義祖母がホウレン草のお浸しを箸で和える。
その隣に立ち、己はジャガイモの面取りを請け負った。
キッチンカウンター越しのダイニングテーブルでは、メムちゃんとルビーちゃんが向かい合って行儀よく席に着いている。
「え、じゃあ監督の名指しだったの!?」
「単にお鉢が回ってきただけのこった」
「……私はあの映画嫌い」
糸こんにゃくと豆もやしを甘辛く味付けし、炒める。刻んだ細ネギを散らして彩りを添える。酒飲みなら炒める際に鷹の爪を足してもいい。
小鉢に盛ったそれをメムちゃんとルビーちゃんの前にそっと差し出した。
「ほれ、突き出しだ」
「ちょぉっと濃かったかもしれないわね~。ルビーちゃん、それにえーっと……メイちゃん! 先に味見してみてほら」
「わ、ありがとおば様。えへへへ糸こん好きー」
「おしい、MEMちょっす。わーい美味しそう! ではでは遠慮なく……うっ」
ちゅるりと小さな口でこんにゃくを含むや、メムちゃんはテーブルに面を伏せた。
それは、それは実に苦しげな声で。
「くっ、び、ビールに、絶対合うやつ……!」
「おぉ缶ビールならあるぞ? どうする自称高校生」
「自称言うな! で、でもぉ……」
「ここは私宅だぜ。誰も見ちゃいねぇさ。えぇ? ア○ヒか? キ○ンか? それともエ○スか? バド○イザーなんかもあるぞ」
「くおぉ悪魔の誘惑……! てかなにそのビールの品揃えの良さ!?」
「
あまり堂々と消費に貢献する訳にもいかんのでなかなか数が減らず、収納を圧迫して仕様がないのだ。
「135mlのミニサイズもあるぞ。いや若ぇのに信念一徹一本立ちなんてなぁ、なかなかできるこっちゃねぇや。そりゃあもう立派なもんだ、うんうん。だが、無理はいけねぇ。適度に自分を許してやっちゃどうだいメムちゃんよ」
「どこの地下労働施設!? くっ、屈しないもん! こちとら現役JK七年目じゃい! 嘗めんなよぉ!」
「もーおじさん、MEMちょのことあんまりいぢめちゃダメだよ~。ってかMEMちょもその返しでいいの?」
「そうよマーくんったら。女の齢なんてものはね、謎。謎よ。謎めいて陽炎みたいに有って無きが如し」
しなを作って艶っぽい声を出す婆様。その昔、バブル全盛の時代には夜の酒場で行きずりの男を煙管から吸ったモクの一吹きで虜にし手繰り寄せていたのだとかいなかったとか。
その想像は確実に脳に毒であろうから、己は努めて野菜を刻むことに集中した。
「十歳差なんて一瞬よ。ナンパ橋を渡り切るまでに少女が女になってしまうように」
「い、一瞬っすか」
「そうよぉ、マーくん老け顔だから。並んでたってどう見てもメイちゃんが年下にしか見えないわよ。どう? ねぇどぉお? 優良物件よこの子、見た目は堅気っぽくないけど根は優しい子なの。仕事はちゃんとするし、まあたまに荒っぽいけどちょっとワイルドなくらいが頼もしいじゃない! ね? 歳に似合わない包容力っていうの? メイちゃんなんかうちに来てくれたらもうずぅっと可愛がってくれるわよぉ。もう猫可愛がりよ」
「やめねぇか婆さん。あんまりお客を困らせるんじゃあねぇよ」
炒め合わせたジャガイモ、ニンジン、牛肉を砂糖と出汁で煮込む。その間に絹さやの下拵えを済ませておく。
「にゃははは、気にしないで。私は大丈夫だよーマッシー」
「…………」
「な、なぁにルビーちゃん? どしたの。お、おこ? おこなの?」
ルビーちゃんは暫時無言でじぃとメムちゃんの顔を見詰め。
「……許す! MEMちょ、おじさんをよろしくね」
「許された! いや任されても困る!」
「見なよ。告白もしねぇ内からフラれっちまったじゃねぇか。よよよ、おいちゃん悲しいよ」
「えー、ダメなのー? ちょっとやんちゃだけどいい人なんだよ? ちょっと勢いでヤクザ屋さん二、三軒潰しちゃうだけのお茶目な人なんだよ?」
「それをお茶目で済ませるルビーも大概だと思う……」
「顔、好みじゃなかった? 背高いよ? 手足長いからあすなろ抱きがオススメです!」
