──アビドス砂漠某所
「"箱"を持つ者が消失した」
アビドス砂漠の中心、不自然に砂嵐が凪いでいる場所に純白の法衣を持つ者たち──無名の司祭が寄り集まっていた。それぞれが複製をしたように同一な彼らは、顔を見合わせて口を開く。
「あの狼の神が持つ神秘の反転も、同時に止まった」
「それだけではない。あの"箱"の持つ権能や神秘、崇高は既に無い」
「それは我々にとって朗報か? "箱"さえなければあの者はただの人間に成り下がる。我々にとって最大の脅威は失われた」
そこで、無名の司祭達は沈黙した。その表情は仮面のように動かず、動作の端から感情を読み取ることも出来ない。長い沈黙の後、砂嵐の風切り音を切り裂くように「いや」と司祭の一人が言った。
「"箱"は失われた。あの者の奇跡も『先生』という概念も終わった。だが──あの者は今、『色彩の嚮導者』という概念を得ている」
「何故?」
「我々はあの者に接触していない。色彩が自発的に行動したというのか?」
「あり得ない。色彩は未だこの世界を発見できていない。その可能性を生む狼の神の神秘は反転していない」
「であれば、何故?」
「何故?」
「──理解できぬ」
司祭の一人が冷えた声音で言った。同調して、他の司祭も口々に理解不能を口にする。その中で一人、機械のように平坦な声で「しかし」と提案を掲げた。
「箱の主が色彩の嚮導者になったのであれば、我々にとって朗報だろう。色彩の嚮導者は我々の意思の代弁者であり、色彩の権能を以て、我々の意志を体現するもの」
「あの者が色彩の嚮導者になったということは、あの者の色彩を通して我々の意志に従わせることが可能だということか」
「あの者を利用すれば色彩をこの地に呼び寄せられる。ひいては、この地に漸く終焉を齎し、この地にある者は全て我らと同じ結末を迎えるだろう」
「であれば、理解できずとも良い」
そう言って、司祭達は暫く沈黙した。数分、或いは十数分の沈黙の果て、司祭の一人が体を震わせる。その震えは他の司祭にも伝搬し、司祭らは顔を見合わせた。それは一切の感情や情動の感じられない彼らが見せた、初めての『動揺』だった。
「──何故?」
「あの者に干渉が出来ない」
「操作権限は確立している。命令や端末の問題では無い。あの者は我々の命令を受け付けていないのか?」
「そうではない。……経路が違うのだ」
「あの者に指示を出すべき『我ら』と、この場の『我ら』が異なっているのか?」
「では、あの者が指示を受け付ける対象は我らではなく、平行世界の我らであると? 何故そのような不具合が?」
「理解できぬ」
「理解できぬ」
「理解できぬ」
「つまり──どうなる?」
司祭らは顔を見合わせた。そして、長い沈黙の果て、それに耐えかねたように司祭の一人が言う。
「つまり、あの者は──我らの命令や指示を一切受けず、色彩の権能を自在に扱うことが出来る。そして、あの者が権能を引き出している経路は平行世界の我らである。故に、色彩がこの世界を捕捉する可能性は極めて低い」
「何故このようなことが?」
「到底許容できぬ」
「これでは"箱"が消失したとしても状況は変わらぬ、いや、ともすれば悪化している」
「色彩の権能を持つ者が『忘れられた神々』と共にあるなど、許容できぬ」
「対策を立てねば。あの者が持つ権能を奪い取るか、指揮系統を再構成する必要がある」
司祭らはその言葉に同意を重ね、そして指し合わせたようにその場から消失する。彼らが立っていた場所に砂嵐が吹き付け、残っていた足跡や痕跡を消し去っていった。
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場所は変わり、キヴォトス某所、トリニティ救護騎士団備品倉庫にて──
「──あ、先生。そこに、居らっしゃったんですね……」
灯りの無い備品倉庫の中心に立つ少女……鷲見セリナは、桃色の瞳で虚空を見上げる。その顔には慈愛の二文字が浮かぶ微笑みがあり、けれどもその瞳の奥には形容出来ぬ何かがあった。執着か、依存か、とにもかくにもそこに明るいものが無いことだけは確かである。
灯りの無い倉庫の床には丁寧に並べられた医薬品と、彼女がいつも手にしている救急箱がある。セリナはしばらく部屋の天井を眺めてから、笑みを深めた。
「良かった……先生にもしものことがあったら、私は──」
そこでセリナは言葉を切って、静かに足元の医薬品を救急箱に詰め始めた。明らかにその分量は一人分ではないが、セリナはあれもこれも、と詰め込んでいく。何があっても先生を救護できるように。どんな傷も、どんな病も癒せるように。
「大丈夫ですよ、先生。私たちが……私が、必ず先生を助けてみせます。どんな場所に居ても、どんな時でもすぐに救護に駆けつけます。もう誰にも……先生を傷つけさせませんから」
そうして、セリナはその場から姿を消した。文字通り霧のように、始めからそこに居なかったように。後に残るのは、幾らか倉庫の医療品が減った、という現象だけだった。
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──場所は戻り、アビドス高等学校
"まず手始めに──銀行を襲う"
私は、堂々と言葉を投げ掛けた。このアビドスにおける現状を打破する方法は幾つかあるけれど、一番確実で最短なのはこの選択肢だ。
現状における問題点は複数ある。消えないアビドスの借金、行方不明のセリカ、黒服の実験体となったホシノ、ブラックマーケットで消息を絶ったノノミ。
これらの主な原因……言い方を変えれば、主犯は誰なのか。それはまず間違いなくカイザーコーポレーションの理事と、ゲマトリアの黒服だ。
恐らく、ヘルメット団かカイザーPMCを使ってセリカとノノミを誘拐して、ホシノに交換条件と銘打って契約を交わしたんじゃないかな。複数の問題を解決するときに一番大事なことは──根から断つ、ということだ。
私はこの世界の一周目を知っている。私の失敗を覚えている。だからこそ、今度はこの問題を根本から断ち切ってみせる。
そう思っての提案だったのだけれど──
「銀行を、襲う……?」
"……あれ?"
