荒れた内の馬場を通って一気に先頭に立つ…か。君が本当に新人騎手か信じられないよ。」

 

「いや、本当にあれは()()()()ですよ。」

 

すると急に多原さんの顔は変わってしまった。まるで、僕のことを心底疑うようにじっくりと見ていた。

一瞬、何か物凄く冷たい空気が澱む。さっきまで、知恵熱のせいで暑くなった頭が急に冷め、心臓がヒヤッとする嫌な冷たさがしだした。

 

()()()()じゃないと僕は思うね。」

 

「えっ?」

 

「たとえ僕でもはっきり言ってその手は使わない。何故なら馬のことを信じ、自分の能力を信じ、全てを信じなければいけないから。全てが噛み合わなきゃいけない、それなのに豊くんは()()()()と言った。豊くんは自分の能力を無意識的に信じているのか、それともただ本当に運が良くて勝ったのか。後者ならもう、そのように走らない方がいいよ。噛み合わない時は大変なことが起きるからね。」

 

その言葉は何よりも痛かった。実際あの走りを思いついたのは僕ではない、もう一人の“俺”であったことに間違いはない。そしてあれは恐らく奇跡的なことが合わさったからこそ起きた現象である。

それを当たらずとも遠からずの解答を多原さんは出してきたのである。そう思うと急にこの人が恐ろしくなった。そしてやはりこの人は“天才”なのだと分かってしまった。自分とは向きはほぼ同じベクトルの天才である。

競馬のジョッキーというのは馬の上に乗って鞭を打つので一般人にはスポーツ選手のように思われるかもしれないがそれは違う。正確にいうなら勝負師である。

実際勝負師として使った例を挙げるならサニーブライアンの鞍上である小西さん、ライスシャワーの的葉さんなどが挙げられるだろう。逆に最近の事例で下手な例をあげるとすればジャックドールに乗っていた藤丘であろう。

未来の競馬になれている僕からすればヒリヒリしてしまうほどの勝負強さになんとか体と心は耐えてくれている。

 

「若気の至りってやつですよ多原さん。もう一度やれなんて言われても僕としても無理ですよ。」

 

「……僕から言えるのはあの走りは馬体にダメージを与えやすい走り方だ。だからあまり多用すべきじゃないよ、豊くん。みんながやらないってことは、それ相応のリスクがあるんだから。それじゃあね。」

 

そう言って多原さんは僕の視界から去っていった。視界に居なくなった途端に僕の心臓は温かみを取り戻し、合理的になりかけていた脳味噌は融けてくれた。

しかし依然、体に残った恐怖による寒さは残ったままですぐに脱衣場まで早歩きして服を雑に脱いで暖まることにした。明日のレースに備えて。

 

 

 

 

 

 

 

京都競馬場 第11R京都大賞典(GⅡ) 芝2400・右 芝:良 ダ:良

 

『京都競馬、今日のメイン競走11R、第22回京都大賞典、GⅡです。芝2400で今年は6番ランドヒリュウが取り消しで全9頭で行われます。

 

前走一番人気一着、重賞初挑戦。ペルシアンパーソ、一枠一番。馬体重−4キロ、鞍上は多原成貴で七番人気です。

 

重賞七戦目、二連勝の栄光を皆に刻め。プレジデントシチー、二枠二番。馬体重±0、鞍上は南伊克己で二番人気です。

 

クラシック前哨戦きさらぎ賞の走りをもう一度。フミノアプローズ、三枠三番。馬体重+2キロ、鞍上は丸川勝秀で三番人気です。

 

若き天才と挑む、樫の女王。ターフに吹くは浪漫の風トウカイローマン、四枠四番。馬体重+6キロ、鞍上は竹豊で六番人気です。

 

四歳の秋、世代の頂へと登りかけたその脚をこのレースで。タケノコマヨシ、五枠五番。馬体重+8キロ、鞍上は川内洋で一番人気です。

 

ダイヤモンドを乗り越えた馬体に怖いものはなし。ドルサスポート、七枠七番。馬体重−8キロ、鞍上は猿棟重利で九番人気です。

 

