推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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前回今話がエピローグだと言ったな?

あれは嘘だ。




神の悪戯

 

 

 

 人気アイドル宅での殺傷事件。

 

 アイドルの熱狂的なファンが凶器を持って自宅に押し入り、人を刺し殺した。

 しかし殺害されたのは当のアイドルではなく、居合わせた警察官だった。

 アイドル、ストーカー、刃傷沙汰、それらゴシップとしてキャッチーな見出しに、警察官の死という社会派の堅い話題が加わった。その所為なのかどうなのか、世間の反応は予想していたより随分控えめだったように思う。いや、慎重になったんだ。

 警察官殺し。おそらくはこの部分が、奔放で節操のないマスコミの報道活動とやらを少しだけ掣肘した。

 なにより、ストーカーの偏執性なんかよりも注目を集めたのが。

 

『明かされる違法捜査の実態』

『一警察官による独断専行、隠された私怨』

『第一の被害者宮崎県某病院勤務医師男性との関係は』

『令和に起こった復讐劇』

 

 地方公務員たる警察官の命令無視と独自捜査、その為に行われた許認可なき国家権力の濫用は、世論を殊更に紛糾させた。

 そして宮崎県で起こった殺人事件の犯人があのストーカーである、という事実が明るみに出るとその混沌はより加速したようだ。

 法を犯し、私刑の意図すらあったことを痛烈に批判する経済学者様。

 事件を迅速に解決できなかった警察組織の無能を嬉々として詰るコメンテーター共。

 無邪気に、無責任に、無分別に感想と妄想の飛び交うネット、SNS。

 

 反吐が出そうだった

 

 一方で、アイに対する世間の反応は不思議なほど沈静化していった。扱いも概ね同情的に、ただ純粋な被害者として、各メディアはその方向性を決定したらしい。

 そんな大雑把な無関心によって、アイの隠し子の存在が表沙汰になることもなかった。あらかじめ戸籍を斉藤夫妻の下に移していたこと、部屋を引き払った直後であったこと等、思いも寄らず隠蔽工作が上手く()()()()()のだ。本当に、皮肉なことに。

 藤咲仁巡査部長。

 遠慮のない実名報道がニュースサイトに垂れ流されている。公開された写真の中で真面目澄ました制服姿をした藤咲が、なにやら可笑しかった。

 スマホから顔を上げる。

 都内某所の高層マンション。灯りの落ちた新居のリビング。窓辺のウッドスツールに腰掛けて、ぼんやりと夜景を見た。

 藤咲仁はその正義を暴走させたただの犯罪者に過ぎないと糾弾する者がいる。

 彼は自らの命と引き換えに人命を救った悲劇のヒーローだと讚美する者がいる。

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

 その行いをどうして認められる。

 命と引き換えに、だって? 生き残った方がその事実に諸手を上げて喜ぶとでも思ったのか。

 残された者達が、何を思い、何を背負うか、お前は理解して……理解、していたから。

 あの男はああなった。

 喪ったから、それを選んだ。

 報いを欲した。復讐の道を踏み、そして。

 そして最後の最後に、あいつはとうとう選択を()()()()()()のだ。おそらくは最善のそれを選び抜き、守るべきものを守り通した。

 信念を。

 親愛を。

 あの在りし日、あの病室で過ごした大切な時間を。

 けれど。

 けれど。

 俺はそれを認めない。認めたくない。

 俺は、お前に。どんなに罪深くとも、どんなに身勝手だったとしても。

 

「生きていて欲しかったんだよ……」

 

 俺はあの男とは違うのだ。憎き誰かの死で、善き友が生きるならそれでいい。命を取捨選択するという度し難い卑怯を選ぶ。選んでしまう人間だ。

 命を救い、新たな命を取り上げる。昔、そんな使命を帯びていた。医療従事者になり、産科医になり、人命の救済に微力を尽くした。

 決して十全に望み通りの道ではなかったが、それでも藤咲は……俺の選択を尊んだ。立派だと、言祝(ことほ)ぎをくれた。

 俺は自分自身に失格の烙印を押す。押さねばならない。

 やっぱり、お前のようにはなれないよ。

 

「……は、はは」

 

