プレナパテスは夢を見る   作:仮面の文豪B-A

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『大人の戦い』

 ──キヴォトス某所、カイザーPMC本社

 

 エレベーターの扉が開いて、長い廊下が前に広がる。右手に広がる窓から、遠く街並みが見える。それらを一瞥して、廊下の終わりにある扉の前まで歩いた。

 

『理事室』。金細工の文字が扉に刻まれている。中からは小さくくぐもった男の声が二人分、なにやら言い争いをしているようだった。

 その内の片方に聞き覚えがあることに顔を顰めて、扉を開ける。

 

「ならば、あの舟は我々が──む?」

 

「…………は?」

 

 扉の先、広々とした理事室の中で、カイザーPMCの理事とゲマトリアの黒服が向かい合って話をしていた。二人の目線が扉を開けた私に寄って、場が凍る。

 理事も、黒服も、本来ここに居るはずが無い私の登場に心底驚いているようだった。

 

「貴様、何者だ? この部屋に誰かを呼んだ覚えは無いが」

 

「……何故? 何故、ここに貴方が?」

 

 シャーレの『先生』。黒服の声は珍しく震えていた。表情こそ大して変わらないものの、この男がここまで取り乱す姿を見るのは初めてだ。カイザーPMCの理事は黒服の言葉に固まって、じっと私を見る。

 

「そうか、この男が例の……ふむ。私の記憶では、一ヶ月ほど前から重体で入院中だったはずだが……」

 

「何故、貴方がここに居るのですか? 複製(ミメシス)? それともゴルコンダの新たなテクスチャですか?」

 

 "……そんなことはどうでもいいよ。それを話すためにここに来たわけじゃない"

 

 冷たい声で言うと、黒服は言葉を飲んで硬直した。その空洞めいた白い瞳が私の事を……恐らくは、私に見えない何かを読み取ろうとしている。けれど、私は言葉通り彼らと仲良くお喋りをするためにここに来たわけじゃない。

 まずは、カイザーPMCの理事からだ。後ろ手で扉を閉めて、理事に向き直る。

 

「……ふむ、まあいい。それで? どうやってここまで辿り着いた? 仮にも我々はPMC(民間軍事会社)だ。その本社に生身でノコノコと来れるはずもない。あの学校の『生き残り』でも使っ──」

 

 "それを知る必要は無いよ"

 

「……貴様は自分の状況がよく分かっていないようだな。ここがどこだか分かっていないのか? 今にも、エレベーターやエントランスのカメラの映像からお前の侵入を察知した兵士が、この部屋に突入してくるぞ」

 

 不法侵入とは、シャーレの先生も中々野蛮だな、と理事は嘲笑う。私は表情を変えずに口を開いた。

 

 "来ないよ"

 

「は?」

 

 "この部屋には誰も来ない。私はこのビルのどんなカメラにも映っていない"

 

「……はぁ、子供と話をしている気分だな。数十ある監視カメラの場所を予め知っていたとしても、それを実行に移せる訳が無いが……まあいい。兵士が来るまでの退屈しのぎだ。貴様はなんの要件でここに来た? まさか、あの高校の借金をどうにかしろ、とでも言うつもりか?」

 

 余裕を見せるためか、理事はデスクの上にあったグラスを手にとって、中にあるワインを軽く回した。

 

 "違う。私がここに来たのは、アビドスのみんなを、生徒を返してもらうためだ"

 

「……ほう? 生徒を返してもらう、ときたか。我々にはなんの事だか分からんな。あんな貧乏学校の生徒など──」

 

 "貴方達の悪事の証拠は掴んである"

 

 言葉を遮って、懐から紙束を取り出した。それを見た途端、理事は言葉を止めて、「ほう?」と機械の目を細めた。

 