大統領も浪漫の女王も敵ではない。小倉の勝者ゴルデンビューチ、七枠八番。馬体重+2キロ、鞍上は増用正で五番人気です。

 

スプリンターだが侮るな。京都大賞典の勝者は俺、ダイスプリンター八枠九番。馬体重−4キロ、鞍上は田山良保で八番人気です。

 

ランドヒリュウの後ろで悔やんだ高松宮杯、その悔しさ今こそ晴らす。アグレッサードルガ八枠十番。馬体重+2キロ、鞍上は久穂敏文で四番人気です。』

 

 

 

ついに来た、京都重賞三連戦の最初のレースが。準備は万端、用意は重々、調子は最高。

このレース、トウカイローマンのためにも勝たなければいけい。小倉大賞典で二着と惜敗したあの悔しさをここで晴らさなければ。

オークス馬の栄光を今ここにもう一度掲げよう。竹豊、重賞二勝目のレースとなる京都大賞典を走りに行こう。僕とローマンならいける。

風が気持ちよく感じる。勝利の匂いが微かに鼻腔をくすぐる。京都の、淀の坂も何も怖くない。畏れよう、そして乗り越えよう。これを乗り越えずして何がレジェンドだ、何がリーディングジョッキーだ。

 

僕になら乗り越えれる。竹豊だからではなく、ただ僕だから乗り越えれる。過信や慢心、蛮勇などではない。勇気なんか、なんの役にも立たない。

僕がただ唯一できることは“勝利するという覚悟”、それだけだ。たった数分だ、どこかの漫画の主人公が抱く覚悟よりちっこいもんだ。

僕に出来ないわけがない。覚悟が出来ず、諦めるというのなら未来への道はないっ!!

僕の心で囁く、未来の可能性を閉ざす声の奴らに言いたい。黙りやがれと。

僕は、僕を信じる。未来を信じる。

 

『各馬ゲート入り始まりました。』

 

さぁローマン、もう一度走ろう。

君と僕とで復活への道を。光はもうすぐそこに、ある。

 

『十番、アグレッサードルガがゆっくりとゲートに入って、収まりました。』

 

ゲートが開く瞬間なんか、問題はない。ゲート隙間からはまだ光の奔流は見えない。勝利の匂いは流れない。だけど、勝つビジョンは見える。

さぁ、気楽に行こう、ローマン。京都大賞典の勝者は君なんだから。僕もこのレースには勝つために来ているっ!!

だから行こうっ!!

 

 

 

 

 

 

 

『スタートを切りました、9頭揃って飛び出しました。綺麗なスタートの中、ピンクの帽子、赤と青の勝負服ダイスプリンターが外から強引に先頭に立とうとしています。』

 

やはりダイスプリンターが先頭に立ったか。しかし気にするほどの逃げではない。前走の内容からしても彼の距離適正はスプリントと判断できる。

そのことは同じ父を持つ、ホクトヘリオスが教えてくれる。ローマンは落ち着いてくれている。歳ゆえの、静謐だろう。問題はない、ビジョンへの道のりはなんの問題もない。

まだトウカイローマンは前に出さなくても問題はない。追いつける、ビジョンがそれを見せてくれる。

 

『正面スタンド前、注目の先行争いが始まります。ダイスプリンターに応戦するようにフミノアプローズが上がっていて二番手におり、その若干外側からゴルデンビューチも上がってきます。少し下がって内にオークス馬トウカイローマンはここにいます。』

 

レースが始まって落ち着ける筈だったのに、僕は落ち着けない。レース前の覚悟をもってしても落ち着けない。後ろの不確定要素、予定調和の外にある者、因果を乱す者、僕と同じ異彩を放つ人物

ペルシアンパーソの鞍上、多原さん。恐らくあの人は分かっているはずだ。同じく勝利のビジョンを持っている。だがそのビジョンはペルシアンパーソが勝つという、僕が望んで見ているビジョンとは違う。ビジョンが見えるということは恐らく、その道のために一番邪魔なのが僕だということも当然のように分かっているはずだっ!!僕が多原さんを勝利の道にとって邪魔だと思うように。

