推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

26 / 99
是非もなし

 

 

 

 

 エゴサーチは芸能人の嗜み。

 そう言っていたのは同じ劇団員の誰かだった気がする。

 アンチコメントは人気の裏返し。

 慰めのような強がりのような、そう嘯いていたのは、誰だったろう。

 

 ────じゃあ、()()すらない私は?

 

 誰からも見られず、気に掛けられず、必要とされていない私は。

 

「……」

 

 撮影現場の廃校は山麓に位置している。

 そこへ向かう車中で、スマホに起ち上げたSNSのアプリをぼうっと眺める。

 “今ガチ”“黒川あかね”。検索結果をスクロール、スクロール、スクロール、公式アカウントの宣伝を除くと、コメントはひどく少ない。

 “存在”“意味”。

 まるでそれに応えるように“ない”。

 黒川あかねは『今ガチ』に要らない。それが、視聴者の総意。

 そう見える。そうとしか見えないのだ。私には、もう。

 

 なんとかしなきゃ

 

 なんとかしなきゃ

 

 頑張って、与えられたチャンスに報いる為に

 

 頑張って、私を支えてくれる人達に応える為に

 

 このままじゃダメこのままじゃダメこのままじゃダメこのままじゃダメこのままじゃダメこのままじゃ────

 

 誰よりも早く現場入りして作業を始める。

 木柵の南京錠を開け、校舎裏のミニ牧場に入る。ハイジやコッコ達のエサやりに始まり、彼女達の家の掃除、牧場の清掃、草取り、その後は畑の水やりと手入れ。校舎の屋上にはビニールハウスがある。トマトの他にナス、キュウリなどの果菜類はここで育てている。春先の気温と日差しでは十分な生育が難しい野菜は基本的にこちらで世話をする。

 

「え、あぁ屋上行くの?」

「あ、はい!」

「……固定以外の画要るかなぁ」

「…………」

 

 カメラマンさんが億劫そうにカメラを携え、カメアシさんとADさんが慌てて用意を始めた。

 ちくり、針で刺されたような痛みを覚える。胸に、その奥の、柔らかなところに、また一つ傷が増える。

 

 ……痛みに気を取られたのか、焦燥で頭が一杯だった所為か、ただ私が間抜けだったからか。

 私は、木柵の閂を差し忘れたことに気付かなかった。

 

 

 

 

「あ゛~ッ……まだ首痛ぇ」

「ルビーちゃんは柔術家の才能があるかもしれねぇな。今度組打でも教えてみるか?」

「やめろ俺が死ぬ」

「かっかっかっ!」

 

 送迎車から降り立って、アクアと共に現場入りする。

 校庭から正面玄関を横切り、横着して直接校舎裏の牧場へ。

 

「あの娘はとうに来てるんだろうなぁ」

「ん、ここのところ細かい作業をやった覚えがない……もう少しメンバーで分担を考えた方がいいな」

「真面目過ぎるのも考えもんだ。娘さん一人に無理させてちゃあ、あまりにも我らに甲斐性がねぇって────」

 

 踏み出した足が、止まる。

 皮膚に走るのは電撃染みた警戒感。獣に等しく鋭敏な勘働き。この肉体の、数ある異常な性能の一つ。

 そして、遅まきながら五感がそれに追随した。

 それを嗅ぎ取った。

 

「血の臭いだ」

 

 走り出した己に、アクアはこの上問いなどしなかった。背後の駆け足は一瞬にして遠退く。今ばかりは速度を合わせてはやれなかった。

 東側の校舎。山麓らしい鬱蒼とした雑木林を横目に、外壁の角を曲がれば牧場はすぐそこだ。

 数人のスタッフが立ち尽くし、それを囲んでいる。

 その真っ白な体躯を染め上げる鮮やか過ぎる色。彩。眼球の色覚を侵す、血の紅。

 あかねは、ひたすらに涙を滂沱しながらヤギを抱きかかえていた。

 光のない瞳がこちらを見る。罅割れ、砕け散る寸前の仮面のような顔だった。

 

「マ、マシラ、くん……ハイジ、ハイジが、ハイジがぁ、あぁっ……!」

「診せろ」

 