「今と昔合わせてもお前さん世代じゃあねぇだろ。よく知ってんな」
「あすなろて、私も名前だけは知ってるけど……うぅむ、なるほど……体格差がなかなかえぐい感じで……」
玉子焼き器で出汁巻きを裏返す己をしげしげと眺め吟味して、メムちゃんは微かに顔を赤らめた。
「おじさんおじさん、これ満更でもないんじゃない? 押せばいけるやつじゃない?」
「押せ押せよマーくん! いてこましたれ! 男と女なんてね、習うより慣れよ!」
「家に連れて来ちまったのは悪手だったかね」
「あ、あははは、困っちゃうね~もう。なんか、その、逆にごめんね?」
メムちゃんの度量の広さがせめてもの救いだ。
その時、ぬっと脇から伸びて来た手が切り分けたばかりの出汁巻き玉子を一つ摘み、その口へと放り込む。
「泰志! 行儀悪いでしょ! お客さんの前でまったくもうこの子は」
「んぐ……話が脱線してからが長いんだよ母ちゃん」
「あぁら脱線なんてしてないわよ。マーくんの話でしょ? こんな可愛い子達家に連れて来るなんて流石私の孫よ。それにひきかえあんたときたら」
「げっ」
五反田監督の顔色が変わる。それは実に分かり易い藪蛇というやつだった。
「孫の顔見せてくれたのはいいけど、お嫁さんはいつ連れて来てくれるの? あんたって子は映画以外はなんにも長続きしないんだから。前の彼女さんもそうよ、どれくらい? 一年も続かなかったでしょ。ホントあんたは女心とかなんにもわかってない。もう四十なんだからいい加減落ち着いたらどう……」
「映画の話じゃなかったっけぇ!?」
みるみる追い立てられていく我が義父の姿に居た堪れなくなる。ルビーちゃんもメムちゃんも呆れていいやら同情していいやらわからぬといった微妙な面相である。
助け船ではないが、少々無理矢理に閑話休題。
「えぇっとなんだった? おぉそうそう、役名もねぇ藩の刺客役。本来は殺陣師の若ぇのがやる筈だったんだが、なにが気に入らねぇのか監督がごねてな……『チャンバラじゃなく歴とした剣術できる役者連れてこい!』と。周りはとんだてんてこ舞よ。なんせ公開まで残り一月切ってたってんだから、堪ったもんじゃねぇだろうな」
「そ、それはまたハードな……でもそれでどうしてマッシーに話が行っちゃったの? 撮影所の、そのタテ師さん? と知り合いだったとか?」
「当たらずとも遠からず、いや素直に正解と言うておこう。厳密には、己が世話になっていた古流の師範とその撮影所付の殺陣師の師匠が旧くからの懇ろでな」
「……古龍?」
「MEMちょMEMちょ、モンスターをハントする方じゃないよ」
律儀にピコピコのジェスチャーをするメムちゃんに微笑む。
娘は小ボケが恥ずかしくなったか、そそくさと居住まいを正した。
「で、でも実際めちゃすごいよねそれ!? 剣の腕前で監督に選ばれたってことでしょ?」
「いやいや、手当たり次第慌てて集められた中で、偶さか監督様の老眼にこの白髪頭が目立ったってぇだけよ」
「んな訳あるかボケ。有無を言わせないキャスティング権持った超大物監督、それに選ばれちまったってことはお前が若手の中で明らかに異常だったって証明だ馬鹿野郎。演技でも人柄でもなく、その純粋な技量を買われた。それだけだ」
「かっ、大仰だのう」
「……ほぁー」
監督の言はまるで吐き捨てるようだった。一向に褒められている気はしない。
メムちゃんはといえば頓狂な声を上げ、そのままなにやら考え込んだ。
「どうしたどうした」
「んー、や、あのね。ああ別に私にはもちろんキャスティング権なんてないよ!? これは、なんというかプロデューサーさんとした世間話で、絶対本気で言ってるやつじゃないとは思うんだけど。顔が良いのは前提で、プラスなにか面白いキャラが欲しいって上から無茶振りされてるとか」
「??」
慎重に慎重を期した前置きを注意深く並べ立てた後、メムちゃんはおずおずと口を開く。
「……マッシーさ、『今ガチ』って知ってる?」