コインパーキングの塀にもたれて仲良く気を失った男達三人。
あまり柄のよろしくない風貌も相まって、傍目には酔っ払いが眠りこけているように見えるのだろう。時折道を過る通行人は皆一様に我々には無関心だった。
都会人のそんな冷ややかさが今は実に有り難い。
車止めに腰を下ろし、押収したスマホを弄くる。スカウトマン、
「さてさてちょいと検めるが、よろしいかな兄さん? ん? ほう? そうかいそうかい。いやそいつぁ助かる」
「なに一人芝居してんだよ」
ふと、傍らに立つ。
耳馴れた声に顔を上げれば案の定、そこには見馴れた少年の姿。
「おい、先に帰れと言うたろうが」
「承服した覚えはないんでね」
「ルビーちゃん達はどうした」
「抜かりはない。お目付け役を呼んどいた」
「目付だぁ?」
「うちの社長」
我らが苺プロダクションは代表取締役斉藤壱護。あの男が自身の抱えるタレント達に対して少々過保護になったのは、やはりかの娘を襲った凶行を忘れられずにいればこそなのだろう。
未成年の若手俳優に電話一本でこき使われてしまう程度に、それは筋金入りだ。
昏倒した男達を見て、アクアは目を細めた。
「こいつらは?」
「襲い掛かって来たんで返り打った。ま、正味二、三時間は起きねぇだろう」
「お前なぁ」
「おいおいこりゃ正当防衛だぜ。きっちり加減もしてやった。とはいえ、己の探りにこうも過剰な反応を示すあたり、後ろ暗さは多大らしい。ふむ……ならば一丁、その道の生き字引に教えを請うか」
「?」
「斉藤の旦那にかけてくれ」
アクアは一瞬考え、すぐに己の意図するところを察した。
少年自身のスマホに登録された番号を呼び出す。ものの2コールでスピーカーからはがなり声が吹き出した。
『アクア! どういうつもりだこら!?』
「どうどう。そういきり立つな」
『あ! マシラてめぇこの野郎! またなんかトラブルに首突っ込んでやがるな!?』
「ご明察。いやはや流石芸能界の荒波を乗りこなす御仁だ。勘が冴えてらっしゃる」
「あんま煽るなよ。接待受けてる途中だったみたいで、中断されて機嫌悪いんだから」
「それを先に言わねぇか」
『聞こえてんぞ! アクアてんめっ覚えてろよ!』
電話口の怒声の背後、低く唸っているのはエンジン音。車中と思しい。
「お叱りは後程たっぷり承ろう。今はちょいと知恵を借りたい」
『言われなくても説教三時間コースだ……んで、なんなんだ。いきなりアクアに呼び出し喰らったかと思えば、ルビーと、何故か一緒に有馬かな拾って家まで送れとか』
「まあかいつまんで言うとだな」
これまでの経緯を簡潔に告げる。
ルビーちゃんが受けたスカウトと、そのスカウトマンとやらのやり口、そして。
「何処の組のもんだ、ケツモチは何処の誰だ、お前の出自くらいすぐ調べはつく云々と題目並べたかと思えば、人目が少ないところへ着いた途端躊躇なく殴り掛かって来た。己の印象だが、こいつは手馴れてやがる。脅し賺し小突き蹴り回して他人に言うことを聞かせる。暴言暴力に馴染み切った手合い……おそらく恐喝の常習犯だぜ」
『……その事務所の名前は聞いたことがある。アイドル好きを公言するよくいるタイプの新参だ。ただ近頃悪い噂がある。裏社会と繋がりがあるだの、自分のところのアイドルをごり推す為に主催側を脅しただの、目が出なかった娘をAVに出させた、風俗に売っただの』
「碌なもんじゃあねぇな。経営者の名前はわかるか。こっちの手元にある情報と照らしたい」
『ちょっと待て』
そう言って斉藤社長は暫時沈黙した。車が停められる場所を探しているのだろう。
アクアを見やると、奴は男のスマホを操作していた。瞳に画面の光が映える。そうして不意にぽつりと。
「ところで、よくロックが解除できたな。お前そんなスキルあったのかよ」
「まさか。野郎が画面いじくってる最中に一撃で仕留めたのよ」
「あぁそういうやつね、はいはい……」
「ああうっかり電源は切るな。点け直しはできねぇんだ」
いつものように心底呆れ返って納得の吐息を漏らす。
そんな少年の様に、笑む。
サイドブレーキの引かれた音と共に、がさごそと身動ぎする衣擦れ。
『経営者の名前は富田ヤスフミ。元は飲食の経営で一儲けしてたそうだ。で、芸能関係者にお忍びの店を提供するんでわりと顔が利く』
「コネだけで成り上がろうたぁなかなか胆の太ぇ。いや面の皮が厚いのか」
『それもしかして俺に言ってんのか? あぁ?? ゴホンッ……こいつは元々がダークグレーな野郎だ。事務所の起ち上げ時に大手プロデューサーの名前を使ってスカウトや客寄せなんかをやって裁判沙汰になり掛けたこともある。結局、悪評を嫌った関係者が厳重注意だけで留めたが』
「その甲斐もなく、溝鼠色野郎は未だアイドル業界にしぶとく巣食ってやがるようだぜ」
「マシラ」
「ん」
どうしてか、アクアの声は逸っていた。スマホを見下ろすその目を顰め、眉間に皺を寄せる。
こちらに向けられた画面には、メッセージアプリの遣り取りが映し出されていた。
[もう一人は捕まりそうか?]