 おろおろとするばかりのスタッフを掻き分け、その場に屈み込む。

 出血は脇腹、乳房のやや上辺り。

 

「刺し傷。刃物ではないな……こいつは牙か」

「ど、どうしよう、どうしたら、いいの。ハイジが死、死んじゃう……私が、私がちゃんと柵の扉、閉めなかったから、私の、私の所為だ……!」

「しゃんとしろあかね! タオル! それから包帯だ! 急げ!」

 

 怒鳴られるやスタッフ達は弾け飛んだピンのように走り出す。

 

「アクア!」

「今近くの産業獣医を呼んだ。10分で着く」

 

 振り返ればすぐ傍で、スマホ片手にアクアが言った。

 番組雇いの獣医は今この場にはいない。この抜け目ない男のこと、こんなこともあろうかと予め地元の獣医をピックアップしていたに違いない。

 アクアが加わり、てきぱきとタオルで圧迫止血する。注意深く触診し、ハイジの体に耳を付ける。

 

「ヤギの心拍は……え、っと……70か80……呼吸数……失禁なし、痙攣なし……出血量…………大丈夫だ、あかね。傷は浅い。これは助かる」

「ッッ! は、ぁ、あぁ……!」

 

 震えるように、娘は声を殺して泣き出した。

 

 

 

 

 

 

 ハイジの身柄は産業動物臨床獣医師の手に委ね、スタッフを医院に残して俺とアクアは現場に戻った。

 

「マッシー! アクたん!」

「ハイジは!? ねぇハイジが怪我したって!? ハイジは!? どうなったの!?」

「無事だ。骨も内臓も異常はないそうだ。傷口を少し縫ったが、しばらく入院すればまた元気になる」

 

 走り込んで来たゆきを抱き留める。泣きながらシャツを引っ張る娘を落ち着かせ、動揺するメンバー達へ向き直る。

 

「猪だ」

「いのっ、で、出るのか? ここ」

「いや最初の説明の時Dも注意喚起してたろ」

 

 ノブユキの頓狂な声にケンゴが呆れて言った。

 とはいえ寝耳に水には違いあるまい。

 

「今までは痕跡一つなかったからな。忌避剤を撒いて、夜間自動点灯するLEDライトなんかも設置しちゃいたんだが」

「私らの知らない間にそんなことしてたのマッシー……」

「それも効果がねぇとあっちゃ話にならねぇや。今回はすっかりと意表を衝かれちまった」

 

 農作物に対する獣害はある程度覚悟していた。しかし、比較的頑強に作った柵で飼育していた家畜が先に襲われるとは。

 いや、これも油断だ。

 返す返す想定が甘かった。

 

「すまねぇな」

「えぇっ、なんでマッシーが謝るの」

「こんなんどうしようもねぇよ」

「悪いのはその豚野郎でしょ! よくも、よくも私のハイジを! 今度来たら捕まえて掻っ捌いて喰ってやる……!」

「やめろよ。危ないことすんなよ……ってか恐ぇよゆき」

「うーん、目がマジなんよこの子……」

 

 獰猛に殺気を滾らせるゆきに、メムちゃんとケンゴが引き、ノブユキは怯えた。

 さても、大事なメンバーの内の一頭を失わずに済んだ。それは素直に、喜ばしく思う。

 

「……なあ、あかねはどうしてる?」

 

 アクアの問いに一瞬、少年少女達は気まずげに沈黙した。

 おずおずとゆきが口を開く。

 

「落ち込んでた……ずっと、自分が柵の閂を差し忘れたから、ハイジが外に出て……襲われたんだ、って……泣いてた」

「俺らがあかねにばっか仕事を押し付けてたからだ。あいつの真面目さに甘えて……」

「……そうだね。でも今回のは丸っきり事故! 誰かの所為にするのはもちろん、誰かが一人で思い詰めることでもない。マッシーもだよ」

「かっかっ、釘刺されちまったよ。さっすが年長者は頼りになるねぇ」

「ん゛ん゛っっ、そ↑ そりゃあね!? 私十八だからね!? 年上だもんね!?」

 