 渇き掠れた仄暗い笑声が部屋の薄闇に同化して消える。藤咲が死んでからの数日間、気付けば自嘲と自己嫌悪に費やしている。まったく無駄だ。無意味だ。そう、わかってはいるのだが。

 ふと、物音がした。暗がりの中に小さな人影が見える。

 誰何するまでもない。この訪れもまたここ数日間の繰り返しだった。

 

「さりなちゃ……ルビー、こんな時間にどうした? 明日は朝早いし、ちゃんと寝ておかないと後が辛いぞ」

「……」

 

 俯いたまま彼女は何も言わない。

 一度は、その最期を看取った。そんなもの一度で十分だ。

 弱りきった小さな手の感触を覚えている。どうして忘れられる。

 別離の痛みは今も記憶に、心に刃傷の如く刻まれて癒えることはない。彼女の拍動が消え去るその瞬間を今でもはっきり思い出せるほど。

 それがどうだ。星野ルビーとして生まれ変わったさりなちゃんと、こうして再会を果たすことができた。望外の機会を与えられた。これ以上の幸いがあるか。こんな、出来すぎた話が。

 だのに、あれから俺達の間にまともな会話は成り立たなかった。

 再会の喜びを分かち合うことも、自分達の置かれた奇妙な現状を笑い合うこともできず。

 交わされるのは。

 

「ごめんなさい」

「さりなちゃん……」

「私の所為で、おじさんは死んだの。おじさんは私を、止めてくれたのに。私は何も悩みもせず考えもせずにただ自分の憎しみを晴らすことしか頭になくて、身勝手で、独り善がりで、せんせを……せんせを人殺しの言い訳に使った。せんせの為だから、これは正しいんだって、おじさんが最後、最後まで、ずっと苦しみながら悩んで考え続けてきたことも知らずに、知ろうともせずに……」

「さりなちゃん、もう」

「私がおじさんを死なせたッ!」

「違う!」

 

 スツールを飛び降りる。

 さりなちゃんは力なく座り込んだ。泣き腫らした目にもう幾度目かも分からない涙を滂沱させる。

 少女の目の前に屈み、両肩に手をやる。俯く視線は地の底へ、闇の淵へ落ちていこうとする。それに追い縋る。そんなところへ行かせない為に。絶対に。

 

「さりなちゃんがやろうとしたことは確かに恐ろしいことだ。でもだからって藤咲が死んだ原因まで背負い込むのは筋違いだ。あいつを殺したのは貝原リョースケ。アイのストーカー。さりなちゃんじゃない。慰めでも責任転嫁でもなくこれはただの事実だ! それに……独り善がりって言うなら、それはきっとあいつの方だよ」

「っ……う、ぁ……」

「あの馬鹿はさ、きっと満足して逝きやがったんだ。さりなちゃんも狙われたアイも怪我一つ負わずに済んで、その上最期にさりなちゃんと俺と、また会えた……ああ重畳だ、って笑うに決まってる。そうだろ?」

「あぁっ……うあっ、ぁぁああぁあ……!」

 

 さりなちゃんは泣いた。叫び出しそうになるのを押し殺し、背中を震わせて、感情の大波に必死に耐えて。

 彼女の頭を抱え込む。悲しみと罪悪感に心を押し流されようとしているこの子を俺が受け止めてやらないでどうする。

 でも、だっていうのに。

 この目はさっきから滲んで、濡れて、ろくに見えない。それが溢れて止まらない。

 涙が、止まらない。この幼児の体の所為だ。きっとそうだ。そうに決まってる。

 

 

 

 

 

 

 藤咲の告別式は、藤咲の生家から程近い公民館で執り行われた。

 警察葬と言うらしい。多くは、というか参列者のほとんどは警察関係者だった。制服姿が大半で逆に喪服の人間が浮いてしまうほど。

 藤咲の死は、殉職として処理された。世間の批判や違法捜査の事実を鑑みても、それは意外に思える。あるいは……そういった汚点を隠し、美談に仕立てる為に……そんな底意地の悪い想像が浮かぶ。

 

「アクア、ルビー」

「あ、はい」

「……」

 