[今夜は複数でやる]
[顔がいい初物がいい。こっちのはいまいちだ]
[撮影は今夜]
[今日の味見役は五人で]
少年の指が画面をスクロールしていく。その度、似たり寄ったりな内容の吹き出しが続く。
「…………」
「動画があった。送られたのはついさっき」
ミュートにしたのはアクアなりの用心だろう。
手ぶれの酷い画面、背景用のホリゾントの前で、服を剥かれて下着姿の女が椅子に座らされていた。後ろ手を縛られ、目隠しに覆われた顔は俯いたまま。
そこに見える震えはヘボ撮影者の手ブレの所為か、それとも女の肌を粟立てる恐怖だろうか。
なにかのフィクション作品、あるいはジョーク動画。その可能性もゼロではない。
だが、そこに映し出された不快なまでのリアリティを己の勘は虚構とは判断しなかった。
耳に当てたスマホのスピーカーから斉藤社長の諫めが響く。
『その溝鼠はどうせ長生きしない。コネの多さは俺だって他人のこと言えた義理じゃないからな。こういう表に出てない黒い噂が方々から入って来る。だが、この富田とかいう奴はダメだ。調子に乗り過ぎた。遠からず、そうおそらくもう半月もしない内にだ。業界中に悪評が広まってすぐ干されるか追い出されるだろう。だから今回お前が出張る必要は……』
「そうも言ってられんようだ。これからその事務所に乗り込む」
『────なぬ!? おま、今乗り込むっつたかお前!? おいマシ』
『ちょっとおじさん!? なんかさっきから危なっかしいワード連発してるんですけど!?』
元気に溌溂とした怒声が耳孔を貫く。どうやらルビーちゃんが社長のハンズフリーマイクを奪い取ったようだ。
「おうルビーちゃん。なぁに大したこっちゃねぇさ。なにも心配要らねぇよ。お前さんの聞かん坊な兄貴はすぐに送り帰してやるからな」
『おじさんも一緒に帰るの!!』
「帰るとも帰るとも。野暮用を済ませてすぐに、な?」
『っ、おじさんっていっつもそれ……おじさんが無茶するなら私もそっち行くから!』
「ルビー、お前は来んな。この馬鹿は俺が見張っとくからさ。代わりに有馬に宜しく言っておいてくれ。途中で放り出して悪かったって」
己の耳元にあるスマホに頬を寄せてアクアが言った。
電話の向こうで、膨れ上がるような怒気を感じる。
『バカ!! おっさん二人してはしゃいでんじゃねぇよ! 知らない! せんせもおじさんも嫌い! バカ! バーーカッ!!』
ぶつりと通話が途絶える。
少女の罵声はさながら頭蓋を貫通するような烈しさだったが、それはどちらかといえばむしろ胸を衝いた。
「こりゃ後で平謝りだなぁ」
「お前はまだいいよ……俺なんて家で罵詈雑言の嵐だぞ」
「モテる男は辛いねぇ。まあこれも可愛い妹を持ったお兄ちゃんの宿命と受け入れな」
「よし、なにがなんでもルビーと俺とで共闘してやる。二体一の構図で徹底的にやるぞこら」
投げ捨てたハンズフリーのイヤホンがダッシュボードで跳ねてシートの足元に落ちる。社長が慌ててそれを拾い上げて傷が無いか確かめていた。会社の備品ではなく私物なのだ。
腹立つ。全部が腹立つ。
「いつもいつもいつもそうじゃん……私だって、せんせとおじさんの役に立ちたいのに……なんでさ。私、そんなに信用ないの……」
信用なんて────ある訳がない。
あの日、マンションの一室で、私があの男にしようとしたことをまさか忘れる筈がない。
私の、罪を。
そして、結果としてその清算をしたのは。その命を、代償にして私を守ったのは。
「…………」
「……もう、訳わかんないわ。この状況」
後部座席で膝を抱える私を、ロリ先輩が怪訝そうに見詰めて来る。
今はその可愛らしい顔面すら憎らしい。その言い分がわりと100%正論なところなんかも認め難く憎たらしい。
「あの男共、一体なにやらかすつもりなの?」
「悪徳アイドル事務所に殴り込みに行くつもり」
「ごめんもう一回言って」
社長が運転席で乙女みたいに顔を覆って泣き出した。
ロリ先輩は幼児みたいな愛らしい顔に乾いた笑みを浮かべた。
「芸能界に巣食った溝鼠を駆除しに行くって言ってんの!」
私はヤケクソで叫ぶ。
私を置いていくあの人達を。この世で一番大事な三人の内の二人を、心底憎んで。