社畜が行くロボッ娘メイドへの道 作:d1199
彼は、自分が優れているとは思っていなかったが、特に悪いとも思っていなかった。辛い事はあろうとも、人並の人生を送れるだろうと思っていた。生来。運動や人付き合いが苦手だったので、その分の時間を費やした学業は良い方だった。性に合っていた理系科目はそれなりに難しかったが、就職に役立つだろうと彼なりに頑張った。就職氷河期だったが辛うじて就職ができた。幸運にも結婚できた。子供にも恵まれた。このまま慎ましくとも小さな幸せをと願っていた。
ある日、上司が替った。
ノルマ〈無理難題〉が達成できないと大勢の前で罵られた。人格否定は当り前だった。それらは、彼に取って苦痛以外の何物でもなかったが家族の為だと甘んじて受けた。
朝六時に起床し夜十一時に帰宅するという毎日を、繰り返した。土曜日は当然出社し日曜日が潰れる事も珍しくなかった。妻との会話が減り始め、偶に早く帰ると《あれ? 何で居るの?》と言われる様になった。それは、彼に取って苦痛以外の何物でもなかったが自分の要領が悪いのだと諦めた。
学生時代に集めた想い出の品々〈ゲーム機やDVDBOX〉が全て妻に売却されていた。それは、彼に取って苦痛以外の何物でもなかったが妻のご褒美になるならと我慢した。
妻が浮気をしていた。それは、彼に取って苦痛以外の何物でもなかったが子供の為と見て見ぬ振りをした。
連続三〇日出勤を経たその日がやってきた。
出張帰りの彼が運転するのは、山奥の曲りくねった道路を走る自動車だった。彼は睡魔に襲われた。ガッチャンという音がした。彼が見るのは、ひっくり返った白いバンと高い崖と密集した木々と夜空に浮かぶ蒼い月と動かない自分の体だった。彼は、周囲に民家も街灯も無い崖に落ちてしまった。
ズサリとは、彼を見下ろす何かの足音である。彼は縋る思いで白衣の間にあるスラックスの裾を掴んだ。
「た、たすけて」
「いいもんめっけ」
社畜が行くロボッ娘メイドへの道
その場所では、電子音や空調などの様々な音が混ざり合っていた。規格化された部品で構成されており、全てが無機質らしく堅かった。水が凍る際の室温に管理され、不健全なまでに清潔だった。白い蛍光灯が灯るその場所には、バイオテクノロジー的な過度に清潔で緻密な機械が立ち並んでいた。
その場所に立つのは一人の老人である。顔には相応のシワが入っていたが、背筋は壮年期を維持していた。オールバックの髪は白かったが、豊かに流れていた。その人物が身に付ける競泳用水中眼鏡の様な眼鏡は、テクノロジーの塊だった。
白衣のポケットに手を突っ込むその老人が見下ろすのは、ベッドサイズの水槽だった。脇のディスプレイに表示されているのは、カウントダウンの数字だ。ゼロになると、表示が“覚醒開始”に切り替った。ポンプが動くと羊水と同じ成分の液体が排出され始めた。
現れたのは一人の少女だった。内に軽く曲げた膝を、軽く重ね合わせていた。か細い右手は腰の隣にあった。左手は鳩尾の上にあった。黒く長い髪が、腕や胸や腿に絡み付いていた。頬に走った数本は、唇が含んでいた。歳は十代半ばに見えた。
「ん……ぁ……」
艶めかしい声と共に胸が揺れた。全身を濡らす彼女は一糸まとっていなかったが、老人は気にせずにこう言った。
「目が醒めたかの?」
ムクリと起き上った彼女は寝惚け顔だった。眼をゴシゴシと擦ったのは、そこが自宅でもなく病院でもないSF的な研究室だと気づいたからだった。それは、高すぎず低すぎない水の様なしっとりした声だった。
「あのここは何処ですか?」
「ワシの研究室」
「申し訳無いんですが全く状況がよめません」
「それはそうじゃろう。意識がない間に、場所を変えたり改造したりしたからの」
「改造?」
老人が指を差したので、その少女は見下ろした。体育座りを崩した様に座っていたので、自分の胸元からふとももまでを、彼女は見る事が出来た。
「……」
彼女が言葉を失ったのは、胸にとても豊かな膨らみが二つあったからだった。彼女は、身体に張り付く黒く長い髪を、恐る恐る摘んでどかした。彼女が目を剥いたのは、脚の付け根の間がスカスカだったからである。
「ほれ」
