でも雨宮先生の描写少ない。悲しい……オリ主生やして書いたろ!(愚劣)
「おい、どういうこった」
デスクに噛り付いて書類仕事を
煙の吸い過ぎでいかにもいがらっぽい喉から、地鳴りのような音が低く響く。自分の声はこうも禍々しかったか。
四角い付箋の走り書き。それを穴が空くほど睨み付ける。
地域課の後輩婦警が恐々と差し出したままのその紙面を数回読み返し、なおも問いを重ねたのは理解できなかったからだ。
意味ではなく、その理由、動機が。
西臼杵公立病院
看護師、女性から
一般家出人通報
────雨宮吾郎
「あの野郎が消えたってのか」
その日、友人が失踪した。
雨宮吾郎との出会いは高校時代にまで遡る。
と言って、交友を得たのは二年に進級してさらに半年後のこと。同級の子らが皆、己の進路を親や教師にせっつかれ始める頃。
同じクラスで机を並べながら、付き合いらしい付き合いもなく精々が挨拶を交わす程度だったが。
切欠は実に些細なものだった。
剣道着と竹刀を背負って道場に行く道すがらにそれを見付けた。
放課後の教室で一人、本を読む雨宮の姿。
成績優秀、人当たりも良好、顔もなかなか整って、細いセルフレームの眼鏡はむしろ女子受けした。人並に冗句だって口にして、何度となく仲間内で賑わう様を見たことがある。
友人は多かろう。そう勝手に思っていた。
それだけに、意外だったのだ。放課後にわざわざ一人で教室に居残って読書を嗜むような暗……大人しいタイプだったかと。
表紙には紙製のブックカバー。
さぞ小難しい書物をお読みだろうと、背後から中身を覗き込む。
「なんだ。ブラック・ジャックか」
「うおっ!? びっっくりしたぁ……!」
肩を跳ね上げ、その拍子に眼鏡がずり落ちていた。なかなか良いリアクションに満足する。
「忍び寄った甲斐があるねぇ」
「忍ぶな! えぇっと、藤咲!」
「お、あんまし喋らねぇのによく己の名前覚えてたな。感心感心」
「そんな喋り方のクラスメイトなら誰でも嫌でも覚えるわ」
「かっかっかっ」
愉快に笑う己をうざったそうに睨んで、雨宮は再び本に目を落とす。
「いっけねぇんだ。
「校則に『漫画の持ち込み禁止』なんて書いてないだろ」
「そうなのか。俺ぁこの前雑誌取り上げられっちまったがなぁ」
「露骨にエロ本だったからだろ、あれ」
「水着のお姉ちゃんもアウトか。かーっ、厳しい世の中になったもんだ。これが所謂こんぷらいあんすってあれだな」
「教育者として当然の措置って言うあれだよ」
存外、打てば響く。やや皮肉交じりの軽妙な言い回し。
普段見せる愛想の良い顔とは違う。どこか冷めた態度。
雨宮吾郎の素の表情は、思っていたよりかなり冷淡だった。
「帰らねぇのか。お前さん帰宅部だったろ、確か」
「……別に」
素朴な疑問に、しかし雨宮は口ごもった。
その答えは問い詰めるまでもなく、机上に放置されている。A4用紙。題字には『進路志望調査票』。
提出期限は今日だった。
第一、第二、第三と項目が並び、それらいずれも白紙……いや。
一番上の項目には、書いて消した跡が残っている。ひどく、迷いのある筆致で。
「医者になるのか」
「っ! 勝手に見るなよ」
雨宮は慌てて腕と上体で用紙を隠した。
「なにも恥ずかしがるこたねぇさ。立派な夢じゃねぇか。お前さん、頭も良いしな。それこそ夢じゃねぇ……」
「うるさい」
「ん?」
「お前には、関係ないだろ」
眼鏡のレンズの向こう。その内側で少年の目は翳る。
その瞳で移ろう色彩は複雑で、怒りとも悲しみとも判らない。
ただ、苦しげだった。儘ならないものに足を取られ体を抑え付けられ、今は首まで絞められている。そんな様。
それこそ、普段の明るさなど見る影もない。
「そうだな。関係ねぇや。たかだか同級生風情に嘴挿まれちゃたまんねぇか」
「…………」
「どっこらしょっと」
「……おい、そこは引き下がって出ていくとこだろ」
隣の席に失敬して座る俺を、雨宮は不審げに見やった。
「部活はいいのかよ」
「いいさ。少しくれぇ。先生も剣道場十周くれぇで勘弁してくれる」
「……勘弁されてはなくね?」
校内を遠く、金管楽器の音色が響く。校庭では野球部が声出しも欠かさずノックに励んでいる。
