ミレニアムサイエンススクール某所──ヴェリタス・休憩室
「……」
陽の光が差さないサーバールームで、一人の少女が青白い画面に向き合っていた。彼女の名は、小鈎ハレ。ミレニアムが誇る頭脳、その一端を担うハッカー集団『ヴェリタス』の一員である。
その頭脳はミレニアムの中でも頭一つ抜けており、彼女を知るものは彼女について説明するときに、必ず『天才』の二文字を掲げる。
けれども、そんな天才は目の下に分厚い隈を蔓延らせて、死人のような顔付きで画面に向かい合っていた。キーボードに伸ばした手は、一時間ほど前から動いていない。
──二十五日前、シャーレの先生を襲った何者かによる襲撃。なんの前触れも無く、唐突に起きた爆発テロ。それによって先生は、一度心肺停止に陥る程の重症を負った。その傷は未だ癒えず、最後にハレがガラス越しに見た先生の体には大量のカテーテルやチューブが挿入され、機械の鳴動音だけが先生の鼓動になっていた。
それを思い出すたびに、あるいはこのサーバールームに響く機械音に耳を奪われる度に、酷い頭痛が彼女を襲う。
「っ……!」
不定期に訪れるそれに頭を抑えて、ハレはモニターに表示されたデータの数々を確認する。キヴォトス全土から集められたシャーレ襲撃直前までのデータ。彼女が得意とするハッキングを駆使して、合法非合法問わずに集積された、膨大な文字列。
SNSで呟かれた他愛もないつぶやきに始まり、とある企業のミーティング内容、極々個人的なチャットのやりとりや、フリーマーケットアプリの値引き交渉の内容まで、その当時ネットに拡散されたありとあらゆる情報が彼女の手元にあった。
……けれども。
「分から、ない……!」
何一つ尾鰭がつかめない。どれだけ情報を精査しても、見当たるのは他愛も無い情報ばかり。これほどまでに大規模な事件をネットを用いないで遂行することなど不可能だ。電話網に関しても、コタマが当時話し中になっていたすべての電話回線の通話内容を収集して、延々と再生し続けている。
マキも、チヒロも……いや、彼女達だけではない。特異現象捜査部も、ゲヘナの万魔殿やトリニティのティーパーティー、RABBIT小隊、ミレニアムのセミナー、エンジニア部、その他多くの組織や部が集まって情報を集め……そして、一つの結論に至ってしまった。
この事件には──何一つ証拠が残っていない。誰がいつどうやって、何を用いてどうシャーレを爆破したのか。その証拠が無い。爆破の跡から火薬のひと欠片も見つからず、エントランスを含むの全ての監視カメラには誰一人として映らず、エレベーターを使用した形跡も、階段を登り降りした際の痕跡も残っていない。
ただただ、焼け焦げたシャーレという結果だけがそこに残っていた。
それだけでも彼女たちの心を折るのに充分だったというのに、つい先刻──今度は重体の先生が忽然と病院から姿を消した。シスターフッド、救護騎士団、正義実現委員会、C&C、救急医学部、風紀委員会が守りを固める病室から、誰にも気付かれずに、だ。
そんなことは決してあり得ない。あり得るはずがない。であれば、考えることは皆同じだった。『そう』であれば、可能性はある。
──ミレニアム、トリニティ、ゲヘナ。先生の警護に関わった組織の中に『裏切り者』が居たとすれば。
その疑惑は瞬く間に広がって、今や各学園の関係性は類を見ないほど最悪なものになっている。あらぬ噂が噂を呼んで、犯人はこうして先生の身柄を手に入れるために襲撃を行ったのではないか、とまことしやかに囁かれている。
このままでは重なりに重なった疑念が影を持って、全てを飲み込んでいくだろう。
だからせめて、明確な答えがあれば、とハレは目を細めながらキーボードに触れる。そのまま震える指が動きを初めて──ダン!と休憩室の扉が何者かに蹴破られた。
「っ!?誰!?」
「ハレっ!ハレ!!聞いてくださいっ!!」
椅子から転げ落ちそうになりながら声を張ったハレの前に現れたのは、ハレと同じくヴェリタスに所属する音瀬コタマだった。どこからか走ってきたのか、肩で息をするコタマは、その勢いのままハレに真正面から体当たりを敢行した。