老人が少女に差し出したモノは手鏡だった。それには、目尻は気丈につり上がっていたものの、全体的に柔らかい雰囲気を醸す可愛らしい顔が写っていた。彼女が叫んだのは、自分の頬を摘むと鏡の中の少女の顔も摘まれ、尚且つ痛かったからである。
「なんじゃこりゃーーーーっ!!!」
老人を睨み上げる少女は、握り絞めた両手を震わせていた。可愛らしさの無いゴリラの様な立ち振る舞いだったが、僅かに開いた脚が支える身体はフラフラと落ち着き無く揺れていたので、怖さは皆無だった。
「これは、いったい、どいうことか、せつめい、してくれませんか」
「全部平仮名じゃの」
「そこまで頭が回ってません……お年の割に随分背が高いですね」
「お主が低いだけじゃ」
「そうなの?」
「一五九センチで設計しておる」
「それです。それ。これがリアルならどうして女の子になってるんですか」
「改造したからに決まっておろう」
「あのですね。確かに二足歩行ロボットがこの世に出て結構経ちますけど、サイボーグ技術なんて聞いた事ありません」
「聞いた事が無いのは当然じゃ」
「発表されてる軍事技術は氷山の一角って奴ですか」
「ワシ、マッドサイエンティストじゃから」
「……」
「すごいじゃろ?」
「自分で言っちゃうんですね」
老人から一歩引いた彼女は、組もうとした腕を「……っ!」慌てて解いた。それは、腕が大きな胸を擦ったからだった。
「感度はバツグンじゃ。気持ちよかったじゃろ?」
「刺激に驚いただけです(マッドではなくて、只のエロジジイだろ)」
「きゃっ! って隠さんのか?」
「見たければどーぞ」
「いくらおっぱいが大きくても恥じらいが無くてはもの足りんのぅ」
老人に詰め寄った少女は、腰に両手を添えていた。流れる黒髪越しにたわわな胸が揺れていた。
「って、そんな事はどうでも良いです。元に戻してください」
「それは無理な相談じゃ」
「なんで!? マッドなんでしょ?!」
「お主の身体はもう分解して残っておらん」
「ぶ、ぶんかい?」
少女の顔は青ざめ引き釣ったが、老人は淡々としていた。
「ワシが発見した時のお主の肉体は、人間どころか生命維持という意味でも使い物にならなかったからじゃ。理解できないなら直球で言っても良いぞい」
「聞きたくありません。分かりました。譲歩します。サイボーグのままで構いませんから元の姿にしてください」
「じゃが断る」
「あ、の、で、す、ね」
「くっさい男のボディなど作りたくない、というのは冗談じゃ」
「本当かよ」
「ワシには崇高な野望があるのじゃ。お主にはその礎になってもらわねばならん」
「正義の味方と闘う悪の組織のですか」
「ダッチワイフじゃ」
「せめてセクサドールって言えよ!」
「これはまた古いのぅ」
「うるさいです、って誰の?」
「ワシの」
その少女は硬い顔で後退った。
「生れた時から中古!?」
「まだ使っておらんから安心せい」
「まだ?! っていうか、なんで男の脳味噌を使うんです」
「女が嫌いだからじゃ。嫁さんが若い男と逃げてから、リアル女は信用しとらん」
じわ。少女の目尻に涙が浮いた。
「涙もろい奴じゃのう」
「その気持ち、よく分かります」
「だが嘘じゃ」
肩を怒らせた少女は、出入り口の扉に向けてズカズカと歩き出した。
「もういいです! 話が通じないヒトに話をしようと思った俺が馬鹿でした!」
「トイレは逆じゃぞ?」
「協力なんてしません! 一一〇番してやります! 訴えますから覚悟してください!」
「お主にエネルギーを供給できるのは、ワシだけじゃ。ワシが捕まればお主は程無くして止まる。脳を維持するシステムが止まればどうなるかなど分かろう?」
「鬼! 悪魔! ひとでなし!」
「ワシ、マッドサイエンティストじゃから……どした? 突然土下座なんぞしおって」
「妻と子供が居るんです。お願いです。俺を二人の元に返してください」
「……あー。言い難いんだがの」
「……なんです」
「取りあえず、お主の服を用意するかの。見せたいモノがあるから付いてこい」
◆◆
そこは、駅前から離れた住宅街の公園だった。静かなその場所が騒がしいのは、子供達の遊ぶ声で満ちているからだった。公園の出入り口から一つのボールが飛び出した。それを追い掛けて、一人の子供が飛び出した。トラックのクラクションが鳴った。反対側から飛び出した黒い影は、トラックの前を掠めた。そのまま走り去ったトラックを一瞥した黒い影は、安全な歩道の上に立っていた。その影は、セーラー服を着る少女だった。彼女は、道路に降ろした子供にボールを手渡した。