 芳名帳に記入を終えたアイが俺達を呼んだ。既に入館した斉藤夫妻も、門柱の傍で俺達を待っている。

 アイの喪服姿は、新鮮を通り越してもはや神秘だった。擦れ違う誰も彼もが振り返り、男も女も関わり無しに見る者を法悦とさせる陰の美。

 そういうものを無邪気に喜んでいられた時が、今は懐かしい。

 今の俺の心臓は、推しの美麗な姿を前にしても高鳴ってはくれなかった。

 喪主を務めたのは藤咲の直属の上司であった。天涯孤独だったあの男に葬式を執り図らってくれる親族などいないので、当然といえば当然だが。

 藤咲にも劣らない強面の巨漢。喪主の挨拶で何度も言葉を詰まらせてはその度に洟を啜る。人柄の良さだけは伝わる……いい弔辞だった。

 そして、出棺の時。

 棺に蓋を被せる前に、希望者は花を手向けるようアナウンスが入った。

 俺は少しだけ迷ってから、パイプ椅子を立った。

 

「私も行く。いいかな?」

「えっ」

 

 振り返ると、アイもまた席を立って俺に付いて来ようとしていた。

 その足元に隠れるようにしてルビーもいる。

 勿論、俺にはそれを拒む権利も理由もない。

 葬儀社のスタッフが盆に乗せた花を俺に差し出した。一輪だけ取って、棺へと向かう。

 

「先輩っ……先輩……!」

「……」

 

 棺の前で若い女性が一人、泣き崩れた。棺に縋り、涙と嗚咽を、慟哭を床に落とす。同僚なのだろう婦警達に支えられて女性は棺から引き剥がされた。

 俺の知らない藤咲の顔。藤咲を慕い、想う人々がいた。

 程なく、俺達に献花の番がくる。

 今更気付いたが、この体では棺の縁に頭が届くかどうかというところ。当然、中は見えない。まさかよじ登る訳にもいかないし。

 

「ほれ」

「うわ」

 

 突然後ろから抱え上げられ、視界が上昇する。

 いつの間にか背後には五反田監督が立っていた。

 

「監督、いつ来て」

「花」

「あ、うん」

 

 ぶっきらぼうな催促に俺は棺を見下ろした。

 藤咲の顔は、穏やかだった。血はすっかり洗い清められ、死に化粧を施されている。永く、永く、眠るように。

 

「……あばよ、馬鹿野郎」

 

 男の寝顔の傍に紫苑を添える。

 高貴な薄紫の小造な花弁が、いかにもまったく全っ然、この男には似合わない。

 ざまぁみろ。勝手に死ぬからだ。

 

 

 

 

 

 別に示し合わせた訳でもないが、五反田監督も合流して葬儀場を後にした。

 アイには次の仕事がある。良くも悪くも今回の事件で注目を浴びた彼女に、気の早い業界人がオファーを投げているそうだ。人気、話題性、そこに物事の正否や美醜など問わない。数字、それに付随して利益を創出さえできればいい。

 とりわけ悲劇は金になる。芸能界では特に。

 

「……」

 

 社長は、この流れを利用して方々へコネクションを築いてやると息巻いている。あれがあの人なりの弔い方なんでしょ、とはミヤコさんの言。

 関係者が詰め掛けた所為だろう。予約したタクシーの到着が遅れているらしい。

 葬場から暫く歩くと、児童公園に行き着く。とりあえず、俺達はその辺りのベンチに腰を落ち着けた。

 ルビーはアイと俺から距離を置いて、一人ブランコに座った。そのルビーから付かず離れずの位置で監督が煙草を、吹かそうとして結局断念したようだ。

 

(そうだ……この公園)

 

 西臼杵公立病院の近く、当直の休憩がてらよく散歩に来た場所だ。

 少し山の手に足を伸ばせば、そこには俺の実家もある。厳密には祖父母の家だ。名義を変えて管理を請け負っていたとはいえ、あそこはやはり自分の家という感覚がない。

 

「……今更」

「今更なぁに?」

「うえっ!?」

 

 輝く一等星のような瞳が二つ、触れそうなほど間近に。それらは左頬を照らす。

 アイはこちらを覗き込んで微笑んだ。

 