「それは見た所、我々カイザーグループが持つ社内情報だな。社印からしてカイザーローンか。……それで? シャーレの先生はそれをどうやって手に入れた? つい最近、ブラックマーケットのカイザーローンに、妙な名前の強盗が入ったそうだが……まさかな」

 

 "……銀行を襲ったのは私達だよ。この書類は、銀行から直接手に入れたものだ"

 

 私が答えると、理事は一瞬黙った後、こらえきれないとばかりに笑い始めた。

 

「ククッ、クハハハ!! 傑作だ! まさか自分から自白するとは! お前達の悪事の証拠は掴んである? そのセリフは我々のものだ! ブラックマーケットでの騒動から手に入れた証拠、そして今の自供……これでシャーレも、あの学校も終わりだ」

 

 声を上げて笑う理事に不愉快が募る。しかし、それに顔色を変えることなく、淡々としてこう言った。

 

 "聞こえなかったのかな。私は確かに『銀行を襲ったのは私達』だと言ったよ?"

 

「……は? 追い詰められ過ぎておかしくなったのか? 自分から墓穴を掘り直し──」

 

 "『連邦捜査部S.C.H.A.L.E』、連邦生徒会会長が設立し、私が顧問として運営される、キヴォトスにおける超法規的組織。連邦生徒会や各学園、その他キヴォトスにおけるあらゆる問題に介入する権限を持ち、あらゆる生徒に協力を仰ぐ権力を持つ。

 また、キヴォトスにおける各学園、連邦生徒会による自治を受けず、それらの制約を受けない"

 

「だからお前は何を言って……何、を……」

 

 言いながら、理事は答えに辿り着いたようだった。喉元の発声装置から、呻きにも似た吐息が漏れている。余裕綽々にグラスを回していた手は、もう止まっていた。

 

「……まさか」

 

 "ブラックマーケットで起きた、カイザーローンへの襲撃。これは、連邦捜査部による『捜査』だ。キヴォトスにおける問題……アビドス高等学校を襲うヘルメット団に対する、法外な資金提供。それらを発端とする過去の融資について、またその他多くの違法行為について、私達『連邦捜査部』はその権限を行使し、『強制捜査』を行った"

 

「ば、馬鹿なっ! そんな、そんな子供のような道理がまかり通る訳が無いだろう! それは後出しの詭弁に過ぎない! そもそもシャーレなどという名前だけの組織にそんな権限があっていいはずが無い!」

 

 "貴方がどう思うかは貴方の勝手だよ。ただ、法律や連邦生徒会は貴方と同じ考えを示してくれるかな? "

 

 彼らとアビドスの間にある借金は、一応法律上は違法なものではない。ただそれとは別に、彼らには看過できないいくつもの犯罪行為があった。その証拠は、連邦捜査部シャーレとして私達が入手した。

 ……理事が言うように、シャーレの持つ権限はあまりにも大きい。その気になれば、私はこのキヴォトスにおいて、多くのものを手中に収められる。その規格外の超法規性に、連邦生徒会から疑問の声が上がるのも当然だ。

 

 "貴方達はアビドスに、『法律に則った正しい方法』で巨額の借金を作った。誰もそれを裁くことは出来ないし、それ自体は違法じゃない。……だから、私も同じことをするよ。大人の力を使って彼女たちを苦しめる貴方を、大人の力を使って裁く"

 

「……意趣返しのつもりか? だとしたら……残念だな。そうだとも、我々があの学校に対して作った借金は法律的には正しいものだ。金利や返済方法に関して、既にあの学校から正式な書類にサインを受け取っている。故に──」

 

 理事は機械の瞳に愉悦の感情を乗せて、私に言葉を叩きつけた。

 

「アビドス高等学校、あの学校の信用度を下げさせてもらう。私はカイザーPMCの理事であると同時に、カイザーローンの代表取締役でもある。

 私の電話一つで、あの学校の信用度を下げ、次の返済金を五千万にでも、一億にでも出来る……! いや、それだけでは足りんな……借金に対する保証金を三億準備してもらおうか。当然、すべて現金でだ」

