拙作はpixivにも載っておりまして、そっちはリアルタイムで書き上げてるので、お手数ですが「更新遅くなーい?」となったら一度確認してみてください。
"うぐぐ……この体、もしかしてかなり運動不足なのかな? "
シロコを背負って歩くこと一時間、何度か休憩を挟んでようやく、アビドス高等学校の近くまで辿り着いた。正直、これ以上歩くのはかなり難しい……膝は笑っているし、明日は筋肉痛が確定だろう。
ただ、背中から聞こえてくる静かな寝息が私の両足を奮い立たせている。それに、こうして痛みや苦しみを感じられるのも、生きている証拠だ。色彩に飲まれてからは感覚というものが無くなっていたから、今は感じている全ての感覚が懐かしい。
……それにしても、この体は一体いつの時間軸の私なんだろう? この世界における私はあの『襲撃』を最後に、一ヶ月近く寝たきりになっていたはずだけれども、今は何十キロと歩いた挙げ句にシロコを背負ってまだ足が動いている。
"うーん……本当に都合が良──え? "
パンパンになった両足を眺めながら独り言を呟こうとした時……不意に私の両足が『消えた』。代わりに見つめる先に現れたのは、棒のように痩せて包帯の巻かれた両足だった。
驚きに固まったのも束の間、瞬きの間には足が元に戻っている。一体、何が……? 歩き過ぎで疲れたのかな?
シロコを後ろに背負っているから出来ないけれど、普段なら両目を擦って確認していたはずだ。
しばらくは自分の足元を見ながら歩いていたけれど、不意に強い向かい風が吹き込んできて、顔を上げた。そこにあったのは、見覚えのある校舎だ。足を疑いながら歩いているうちに、いつの間にか辿り着いてしまったらしい。
久しぶりに向かい合ったアビドス高等学校の校舎は……はっきり言うと、かなり寂れていた。ぱっと見た限りでは砂に塗れた廃墟にしか見えない。割れた窓、ヒビの入った外壁、弾痕が目立つ扉。
"…………"
それが今の、彼女たちが過ごす学び舎の姿だった。胸の奥から湧いた『子供のような感情』をフッと消して、校舎に向かった。明け方、朝四時近い校内は不気味なほど静かで、私の足音とシロコの寝息がよく響く。
記憶を頼りに廊下を曲がって、半開きの扉を爪先でなんとか開けた。ガラガラ、と昔を思わせる音を立てて引き戸が動き……体が固まった。
いつも対策委員会のみんなが頭を悩ませて、あるいは笑顔を浮かべて囲っていた机に、こちらから背を向けたアヤネが突っ伏している。机の上には転がったままの空き缶とバッテリー切れの表示が点滅するノートパソコン。そして、何十枚もの写真と書類が乱雑に広がっていた。
──行方不明から二十四日が経過と書き記されたセリカの写真。
──『カイザーPMC実験拠点候補地』の付箋が付いたアビドス砂漠の地図。
──ノノミの携帯の最終記録座標、という文字の加えられたブラックマーケットの地図。
それらに倒れ込むアヤネの隣には、外された眼鏡がケースに入れられる事もなく机に置かれていた。ピクリとも動かないアヤネに慌てて、「アヤネ?」と呼んでみる。
「……んぅ。シ、ロコ……先輩……」
寝言を漏らしたアヤネに安心した。良かった……この校舎の様子を見た後だと、どうしても悪い方向に予想が飛躍してしまう。と、安心したのも束の間、寝言を言っていたアヤネがゴソゴソと動いた後、ゆっくり体を起こし始めた。伸びていた右手がペタペタと机の上を掴むように動いて、目当ての眼鏡を手に入れる。
その瞬間、スイッチが入ったようにアヤネの体が震えて、素早くこちらに振り返ってきた。
「っ!? シロコ先ぱ──ぇ」
"おはよう、アヤネ。少し早いから、寝不足なら寝直してもいいよ"
少しだけ冗談めかして言ってみる。アヤネはまるで幽霊でも見たような顔で固まった後に、震える右手で眼鏡を掛けた。少しだけ大きくなった瞳が音もなく縮む。
「……夢、ですか?」
"私も最初はそう思ったよ。一応顔を叩いてみたんだけど、違うみたい"
私が言うと、アヤネはぼうっとした顔で両手を構え、自分の両頬を強く叩いた。えっと……強く叩き過ぎかも? と思ったことを口に出そうとして、言葉を飲み込んだ。頬を叩いたアヤネが目を見開いたまま──静かに泣き出してしまった。
「う……ぅ、あ……」
涙を流すアヤネに手を差し出してあげたいけれど、私の両手は背中に回っている。だから、言葉を差し出した。