「いや、別に……なんでもないよ」

「そう? ホントに?」

「ホントホント。なぁにもないよ」

「……あ~、そういう誤魔化し方やだなぁ。ちっちゃい子()()()みたいで。やっぱり“せんせ”から見たら私なんてまだまだお子ちゃまってことか~」

「えぇ!? いやいやいやそういう訳じゃなくてですね」

「ふふっ、ふふふ」

 

 くすくすと笑うアイは可憐だった。

 まんまとからかわれたこともあっさり許せてしまうくらい。

 アイは既に俺達の事情を知っている。自分の子供が産まれたその時からもはや純粋無垢ではなかったことを。

 初めから形成された人格と蓄えられた記憶が、雨宮吾郎と天童寺さりなという人間の魂が双子の嬰児に備わっていたのだと。

 今際の際、それを思いがけず藤咲に暴露されてしまった。

 

「……アイはこれでいいのか。こんな」

「うん」

「さり……ルビーはともかく、今このアクアって体に宿ってるのは成人した大人の男の魂なんだぞ」

「それでも」

「……なんで」

「わかんない」

 

 アイはそんな、子供のような口調で言い捨てて思案すらしない。

 不可解というか、不満が顔に出ていたのだろう。

 アイは目を細めた。その微笑は優しかった。それこそ、慈母のように。

 

「アクアがせんせだってわかっても、ルビーがさりなちゃんって女の子だって知っても、私なんにも変わらなかったの。私の中にある気持ちは、何一つ」

「気持ちって……」

「愛してる」

「────は、え」

 

 あまりにも真っ直ぐに、目と目を合わせてアイは囁いた。

 

「あぁ、やっぱり」

 

 悪戯が成功した子供のような笑み。そして同じほど、怖々と安堵を噛み締めて。

 

「なぁんにも変わらない。産まれて初めて二人を抱っこしたあの日から、私にとっての貴方達はただ、ただ愛しい子……そう気付けた。気付けてよかった」

「アイ……」

「藤咲さんのお陰かな」

「…………」

 

 気付けば俺はベンチを立っていた。

 

「アクア……?」

「俺に……そんな資格……!」

 

 惑乱する。感情が。

 喜びのようなものを覚えている。幸せのようなものを覚えてしまっている。

 その事実が耐え難いのだ。

 友達が死にゆく様をただ見ていることしかできなかった人間が、どうして。

 どうしてこんな幸福を享受しているんだ!?

 

「っ、少し、歩いてくる。タクシー、来るようなら先に行ってくれていいよ。俺は、一人でも帰れるから……」

「アクア!?」

 

 俺は駆け出した。

 それはあまりにも眩しくて、暖かくて、完璧だ。さりなちゃんが生きて、アイが生きて、ここにいてくれる。そんな。

 完璧で究極の幸福から、俺は逃げた。

 あまりに綺麗で、あまりにも罪深い己の未来に、耐え切れなくて。

 

 

 

 

 

 

 生家の敷居を跨ぐ。手入れする者は既に亡く、使われなくなった家屋は順当に朽ちていた。

 縁側に腰掛けて雑木林の暗がりを呆と眺めた。

 この方が気分は出る。最悪の自己嫌悪、罪悪感が遠慮も容赦もなく心と体を蝕める。

 藤咲の死は、結果として最悪の事態を防ぎ延いては状況を好転させようとしている。そう見える。少なくとも、アイは死ななかった。ルビーも無事でいてくれた。隠し子のスキャンダルが表沙汰になることはなく、むしろ今回の事件によって集まった注目はアイの芸能活動を精力的にプッシュする為の切欠にすらなろうとしている。

 その事実に、怒りを覚える。

 アイの躍進に期待し、歓喜する自分がいる。

 藤咲の死を礎としながら、いずれそんなもの忘れ去られるだろう世の流れを感じる。それが、我慢ならない。

 憤怒。自己嫌悪。後悔。憎悪。憎悪。

 俺は誰を憎めばいい。俺自身の思考が度し難い。何も知らず知ろうともせずただ興味本位に一個の人間の死をコンテンツとして娯楽するこの世界が、穢らわしくてしょうがない。

 なあ藤咲、俺はどうすればいい。ただ恥知らずに幸福を享受する阿呆にはなりたくないんだ。

 お前の死を都合よく美化して、さも綺麗な思い出みたいに語る自分には耐えられそうにないんだ。

 教えてくれよ。いつもみたいに説教臭く、あの古臭い口調でさ。

 藤咲。この馬鹿野郎。

 お前、なんで死んじゃったんだよ────

 

