推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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性懲りもなく



マシラの章
その性、処置なし


 

 

 

 

 

 暦の上ではもうすぐ春だという。朝夕の冷え込みの厳しさからはとてものこと、そんな感慨は湧かぬ。

 厚手のコートとマフラーを伴にどうにかこうにか寒気を耐え忍ぶ日々。この若い体は、どうやら生来の寒がりらしい。

 私立陽東高校の入試を数日後に控え、学生の足取りも思わず逸るこの時節。

 

「スカウトされたぜ! ドヤァ」

 

 五反田スタジオ(仮)もとい、五反田家たるマンションの一室に扉を吹っ飛ばす勢いで少女が飛び込んで来た。

 そんなルビーちゃんの開口一番。

 五反田監督は吹かし煙草で煙を吹き、アクアは作業台から振り返りもしない。丸一年後の受験より先に目前の学年末テストをどうにかせねばならぬ己は、悪戦苦闘していた数学の参考書から顔を上げて申し訳程度の拍手を送る。

 

「おぉよかったじゃあねぇか」

「いやよくはないだろ」

「ん? ルビーお前、苺プロに籍置いてるんじゃなかったのか?」

 

 監督がそう漏らし、己もまた思い出す。

 ほんのつい最近のこと。なんやかんやと揉めはしたが結局ルビーちゃんもまた母御と同じアイドルの道に進んだ。それに当たり、他事務所や新興のアイドルプロダクションではなく、ある種()()とも呼べる苺プロに所属を決めたことは自然の成り行きだった。

 

「マネジメントやプロモーションを提携か委託かしてるならともかく、事務所の掛け持ちは原則御法度だ。ミヤコさんが言ってただろ。訴訟案件だぞ」

「わかってるよ! ちゃんとお断りしたし! ただ自慢したかっただけだもん!」

「かっかっ、おうさ、ルビーちゃんはそれだけ魅力的だってぇ話だ。アクア坊は褒め下手でいけねぇや。なぁ?」

「そう! ほんそれ! さっすがおじさんわかってるぅ! せんせってばダメダメ。女の子の気持ち勉強し直しでーす」

「ルビーが可愛い、なんて事実を今更言うまでもないと思ったまでだ。街で見かければ俺だってスカウト掛ける」

「っ……そ、そーですか。それなら、まあ、よしとしませう」

「くっ、はっはっはっ」

「あぁ! そこのおじさん笑うなし!」

 

 真っ赤な顔でこちらを指差すルビーちゃんは、アクアの言葉通りの可愛らしさだった。

 

「くっふふ、お前さん方の初々しさはいつもながらこそばゆいったら」

「うるせぇ」

「くぅ、中二のくせに生意気な……」

「中二の貫禄じゃねぇけどな」

 

 監督の尤もなぼやきには素知らぬ顔をしておく。

 己の場合、肉体がいくら若返ったところで老いさらばえた精神まではどうにもならなかったようだ。

 ルビーちゃんなどは生前が幼かったとあって現在の年齢感にも然程ギャップはない。アクアの方は、本人曰くかなり引っ張られている、とか。

 そういった兆候が見えないでもない。

 雨宮吾郎であった男にして星野アクアである少年。間違いなくかの者とこの者は同一人物だ。そればかりは請け負う。理屈を廃した勘働きの確信がある。腐れ縁の高校三年間、そして三人一緒に過ごして騒いで笑ったあの病室での数年間。

 アクアは、雨宮は変わっていない。多少冷笑的で偽悪趣味に傾倒する節も見えるが。

 ルビーちゃんがしたり顔で言う。

 

「それこそ中二病ってやつだね」

「こちとら余裕で四十路越えだっての」

「かっかっ、早いもんだなぁ! となりゃあ五十ももう目と鼻の先だぜ」

「やめろゾッとする。そっちで他人事面してる子供部屋おじさんが特に傷付くだろ」

「勝手に被害者の会的なものに加入さすな。四十越えりゃあとは惰性だ。マジでどーとも思わなくなっから心配すんな」

 

 ルビーちゃんも何一つ変わっていない。すくすくと元気に育ってくれた。

 それが仮令、天魔の悪戯に等しい仕儀によって与えられた理外の命であっても。

 それはなにものにも代え難い幸いだった。

 

「っていうか、ホントは名刺も貰うつもりなかったんだけどね。これも無理矢理押し付けられたやつだし。一駅分くらいは付いてきてたんじゃないかな? めっちゃ粘るんだもん。正直最後の方は笑っちゃった」

「ふむ……?」

「……今時のスカウトマンにしては下手な、というか低能だな。強引に詰め寄って話が上手く運ぶ訳ないだろうに」

 

 アクアはやや皮肉げに言い捨てた。

 しかし己も概ね同感だ。ただでさえ詐欺だの悪徳だの警戒され、また情報も多く出回る世の中。素人のナンパでも今少し慎重だろう。

 