「ご家族に反対されてんのかい?」
「……」
「ほう、そういう訳じゃあねぇんだな」
「……なんでわかる」
「なんとなくな」
読心術など無論心得はない。言葉の端々、息遣い、視線、身振り手振りといった所作、そういう諸々から嘘か真かを気取るのが、昔からどうも癖になっている。
今となっては立派な悪癖だった。
「良い夢だって思ったのは本心だ。お前さんみてぇに勤勉で、人付き合いも嫌わず向かっていける人間なら、いい医者先生になってくれるんじゃねぇかと期待した」
「俺ら、大して仲良くもなかった筈だけど……」
「おうさ。腰据えて話しすんのは初めてなんじゃねぇか」
「それでよく偉そうに期待してるとか言えたな、あんた」
「かっかっ、人を見る目はある方だぜ」
呆れの含有率が高い視線。それが微かに笑みを含んだ。
「……興味がないかっていうと嘘になる。いや……本当は憧れてる、んだと思う。多分……医療とか、人の命を救うってことに」
「そうかい」
「祖母も。あぁうち……うち
しかし、周囲からの期待が必ずしも当人の望みに適うものだとは限らない。
むしろ噛み合わないことの方が遥かに多いだろう。
「外科医になりたいって思った。好きな小説に出てくる医師が格好良くてさ」
「ふふっ」
「わ、笑うなよ!」
「すまんすまん、思ったより理由が可愛くてな」
「うっせぇ……!」
「だが真っ当だ。夢ってのはそういうもんだろ」
「……でも祖母が俺になって欲しいのは産科医だ。母さんの……」
それきり、雨宮は暫く黙り込んだ。重く、言葉を飲み込み腹の中で蟠らせている。
静謐を取り戻した教室に響くのは部活動に勤しむ生徒らの声。
雨宮は静かに苦悩した。誰にも覚られぬよう、声を殺して。
「選ぶのはお前さんだ。誰に何を期待されようが関わりない。決めるのは雨宮なんだぜ」
「…………」
「……とはいえ、傍若無人とはいかねぇやな。お前さんは賢い上に、やたらと思慮深そうだ。難しいな」
「俺はただ……流されてるだけだ。自分が無くて、なにも決められない。決断できない。人に合わせるしか取り柄が無い」
「さて、そいつぁちょいと卑屈だ。てめぇを見損なうにはまだまだ早すぎる。若すぎる。お前さんがなにをどう選んだとしても、それが間違いだと思わん。なんなら俺が請け負うぜ」
「はあ? 請け負うって」
「この藤咲
真っ直ぐに見合った少年の目が見開く。驚きと戸惑い、何を言ってるんだこいつという理解不能の表情。そして。
吹き出して笑う。
「……マジ顔でなに言ってんだよ。友達未満」
「これからなってきゃいいだろ。高校生活まだ折り返しじゃねぇか。ん?」
「暑苦しっ。そういうの平成の発想じゃないな」
「昭和の発想力で悪かったな」
「そこまで言ってねぇけど」
そうして二人笑い合う。ようやく少年らしい笑顔を見た。
「……ありがとう」
「うへぇ改まって気色悪ぃ」
「殴るぞ」
「かっかっかっかっ!」
人生相談紛いの、年長者面の、よく分からん会話を経て、雨宮吾郎と藤咲仁は友人になった。
「お前もなんか読めば? 漫画ばっかりじゃ食傷だろ」
「こう見えても読書家なんだぜ俺ぁ」
「ホントかよ」
「最近は
「えっ、マジで」
茜色の廊下を並んで歩く。放課後の寂れて見える校内も、伴いがいればなにやら違う。
この少年の足取りも多少は軽くなっていればいいが。
「そういえば、藤咲はもう進路決めてんの? まさか隠し立てしないだろうな、俺の盗み見たんだし」
「別に隠しゃしねぇよ。俺ぁまあ順当に……警察官ってとこなんじゃねぇか?」
「いや、なんで他人事だよ」
年間8万人にも及ぶ大量の行方不明者の中に彼の名は列なった。
データベースに登録された個人情報は全国都道府県警に共有され、警察はその人相の人物を捜索……しない。犯罪の容疑者ではないただの行方不明者に対して警察が行うのは、親族配偶者から捜索願が出されているという旨の“当人への報告”。行方不明者の“所在地・目撃証言等の提供”だけだ。
老人や子供、心身障害による迷子、遭難、徘徊であるならともかく、成人した社会人──所謂、一般家出人に対する保護や送迎は決して義務ではない。事によっては服務規程を逸脱する。