 

 "……"

 

「さて、シャーレの先生? ご自慢の権限を使って手に入れた証拠を、連邦生徒会に提出するといい。この状況でそれが受理され、審査され、実際に連邦生徒会が重い腰を上げるのはいつになるだろうな?」

 

 "……"

 

「根比べといこうじゃないか、先生……! 我々の問題が露呈するのが先か、アビドスが借金で破産するのが先か。もっとも、どちらに転ぼうが借金は法律上正式なものだ。我々が多少傾いた程度では揺らがない……!」

 

 貴様の負けだ、先生。勝ち誇ったように理事は言った。興奮で強く握りすぎたのか、ワイングラスにヒビが入って、そこから漏れた赤ワインが絨毯に染み込んでいく。

 流石はいくつもの企業の代表を務める大人だ。そう簡単にはいかないらしい。私はため息を吐いて、理事は何を勘違いしたのか、笑い声を上げる。

 

「クハハハッ! そうだとも、先生! その反応こそが正しいものだ! ……そして、そろそろ兵士が到着する頃だろう。どんな隠し玉を用意しているのか知らんが、この場から逃げられると思わないことだ」

 

 理事の言葉に何も返さず、私は懐に手を入れた。そして、一枚のカードを取り出す。煤けて、黒ずんだ──―大人のカードを。

 

「む? なんだ、それは──」

 

 "いくら払えばいい?"

 

「……は?」

 

 "次の利息、三億といくら?"

 

「──」

 

 これは最終手段のつもりだったし、これをするつもりはなかったんだけど……ここまで来たらしょうがない。文字通り、私の持っている『大人の力』を全部動員して、この戦いを終わらせる。

 私の言葉に理事は言葉を失って、一瞬瞳の明かりが消える。壊れた機械のように沈黙を保った後……理事は絞り出すような声でこう聞いた。

 

「…………何故だ? 何故、そこまでする? あの学校が、あの生徒が、貴様にとってそれほど価値のある物だというのか?」

 

 "その通りだよ。ホシノも、ノノミも、シロコも、セリカも、アヤネも……みんな大切な生徒だよ。彼女たちが苦しんでいるなら、私が助ける。彼女たちが責任を負わなければいけないなら……それは私が背負う"

 

 私のセリフに、理事は理解不能の極みのような態度を見せた。ただ、理事は言葉を失って、呆然と立ち尽くしている。

 私は息を深く吸って、その目を強く見据えた。

 

 "カイザーPMC理事……言っておくけれど、私は貴方と貴方達を『多少傾く』程度で許すつもりはないよ。貴方達は、私の大切な生徒を傷つけた。連邦捜査部シャーレとして、先生として、私は貴方達の全ての悪行を日の下に(あば)いて、その責任を取らせる。──特に、貴方にはね"

 

「……」

 

 "ホシノとノノミ、セリカを返してもらう。そうしたら、『多少傾く』程度で手を打つよ"

 

 私がそう言うと、理事は暫く押し黙った。その視線が絨毯の上を這って……ククク、と笑いが理事から漏れた。

 

「嘘、だな。この場ではそれで手を打つだと? 私が貴様であれば、後々障害になる我々を潰さないはずがない。証拠を手に入れた以上、貴様にはいつでもそれが出来る」

 

 いいだろう、と理事は言った。割れたグラスをデスクに戻して、赤い眼光で私を睨む。

 

「舌戦は貴様の勝ちだ。完敗だと認めてやろう。だが、私がタダで転ぶ男に見えるか? 確かに貴様は私の喉元にナイフを押し当てている。だが、それは私も同じだ。貴様は私との舌戦に勝って、ようやく対等になったに過ぎない。

 依然、私には切れるカードが多くある。私は生徒を開放せず、貴様とあの学校の生き残りに絶望を刻み込むことが出来る。そして──」

 

