冴木渉。
一般家庭に生まれた呪術師であり、田舎から東京都立呪術高等専門学校に入学してきた青年である。
しかし、術式はねばねばした糸と頑丈な糸を出すだけという、控えめに言ってウンコな物。呪力量は御三家出身の呪術師に並ぶほどだが、それすらも魑魅魍魎跋扈する呪術界においてはそれほど多いわけでもない。
呪術界の隅で細々と二級呪霊を狩り続けるのがお似合いの雑魚。
それが冴木渉の総評だった。
だが……今の彼にとって、呪術師基準で強いとか弱いとかそういうのはどうでもいいのだ。
モテたい。モテたい。ひたすらにモテたい。
彼のいた田舎には女性らしい女性がいなかった。腰を曲げながら畑作業するおばあちゃんがニッコリと笑いかけてくるぐらいなのだ。まぁ、そんなおばあちゃん達に引っ付いていた
―――そんな事はどうでもいい。
おじいちゃんおばあちゃんだらけの田舎から郊外とは言え東京に来たのだから、とにかく、彼女の1人でも欲しい。
そう思ってファッション雑誌を読み漁ったり、僅かなお金を握って美容院に行ったり、見た目を整えて色々アタックしてみたのだが。
「女にモテないのは俺が悪いんじゃない、この世界の女が悪いんだ……!」
思考が最悪な方向に進化を遂げるほどにモテなかった。
ナンパ100人チャレンジで誰も一切振り向いてくれなかった事で心が折れたのだ。
「そーいう変な考え方をしてるからモテないんじゃないかな」
すぐ傍のベンチで、飲み物を飲んでいた夏油傑先輩が静かにそう言った。
ありったけの怒気と嫉妬を込め、彼の方向に恨み節を放つ。
「夏油先輩はいいじゃないすか……顔カッコいいし、術式強いし、いざとなれば彼女も結婚相手もより取り見取りなんですから」
「まあ禪院家や加茂家からのお見合いの話はあるけどね。私の事を種馬か何かと勘違いしてるよ、アレは」
――――夏油傑。
一般家庭出身の呪術師という冴木渉と同じ境遇ではあるが、決定的に違うのは、呪術師としての
呪術師は生まれながらに強さの8割近くが決まる。それは呪力量、呪力操作のセンス、生得術式の3つだ。これが生まれつきどれだけ優れているかで強さが決まる、才能超重視の残酷な世界。
そして夏油先輩は、呪力量や呪力操作のセンスも優れているが、それらが目に入らない程に生得術式が優秀だ。
――――
呪霊を使役して戦わせるというとんでもない術式は、たった1人で呪霊の大群を敵にぶちかませるというぶっ壊れ性能だ。というか、この術式なしの徒手格闘でもアホ程強いので、一級呪霊すら倒せない俺が逆立ちしても太刀打ちできる人ではない。
「種馬でも、いいじゃあないですかか……」
「全然良くない」
夏油先輩が真面目な顔でそう言った。
……実は、夏油先輩とは結構仲が良かったりする。
以前苦しそうな顔で呪霊玉……呪霊を球状にした物を持っていたので、何事かと聞いてみたのだ。
そうすると、この呪霊玉が不味すぎて飲み込むのを少し躊躇っていただけだと言う。どんな味かと聞いたら、ゲロを拭いた雑巾のような味らしい。えぇ……。
……突然だが、俺の雑魚術式には少し変わった特徴がある。
その日に食べた物の特徴を、糸がほんの僅かに反映するという物だ。これを利用し、毎朝納豆を食べて糸の粘度をちょっとだけ上げている。弱い術式を少しでも強くする工夫だ。
つまり糖尿病寸前―――2Lコーラを5本も飲み干せば、俺の糸は甘々になるのである。
その甘くなった糸を更にコーラの中に浸し、たっぷりと糖分まみれにする。そして、その糸を呪霊玉にぐるぐる巻きにする。
元々俺の呪力で作った糸だ、呪力の塊である呪霊玉には吸い付くように引っ付く。
これぞ、呪力糸オブラート。
甘々な糸を呪霊玉に隙間が出来ないくらいグルグル巻きにしただけの、果たしてオブラートと言っていいのか怪しい代物である。