元祖の天才と新鋭の天才、どっちが勝つかなんてネットに当たったボールがどこに行くのか分からないのと同じだ。だからこそ一瞬の、全ての工程、過程を誤っちゃいけない。心技体、全てを精巧に動かさなければいけない。

 

『その後ろにペルシアンパーソがついて、半馬身開いてプレジデントシチー、ドルサスポートがいます。タケノコマヨシ、一番人気はタケノコマヨシは後ろから二番手の競馬をします。そして最高峰にはアグレッサードルガがいます。』

 

しかし、プレジデントシチーが前めにつけていないことは少し予想外ではあった。ビジョンの殆どにはプレジデントシチーは先行集団にいていたのに。

そしてやはりタケノコマヨシは、過大評価であったことが見て取れる。全然着いていけていないことが分かる。距離適正からも違うこのレースに、衰えているタケノコマヨシには辛い筈だろう。川内先輩にはあれだが、どんなに上手くいったとしても掲示板入りは無理だろう。

 

『各馬、第一コーナーを回り終わり第二コーナーです。まず十番のダイスプリンターが逃げて、先頭をとって二馬身開いています。二番手、八番のゴールデンビューチが後を追っており、三番手は、三番のフミノアプローズが追走しています。向正面、中団に一馬身開いて四番トウカイローマンがいます。』

 

1コーナーから2コーナー、で馬群に変化は見られない。せいぜい二番手と三番手の位置が変わっただけである。それ以外変わっていないということは、僕らの後ろにはまだペルシアンパーソが下がったりしてる訳もなく後ろで走っているということである。これはまずい、どうにかしてここで差を開かせるかもしくは直線の末脚勝負に持ち込むか。しかし、トウカイローマンの末脚は小倉大賞典で走ったときに分かったが牝馬としては十分なレベルではあるが牡馬と比較すればとなれば少し能力としては劣るだろう。ペルシアンパーソは所詮OP勝ち馬だといえばそれだけではあるが、多原さんが乗っている、それだけで警戒を十分にしなければいけない。

これこそ、“権威バイアス”という者だ。

たった人一人だけで戦略上どうすればいいか予想がつけなくなるのが“権威バイアス”である。

そんなことを考えてると、もう向正面は終わろうとして淀の坂が来てしまう。向正面の手前までなるべく前の2頭との差を減らせるだけ、減らしでもしなければいけない。

それで直線での末脚勝負にかけるだけだ。開いている差を計算に入れて、ギリギリこっちが先にゴール板届くかどうかだ。

リズムを崩すな、リズムを、崩さず、走り切れば問題はない。権威バイアスの影響を受けるな。

僕の勝利の覚悟はそんなもんじゃないっ!!

 

『後は下がりまして内に一番のペルシアンパーソ、外にプレジデントシチーが並んでいます。さらに一馬身開いて七番のドルサスポートがいて、続いて五番のタケノコマヨシ、最後方は変わらず十番のアグレッサードルガが後方でレース運びをしています。』

 

さぁ、来るぞ、淀の坂の上りがっ!!ぐっ、、、!!!この上からの重力がきつい。高低差4mと言われても勾配が大きすぎる。本当によくこんなコースを設計したもんだよ、昔の人は。

長い、長く感じる。そんな長くないはずの上りが長く感じるっ!!この体にかかる重力が体の中の体内時計を狂わせる。頭の中に浮かんでいるペース時計は狂ってはないが、僕の体感時計が狂い出している。早くここを脱して、体感時計の狂いを戻したいが上りでスピードを上げては下りで下れなくなるっ!!