「ルビーちゃんや。ちょいと名刺を見せてくれるかい?」

「いいよー」

 

 寄越された紙片を検分する。

 ずずいとアクアも覗き込んできた。

 

「……この事務所はぁ、なんだ。多少は()()()()んのか」

「実績があるかって言いたいのか? 検索掛けた感じだと、可もなく不可もなく」

 

 言われるまでもなくパソコンに事務所名を打ち込んだアクアが、検索結果を流し見て言った。

 

「事務所は渋谷区……」

「ほー、一等地じゃねぇか」

「そんな大層なところじゃない。見ろよ、コンビニ誘致してるただの雑居ビルのワンフロア。資本金も……中小以下だな」

「かっかっ、こりゃまた猫額だなぁおい。苺プロが輝いて見えるぜ」

「ホームページから拾える情報はあまりない。スケジュール欄スカスカ。まあ今時プロモーションの主戦場はSNSなんだろうけど」

「アイドルに一家言お持ちのアクア坊から見てどうだい。このアイドル事務所さんは」

「将来性が見出せないのでアウト」

「だそうだぜ、ルビーちゃん」

「話題持って来といてなんだけど、可哀想なくらい評価激辛で草」

「シスコンめ」

「家族愛です」

 

 五反田監督の忌憚のない感想にも、アクアは頓着しない。

 ルビーちゃんは、嬉しげにも寂しげにも見える切ない顔をした。

 少女の複雑な心境に思いを馳せようとして、思い留まる。己の如き粗略漢がそんなものを慮ったところで詮無いこと。分不相応というものだ。

 アクアとルビーちゃん……雨宮とさりなちゃん。己は祝福しよう。

 どのようなことになろうと、道ならぬ未来であろうと、心から言祝ぎを惜しまぬ。

 男は一人、手前勝手に祈念した。

 

 

 

 

 

「将来性、なんて言ったけどさ」

「ん?」

 

 出し抜けにアクアは口を開いた。

 宵の口にはまだ遠いが、外はいつの間にやら一面群青の夜闇。日暮れの早まりを否応なく知る。

 こうしてマンションの近場まで星野兄妹を見送るのが、ある種己の日課だった。

 軽やかに夜道を征くルビーちゃんの背に続く。

 ローファーの硬質な、便所サンダルの軽々しい足音が並んで歩く。

 

「違和感があった。ユーチューブで公式に上げてる動画、ここ二ヶ月くらいで更新頻度がガタ落ちしている。それだけなら単なる経営難かとも思えたけど……問題はグループメンバーのSNSの方だ。明らかに検閲が入ってる」

「検閲? 会社側が所属タレントのアカウントを見張ってる、ってぇことか。そいつぁ、言っちゃなんだが今時そんなに珍しいことかね?」

「珍しくはないな。もはや当たり前と言い切ってもいい」

 

 あらゆる行動や言動がスキャンダルに昇華、もとい悪化する現代。芸能を生業とする者ならば、大なり小なりその辺りの管理も厳となろう。

 だが、そんな道理を百も承知のアクアが宣うのだ。違和感があると。

 

「文体が、なんか変だ。コピペとは違う、語尾やワードチョイスに癖みたいなものがある。まあ、チェック担当してる人間が同じなんだろうけど。明らかに初期より個人的な投稿が減って、内容の縛りもきつくなってる……うん、やっぱり二ヶ月前からだな。ログを遡った感じだと」

「あぁ? もうそこまで読んだのか。ついーとだかコメントだかをよ」

「流し見た程度だけどな。医学書10ページ読み込むよりは楽だ」

「かかっ! そんなもんと比べてどうする。しかし…………臭ぇな」

 

 この臭いには覚えがある。

 十年ばかり、それを嗅ぎ分けることだけに腐心してきた。

 

「……おい」

「ん?」

「馬鹿なことは考えるなよ」

「さぁて」

「藤咲」

 

 ひどく険を孕んだ声が己の横っ面を叩く。

 振り向いた少年の貌は怒りの形を成しながら同時に、不安そうにその両瞳を揺るがせていた。

 

「おいおい懐かしい方で呼ぶんじゃあねぇよ。うっかり誰かに聞かれちまったらどうする」

「茶化すな……! 今回のことはこれで片が着いただろ。怪しいアイドルプロダクション擬きなんて放って置けばいい。ルビーは苺プロの立派な所属タレントだ。規約と法律があの子を守ってくれる。なにより、ルビーには俺達がついてる。お前はっ……お前はもう刑事じゃないだろ」

「……」

「なにもしなくていい。ただ、普通に第二の人生謳歌しろよ。しててくれよ……俺とルビーの傍に、いてくれよ」

 

 そんな、夜気に消えいってしまいそうなほど微かな囁きが、重く、なにより重く。

 