「道路に飛び出したら危ないぞ。どうした? 顔に何か付いてるか?」
「ううん。なんでもない」
「もうじき陽が落ちるから早く帰りなさい」
「ありがとう。おねえちゃん」
走り去った子供の背を見届けたその少女は、道路の脇に駐まっていた古い自動車に乗り込んだ。パタンと扉が閉まったので、白衣の老人はこう言った。
「お主の妻は、お主が行方不明になった一週間後に不倫相手と同居を始め、半年後に再婚した。お主の労働状態を根拠に夫婦関係が破綻していたとみなされ、遺族との親権争いは和解に終わり、子供もそのまま不倫相手、つまり今の夫に引き取られた。裕福な相手で生活に困っていないらしいぞ」
「なんでそんなにスピーディなんです」
「初めから用意しておったのじゃろ。お主の事故は棚ぼただったと言う事じゃ」
「昨日は、あの子の十一歳の誕生日だったんです」
「親が無くともと言うが、親が泣いても子は育つと言う事じゃな」
少女の膝の上にある二つの拳に、ポタリポタリと雫が滴った。整った顔はしわくちゃで、その声は震えていた。
「どうして、涙なんて流せる様に作ったんですか」
「ワシ、マッドサイエンティストじゃから。手段も目的の一つじゃよ」
その少女は、学生服の袖でゴシゴシと目を擦った。
「分かりました。アンタに付き合います。でも一つだけ言わせてください」
「なんじゃ。言うてみい」
「地獄に落ちろ。クソジジイ」
「では戻るかのう」
走りだした自動車の中から見える公園に、助けた男の子の姿は既になかった。
(さよなら。俺の人生)
◆◆
キィと音を立てて古い自動車が駐まったのは、森の中に聳える立派な洋館の前だった。立派とは、バイオハザードや殺人事件が発生するに相応しいと言う意味である。自動車から降りた少女は、長い髪を揺らしながらよろめいた。老人は不思議そうに言った。
「鈍臭いのぅ。調整は完璧の筈じゃが」
「邪魔だとは思いつつも、髪の扱い方が分からないんです」
少女は、かき上げる様に髪を背中に流した。
「お、今のふさぁって仕草がいいのぅ。もう一回やっておくれ」
「うるさいです。と言うか長い髪って面倒ですね」
「切るのは禁止じゃ。話があるからこっちに来い」
その少女が見るモノは、老人の向かう先にある巨大な洋館の玄関だった。
「ふと思ったんですけど資金源は何です?」
「おっほっほ。最初にそれを聞くか」
「世の中を動かしているのは、ほぼ金ですから。自己啓発書〈ビジネス書と歴史書〉にそう書いてありました」
「それも真理じゃな。金さえあれば、お主の悲劇も回避できたからのぅ」
「ぐ。(悪気のないのが質が悪い。この爺さんは真性だ)」
古めいた外観とはうって変わり、内装は大正時代の洋風ホテルの様に立派だった。その少女にとっては全てが珍しいモノであり気後れするモノであったが、沈痛な面持ちなのはそれどころでは無かったからである。
(勢いに任せて付き合うと言ってしまったけれど、少女の姿を持つ俺が何をさせられるのか、そんな事はわざわざ考えるまでもないよな……)
先を歩いていた老人の競泳用水中眼鏡型デバイスがキラリと光ったのは、その口元が楽しそうに歪んでいたからだった。
「なんじゃ。そわそわと落ち着きがないのぅ」
「えー。ご配慮頂き感謝の涙もこぼれません」
「歩く度に先っぽが擦れて、エッチな気分になっとるんじゃろ」
「なってません! ただ痛いだけです!」
「だからブラジャーを付けろと言ったじゃろうが」
「女物下着なんて付けられる訳が無いでしょう! この際だから言いますけどセーラー服だって、断腸の思いだったんですよ!」
「下着無しの方がヘンタイじゃ」
プチという我慢の切れた音したので、その少女は廊下にあった胸像を持ち上げた。老人は言った。
「随分と鷹派じゃな。その気概があればこんな事にならんかったろうに」
「なにもかも無くした俺に怖い物なんて無い!」
その老人はその胸を「もみもみ」鷲づかみにした。銅像を落とした「んひゃぁ!」少女は、腰が抜ける様に尻餅をついた。少女が後退り慌てふためくのは、未知の感覚に慄いていたからだった。