頂上は、頂上はまだなのか!!頂上は見えるはずなのに、頂上についていない。

苦しみながら上っていると気づくと、頂上についていた。どうやら、ようやく体感時計が復活してきた。前との差はほんの少し、下りが終わってからスパートをかけよう。

 

『残り1200mを越えて、続々と第3コーナーを回ります。先頭ダイスプリンターと先行勢との差は縮まって残り半馬身となり、ここで二番手は再びフミノアプローズで三番手はゴールデンビューチ、外に四番手トウカイローマンとペルシアンパーソが並んでいます。』

 

最悪だっ!!本当の本当に最悪であるっ!!上りのせいでペルシアンパーソが上がってきて、さっきまでは後ろにいたのに今じゃ並ばれてしまっている。

本当にこれは、完全な末脚勝負でしかない。絶対能力がどっちか上かで勝敗が決まる!!

 

『先頭から最後方まで五馬身ぐらに収まっています。第四コーナー回って直線コースに向かいます。』

 

もう、どうなってもしらねぇ!!トウカイローマン、勝ちにいくぞっ!!

今からスパートをかけるっ!!ロングスパートで、直線コース。駆け抜けるしか方法はないっ!!

 

『先頭はまだダイスプリンターですが、外からトウカイローマンが接近してきます。残り400m、一気にトウカイローマンが先頭に躍り出ようとしています。それと同時に、ペルシアンパーソも上がっていきますっ!!』

 

多原さんも末脚勝負に持ち出すかっ!!そのまま後方ズルズルはやっぱしナシかよっ!!

まだだ、トウカイローマン、400m頑張るしかない!!鞭を打って更に、ペルシアンパーソが届かないレベルでスピードを上げて突き放してしまおうっ!!

 

『更に外からプレジデントシチーが追い込んできますが、先頭は内トウカイローマンと外ペルシアンパーソの一騎打ちっ!!』

 

残り300m、右手で鞭を打つ手が痺れ出してくるような感覚がする。気付かぬ内に僕は多原さんに怯えている、怯えてしまっていた。

天才に恐れてしまっている。乗り越えようという手が伸ばせない。

 

 

 

 

 

 

ここで諦めようかなぁ。

 

 

 

 

 

 

はっ!!何を考えているんだ僕は!!諦めてたまるかっ!!

諦めたら心は楽になるが、諦めたら未来は掴めないっ!!なら、諦めずに僕は未来を掴んでみせるっ!!

天才がなんだ、それもまた所詮は()()()()()()。神様と戦うわけじゃない。僕が勝てる道理はあるっ!!動いてもらうぜ、僕の右手っ!!

 

 

『後方からフミノアプローズも迫っていますがっ、トウカイローマン、ペルシアンパーソ、トウカイローマン、ペルシアンパーソっ!!』

 

 

『しかし、しかしトウカイローマンが、出た!!トウカイローマン出たっ!!』

 

 

『トウカイローマン、一着でゴールインっ!!若き天才、竹豊重賞2勝目、右手で大きなガッツポーズを挙げています。』

 

………はぁ、はぁっ、どうやら勝てたようだ。僕は勝てた、僕は勝てたんだっ!!

トウカイローマン、ありがとう。僕に付き合ってくれて、これからも一緒に頑張ろう。

 

「ありがとう、ローマン。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無事にレースを終えて、栗東トレセンの独身寮へと戻ってきた。部屋へと戻ると不思議な安心感が心から湧いてくる。

そんな安心感も束の間、部屋に電話の音が鳴り響く。帰ってきた途端に、電話を受けとらないといけないとは少し面倒くさい。

しかし恐らくは何か騎乗に関する電話か取材関連の電話なのであろう、すぐに受話器を取らなければいけない。本当に、面倒くさい。

 

『プルプルプルプルプルプル、ガチャっ!!』

 

「もしもし竹豊です。」

 

「竹豊くんで合ってるかい?」

 

「はい、合ってます。そちらはどちら様でしょうか?」

 

聞いたことのない声である。栗東の関係者…という訳ではない。恐らく栗東トレセンというよりは美浦トレセンの関係者かもしくはマスコミのどちらかだろうと思う。

しかしマスコミにしてはゆったりとした口調である。今まで関わってきたマスコミの人たちとは全く違う。恐らくマスコミではなさそうだ。

 

「美浦の山田和夫です、調教師の山田です。竹豊くんに是非とも騎乗依頼をしたくてですね。」

 

「は、はぁ…どんな馬なのかお教えできますか?」

 

()()()()()()に騎乗してくれないかな?」

 

「ん?えっ?()()()()()()!?」

 

ちょっと待った、この電話はもしもかしたら大変重要な電話かもしれないぞ。マティリアルっつたら、あの馬なのか!?

