電話を終え、部屋の隅から戻って来た冴木。
スマートフォンをポケットの中に直した彼は、コホンと咳ばらいをした。
「えっと……それで、縛りの事を教えるんでしたよね。虎杖君、先達として一言伝えておくよ」
「うっす!」
「縛りなんて結ぶな。よっぽど頭良くないと、基本デメリットの方がデカくなるから」
「う……うっす?」
素っ頓狂なアドバイスに首を傾げる虎杖。
確かにそれは実を射ているアドバイスなのかもしれないが、余りに詳細を省きすぎだと、五条が横から言葉を刺した。
「それじゃあ何も分かんないでしょ。……冴木、ちょっと悠仁と手合わせしてあげてよ。
「え? まだ17時なんで呪力の制限が……後1時間くらいで制限解けますけど」
「だから勉強になるんじゃん。昼と夜でどれだけ動きが違うのか、縛りの何たるかが分かりやすいでしょ」
「……まぁ、それもそうですね」
コキリと首を鳴らす冴木。
体の中の呪力の巡りを確認した後、会話の内容から流れを察し、既に構えている虎杖に向き合う。
「虎杖君、本気で来てね。多少怪我したって全然大丈夫だから」
「うっす! お願いします!!」
部屋はテニスコートの半分、10メートル×10メートル程度の広さだ。呪術師2人が本気で動き回るには少し狭い。
「―――行きまっす!!」
しかし虎杖は何の気兼ねなく、呪力を込めた右拳で冴木に勢いよく振りかぶった。
体の動きの速さに呪力の流れが追い付かない程の拳の速度。ベテラン呪術師の冴木は一瞬度肝を抜かれたが、上体を逸らして回避した。
「動きはっや……!!」
「あざっす!!」
振り抜いた拳を即座に戻し、逆の左拳で殴りかかる。
脇腹を狙った一撃であったが冴木の腕で防がれた。しかしそれで虎杖の体は止まらない。拳を防がれた反動を生かし、その場で勢いよく回転、鋭い上段蹴りを側頭部に放ったのだ。
――――バッ……ゴォォオオン!!
「がッ……!?」
それは体の動きと呪力の速度が一致していない場合に起きる、二度の打撃。常人ならざる身体能力を持つ虎杖の強力なハイキックに、呪力の打撃が合わさった二打一撃は、ベテラン二級呪術師の冴木が膝を崩しかける威力であった。
「っつ~……!! こんなレベルの逕庭拳見た事ねえよ、いった~~!!」
「だ、大丈夫っすか!?」
「うん、OKOK、大丈夫……よし
痛そうに頭を押さえていた冴木であったが、手から不思議な色の呪力が流れ出した瞬間、パッと苦しそうな表情から楽な表情に顔を変える。
「……? 何だ今の呪力……」
「悠仁、よく頑張りなよ。この時間帯の冴木は悠仁でも倒せなくないからさ。もし倒せたら今日の僕との組手はなしにしてあげる」
「マジ!?」
嬉しそうな表情を浮かべる虎杖。彼にとって、術師最強の五条との組手はスパルタを遥かに超えた地獄そのものであった。それがなしになるかもしれないと言うのだから、俄然冴木との勝負にも身が入るという物である。
「すんません冴木さん、次は倒します!」
「俺も肉弾戦派のつもりなのにな、虎杖君見てると自信なくしちゃうよ!」
冴木が手を合わせ、呪力を込める。
――――
「
「!?」
冴木がそう叫んだ瞬間、彼の足元から一瞬で粘性の糸が放射状に広がった。まるで蜘蛛の巣のように地面に広がったそれはまさに糸で作られた天蓋。
超身体能力の虎杖ですら回避できず、床に縛り付けられて次の一歩が踏み出せなくなった。
「くッ!」
「俺の糸は速さだけはそこそこでね! それだけは自慢なんだ……よッ!!」
地面に広がる粘性の糸に触れないように、虎杖に向けてひとっとびする冴木。そんな彼の拳を保護するように白い糸が何重にも巻かれている。
虎杖は天蓋から脱出するのを諦め、飛び込んでくる冴木に両手を軽く握って構えた。
(糸の……メリケンサック!? 何にせよ、足が動かないだけだ! 手は動く、ガードできる!!)