「早速来たか! 来るなら来い! でもヨボヨボ爺さんはイヤだ! だからといってイケメンもイヤだ! 男はイヤだ! ほもはしね!」
少女が白けた様な顔になったのは、廊下の赤いカーペットに伏せた老人が、針の穴に糸を通す様な眼で、尻餅をついた少女を見ていたからである。
「……なにやってるんですか」
「スカートの奥が見えんかのうと。もうちょっと、もうちょっとじゃ」
「そんなに見たいなら見せてやら!」
老人がスタスタと歩き出したのは、少女がたくし上げた時であった。
「ここまでしたんだから見ろよ」
「恥じらいがないとツマランワイ。冗談はここまでにして付いてきんしゃい」
「そういえば、話がどうとか?」
「愛玩人形の為だけに作った訳ではないからのぅ」
「他に目的が在るって事ですか?」
その部屋は広かった。バレーボールができそうな程に大きな黒板があった。座席は、教壇を中心に円弧形状の階層形状に連なっていた。それは、巨大大学の講義室そのモノだった。教壇に立つ老人は、天を仰ぐ様に両手を持ち上げた。
「説明しよう!」
「ノリノリですね」
最前列と最後列の間に腰かける少女は、椅子の隙間に挟まる長い髪を扱いかねていた。
(腰かける時は縛った方が楽かもしれない)
「そこの君。講義に集中するのだ。時間は早く、人生とは短い。無駄にする時などありはしないのだ」
「申し訳ありませんでした(随分手慣れてるのは、講師の経験があるのかもだな)」
コンコンコン。老人は、指し棒で黒板を叩いた。
「良いかね? ワシらはとあるお方の為だけに存在するのだよ」
「それがパトロンですか」
「資金のみではない。長い歴史と高潔な行いで裏付けられる、由緒ある一家に連なるお方じゃ」
「(マッド爺にそこまで言わせる人物が居るのか)それで、そのお方に対して俺らは何をするんです」
「守護じゃ」
老人が引っ張り出したのは、OHP〈オーバーヘッドプロジェクター〉と呼ばれる旧式の小規模な映写システムだった。
(大学時代を思い出すな。今じゃどこもかしこもプロジェクターなのに)
白いスクリーンに映し出されたのは、子供の写真である。真っ黒い髪とクリクリの瞳を持つその子の頬は、マシュマロの様に膨らんでいた。顔だけ見れば、普通の愛らしい男の子だが、子供ながらに高級なスーツを着こなしていた。老人の語り様は、自慢げである。
「この方こそ正統な血を引くお方じゃ」
「よく分からないんですけど。その正統なお方が、なんでこんな山奥の屋敷に居るんです」
老人は、マリア像を仰ぐかの様に跪いた。
「ワシは、お坊ちゃまの母君である前当主から多大な恩義を受けたのじゃ」
「その奥様に恋慕を?」
「ば、ばかもの! その様な不純などもちあわせておらん!」
「(これでも人の子だったんだ)続けてください。その奥様はどの様な方だったんです?」
「高潔で慈悲深く公正なお方だった。だがそれ故に……それ故に! 悪魔に狙われたのだ!」
「悪魔?」
「奥様の実の弟。お坊ちゃまの叔父よ。あの腐れは! あの外道は!」
(マッドサイエンティストに外道呼ばわりか。どんな人なんだろ)
「ワシの、ワシの僅かな隙を突き奥様に手を掛けたのだ! それだけでは飽き足らずご子息であられる大地様のお命まで狙っておる!」
「よくある御家騒動って事ね」
「防衛システムが完成する一日前だったんじゃ……おぉ、おいたわしや。ヘンリエッタ様。ワシがあと三〇歳若ければ、あの様な能無しの手に掛かるなど許しはしなかったものを……」
老人は教壇でガックリと打ち拉がれていた。少女は言った。
「だいたい読めました。ご子息の身の危険を感じた爺さんは一緒にここに逃げ落ちたと」
「その通りじゃ」
「つまり俺は、サイボーグソルジャーとして叔父の追っ手と闘うんですね」
「お主は、お坊ちゃまの身のお世話をするのじゃ」
席に腰かける少女は、きょとんと一つ瞬いた。
「お世話?」
「そうじゃ。今日からお主は、ロボッ娘メイドになるのじゃ!」
落雷のエフェクトが講義室に突然起こったので、その少女はひっくり返った。髪の毛をピンピンと跳ねさせながら、席に這い戻った。
「なんですか。この雷」
「ワシ特製の演出じゃ。カッコイイじゃろ?」
「ええ。かっこ好いんですけど。ロボッ娘ってアンドロイド限定の呼び方だと思ったんですが」
「言い難いのでロボッ娘じゃ」