ましてや、雨宮吾郎に家族はない。祖父母は既に他界し、天涯孤独となった彼の捜索願を出す親族はこの世に存在しなかった。
「連絡が付かなくなったのは当直勤務を終えて帰宅したその日から、でしたね?」
「ええ……はい。翌日になっても病院に見えられなくて」
高千穂の観光名所からも程近い西臼杵公立病院。
診察室前、廊下の隅に据えられたベンチに看護師の女性と並んで腰かけている。
午前の診療が落ち着いた時刻。人気は少なく聴取には申し分ない。
雨宮も勤める産婦人科所属の彼女こそが、今回の通報者だった。
「自宅や私用スマホに連絡しても繋がらないし……こんなこと今までは一度もなかったです。あの、刑事さん。先生、一体どうされたんでしょうか。もしかしてなにか、事故に遭われたんじゃ」
「それを含めて捜査をします。どうか思い詰め過ぎず、いつも通りに生活なさってください。ある日突然連絡を寄越して来たり、ふらりと戻って来るってぇことも十分ありますんでね」
「そう、なんですね」
看護師・島袋小百合は不安げに目を伏せた。
雨宮の捜索願は、雇用主として病院側から提出される。
「……」
しかし、今のところ明確な事件性はない。雨宮吾郎の扱いは依然、無断欠勤した家出人の範疇だ。
捜査するなどと偉そうに嘯いてみたところで、警察の組織力を行使する術が今の俺にはなかった。
「患者さんが、待ってたんです、ずっと」
「?」
ぽつりと、島袋は呟く。
「その日がまさに出産予定日で、ちょっと事情のある妊婦さんだったから。それでも先生すごく信頼されてて……だからこそ、あの子も不安がってた」
「出産予定日に……?」
ますます不可解。いやありえないことだ。雨宮という男は徹頭徹尾、冷淡を装った正義漢であり頑固者だ。正しく在るということに、青臭い信念を、夢を見ずにおられない純な野郎だ。
仕事を中途で投げ出すような真似を自身に許すとは思えない。まして赤子を取り上げるなどという重大事。
当然の疑問から、染み着いた刑事の性は肉体を即時稼働させた。
「その妊婦さんにお話を伺えませんかね?」
医者は転勤族だ、とは雨宮の言である。
宮崎県警勤務の俺と研修を終えて他県の病院から出戻って来た雨宮。
我々が旧交を温める機会を得たのは高校を卒業してからさらに数年後、地元の公立病院で。
「アイィィイイイ!」
「アイちゅわぁぁあああん!!」
「……」
白衣の男とパジャマの少女が両手で光る棒を振り回しながら一心不乱テレビ画面に向かって、叫ぶ。
そろそろ秋は深まり行き過ぎ冬の寒気に肩身を縮める折柄。しかし今この個室には暖房器具など必要なかった。大の男と少女が放つ熱量によって、室内温度は現在進行形で上昇を続けている。
ネクタイを緩めた。いろんな意味で暑苦しかった。
「病室ではも少し静かにした方がいいんじゃねぇのか、おい」
「なにひよったこと言ってんの!? ってか静かになんてできる訳ないでしょアイがキー局の音楽番組に出てんだよ!? えっバカなの!? アホなの!?」
「ここは角部屋。隣室の病床は空いている。今は夜七時ゴールデンタイム。なんの問題もないな」
「問題しかねぇんだよ。せめて叫ぶな。頼むから」
「「ぶーぶーぶー」」
子豚のように不満を鳴らしたのも束の間、雨宮とさりなちゃんは再び画面へと釘付けになる。
天童寺さりなの病室で、こうして雨宮と己が管を巻くのもすっかりお馴染みとなった。
「あぁやっぱり最高だよぉアイ……ありぴゃんときゅんぱんもいいけど最推しはやっぱりアイ。何が良いって顔が! めちゃやばい!」
「ほーん」
「うわっ、リアクションうっすい。なんかもういかにもおじさん。おじさん臭い」
「ご明察の通り、とっくの昔からこちとらおっさんやってるよ」
「やだー開き直りとかきもーい。これだからおじさんってやー」
「気色悪い声出すんじゃねぇ。てめぇも一応
「せんせはいいの! おじさんでも私と同担だし優しいしかっこいいから。おじさんでも!」
「さりなちゃ~ん……別におじさん部分を殊更強調しなくてもいいんだよ~……」
めそめそとベッドの傍で膝を屈する雨宮。
さりなちゃんは男の醜態を捨て置き、画面の中の“光”に夢中だ。