そう考え、攻撃を防ごうと両腕を顔の前で固めた瞬間。
冴木の手がするりと腕の隙間に入り込んだかと思うと、
「ッ!? 何で?!」
「やっぱり俺も、まだまだ肉弾派って名乗れるかなァッ!!」
空中で体を捻り、虎杖の顔面を呪力の込めた蹴りで蹴り飛ばした。足に張り付いた地面の一部ごと後方に吹っ飛び、壁にぶち当たる前に五条に受け止められる。
「っ……ごめん五条先生」
「苦戦してるね悠仁。どう? ヒント上げよっか?」
「いや……」
虎杖は思い出す。七海と共に戦った悪魔のような特級呪霊の事を。
恐らく呪霊と戦う機会はこの先山ほどあるだろう。その度に分からないことを五条に聞いて戦う訳にもいかない。何かと戦う以上、相手の能力が分からない事など当たり前にあるのだ。
分からない。ならば……見抜く。
「もうちょっとやってみるよ、五条先生」
「ふ~ん……分かった、でも18時になったらキチンと教えるからね」
「OK!!」
虎杖が両手にありったけの呪力を込め、再び構え直した。地面の逆天蓋の糸は既に消えている。
地面を強く踏み込み、鋭い動きで冴木に再び殴り掛かった。
――――――18時。
ピピピピッ!と、冴木の腕に付けられた安物の時計が電子アラームを鳴らした。
「お……夜か」
「はぁ……はぁ……」
冴木は呆気からんとしているが、虎杖は顔や体の至る所を蹴られ殴られ、ぜぇぜぇと息を切らしていた。
いや、実際には冴木もかなり虎杖に殴られているのだ。それなのに平然そうにしているのは、当然からくりがある。虎杖にはついぞ分からなかったが。
五条が悠仁に水のペットボトルを放り投げ、ねぎらいの言葉を掛けた。
「お疲れさま~、悠仁。それじゃあ答え合わせと行こうか」
「う……うっす」
「冴木は
五条がそう叫ぶ。冴木は彼が何をするつもりかある程度察したのか、嫌々ながらも左手を頭の横でパッと開いた。
彼が手を開いた瞬間、手のひらに音もなくカッターで切ったような傷が水平に走る。
「悠仁、あの傷を見てて」
「?」
虎杖が手のひらの傷を凝視していると、ボコボコと肌が沸騰するように蠢き、手の傷を即座に癒した。少し気持ち悪い。
「アレが正の呪力で出来る事の一つ、傷の治癒。極めると腕の欠損なんかも一瞬で治せる。当然僕も出来るよ」
「そっか、だから全然ダメージが……」
「そして正の呪力で術式を使うと、術式の効果が反転する。これが
悠仁が何度かガード吹っ飛ばされてたのも、粘性が弾性に反転した糸を使われてたからだね」
へー、と虎杖が声を漏らす。
反転術式……。少年院で手を切り落とされたのに、目覚めたら生えていた時から、何か人体を治す力があるんじゃないかと薄々思ってはいたけど……。
「じゃ、悠仁。次は縛りの利がどれくらいか、冴木に突っ込んで確かめてきなよ。目覚めたら僕との組手だから」
「えー? いやでも、あの人を倒したら組手はナシなんでしょ?」
「アハハ、無理無理。夜の冴木に今の悠仁が勝つのはちょっと無理」
むっ……と口を尖らせる虎杖。
反転術式による回復の有無はあったものの、実力はさほど変わらなかったはずだ。いくら縛りの利があったとしても、反転術式とやらの存在を知った今、絶対に勝てないと言うことはないはず。
「冴木さん、続きお願いしゃす!!」
「ん? あ~……五条先輩、これはどれくらいやれば?」
「思いっきりぶちかましちゃって。いざとなったら家入の所連れて行くから」
先ほどまでよりも、もしかすると少し素早い速度で殴りかかってくる虎杖。
だが、昼間は常に
「術式反転・
床に糸が放射状に広がったと思った瞬間、虎杖の体は宙に跳ねていた。
術式反転で粘性から弾性に変わった糸により、無理矢理空中へ跳ね上げられたのだ。ほんの1秒ほどであるが、虎杖は空中で身動きが取れなくなってしまう。
「―――――」
そしてその隙を見逃すほど冴木は甘くなかった。術式がクソ弱い彼は、相手に一瞬の隙を作り出し、そこを突く事ばかりを練習していたのだから。
回避する暇もなく虎杖の腹に弾性の糸が巻かれた飛び蹴りが叩き込まれ、向かいの壁まで吹っ飛ぶ。
――そこで壁に叩きつけられていれば、虎杖はまだ意識を保っていただろう。
だが冴木は完全に倒しきるつもりだった。
虎杖のぶつかる壁にまで弾性の糸を張り巡らせ、もう一度、蹴りの勢いを保ったまま自分の所まで吹っ飛ばしたのだ。
「悪いな……また会ったら、なんか奢るからッ!」
未だ弾性の糸を巻いたままの足で、彼の頭頂部に踵落としを決める。地面に張った順天蓋はとうに消えており、虎杖の体は床にクレーターを作る勢いで叩きつけられた。
クレーターの中心に倒れる虎杖は頭を両手で押さえながら、苦しそうな呻き声をあげる。
「……ぅ……」
「!? 嘘だろ、えぇ……? 今ので意識保ってるの結構ショックなんだけど」
「ちなみに悠仁は呪術を始めてまだ1年も経ってないから」
「は……?! さ、才能か……やっぱり……呪術って……」
しかし意識を失っていないとはいえ、流石に戦闘の継続は不可能だろう。五条は虎杖の体を持ち上げ、肩に担ぐ。
「んじゃまたね~。悠仁の特訓しないといけないから」
「あの、五条先輩。例の約束は」
「はいはいはいはい分かってるって。お見合いの件だろ? キチンとやっとくよ」
そう言ってひらひらと手を振りながら去っていこうとする五条に、冴木が再び声を掛ける。
「それと……七海は本当に、呪術師で居続けるつもりなんですか?」
「だろうね。そうじゃないと一級呪術師まで鍛え上げないでしょ」
「……そうすか……」
冴木は少し考え込むような、悲しいような、複雑そうな表情で顔を俯かせた。
彼がそんな顔をする事情を五条はある程度知っている。なぜなら、冴木の事情を知り、冴木を反転術式が使えるまで鍛え上げたのは他ならぬ五条なのだから。
「考え込みすぎない方がいいんじゃない? 七海は強いよ」
「呪術師に悔いのない死はないって、夜蛾先生がよく言っていたじゃないですか。俺は七海には……」
「この道を選んだのは七海自身だ。それが気に食わないなら、自分から話に行きな」
冴木は何も言い返せず、口をつぐむ。
その様子を見た五条は何も言うことなく、入って来た大きな両開きの扉から元の道を引き返していった。