「呼び名はともかく、なんでサイボーグになったんですか。それなら普通にヒトを雇えばいいでしょうに」
「お主は家政婦とメイドを勘違いしておる。家政婦とは職業に過ぎぬ。メイドの真髄は、ご主人様に仕える忠実なる僕! そもそも身を隠す以上おいそれとヒトを雇う訳にはいかん。そこでワシはアンドロイドを作りおぼっちゃまのお世話をさせた」
「益々分かりません。こんなまどろっこしいマネまでしてなんでサイボーグなんです。アンドロイドで良いじゃないですか」
その老人は、ガックリと肩を落とした。自分のヒトの良さに呆れつつも少女は言った。
「あの。気に触る事を言いましたか?」
「ワシの作ったアンドロイドは完璧じゃ。人間と見分けなど付かん。だが。奥様の死と身内に狙われた事を契機に、閉ざしてしまわれたお坊ちゃまの御心を、アンドロイドでは癒やす事ができんのだ……」
跪き両手を組む老人が見るのは只の天井だ。だが彼には、在りし日の当主の姿が見えているのだった。
「おぉ! 奥様! 無力なワシをお許し下され! ワシ自身、これ程無力だとは思いもよりませなんだ……」
「それで、人間の脳味噌ですか」
「その通りじゃ」
「切り替えが早いですね」
「そうで無くてはやっておれんからの」
「カウンセリングなんて、された事はあってもした事はありませんが」
「失敗したらワシのダッチワイフじゃ」
「……質問」
「挙手をせんかい。挙手を」
「質問がありますです」
「言ってみたまえ」
「部外者の俺でいいのかって疑問もあるんですが、なぜ男の脳を使うんです。素直に女の人のを使えば良いでしょう」
「その問いは的を外しておる。適合するのが男であるお主だっただけじゃ」
「というと?」
プロジェクターに映し出されたのは、不精髭を生やし目に隈を作る血色の悪いサラリーマンだった。
「なんと酷い面構えじゃろう」
「喧嘩売ってるんですか! ……なんですか。そのニタリ顔は」
「台風が来ようとも出社し、風邪を引いていようとも出社し、巨大地震が起ころうともいつも通りサービス残業をした。疲れがたまり仕事の効率もダダ下がり、上司の指示に従い責任を擦り付けられた」
「ぐはぁ!」
少女は、頭を抱えて仰け反った。
「“お前みたいな駄目人間は他に行く所は無い、この会社で骨を埋めるしか無いのだ”暴言と言う名の人格否定を浴び続け、何時しか怒られる事にも慣れた」
「う、うぐっ!」
「朝起きる、出社する、寝に家に帰る、ただそれの繰り返し。何時しか趣味も億劫となり、しなくてはならないと思う様になる」
「やめろ! やめろぉ!」
少女は抱えた頭を左右に激しく振った。
「疲れの取れない身体で出社をした。ぼうとした頭で見るのは、オフィスで首を吊った同僚……」
「やめてぇぇぇぇぇぇ!!!」
少女は、そのまま席の下へ沈んでいった。
「機械の身体というのは相応に心理的負荷がある様での。お主は、初のサイボーグ適合者だったという訳じゃよ。その証が今のお主じゃ」
机の下から這い出た少女は、さめざめと泣いていた。白衣のポケットに手を入れたその老人は、カカカと笑っていた。
「狂ってるのがブラックなのか爺さんなのか、俺は分からなくなりました」
「何故お主か、理解したかの?」
「大変よく分かりました。爺さんは、これから博士って呼びますが、社畜〈耐久力のある奴隷〉が欲しかったんですね」
「その通りじゃ。やる気はある?」
「ええ。やってやります。社畜の名にかけて」
「明日アンドロイドを一体手配するから、詳細はそやつから聞くとええ。取りあえずお主の部屋に案内するかの」
博士が出入り口に向けて歩き出したので、少女は長い髪をなびかせながら慌てて追い掛けた。
「部屋があるんですか」
「アンドロイドと異なり、お主は生身の脳味噌だから睡眠が必要じゃ。今日は脳味噌をじっくりと休め……なんで泣いとるんじゃ」
「休んで良いだなんて、こんなホワイトな職場があっていいんだろうか……」
「罵られた事は何度もあったが、喜ばれたのは初めてじゃのう……」
ベッドの上にあるのは毛布にくるまる少女の姿だが、その脇のソファーにあるのは脱ぎ捨てられたセーラー服だった。
「(これは機械の身体だから触らない、これは機械の身体だから何ともない、裸でも柔らかくても機械の身体……)くしゅんっ!」