"君達が困っているのに、来るのが遅くなってごめんね。でも、もう大丈夫だよ。私が全部、どうにかするから"
「ごめんなさい、私、私達……頑張ったんです。でも、全然上手く行かなくて、もう、どうしたらいいのか……」
アヤネは最初こそ、私を心配させないように笑顔を浮かべようとしていたけれど、すぐにその顔は歪んでしまった。いつもアビドスの皆のことを考えて、一生懸命に色々なことを考えていた彼女だからこそ、抱えていた重圧は耐えきれないほど重かったのだろう。
堰を切ったように泣き出すアヤネに言葉を掛けようとしたけれど、それより前に足元がぐらついた。
"おっとっと……ごめんね、アヤネ。ちょっと、足が──"
「せっ、先生っ!? そんなっ、いえ、すぐに椅子を……!」
情けないけれども、流石に足が言うことを聞いてくれない。取りあえずはシロコを休ませてあげて、その後に……と思っていた矢先に、アヤネが慌てたように声を上げた。見ると、彼女の顔は青ざめていて、いつもの理性的な様子はそこに無い。
アヤネは大慌てで私に椅子を差し出して、背中のシロコを苦戦しながら引き剥がした。
「先生はそこでゆっくり、ゆっくり休んでいてください! シロコ先輩は私が……ええと、確か隣の教室にホシノ先輩の置いていった寝袋があったから──」
"えっと……"
何かを恐れるような、何かに追い立てられるような表情のアヤネに声をかけようとしたけれど、それよりも早くシロコを連れたアヤネは教室の外へ出ていった。……もしかしたら、アヤネは私の体にまた何かが起きてしまうのが怖いのかもしれない。
実際、今の私はアロナの助けを得られない。戦いに巻き込まれたら、流れ弾の一発で今度こそお墓に入れられてしまう。
ただ……そんな状態なのに、どうしてだろうか。
"……全然、怖くない"
これまでの私も、銃撃戦や総力戦であまり不安を抱いたことはなかった。それは当然、生徒である皆のことを信じていたからだし、アロナを信じていたからだ。
今はその二つが欠けているのに、何も不安が無い。まるで──言い知れない力が私にあるような……。
"……うーん"
硬い椅子の背もたれに体を預けて、右手を開いたり閉じたりしてみる。全能感、というと少し言い過ぎだけど、変な確信のようなものがあった。左手で足を労りながら右手を確かめていると、アヤネが戻ってきた。
「お待たせしました。先生、体はその、大丈夫ですか? どこか痛めた所は、というか、えっと……」
"体は大丈夫だよ。心配してくれてありがとうね、アヤネ"
「い、いえ! ……それで、その」
アヤネは涙で濡れた目元を袖で拭って、自分の席に戻った。さっきまでは少し不安定だったけれど、少しの時間でいつも通りに持ち直したみたいだ。流石はアヤネだね、と思いつつ、目を伏せながら言葉を詰まらせるアヤネに対して、先を読んで口を開く。
"どうして私がここに居るのか、だよね? "
「……はい。先生は、その……二十五日前に起きた『シャーレ襲撃事件』で意識不明の重体になったはずです。そして昨日未明、入院していた病院から忽然と姿を消してしまいました。どの学園も、重体の先生の居場所を探しています。そんな先生が、どうしてアビドスに……?」
"……正直に言うね、アヤネ。──私にも、何も分からないんだ"
「……え?」
ぽかん、とアヤネが固まる。そうだよね、そうなるよね。……ただ、理由が分からないのは私も一緒だ。目を閉じればすぐにでも思い出せる。崩壊していくアトラ・ハシースの箱舟の中心で、最後の脱出シーケンスを躊躇いなくシロコに使った『私』は、確かに私にこう応えてくれた。
「任せてください。生徒たちの責任は、最後まで『私』が負いますから」
例え異なる世界線だったとしても、異なる私が負った責任だったとしても、『私』は最後まで責任を負うと応えてくれた。そこから静かに目を閉じて、ここに居る。
それがどんなカラクリなのかは、本当に何も分からない。
──まるで、夢から覚めたみたいだ。
そんなあやふやな事を思いながら、私はアヤネに「少し長くなるよ」と前置きをした。
"これまでのことと、これからのこと……その二つについて、今から話すね"
「は、はい。よろしくお願いします、先生」
それから、これまでの事を話した。まずは私が昏睡状態になってから百日目に起きた、色彩化したシロコとの話。次に私がシロコの代わりに色彩の嚮導者『プレナパテス』として、他の世界線へ侵略を始めたという話。
