推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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とにもかくにも鍋パである

 

 

 

 

「無理するこたぁねぇんだぜ、あかね坊」

 

 作業場のシャッターは開け放たれていた。換気の為だろう。隅々まで清掃の行き届いた空間で、それでもなお微かに。

 この矢鱈滅多に利く鼻は、血と肉と腸の残り香を嗅ぎ逃すということがなかった。

 ここはその為の場所である。

 少女はグレーチングの上に差し掛かると、その歩みを止めた。己とアクアは少女の細い背中を見やる。

 その静かな息遣いの中に躊躇の響きを聞く。己がこの上問い、迷わせるからだ。またそう意図してのことでもある。

 この娘が負うべき責めなどもとより無い。

 仲間達の誰一人責めはしない。

 無いと言うのに。

 

「……それでも見届けたい。あの猪がこうなったのは……良いか悪いかじゃなくて、私が原因で、切っ掛けだから……せめて、最期まで」

「……お前さんは良い子だのう。心配になっちまうくれぇよ」

「気分が悪くなったらすぐに言え。これは気遣いとかじゃなく必要な約束だ。いいな?」

 

 少女は神妙に頷き、一歩を踏み出した。

 今日、ジビエの解体処理場に、己とアクアとあかねの三人は訪れている。

 食肉解体の見学は、『今ガチ』の方針を思えば不思議ではないが。

 

「……」

「では始めます。いいですか?」

「……はい」

 

 作業員が動き出す。

 作業空間の中心に、天井から鎖で吊るされた黒い被毛の巨体。既に息絶えて物言わぬ大猪の腹に今、ナイフの切先が刺し込まれた。

 

 

 

 脱骨し、部位毎に切り分けられた数々の巨大な肉塊。それら一つ一つをあかねはビニール袋に丁寧に梱包していく。

 管理番号を記載し、番組として譲り受けた分の枝肉をクーラーボックスに仕舞えば、解体作業は終了だ。

 あかねはそっと、台に置かれたクーラーボックスの蓋に指を這わせた。

 少女の身の丈を優に超える巨体が分割され、今やこの小さな樹脂製の箱の中に収まっている。

 

「辛いか」

「……」

 

 あかねは首を左右した。

 しかし娘はしばらくの間、じっと黙ったままその場から動くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 くつくつと鍋が煮える。荒削りの鰹と野菜から出た旨味たっぷりの芳醇な出汁を味噌でまとめた。

 薄切りにした肩ロースから深い牡丹色が消え、よくよく出汁を吸ってそれは実に肉々しい茶褐色に変わる。

 

「そろそろ良い具合だろう」

「うひょー! 私イノシシなんて初めて! ふつーの豚肉よりもっと『オッスオラ肉よろしくな!』って感じだね! 超美味しそう! 早く! ねぇ早くよそって!」

「うひょーて。見てあの目、キラッキラッよ。こんな輝いた目ここ十年芸能界で見たことないわ」

「それ有馬の周囲がやべーのか芸能界がやべーのか議論の余地があるな」

「ゆきってばいつの間にかこんなに逞しく育って……」

「……いや待て、初回からわりとこんなだったぞ」

「そんなゆきも可愛いぞー!」

 

 俄に盛り上がる食いしん坊共。椀、もとい丼を頭上に掲げ持って今にも鍋に飛び付かんばかりのゆきに待ったを掛けた。

 

「行儀が悪ぃぞ。まずは皆、合掌」

『はーい』

「然らば音頭取りはあかね坊、やってくれるな」

「えっ、わ、私?」

「おうさ。この中で一等誠実にこやつを看取ってやったのはお前さんだぜ。であればお前さん以上の適任はおらぬ」

 

 あかねは己の顔を見返し、次いで長テーブルに居並んだ面々を見やった。

 異存のある者などいなかった。

 あかねはひしと両の手を合わせ、瞑目する。紛れもなく娘からの黙祷。

 そうして、まるで恐る恐るに差し出すような声で。

 

「ぃ、いただきます」

『いただきます』

 

 あかねは率先して全員分の椀とゆきの丼を取り分けていった。

 まずは汁を啜る。

 