 理事はグラスを持っていた手を懐に入れて──拳銃を取り出した。グラスから溢れたワインの付いた機械の指がトリガーに掛かって、黒く光る銃口が私の頭を狙っている。

 

「どれだけ雄弁な口も、明晰な頭脳も、閉ざしてしまえば無いのと変わらん。都合が良いことに、シャーレの先生は重体になった後、行方が分からないそうじゃないか。遺体として見つかったとしても……誰も疑問には思うまい」

 

 "……"

 

「さらばだ、シャーレの先生」

 

 死が、目の前にあった。引き金があと数ミリ引かれた瞬間、全てが終わってしまう状況だった。だけれど、私の頭にあったのは恐怖ではなかった。緊張も焦りもまるでそこには無くて……ただただ、強い怒りだけがあった。

 こめかみに血が昇るのを感じる。筋肉の痙攣が手に取るように分かる。私は低く、唸るように、それが、と言った。

 

 "それが、大人のやり方なのか?"

 

「……あぁ、そうだとも。これが大人のやり方だ。最終的に勝負に勝つ。そのために備え、蓄え、そして発揮する。実にスマートなやり方だ」

 

 "貴方は責任から逃げているだけだ。それをどれだけ虚飾しても、本質は変わらない。貴方は、自分のしたことの責任を取るべきだ"

 

「……遺言には充分だろう」

 

 理事の指に力が籠もる。無理だとしても、避けなければと理性が叫んで──私の耳元に『問題無い』と声が聞こえた気がした。

 

 ダン! と銃声が響いて……弾丸が私の額のすぐ目の前で静止していた。

 

「……は?」

 

「これは……まさか」

 

 "……"

 

 何かが、目の前の弾丸を止めている。物理的な物ではない。霊的な物、なんてあやふやなものでもない。それはもっと根源的な、現象や概念そのものなんじゃないか、という予感があった。

 宙に浮く一発の弾丸、それに私を含め全員が釘付けになる。その中で最も早く動き出したのは、理事だった。震える手で私にまた銃口を向け、躊躇うこと無く発砲する。二発、三発、四発……その全てが確かに私の頭へ向かって、また停止する。

 

「はっ、は……はぁ!? いっ、一体何が……く、黒服! 貴様、何か知っているならば早く言え!」

 

「あれは、無名の司祭……いえ、それ以上の……あそこにあるのは、『現象の壁』。ならば、あそこから先には空間が繋がっていない? しかし、そうであれば先生もそこに存在はできないはず……」

 

 何かをブツブツと呟く黒服の声に混じって、カランカラン、と弾丸が地面に転がる音が響いた。理事が私に向けて放った弾丸、それらが糸を切った操り人形のように地面に落ちて、理事の足元に転がっていく。

 何ら恐ろしいものでも無いはずだけれど、理事は先程までの強気をかなぐり捨てて、弾丸から逃げるように後退った。私は無言で、黒服を見据える。

 

「……先生、私の見立てが正しければ、貴方のその力は──キヴォトスの外を根源とするものです。それこそ私や、貴方の世界における普遍的で純粋な『力』……それをどうやってこの場に持ち込んだのか、私には非常に興味があります」

 

 "……そうだね。これは多分、本当ならここにあってはいけない力だと思う"

 

「その様子から察するに、これは貴方自身の力というよりは他から得た外付けの権能に近いものでしょうか。どちらにしても、素晴らしいものです。ええ、本当に素晴らしい」

 

 黒服は興奮したように笑うと、私の表情や態度を見て「おっと」とそれらを落ち着かせた。

 

「すみません、柄にも無く興奮してしまいました。……それで、先生。まず始めにお伝えしたいことがあります。私の名は『黒服』。ゲマトリアという組織に所属し、このキヴォトスにおける神秘を探求する者です。──もっとも、どうやら先生の反応からして、先生は我々のことをご存知のようですね」