しかし、夏油先輩はこの糸オブラートを痛く気に入ったらしい。
『ゲロを拭いた雑巾の味』から『日向に干して乾いた雑巾の味』にランクアップしたとの事。結局雑巾じゃないか。
それ以来、夏油先輩は二週間に一回のペースで大量の甘味を持って来て、糸オブラートを大量生産しろと脅して来る。
これ、仲良いんじゃなくて都合の良い駒扱いされてるだけな気がしてきたな。
「まぁ……そういうのは巡り合わせなんじゃないかな。がっついても良い事ないよ」
「巡ってこない可能性があるんですよ、俺には……」
「夏油先輩に何をやっている、冴木」
突然、背後から頭をガッと掴まれる。
振り返ると、そこには同期の七海建人が冷たい目でこちらを見下ろしながら仁王立ちしていた。
「も、モテテクの相談を……」
「今日は関西の方に二級呪霊の任務があったはずだ。そして、集合時間からは既に10分過ぎている……」
「あっ、そうだったそうだった、ハハハ…………す、すいませぇぇえん!!」
七海の手を振り払い、校門の方へと駆けていく。
そこには呆れた顔をした灰原が立っていた。背後を見ると、細めた目でこちらを睨みつける七海と、ひらひらと手を振る夏油先輩の姿。
「何やってんのさぁ冴木~。もっと気合い入れてかないと!」
「ごめんって! 今日はいつもよりちょっと頑張るからさ!」
「二級呪霊相手に二級呪術師が三人も揃って、頑張るも何もない」
同期三人。
俺は七海ほど真面目じゃなく、灰原ほどやる気に満ち溢れていた訳でもない。二級呪霊をそこそこ狩って、一ヵ月に一回贅沢できるくらいの金を細々と得られればそれでいい面倒くさがりだったのだ。
だが、俺は2人の事を心から信頼していた。2人も多分、信頼してくれていたと思う。
それに加え、最強のコンビである五条悟先輩と夏油傑先輩。
反転術式を他人に施せる家入硝子先輩。
死ぬほど女性にモテず、馬鹿みたいな縛りを掛けまくった間抜けな俺にはもったいない人達だった。
こんな時間が永遠に続けばと、そう思っていたんだ。
――――呪術師に、こんな幸せが永遠に続くはずはなかったのに。
「五条先輩と夏油先輩が、任務を失敗した……!?」
天元様と融合する、星漿体の護衛任務。
超が幾つも付くほどの難易度の任務ではあったが、最強の先輩達なら絶対に成功させるだろう……そう思っていたのに。
星漿体を殺した犯人は五条先輩が殺したらしい。
しかし……任務の後から、五条先輩と夏油先輩が少しだけ別の方向を向くようになった。事情を調べると、夏油先輩は五条先輩が始末した犯人に敗北しており、それが影響しているのではないか……と。
「…………」
あれだけ仲の良かった先輩達だ。きっと時間が解決する……そう思っていた。
日に日に軋轢は大きくなり、俺を含む後輩達は気まずさで口を出せなくなる。いつか、いつか、きっと状況は良くなる……そう考え続け、何も行動できなかった。
そんな折。
とある神社にて発生した、二級呪霊の討伐の任務が来た。
たかだか二級呪霊、最強の2人のどちらかを動かす案件でもない。いつも通り、後輩の俺達3人組が討伐に向かった。
……しかし。
その神社にいたのは土地神……到底二級呪霊の範疇には収まらない、一級呪霊だったのだ。
一級呪霊、それも土地神となれば、もはや二級呪術師が3人集まった所でどうにか出来るレベルではない。一級呪術師案件である。
しかし、呪術師を雇う金は高い。二級と一級では値段の跳ね上がり方が桁違いだ。その金をケチる為に被害をわざと過小報告する……そういうケースも多い。
「糸で傷を縫う! 七海、傷口を両側から強く抑えてくれッ!」
「灰原! 意識を保て、高専まであとちょっとだ!」
命からがら逃げ出した俺達は、補助監督の運転する車に乗り込み、深い傷を負った灰原の応急処置を行なっていた。