 

「竹豊くんの考えている通り、今年のスプリングSを勝ったマティリアルです。」

 

いやいや、待てよ、確か、マティリアルつったらあのメジロと肩を並べる名門牧場の、泣く子も黙るあの牧場…

 

「シンボリ牧場の倭田さんから依頼されてます。」

 

シンボリ牧場………か。てことは待てよ、いや待てよ、それだったら大変なことが起きるのが目に見えるぞ。

これはあれだ、ダブルブッキングってのがもしかしてだけど、起きてしまう…そんな気がしてしまうっ!!

 

「菊花賞に是非とも乗ってくれませんか?」

 

 

マティリアルというのがどんな馬かといえば、アグネスタキオンがたった三戦で神話になったというのならこの馬はたった()()で神話になった。シンボリルドルフのたった三度の敗北を語りたいというのならマティリアルはたった一度の勝利を語りたい。当時は同年のクラシック二冠馬であるサクラスターオーよりファンが沢山いた筈というか、実際今そっちの方がいる。

シンボリルドルフ、シリウスシンボリと名馬を続々と出すシンボリ牧場の新たな一軍候補…いやそれより更に上の立場としてマティリアルは祭り上げられたのである。実際シンボリ牧場の特別な二つの馬房にシリウスシンボリと一緒に入っていたほど特別に丁重に扱われていた。

さてそんなマティリアルの神話誕生は1987年のクラシック前哨戦スプリングSで起こった。ご存知の通り、中山競馬場というのは主要四競馬場の中で一番直線が短い。

では何をレース中にしでかしたかというと、第四コーナーで最後方であったにも関わらず直線一気の追い込みで勝利してしまったのである。馬群は縦に長くかつ中山の直線でやってしまったのである。

これには鞍上だった丘部さんも「ミスターシービーしちゃった。」と語るほどの偉業であった。とまぁここまで語ればマティリアルはそれはさぞかし、クラシックの有力候補だったかと問われたらそれは間違いなくそうである。

しかし恐らくではあるが、大抵の競馬ファンは知らないことであろう。やはり1987年の馬といえばサクラスターオーか、メリーナイス、ゴールドシチーが挙げるだろう。

では一体何故かというと、クラシックで散々にボロボロに負けたからである。

ボロボロに負けた理由は至極簡単である、単純に距離適性がマイルだったからである。いや恐らくギリギリ2000mまでなら持つだろうが、どっちかというとマイラーであろう。

実際に五歳以降でマイルの重賞を幾つか勝っており倭田さんも後にマイルのレースに出していたらと後悔するほどのマイルの逸材であったことが見て取れる。

 

 

「菊花賞…ですか。セントライト記念で確か掲示板入りしましたが長距離いけるんですか?」

 

「問題はないです…最近は不調ですが、厩舎とシンボリ牧場とでレース前までには最高な調整を行うので安心して乗ってください。」

 

………ここまで調教師が騎手に遜るというのはおかしい。どちらかというと僕たち騎手の方が遜る、そういうものである。

そして電話を越えた先から聞こえてくる声色は震えてばかりである。そしてマティリアルには主戦騎手にかの名手、丘部幸隆さんがいる筈である。

そんな僕に電話を遣してまで騎乗依頼をするということは即ち…

 

「丁重に断らさせていただきたいと思います。」

 

「えっ?あっ、待っ、待ってくれないか。あのマティリアルだよ、是非とも豊くんなら上手く捌いてくれると思うんだけどなぁ。」

 

「いや捌けないです。丘部さんも実際に上手く使えないのがこの電話で判断できます。」

 

「いやいや、そこの所出来てくれたら本当にありがたいんだ。他の栗東の騎手にも声を掛けても騎乗依頼とかでバッサリ断られてしまって。」

 