 

 "……そうだね。私は貴方達を知っている。そしてそれは良い意味で、ではないよ"

 

「ふむ……見ていた限り、先生は生徒を何よりも大切なものとして捉えているようですね。私には理解出来ないものですが、暁のホルス……いえ、失礼しました。アビドス高等学校のホシノを実験体にしている私に対しては、あまり良い印象がないのでしょう」

 

 黒服がそう言葉を続けた瞬間、理事がデスクに置いていたグラスが粉々に砕け散った。理事は情けない声を上げて後退り、黒服は無言の私に「そうですか」と残念そうな声を上げた。

 

「まず、勘違いを解いておきましょう。我々ゲマトリアは、貴方に敵対するつもりは一切ありません。むしろ逆です。我々は貴方と協力をしたいと考えています。貴方が持つその非凡な力と莫大な権力、そして先生という概念。それらは──」

 

 "忠告するけど……これ以上、私を怒らせないほうがいいよ。私だって、何が起こるか分からないから"

 

「……どうか最後まで話を聞いていただけないでしょうか、先生。私は非常に建設的な、貴方に対して利益になるような話をしています。この提案には、キヴォトスにおける全ての真理と秘儀が掛かっているのです」

 

 胸に手を当て、真剣に口上を並べる黒服の背後で、理事のデスクが音を立てて捻じれ始めた。鋼鉄と木材で出来たそれが、液体か何かのように溶けて、ねじれて、螺旋形に歪む。床の絨毯の毛が逆立って、一斉に同じ向きを向いたかと思えば、不規則に揺れ始めた。

 

「物理法則を無視した物質の形態変化に形状変化、そして空間的力場の生成……そんな事も出来るのですね。出来ればもっと見せて欲しいところではありますが……どうやら、今の先生は冷静ではないようです」

 

 "誰のせいだと思っている?"

 

「……なるほど。分かりました」

 

 黒服は依然として余裕を持った態度で、両手を上に挙げた。文字通り、降参のポーズだった。この状況でふざけていられるのか? と訝しむ私に向けて、黒服は淡々とこう告げた。

 

「私は、この一件から手を引きましょう。それだけではありません。小鳥遊ホシノ、その他アビドスの生徒を貴方の元へ返す手助けをします。──代わりに先生、我々ゲマトリアに協力をしていただけないでしょうか?」

 

「なっ、黒服……! 貴様、何を言って──」

 

 はっきりと言いましょう、と黒服は理事を視界に入れることもなく、言葉を続けた。

 

「今の貴方と正面から敵対をすれば、ゲマトリアは終わりです。貴方には莫大な権力と『大人のカード』、そしてオーパーツである『シッテムの箱』があります。そしてその上、貴方は無名の司祭らを凌駕するほどの『領域外の力』を手にしました。

 マエストロは早々に敵対を諦め、ゴルコンダとデカルコマニーは全力で逃亡するでしょう。ベアトリーチェはしぶとく抵抗するでしょうが、貴方のその力には敵いません。そして私は、そうならないために交渉をする他ありません」

 

 "──断る。私が貴方達のような『悪い大人』に協力することは絶対にありえない"

 

「……困りましたね。今のうちに荷物を畳んでおくべきでしょうか」

 

 黒服は困り果てたように言ってから、「仕方ありません」と何かを諦めたように呟いた。挙げられていた両手が降りて、白い空洞めいた瞳が私を見据えている。

 

「条件を変えましょう。小鳥遊ホシノと、その他二人の生徒に関する情報を提供しましょう。先生が協力をしていただけない以上、『契約』の問題で私が手を貸すことは出来ませんが……先生ならば問題無いでしょう。

 付け加えて、我々ゲマトリアが今後、このアビドスに関わることは一切ありません。これらのことについて我々から先生に要求する対価は、何もありません。これで痛み分けの手打ち、ということです」

 