「────なんで?」

 

 疑問は、思考を呼んだ。惑乱して千々に解けていた脳内の情報に一筋の方向性が示される。

 問……藤咲仁が死に至った原因とは何か。

 貝原リョースケ。今回の事件の容疑者。いや、紛れもない犯人。藤咲を殺害した、その実行犯である。

 そう、()()()

 この事件には初めからもう一つの実相が存在した。凶器をもって実際に犯行に及んだ貝原リョースケと、こいつにアイの所在地という情報を提供した者、あるいは殺害そのものを教唆した者。

 黒幕(ホンボシ)と藤咲は言った。そいつがこの、宮崎での雨宮吾郎殺害から端を発する事件、全ての元凶。

 

「藤咲を」

 

 死に追いやった、仇。怨敵。

 風が吹いた。林の枝葉を払い、荒々しく地表を流れ、そしてこの身を叩く。空は晴れ上がり陽気に満ちた秋口の午後。この、人の絶えた庭先だけが異様に冷たい。寒気が淀んでいる。

 胸に空いた虚穴に吹き抜ける冷たいもの。

 殺意。

 体を蝕んでいく。心を染めていく。

 喪失と幸福が葛藤し、砕けそうになっていた“己”が一つの理念により静止する。

 

「黒幕を見付け出して、必ず」

 

 相応しい報いをくれてやる。

 そうだろ、藤咲。

 

「お前の仇を……殺」

「やめとけやめとけ復讐なんざ」

「────は?」

 

 風が止み、今度は時間が静止する。

 それほどに静かな生家の庭先に響く。声。子供の。

 

「身を任せている内は楽だがな、ふと我に返った時あれほど恥ずかしいものも他にはねぇぜ。経験者が言うんだから間違いねぇ」

「っ! ど、どこだ。どこに」

「それにな、復讐とはとりもなおさず人生を投げた奴の専売特許よ。寡男の己ならばいざ知らず、可愛い妹に美人のおっ母さんまで手に入ったてめぇが、この上仇討までぶん獲ろうってなぁ……ちょいと贅沢が過ぎるってぇもんだろう?」

「!」

 

 縁側を飛び降りて、俺は軒下を覗き込んだ。

 蜘蛛の巣だらけのかび臭い暗闇の中に、真っ白な塊を見付けた。

 頭から這入り込む。喪服が汚れることなど気にもならない。

 それは、純白のお包みだった。

 そっと両手で抱え上げ、注意深く後退る。日の下に、それを晒す。

 白銀が眩く目を焼いた。柔らかな髪が、獅子の鬣のように宙を泳ぐ。

 産毛を生やした浅黒い肌。むちむちと膨れた手をゆっくりと開閉させて、赤ん坊は笑った。

 赤ん坊らしからぬ老獪な笑みで。

 

「よう、しけた面だな雨宮」

 

 

 

 

 

 

 ────うおおおおおおおおおおおおお

 

 絶叫を上げて全力疾走する少年をアイや五反田、ルビーは何事かと出迎えた。

 

「アクア! もう勝手に出歩いて! 心配したんだよ。タクシー、もうすぐ着くって……どうしたの?」

「なんだ、早熟。やっぱ具合悪いのか?」

「だはぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、ちが、そうじゃ、ふじ、ふじ、藤咲が……ふ、藤咲がいた」

「……アクア」

「……まあ、なんだ。ここいらはあの不良刑事の故郷だしな。そういうこともあるんだろ」

「そうですね。もしかしたら、最後に会いに来てくれたのかも」

「いやいやっ、そういうあれじゃなしに!」

「アクア、辛かったよね……悲しかったよね……ごめん、私ママなのに、ちゃんと慰めてあげられなくて……!」

「無理もねぇ」

「ちっげぇから! そういうセンチな話じゃなくて! これ!!」

 