恐らく、栗東のジョッキーも僕と同じく断っただろう。どう見ても地雷なこの騎乗依頼に。

上手く乗ろうと、下手に乗ろうと恐らく負ける。負けてシンボリ牧場に嫌われる、そんなの誰も受けたがらないだろう。なんたって丘部さんが屋根から降りているのだから。

 

「僕は菊花賞では騎乗を予定する馬が一頭いますし、断りたい所ですが条件次第では乗りたいと前向きに考えてます。」

 

この絶好な相手のピンチは僕にとってのチャンスになるのではないだろうか。考えてみろ、マティリアルはみんなが思うようなクラシックディスタンスホースではなくマイラーである。

このことは未だ誰も気が付いていない。サッカーボーイが成熟するまでの間の、マイル重賞のお手馬になってくれることが可能かもしれない。

だがしかし、ここでマイル路線を走らせようなんて言ってはいけない。そうしたら鞍上はまた丘部さんに戻るだけだ。ここは直接乗り込むしかないだろう。

 

「明日、そちらの美浦のトレセンに向かいます。そこで条件は話したいと思います。」

 

「わ、分かりました。それでは明日何時ぐらいに着きますか?」

 

「早朝の始発の新幹線に乗って向かいたいと思いますのですぐ、遅くても夕方頃には着くと思います。」

 

「でしたらスタッフの方を最寄りの土浦駅に置いておきすので、豊くんを見つけ次第声をかけると思うので、土浦駅で待ってください。」

 

「分かりました、では。」

 

電話が終わった…

レース明けにまたもや騎乗依頼が舞い込んできたか。相当、競馬の神様に好かれてしまっているようである。こんなにもいい馬の騎乗依頼が一杯回ると大変なことになる。だからこそエージェント制が採用されたのも騎手になってから少し分かってしまうような気がする。

そんなマティリアルを僕のお手馬にするためには説得しなければいけない頑固な相手がいる。

その人をどうにかしないといけないが、問題は会えるかどうかだが明日山田調教師に合わしてもらうようどうにかする必要がある。

()()()()()()()()はそこんじょらの三歳馬より今は格下であろう。正直言って今のサッカーボーイなんかより走れない筈だ。どうにかして話し合いをして僕の考えているようにしなければ、マティリアルは普通の馬になってしまう。とりあえず明日は朝早い、さっさと寝ることにしよう。

 

 

朝はいつもより早めに予定の始発の新幹線に乗るために朝飯も食べずに栗東トレセンから車を法定速度を越えるか越えないかのラインで京都駅まで走らせた。

服装も適当なのかと言われたらそうではなく、なるべく肌面積を減らす服装でいる。夏ではないというのにサングラスまでつけている。

決して僕がファッションが好きだからしてるとかではなく、理由は女性ファンに見つからないためである。いやはや、競馬場といえばおっさんだらけな世界だというのに僕がレースに出るとなれば女性の割合がグーンと伸びてしまうほど僕は女性に人気があるようで、実際レースを勝利した時には観客席から黄色い悲鳴が甲高く聞こえる。その隣ではおっさんたちの野太い声が聞こえているが…

京都駅まで着いたらすぐに僕は始発の新幹線に乗って東京駅まで向かうことにした。車内にはサラリーマンなどが気持ちよさそうに寝ており、僕もその姿を見ると眠気がしてしまい眠気が来てしまう。前まではスマホなりを触ったりして過ごしていた時間はポッカリ空いてしまった。なんのやることもないので、眠気に身を任せて眠ってしまった。

気づけば東京駅に着いてので、すぐに降りてJRの特急ひたちに乗って待合場所である土浦駅まで向かう。

この交渉が上手くいきさえすればいいんだがなぁ…

 




『Jμn 桐生少年 松本備前 モスクワの人 尾張のらねこ poniog kizuka いろもの NISHIZUMI MOHO ロクでなしのヘタレ エビーフ ぐんまる ボムのすけ BD3rd 童帝ペンギン』さんお気に入り登録ありがとうございます。

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