 "……"

 

「黒服、貴様……! 我々を裏切るというのか!?」

 

「カイザーPMC理事、貴方はこの場における身の振り方を考えたほうが良いと思いますよ。既に舌戦で完敗した貴方が、今では武力でも完敗です。『契約』に守られている私と違って、貴方は先生の機嫌を損ねた瞬間、砂漠のチリに早変わりです」

 

 まあもっとも、先生はそういったことは好まない性格でしょうが、と黒服は言った。……気分が悪くなる言い方だけれど、それは正しい。私はこの場に、私の生徒を返してもらう為に来た。何かを壊したり、誰かを苦しめるために来たわけじゃない。

 本音を言うなら、今この場で今後の不安要素である黒服を仕留めてしまいたいけれど……黒服を見つめ、力を使おうとしても、上手く使いこなせない。

 

 何か別の物に上から押さえつけられているみたいだ。これが黒服の言う『契約』なのかな? 何も言わない私の心を読んだのか、黒服は軽く笑う。

 

「クックック……私に手を出せないのは当然のことですよ、先生。貴方はまず、何を()いても『先生』という概念を持っています。その神秘性は貴方と共にキヴォトスの外から呼び込まれたもの。貴方が得た『領域外の力』よりも自然で、強固なものです。

『先生』とは生徒の規範となり、導くもの。いくらシャーレの権限が超法規的であったとしても、法律上なんの罪も犯していない私を暴力によって傷付けることは出来ません」

 

 貴方は、貴方自身の力によって縛られているのですよ、と黒服は笑った。……確かに、道理は通っている。この場において、私の捜査で罪を暴いた理事に対してならばまだしも、黒服に関しては何の制裁も加えられない。

 この無茶苦茶な力が無制限に扱えないことは黒服にとっては幸いだっただろうし……私にとっても少しだけありがたい。この力はどう考えても異常だし、なんだか嫌な予感がする。

 

 右手を開いたり閉じたりして感覚を確かめて、私は顔を上げて黒服を見た。

 

 "その条件を飲むよ、黒服。みんなの居場所を吐いて"

 

「ククク……ええ、勿論です。とはいえ、私が詳しく話せるのは小鳥遊ホシノの居場所と、残りの二人がおおよそ何処に居るかです。後者に関しては、カイザーPMCの理事が単独で行ったことですから」

 

 "そう。それじゃあ、貴方にも協力してもらうよ、理事"

 

「く……わ、分かった。分かったから、命だけは保障……してください」

 

 理事は一瞬反抗的な目を向けたけれど、自分のすぐ隣にある『デスクだったもの』を見た途端、頭を下げた。……改めて見ると、とんでもないことになっている。木と鉄が溶け合って、それが螺旋階段みたいな形のオブジェになって固まっている。

 固さという概念を無視しているみたいだから、もしもこれを目の前の理事に行ったら……凄いことになると思う。

 

 "それじゃあ、まずはホシノの居場所から吐いて"

 

「ええ、分かりました。彼女は──」

 

 黒服と理事から、ホシノ、ノノミ、セリカの居場所の情報を聞いた。ホシノはカイザーPMC基地の実験室の中に、ノノミはカイザーが雇ったマーケットガードに誘拐され、アビドスに対する人質としてブラックマーケットの廃ビルの地下に監禁されている。

 そしてセリカはカイザーが雇ったヘルメット団に『アビドス砂漠の適当な所に埋めておけ』と言ったので場所が分からないと言った。

 

 その言葉にまた怒りが込み上げて、それは本気で言っているの? と理事に詰め寄ったけれど、彼は怯えながらヘルメット団の事務所と連絡先を渡すだけだった。

 求めていた情報には少し足りないけれど……ここで彼を脅しても仕方がない。ため息を吐いて、連絡先と住所の書かれた紙を懐に仕舞った。

 

 私は理事に、ホシノとノノミを無事返すことと、アビドスの借金の利息を法外なものにしないことを約束させて、次に黒服に向き直った。

 

「……おや? まだ私に話すことがあるのですか、先生?」

 

 "とぼけないで、黒服。ホシノと貴方との『契約書』、どうせまだ持っているんでしょ?"