煌びやかな衣装、輝く色とりどりの照明、それら全てによって描画された美しい少女達。
とりわけ黒髪の少女が先頭に立つ時、さりなちゃんは歓声を上げた。
「……今日も元気そうだな」
「病は気からっていうだろ。あれは別に精神論とか根性論じゃない。心の健康状態は確実に肉体に現れるんだよ」
「含蓄深ぇや。流石は医者先生だ」
「産科医だけどな」
皮肉っぽく雨宮は鼻を鳴らす。それがこの男なりの、気後れを隠す為の所作だと知っている。
この男は祖母の願いを聞き入れたのだ。
「
「そういうもんだよ。どれだけ医療技術が上がったところで出産はいつの時代も命懸けだ。そしてなにより一番大変なのは医者じゃない。母子だ」
「立派だよ。お前さんは」
「……」
心から、俺はこの男の選択を尊いと思う。その仕事の重みに正面から向き合う姿を尊いと思う。
苦悩はあろう。いつかこの男の口から聞き知ったことだ。雨宮吾郎の人生は始まったその瞬間から容易ならない。母御の命と引き換えにこの世に生を受けた、受けてしまった……そう考えずにはおれないのだろう。
軽々にそれは違うなどとは言ってやれない。この男の決意や覚悟を、そんな言葉で穢したくはない。
「まあ私心も多分に見えるが、その方が健全だわな。人間なれば」
「超ピュアな心で推してますがなにか?」
派手な団扇を構えた男を見やる。『アイLOVE』とでかでか印字され装飾もばっちりなそれはどうやら自作だった。
「お前もこっち来いよぉ……アイ沼は楽しいぞ、暖かいぞ、深いぞぉ」
「三十路前の男が若ぇ娘っ子の尻を追い回す様ってのは、なかなか痛ましいな。んー、さりなちゃんと同い年だったっけか? とすると十二か……こいつぁ事案だねぇ」
「バカそういうこと言うな。現実を思い出させるなお願いだから」
「こっちこそ頼むぞ。
「ちょっとちょっと二人とも! アイのソロパートもうすぐ始まっちゃうよ! イチャイチャしてないで画面に集中! はりーあっぷ!」
なにやら気色悪いことを言われながら、さりなちゃんは雨宮と己を画面前に引っ張った。
さりなちゃんの両脇を男二人で固め、手には光る棒と団扇を持たされる。
「前々から思ってたんだけどさー。せんせって私の好き好きアピールいっつも無視するよね、私めちゃ真剣なのに」
「社会的な死が確定するからなー。今も怖い刑事さんに見張られてるし」
「宮崎県の凶悪犯件数にお前さんを数える日が来ねぇことを祈るぜ」
「ほら! 今も! なにかっていうと藤咲のおじさんを盾にして……ハッ、まさか、せんせ達って、そういう……キャッ! そういうカンケー!?」
「「やめて」」
先程とは別の(おぞましい)理由で頬を紅潮させ興奮する娘に、俺達は泣きを入れた。切実に。
この病院を訪れる度、思い出されるのはやはりあの、騒がしい病室での一時。つい昨日のことのように、そんな陳腐な感慨がちっとも笑えやしない。
天童寺さりなが、彼女が亡くなってから早四年にもなる。
「……」
難病を患った子供に警察官の男ができることなどそれこそ皆無に等しかったが、医師であるあの男が抱えた無力感は一体どれほど極大であったことか。
同時に、その両肩が背負った想いは、どれほどに重かったことか。
ゆえにこそありえない。
あの男が、受け持った出産間近の妊婦を放って失踪するなど断じて。
「雨宮、てめぇ……一体何処に消えやがった」
雨宮の担当患者だという“少女”にも参考人聴取、という体で聞き込みを行ったが、得られたものはなかった。
己の奮起とは裏腹に、事件性のない家出人捜索には人員も予算も割かれず、俺は独力で当てのない人探しを続ける外なかった。
本来、己は捜査第一課に席を置く身。地方県警だからとて犯罪や民間のトラブルは山と舞い込んで来る。家出人の捜索だけをしている訳にはいかなかった。まして、それが個人的な推量と、感情による独自捜査となれば、警察組織に協力を仰ぐこともできない。
何の手掛かりも得られぬまま日々を忙殺される。
雨宮吾郎の存在が、関係者の間からすらも忘れられ、薄らいでいく。
ただ徒に時は経つ。
雨宮吾郎が消息を絶ってから、気付けば一年以上が過ぎ去った。