普通の病院では助からない傷。呪霊の呪力が毒のように体を蝕んである。治せるとしたら、他人に反転術式を行える家入先輩しかいない。
「ぅ……あ……」
「もっと車のスピード上げてくれ! 頼む!!」
灰原の命が消える。もう高専まで五キロもないんだぞ。
あとちょっとなのに、あとちょっとなのに。
「ふ、二人とも……」
「喋るな灰原! 冴木の糸で止血はしたんだ、体力を使うなッ!」
「違う、違う……ホントごめんな、俺が弱くって……。あの攻撃を避けられてれば、無事に逃げられたのに」
「頼むから黙ってくれ……」
七海が縋るような声を出す。
「妹の事とか、家族の事とか……あと、先輩達の事とかもさ……。
2人とも、後は……頼む……」
そう言い残して、灰原はフッと目から光を消した。呆気なく、今死んだのだ。
その時、高専からドタバタと人が出てきているのが見える。担架を持っていたりする事から、灰原を助ける為に出てきた人達のようだ。
バンッ!と呪力を込めて窓を叩いた。大きな音と共に窓ガラスが割れ、道路に落ちたガラスが後方に消え去っていく。
「もう遅いんだよ……」
思わず、そう呟いていた。
その後は気付いたら、高専内の死体安置所に居た。
灰原の死体は綺麗な布で血を拭われており、それが否が応でも彼が死んだと言うことを脳内に叩き付ける。
「君達の任務は、五条が引き継ぐそうだ」
夏油先輩が灰原の死に顔を見ながら、静かにそう言った。
灰原のすぐ近くのベンチに座り込む俺と七海。
上を向きながら目元にタオルを置き、吹き出した涙を自動的に吸い取るようにしている七海は、諦観したような声を絞り出した。
「もう全部、あの人一人でよくないですか」
最強の呪術師、五条悟。
確かに先輩の手に掛かれば、灰原を殺した呪霊など瞬殺だろう。そう考えると、確かに、命を懸けて呪術師をするのが馬鹿馬鹿しくなる感覚はあった。
……何処かで何か、別の行動をしていれば、何か変わったのかもしれない。
まるで定められた運命に沿うように、夏油先輩は呪詛師となり、七海は一般企業に就職して呪術界を去った。
何が出来ていれば今と変わっていたんだろう? 俺には何が出来ただろう?
五条先輩と夏油先輩が失敗した任務を成功させていれば……いや、先輩の足元にも及ばない俺がどうにか出来た訳がない。
やはり。
灰原……俺がもっと強ければ、灰原が生きていたかもしれない。同期三人で今も高専に居たかもしれない。
…………よそう。
夢物語は夢物語、あり得ない世界の話でしかない。それに、俺の同期は……七海はまだ生きている。
七海は一般社会で生き続ければいい。そうすれば、呪術師として生きるよりもよっぽど幸せに生き、死ねるはずだ。
俺は呪術界で生き続ける。もっと力を磨いてやる。二度と同期を、仲間を死なせない位に強く。一級呪霊……
特級呪霊から誰かを守れるくらい。
「何の用? 冴木。僕も暇じゃないんだけど」
高専内を闊歩する五条先輩を呼び止め、地面に頭をこすりつける。
「五条先輩……お願いします、俺の事を鍛えてください」
「先に言っとくけど、才能ないよ」
「それでもいい……俺はもっと強くなりたいんです。もう二度と……あと少し、届くはずだった後悔を味わいたくない!」
思い出すは、車内で死にゆく灰原。
もっと俺が速く動けていれば、灰原の致命傷を防ぎ、高専内にまで運べていたかもしれない。
「…………」
冴木の土下座姿を見ていた五条は、無言のまま踵を返す。
何歩か進んだ後、足を止めないままぶっきらぼうに言い放った。
「いいよ。容赦なくボコボコにしてやるから、マジに死んでも文句言うなよ」
「! ……あ、ありがとうございます!」
俺は頭を上げ、五条先輩の後を追いかける。
それが二級呪術師が限度と思っていた縛りだらけの俺が、一級呪術師の世界への一歩を歩んだ瞬間だった。