それに合わせて、私が知っている範囲で『この世界』に起きた幾つもの結末の話をした。
ホシノが黒服の実験の結果、死んでしまったこと。
セリカは行方不明になって、恐らくは亡くなったこと。
ノノミは前触れも無くアビドスから姿を消して、遺体で見つかったこと。
そして、アヤネは生命維持装置が必要になる大怪我を負って、その後に自分の判断で装置を外したこと。
その他にも、多くのことを話した。
魔王としてプロトコル:アトラ・ハシースを起動したアリス。
トリニティから退学になった補習授業部。
『魔女』によって壊れたティーパーティー。
信念を失い、崩壊したRABBIT小隊。
それぞれがそれぞれの"終わり"に辿り着いてしまったアリウススクアッド。
どれもこれも、私が見たあらゆる『終わり』だった。この世界ではまだそのどれにも到達してはいないはずだけれど、同時にいつか到来する未来でもある。
ようやくそれらを語り終えた時、アヤネの顔は青褪めていた。
「……それが、先生の見てきたこれまでのことと、これからのことなんですね」
"……うん。「一度目の私」は、負うべき責任も、果たすべき義務も、最後まで全う出来なかったんだ"
でも、と確かに言った。多くの失敗を重ねた。多くの物を失った。そんな私に、それでも二度目があるというのなら──
"今度こそ、私が──皆のハッピーエンドを作ってみせるから……もう一度、私を信じてほしいんだ"
「せ、先生!? そんなっ、私に頭を下げなくても……!」
椅子に座ったまま、アヤネに頭を下げた。……本当は、地面に頭を擦り付けたいくらいだったけれど、そこまですると逆にアヤネは困ってしまうと思う。だから、私が思う最大限の誠実さで、私は頭を下げた。
アヤネはしばらく慌てたように声を上げていたけれども、私の決意が固いことが分かると、少し黙ってから「先生」と言った。
「私は……先生のことを信じています。あの日、先生が私の手紙を頼りにアビドスに来てくれなかったら、きっと私達はもっと早くこうなっていたと思います」
"……"
「先生はきっと、沢山の私達を見て、私達の知らない失敗を見てきたのかもしれません。でも──こうして先生と話している私は、確かに先生に助けてもらったんです。どんなことがあっても、その事実は消えません」
ですから、先生、とアヤネは言った。
「私達の方こそ、よろしくお願いします。もう、私達だけではどうしようもなくて……先生の力をお借りしたいんです」
もう一度、私達を助けてくれませんか? とアヤネは言った。顔を上げると、アヤネは疲れ切った顔に小さな微笑みを浮かべている。ヒビの入った教室の窓から差し込んでくる朝焼けの光に、一瞬だけ目を細めてから、アヤネの目を見つめ返した。
"──勿論。もう一度でも、何度でも、私は皆を助けるよ"
「ありがとうございます、先生」
ようやく、アヤネの顔に普段の色が戻ってきた。疲れているのは変わらないはずだけれど、穏やかな笑みがそこにある。それに安心したのも束の間、アヤネはハッと思い出すように顔色を変える。この感じは……いつもの作戦を考えるときのアヤネの顔色だ。
「先生も協力してくださる訳ですし、次の作戦を考えたいのですが……正直、私達に取れる選択肢は多くありません。借金はどんどん大きくなっていって、ホシノ先輩もノノミ先輩も、セリカちゃんも行方が分かりません」
"状況はかなり悪いよね……"
「はい……」
アヤネの声音がどんと曇ってしまった。解決するべき問題は山のようにあって、こちらの手札は驚くほど少ない。……けれども、大丈夫。私にとって、この世界は二度目だ。少なくない経験を積んだし、ある程度の予想は立てられる。
それらから導き出されたとっておきの『作戦』が、私にはあるんだ。
"安心して、アヤネ。私にとっておきの作戦があるんだ"
「と、とっておきの作戦、ですか?」
"うん。この状況をひっくり返して、皆を一気に助けられる、単純明快な作戦がある"
「そ、そんな作戦があるんですね……! 私にはその、恥ずかしいですが、全く分からなくて……」
それって、どんな作戦ですか? とアヤネは聞いてきた。その目には不安と期待が半々に織り混ざった感情がある。それを堂々と見返して、私は滑らかにこう言った。
"まず、手始めに──銀行を襲う"
やっとシリアスの山場を抜けました。
次回から少しずつブルーアーカイブらしくなっていきます。