「せ、先生……? もしかして、この状況で冗談を言っているんですか?」
ゴゴゴ、と笑顔のアヤネから威圧感が漏れ出す。あ、これは……言葉が足りなさすぎたかも。確かに、アヤネの目線からだと、私の作戦は冗談にしか聞こえないかもしれない。特に、対策委員会の皆と定期的に作戦会議をしていたアヤネにとっては、何度もシロコから提案されて却下した提案だったはずだ。
笑顔に険が混じり始める前に、慌てて事情を説明しようとした。けれども、それより先に私の後ろでガラガラと扉が開かれた。
「ん。銀行を襲う、って聞こえた。やっぱり先生は分かってる。これが一番効率的」
"し、シロコ!? あれ、さっきまで寝てた──"
「冗談……いや……でも……」
「大丈夫。あの銀行は前から目を付けてた。見取り図も警備の交代時間も脱出経路も準備してある」
流石シロコ! じゃなくて、ちゃんと説明しないと。怒りが一周裏返って冷静になったのか、机をひっくり返そうとする手を止め、ブツブツと何かを話し始めるアヤネを落ち着かせて、カバンから目出し帽を取り出したシロコを宥め、私の知っている情報を話す。
合わせてシロコには、さっきアヤネにした説明を軽くだけれど話した。そうしないと、私がブラックマーケットのカイザーローンで起きているアビドスの返済金の違法な流入や、カイザーローンの中にそれらを裏付ける書類があることを知っている理由が説明出来ないからだ。
少し長くなってしまったけれど、取り敢えずはカイザーローンを軸にカイザーPMC理事の足元を崩して、そこからセリカとノノミの情報を引き出す、という部分について話すことが出来た。
「そう、でしたか……」
「返済金が、ヘルメット団に……ヘルメット団自体は三流のチンピラなのに、やけに強気だったのはそのせいだったんだね」
"証拠さえ集まれば、あとは私がなんとか出来るよ"
「なんとか……ですか?」
うん、と頷いた。その時の私の顔は、少し良くないものだったのかもしれない。一瞬アヤネは目を見開いて、シロコは何故か嬉しそうに微笑んでいた。
……カイザーPMC理事、彼がやったことは、この世界の基準では当たり前の戦略なのかもしれない。『大人』として、その力を振るっただけかもしれない。ただ、彼は自らの利益のために子供を、生徒を違法な手段で追い詰めて、苦しめた。
それが『大人のやり方』だと言うのであれば──大人である私も、『大人のやり方』を見せるだけだ。
"うん。証拠を集めた後は──大人の戦い方をするから"
「ん。やっぱり先生は頼りになる」
そう言いながら、シロコは近くの椅子を引いて、わざわざ私のすぐ隣に座った。会議室の机にはかなり余裕があるけれど、それはそれは迷いの無い動きで私の横にピッタリと張り付く。とんでもなく距離が近いような気がするけど……会った時みたいに身動きが取れなくなっていないだけマシ……なのかな?
アヤネは私の言葉に少し考えた後、一度なんとも言えない表情でシロコを見た後に、こう言った。
「……わかりました。では、先生の作戦で行きましょう。ただ、一つ問題があります。現状……その、銀行を襲うにあたって、大きな問題が一つあります」
"そうだね。現状だと、現場で動けるのがシロコしか居ない……私はちょっとお飾りになっちゃったし"
「ん。大丈夫。私は一人でも銀行くらい問題無い。成功率は八割」
「そ、それは多分、万全な時を基準にしてです! 今のシロコ先輩は、その……」
アヤネは心配そうな顔でシロコを見つめた。……そうだね。今のシロコは私が居なくなってから、ほとんど休みも無く頑張ってきた。体はボロボロだし、どれだけ無尽蔵の体力があっても、それは無限じゃない。何より私はシロコが一人で無理をする姿を見たくないし……失敗率の二割がとても怖い。
だから、私は自信を持って一つの『提案』をする。足りないパズルのピースをそっと手に持って、こう言った。
"それじゃあ、シロコ以外にも助けてくれる誰かが居たらどうかな?"
「助けてくれる誰か……? その、言いにくいですが、私達を助けてくれる誰かなんて……あ」
「ん……あの四人なら確かに使える。爆破係が居るとスムーズに進むはず」
アヤネは目を丸くして、シロコは小さく笑っていた。……ちょっと話してる内容が怖いけど、気にしないでおこう。私はアヤネに携帯を貸してくれない? と聞いた。私の携帯は壊れてしまったけれど、大丈夫だ。
ちゃんと、彼女達の事務所の番号は覚えている。
──便利屋68。とても強くて、ちょっぴりドジな社長が率いるアウトロー達。彼女達にぴったりな依頼をする為に、私はそっと番号をダイヤルした。
ここで先生が便利屋の事務所の番号を覚えていない場合、連絡がつかない→便利屋の事務所は夜逃げで場所が変わっているので分からない→詰み→色々あってバッドエンドです。
良かったですね。