元々不安定だった体勢へダメ押しの一撃が入り、二人共もつれ込みながら地面に倒れる。
先輩といえど流石にこれは、とハレが苦言を呈する前に、コタマがその両肩を抑えた。そして、ドス黒い隈を残す顔に狂気的な笑みを浮かべながら、「先生、先生が!」と叫ぶ。
その紫とも藍とも言い難い瞳には光が無く、どう見ても正気では無い。先輩、ついに一線を超えて……と言葉を失うハレに構うことなく、コタマは半狂乱で叫び続けた。
「せ、先生がエンジニア部から貰ったっていう、『どんな鍵でも開けられるよ君二号』です!!あ、あれにはBluetoothの機能が内蔵されていて、超小型スピーカーから好きな音楽を流せるんです!!」
「コタマ先輩、一度落ち着こう?確かまだ冷蔵庫に妖怪MAXが残ってたから──」
「それを利用して、先生の位置を逆探知しましたっ!!それだけじゃ、ないんです!こ、声がっ、先生の声が聞こえたんです!誰も知らない、私だけの先生の声が──」
言いながら、コタマは手元の端末を操作して、再生のボタンを押した。ザ、ザザー、と砂嵐のノイズが……いや、ノイズではなく天然の、アビドス砂漠の風の音がスピーカーから鳴り響く。
そして、その風の音を裂くようにボソリと声が響いた。
"うーん……もしかして私って、結構駄目な大人だったりする?"
「ぁ……」
先生の声だった。忘れるはずもない。聞き間違えるはずもない。とても優しくて、ちょっぴり困ったような懐かしい声だ。もう、二度と聞くことは出来ないのだと思っていた声が鼓膜を揺らして……灰色の瞳から、大粒の涙が溢れ出た。
音声は、先生が端末をポケットか何かに仕舞ったせいかほとんど聞こえなくなってしまったが、それでも微かな吐息や布の擦れる音が、断続的に聞こえている。
先生が、生きている。なんで?先生が自分で歩いている。どうして?
そんなはずはなかった。けれども、コタマが何度も繰り返し再生する先生の声に間違いはなくて、ハレは震えながら涙を拭って、コタマに聞く。
「ば、場所は、どこ……?」
「アビドス砂漠です。なんで、でしょうね?」
コタマもハレと同じく、何もかもが分からないことだらけだった。正直な所、頭の片隅に残った微かな理性が『そんな都合のいいことが有るわけない』と叫んでいる。けれども、そんな声を掻き消すほどに、あの人の声は確かなのだ。
何度も繰り返し聞いた。声紋認証もした。同時再生をして音の響きを確認した。
──間違いないです。この世で一番、私がその結論に自信を持てます。
信頼する後輩のハレの反応を見て、コタマの確信に確信が重なる。しかしそれに水を差すように、ハレはコタマにこう聞いた。
「先輩……その音声、というか先生のことを、私以外に話した?」
「……いえ、まだです」
「……そうだよね」
──シャーレを襲撃した犯人は、未だ見つかっていない。その状況で仮に、この音声を拡散したとする。そうなった時、犯人は大いに慌てるだろう。そして、どうなる?
続く一手は、当然前回の繰り返しだ。それが完全な成功を収めている以上、絶対にそうなる。ハレ達にそれを防ぐ手は無い。ハレ達だけではない。ミレニアムも、トリニティも、ゲヘナも……それら全員が手を組んでも、何一つ証拠が掴めていないのだから。
ならば、二人が取るべき行動は──
「信頼出来る仲間の間でだけ、情報を封じ込める」
「……人の口に戸は立てられぬ、と言いますよ。ハレには私に近いものを感じたので、安心して教えられたのですが……」
「他の人も同じ、とは言えない。考えないと……今現状、先生を守れるのは──私達しか居ない」
それを口にした瞬間、ハレの瞳に暗い炎が灯った。それは目の前のコタマの目にもある、明確な決意。
「次は絶対に、私達が守る。誰にも先生を傷つけさせない」
「はい。絶対に、絶対に……」
かくして、福音は少女らに齎された。では、次に齎されるのは何か?
──暗く微笑む二人の少女の目先に浮かぶ端末からは、吹きすさぶ風と、それに揺れる布の音が響いていた。