「それだけでいい。もうそれだけで」

「……ああ」

 

 髪間にも、翳る少年の眼差しが見える。

 悲しげに言葉を絞り出す、痛ましい旧友の姿。

 その切望は、己などには勿体ないほどだ。こんなものを望んでくれる、そんな誰かがこの世に一人、あるいは二人も。

 果報者だ。

 やや猫っ毛の少年の髪をくしゃくしゃと撫でる。

 

「わかったよ。ちゃあんとわかってる。だからそんな顔するな、アクア坊」

「……坊って呼ぶな。同齢(タメ)の癖に」

「くくっ、そうだった。ついな」

 

 恥ずかしそうに目を逸らす少年の肩に腕を回す。わざと体重を預けてやると、アクアは鬱陶しそうに身を捩る。それでも決して、振り解こうとはしなかった。

 

「あぁ! まーたそーやってイチャコラしてるし!」

「うおっ!?」

「おぉっと」

 

 ルビーちゃんは小走りに近寄ったかと思えば、そのままの勢いで跳び掛かって来る。

 アクアと二人、宙を舞った少女の体を受け止める。

 

「なにさなにさ。男同士で仲良く内緒話ですかー?」

「おうさ。愛らしい娘さん相手にゃとても口に出来ぬようなあれやこれよ」

「ふっ、思春期ですまんな」

「サイッテー! エロガキ共め!」

 

 乗り良く威勢良くルビーちゃんは我らの耳を片方ずつ引っ張る。

 

「せんせとおじさんは私から目を離しちゃダメなんだから。二十四時間全力でかまうの! さあかまえ!」

「いだだだ。おぉいおいおい堪忍してくれぃルビーちゃん」

「痛いマジで痛い! ごめんてルビー! いやルビーさんルビー様!?」

 

 男共の情けない悲鳴を聞き入れてルビーちゃんはそれぞれの耳を解放する。代わりとばかり、その細い両腕がアクアと己の片腕に絡んだ。

 俺達の取り扱いをよくよく心得た少女は、痛みを帳消しにしてしまうような極上の顔を見せてくれた。

 この今に、目一杯の幸福を謳う。星よりも、月よりも輝かしい笑顔を。

 

 

 

 

 

 数日後。

 その日は陽東高校の面接試験があった。日本で数少ない“芸能科”を学科に持つ学校。

 ルビーちゃんの第一志望校であり、彼女は当然芸能科を受験した。

 一方アクアはと言えば、そんなルビーちゃんの身を案じて同じく陽東高校の一般科に出願している。少々過保護とも思えるが、己もまた来年同じ真似をしようと画策しているのだから他人のことを言えた義理ではない。

 母御譲りの容貌と天真爛漫さのルビーちゃん、国立医大出のアクアなど語るに及ばず。

 本日放課後の現在、星野兄妹らの気の早い祝勝会の為、俺は繁華街へと出向いた。

 待ち合わせ場所の駅前、日本一有名な犬の銅像を横目に周囲を見渡す。

 すると程なく目当ての少年と少女。

 と、もう一人。

 

「ん?」

 

 リボンをあしらったベレー帽。白いスカート……サロペットとか言うのか?

 要は可愛らしい娘さんが、星野兄妹と同行している。

 

「ロリ先輩! 邪魔だから帰ってください!」

「こいつ……! もはや取り繕いもしねぇ! 私はアクアに用があるだけよ!」

 

 いや、あれは食って掛かっていると言った方がよい有り様である。

 

「今日はお兄ちゃんと足長おじさんが私星野ルビーを盛大に祝福する日なんですー。重曹が大好物の変な人はお呼びじゃないんですー」

「変な設定付与すんな殺すぞ!?」

「一応俺の合格祝いも兼ねてんだけど。いや、まだ結果は出てないが。それにどっちかと言うと危ういのはルビーの方だし」

「ふ、不吉なこと言わないでよ! お兄ちゃんどっちの味方!?」

「そうよ! はっきりしなさいよ!」

「くだらないとこで共闘すんな」

 

 くだらない言い争いを前に、よほど踵を返そうか悩んだ。

 しかし生憎と、先にアクアの方が己の姿を見付けてしまった。まるで地獄に仏と、いやあれは道連れを見付けた亡者の目か。

 

「逃げんなマシラァ!」

「おじさぁん!! 聞いてよお兄ちゃんが!!」

「……誰!?」

 

 申し分なく騒がしい。周囲からの注目が実に痛い。

 とりあえず、おバカな兄妹の首根っこを掴んでその場を離れる。

 

「こんにちは、お嬢ちゃん。俺ぁ五反田マシラという。お名前頂戴できますかい」

「有馬かな……くうっ、えぇえぇどうせそんな程度の知名度ですよ!!」

「いきなりどうした」

 

 また賑やかなのが増えちまったなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

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