 笑ってやるのは酷なのだろうが、この娘のこれはどうにもこうにも愛らしい。こうして悪戯心が疼いてしまう。

 その時。

 

「き、君達!」

「ん?」

 

 突如、男がこちらに駆け寄って来た。

 中肉中背で髪は黒より白いものが目立つ。普段は穏やかなのだろう眼鏡を掛けたその面持ちは、今は焦燥と狼狽で染まっていた。

 

「あかねのマネージャーさん」

「どうしたんすか?」

「あかねっ、あかねを見なかったか!? 待機所にも車にもいない! 見付からないんだ! どこにも!」

「は?」

 

 唖然とする一同。

 己とアクアは視線を交わす。

 アクアはスマホを取り出し、あかねの番号をコールした。

 己は山野へ駆け込んだ。五感を研ぎ澄ませ、地を蹴り、樹幹を蹴り、枝を跳び、宙を踊る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分がどこをどうやって歩いて来たのか、もう思い出せない。

 ただ、ただ、血の暖かさだけが、この手に残っている。ハイジの荒い息遣いと、弱々しい鳴き声が耳にこびり付いて、離れない。

 痛かったろう。怖かったろう。

 

「ごめん……ごめんね……ごめんね……」

 

 心はぐちゃぐちゃだった。

 自分はなにをしてるんだ。なんてことを仕出かしたんだ。

 アクアくんは大丈夫だ、大丈夫だと繰り返し言ってくれた。けれど、一歩間違えれば。

 アクアくんとマシラくんがいなかったら、ハイジは。

 私は自分の焦りと悩みを言い訳に、してはならないミスをした。命を、取り落とすところだった。

 

「私、最低だ……」

 

 いっそ、このまま消え去りたい。

 あるいはハイジと同じ傷を負って、同じ苦痛を味わえば。

 

 そんな私の世迷言を、神様は聞き入れたらしい。

 

「え……」

 

 森の中、分厚い枝葉の屋根が陽の光を遮る薄闇。そんな中でさえ黒々とした体躯が、黒い穴のようにそこにいた。

 荒い気息、腐葉土の臭いよりきつい獣臭。

 四足で立っているのに、その猪の頭は私の胸元に届く。分厚い毛皮に覆われた大きな姿。

 鋭い牙が下顎から尖端をこちらに向けている。

 あれで、ハイジは貫かれたんだ。

 

「はぁ……はぁ……はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 心臓がでたらめな速さで鼓動を刻む。息が上がる。

 これが報い。

 これが罰。

 ああこんなにも怖い。私は、こんな怖い思いをさせたんだ。

 だからこれは、仕方のないこと。

 

「ごめん……」

 

 奇声を上げて猪が向かってくる。人間なんて一溜りもない。

 呆気ないな。

 

「あかね!!」

「っ!?」

 

 突然、横から思い切り何かに突き飛ばされ、諸共に地面を転がる。

 土と枯れ葉塗れになりながら、思わず閉じていた目を開けると、そこに。

 

「か、かな、ちゃ……なんで……!?」

「なんでじゃあるかこのボケ!! 猪出たって聞いてなんで一人で出歩いてんのよ馬鹿なの!? アホなの!?」

「だ、だって、だって私……!」

「だっても糞もない! 立って! 立つのよ早く!」

 

 無理矢理に引き起こし、かなちゃんは私を庇うように後ろへ追いやる。

 黒い巨体は、ゆるゆると杉の木を巡って、またこちらに近付いて来る。もう一人人間が増えて警戒してはいるけど、すぐにも。

 

「かなちゃん逃げて。私なんて置いて」

「うるっさいネガ女。今のあんたの言葉なんて聞く耳持たんわ」

「ネガッ、な、なにそれ!? ネガって……はいるけど、でも、このままじゃかなちゃんまで……!」

「……ホント、どうしよっか?」

「なんか考えあるんじゃないの!?」

「ないわよ! どっかの馬鹿女が危ない山にふらふら分け入ってった所為でこちとら慌てててなんの準備もない!」

「また馬鹿って言った!? ノープランの癖にこんな時まで偉そうだし! あぁぁああぁああムカつく!!」

「案外元気じゃない!? バーカ!!」

 