 

「…………ククク、あぁ、完敗です。一体どうやってそれを知ったのでしょうか。バレなければ儲け物と思っていたのですが、貴方は手強(てごわ)いですね」

 

 "私はホシノの退学届にサインをした覚えはないよ。その契約書に意味は無い"

 

「ええ、そうですとも。貴方がこうして私に宣言をした以上、『契約』は無効です。……本当に、流石という他ありませんよ、先生」

 

 "貴方に褒められても嬉しくないよ"

 

 黒服は私の言葉に笑って、スーツの懐から一枚の紙を取り出した。よく見ればそれは、ホシノのサインが記された一枚の契約書で……黒服は契約書をビリビリと半分に引き裂いた。瞬間、破れた紙は黒い炎に包まれて、チリになって消えていく。

 

「『契約』とは口に出し、書面に記して初めて効力を発揮するもの……そして契約の破棄は双方の合意か、契約内容に不備が無ければ認められません」

 

 "こうして破棄されない限り、貴方とホシノの契約は続く。……そんなことを、私が許すと思う?"

 

「少なくとも、今、この瞬間まではそのように侮っていたことを認めましょう」

 

 "私は、いつか貴方にも責任を取らせる。あの子達を苦しめた罰を受けてもらう。それは覚えておいて"

 

「では、私からも一つ。我々は──ゲマトリアは貴方を心の底から待っています。気が変わったのならば、いつでも言ってください」

 

 余裕を持った黒服の態度に気分が悪くなった。気のせいかもしれないけれど、さっきまでとは毛色が違って、黒服は私のことを『お互いに高め合えるライバル』みたいな認識で見ている気がする。貴重な実験サンプルみたいな見られ方をするよりはマシだけど、これはこれで気持ち悪い。

 私は深くため息をついた後、踵を返して理事と黒服に背中を向けた。そして、部屋の出入り口の扉を開けて歩き出し、二度と後ろへ振り返ることは無かった。






 先生の持つ領域外の力、初お披露目ですね。
 今回見せたのは空間そのものに引力や斥力を掛けて物体に干渉するものと、物体の形態(液体、個体、気体)を強制的に変化させて分解、再構成するものです。
 前者は最終章でプレ先生が見せたカッチカチの耐久力とアトラハシースの全エネルギーを一点に収束させている描写から、後者は『名もなき神々の女王』たるアリスが持つ『プロトコル:アトラハシース』のリソースの分解、再構築から参照した権能です。

 要するに、より物理的になったアロナバリアと、狙った対象をレゴブロックに出来る能力ですね。後者は生物には反映できませんが、重戦車とかなら遠距離で楽々解体できます。

 これだけだと「やべー!先生最強ktkr」となるのですが、黒服が言うように、この権能は「先生として正しく力を振るうことができる」相手にのみ扱えます。
 バリアはアロナバリアと違って概念的に攻撃を外す奇跡ではなくて、単純に強い力を掛けて物理的に曲げたり止めたりしているだけなので、例えば正面からビナーのビームを食らったり、ゴリアテの大爆発に巻き込まれたら余波で普通に死にます。

 それだけではなく、あまり力を使い過ぎると色彩関連で色々と不味いことが先生には感覚で分かっているので、「やっべー……なーんかヤバそうなの拾っちゃったよ」といった感じになっています。

 ……ちなみに最後の黒服とホシノの契約をちゃんと破棄させないと、新規でバッドエンドスチルを見ることになります。主にホシノが急にアビドス全員を背後から……みたいなやつですね。
 要らなくなったサブスクはちゃんと解約しよう!ってことです。
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