 雨宮は言うや、抱えていたお包みを二人に突き出した。

 

「わぁ可愛い! 赤ちゃんだ~!」

「お前これどっから攫って来た!? すぐ戻して来い馬鹿野郎!!」

「攫ってねぇよ! うちの軒下にいたんだよ! そんでこれ藤咲なんだよ!」

「アクア……」

「早熟……お前、もうそこまで……」

「その憐れみの目やめろ。別に頭いっちゃってねぇから。おい、藤咲。いい加減なんか喋れ」

「ばぶー」

「ぶん殴るぞてめぇ」

「だ、駄目だよアクア!」

「乱心するな! まずは病院だ……頭の」

「かっかっかっかっかっ! いや冗談だ。冗談」

 

 五反田が目を剥き、アイはぽかんと口を開けた。

 

「こんな(なり)だが嘘じゃねぇんだぜ」

「お前……マジかよ」

「ホントに? ホントのホントに藤咲さんなの?」

「おうよ。藤咲仁の捻くれた魂がここにしっかりと入れ込まれっちまってる」

 

 信じられないものを目撃した男の顔と、きゃっきゃと無邪気にはしゃぐ娘の美貌。

 ふと、その背後から、躊躇いがちな足音。

 おずおずと小さな娘っ子が、アクアの許へ、その腕に抱かれたものにゆっくりと吸い寄せられる。

 呆然としたその顔を見上げる。

 

「なんだかなぁ、面映ゆいねぇ。恰好がつかねぇというか。この通りのこのこ黄泉返ってきちまったよ」

「あ……ぉ、おじ、さん……?」

「ああ、おいちゃんだ。藤咲のおいちゃんだよ。さりなちゃん」

「────あぁっ」

 

 少女は己と、己を抱えるアクアに取り縋り、泣いた。ただただ泣いた。驚きとも喜びとも安堵ともつかぬ混ざり乱れ暴れる感情のままに、声を上げて泣き喚いた。

 その不安を想う。その恐怖を想う。その罪悪感を想う。その痛みを想う。

 

「すまねぇな。恐い思いさせちまってよ」

「うぇ、うぅぅ、ふ、う、うぅぅうぅ……!」

「でも、また会えたな」

 

 娘子の頭を撫でながら、俺はその喜びを知る。

 

 

 

 

 

 

 

 棄児を見付けたからには警察に通報しなければならない。

 今なら担当者の一人くらいは居そうな葬儀場へ直接探しに行くという訳にも行かず、五反田がそのスマホから連絡を付けた。

 雨宮と共に警察の到着をベンチにて待つ。首が据わっていない己は座面に横たえられているが。

 

「まあ、未練はあったからな」

「未練?」

「おうさ。結局、実行犯の貝原リョースケは逮捕されたんだろうが、その背後で奴を操っていたホンボシは何者か、警察も未だに正体を掴めてはおらん。違うか?」

「……続報はない。それらしい報道も、今のところ」

「余程巧妙に自身の痕跡を消しているらしい。慎重な野郎だ……だが、逃しゃしねぇ」

「お前、まだそいつを捕まえる気なのか」

「当たりめぇだ。こちとら売られた喧嘩は買い占めるのがモットーよ」

 

 雨宮は呆れ顔を隠そうともしなかった。

 

「馬鹿は死んでも治らないな」

「かっかっ、まったくだ」

 

 笑い合う。いつかの夕暮れ時のように。

 

「……でも、これからが面倒だぞ。お前を捨てた生みの親を捜索して、その前に施設に入って、出生届に戸籍の発行……あ、そうだ名前。たぶんお前を担当する自治体の職員か、施設の人が考えさせられると思うけど」

「おお、そうだ。それだがな」

 

 お包みに手を入れ、その布切れを取り出す。

 雨宮は受け取って広げた。

 白い生地には赤酸漿(かがち)色の毛筆で。

 

「『ましら』?」

「そう名乗れとさ」

 

 雨宮は意味不明だとばかり首を傾げた。

 俺は応えず、代わりにまた一吹き笑った。

 この神か天魔の悪戯に、ただただ笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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