 その時、ポケットの中でスマホが鳴った。私とかなちゃんがぎくりとして、目の前の猪も心なしかびくっとした。

 取り出し、通話をタップ。

 

「も、もしも」

『あかね! 何処だ!?』

「あ、アクアくん……! わ、わかんない。今、い、今、目の前に猪がいて……」

「貸しなさい! アクア!? なにしてんのよ早く助けに来なさいよ!」

『有馬か! あかねと一緒なんだな!?』

「そうよ! 今まさに大ピンチよ! 猪って想像してた三倍でかいわ! めっちゃ怖い!!」

 

 猪が苛立たしそうに前足で地面を掻いた。

 それは明らかに、突進の合図だった。

 

「っ! アクア……ど、どうすればいい? どうしよう。ど、どうしよう」

『叫べ有馬』

「な、なんて」

『いいから叫べ!!』

 

 猪が駆け出す。その突進はもはや爆発のようだった。

 10メートルの距離なんて、もうあと一瞬でゼロになる。

 その牙が、かなちゃんを。

 かなちゃんが、叫んだ。

 

「ア……アクアァーーー!!」

 

 風切り。影が、薄闇を切り裂くようにして、()()()()()

 真っ直ぐに猪の横面に命中した。

 ツナギを着た長身の男の人。林の暗黒に負けない白髪。

 猪を蹴り飛ばして、空中を宙返りしながら着地した。

 マシラくんの背中がそこにあった。

 

「アクア坊じゃなくてがっかりしたかい? かっかっ」

「マシラ!?」

「マシラくん!」

 

 ヴァアアアアアアアアアアアアアア!!

 

 恐ろしい咆哮だった。

 猪は怒り狂ってる。背中の毛が逆立ち、その体躯が怒気でまた一回り膨れて見える。

 

「見当で六尺強か。大物だなぁ」

「暢気に言ってる場合か!? どうすんのよ!?」

「お前さん方二人、抱えて退散しようかとも思ったが……どうもこちらさんに見逃す気はないらしい。学校まで引き連れて他の者まで危険に晒す訳にもいかん。ならば」

「な、なら……?」

「是非もない」

 

 マシラくんは低くそう呟くと、踵を付けて姿勢を屈める。

 右腕を引いて、掌を開いて指先を揃える。手刀?

 

「アアアアア……!!」

 

 猪が来る。今までで一番の勢い。速度。

 口から涎を吐いて、その目にはもう理性の灯はない。

 獲物を殺す獣の眼。

 マシラくんは待つ。あろうことか待ち受ける。

 

「ッッ!!」

 

 マシラくんの右腕が、文字通り膨れ上がった。ツナギの右袖、その肩から先が弾け飛び、布が千々に舞う。

 

「えええええええええ!?」

「ひぃぃいいいいいい!?」

「オォォォオオオオアアアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 獣を超える獣の咆哮。

 刹那、迫る猪、牙の鋭鋒。

 彼は踏み込む。下方から掬い上げるように、指先が空間を走る。

 高速の貫手が、猪の顎の下、首筋を捉えて。

 

 ────貫いた。

 

 

 

 

 

 

 山道を下りていけば呆気ないほどすぐに廃校の白い外壁が見えて来た。

 森は深く暗く、人間の方向感覚程度容易く狂わせる。

 

「一つ教訓だ。装備も帯びねぇ素人が、迂闊に山に入っちゃいけねぇよ。普段山菜取りやキノコ狩りの時だって専門の登山家先生が同行するのはこういう訳だ。わかったかい、お嬢さん方」

「あ、はい」

「すんまっせんした。ほんっとすんまっせんした」

「うむうむ、わかってくれりゃそれでいいのさ」

 

 我々を出迎えたメンバーの反応は上々。

 アクアは予想通りとばかり平淡、ゆきは目を輝かせ、ケンゴとメムちゃんは絶句、ノブユキは卒倒した。

 

「喜べ皆の衆、明日は牡丹鍋だぞ」

 

 背負った猪を揺すり、カメラに向かって俺はピースした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。