「……うむ、良い塩梅だ。臭すぎず、さりとてきっちり外連味もある。流石は山鯨、こいつぁ精が付くぜ」

「ははっ、薬食いって? 今はもう令和だよお爺ちゃん」

「クジラ? 薬?」

 

 己とアクアが笑うのを見て有馬嬢が不思議そうな顔をする。

 

「うんまぁー! イノシシしゅごい。麦ごはんと抜群に合うよぉ」

「糖質制限意識してるだけまだ、まだモデル……なんとか、体裁は踏み止まってる。たぶん……」

「既に手遅れだろ」

「あのビジュアルで食いしん坊キャラはむしろプラスじゃね?」

「めげないなーノブくん。それは紛れもなく愛だと思うよ。届いてるかはさて置き」

「花より団子ってマジなんだな。勉強になったわ」

「一味も合う! ピリッとしたアクセントが加わってこれはもう箸が止まらないよぉ」

 

 賑やかな少年少女らを横目に、ふと隣席の様子を窺う。

 あかねは手の中の椀を見下ろしていた。箸は猪肉を掴んだまま静止している。

 

「……やめておくかい?」

「ううん、大丈夫……いただきます」

 

 改まって言うや、あかねは肉を頬張った。

 じっくりと噛み締め、咀嚼し、飲み込む。人が物を食う様をあまり繁々と眺めるのも無作法だが。

 それを一時忘れて、己は娘子を見守った。

 滔々と涙を流しながら、椀を平らげていく娘子を見守った。

 

「美味いか?」

「っ……っ……」

「そうか。ゆっくり、味わって食ってやりな。どら、お代わりするだろう?」

「うん……」

 

 椀に具材をよそい入れ、娘に差し出す。

 あかねはそれを殊更大事そうに両手で受け取った。宝物でも捧げ持つような仰々しさで。

 思わず笑みが零れる。可笑しいやら嬉しいやら。

 

「くっふふふ、かっかっかっ」

「っ、な゛、なんで笑うのぉ、マ゛シラくん……」

「かっかっすまんすまん。許せよ」

 

 洟をずるずると啜って、涙でぐずぐずに崩れ始めた化粧の顔。

 年頃の娘さんの有り様と呼ぶにそれはあまりに頑是ない。

 ただ不器用でひたむきな、自身を飾り立てる嘘を吐けない真面目な子。

 

「お前さんは優しい子だよ。あかね坊はまこと、優しくって良い子だよ」

 

 頭に触れ、毛流れをなぞるように撫でる。我ながらまるで仔犬や仔猫を愛でるような手付きだった。

 

「マシラくん……」

「悪かったな。お前さん一人になにかと気負わせちまって。世の常よ、口性(くちさが)ない奴らは幾らでもいるだろう。気にするななんてのは、生真面目なお前さんには難しかろうなぁ。だが一つ、今日ではっきりしたこともある。わかるかい?」

「……?」

「今ここでこうして暢気に肉掻っ食らってる連中は、徹頭徹尾お前さんの味方だってぇことだ。妙ちきな番組に、ほんの一時寄り合った喧しい面子だが、ノリがいい。根が素直だ。食い気が多くて実に、扱いやすい」

「おい」

「一応これでも乗り遅れないように頑張ってんだからね!?」

「その妙ちきな番組の元凶が言っていい台詞じゃないからな!?」

「私は美味しいもの食べられるからこの番組好き」

「俺は一杯食べるゆきが好きなんで結構Win-Win」

「なんかブレーキ役として呼ばれたらしいけど諦めたわ」

「お前のキャスティング許したプロデューサーが悪い。もっと言うとこいつを呼んだMEMちょが一番悪い」

「マシラ呼んだのってMEMちょなの!? これは……うん、ギルティですわ」

「なんでこんな劇薬をよりによって恋愛リアリティーショーに!? 一瞬考えればわかったよな!? なぁ!?」

「アッハハハハ! ウケる。じゃあMEMちょがセンパン? ってやつだ」

「うおおおアクたんの裏切り者ー!!」

 

 方々から箸が寄って集ってメムちゃんの椀から肉を取り去っていく。ネギと水菜だけになった侘しいそれを、娘はしょんぼりしながらもしゃもしゃと食んだ。

 無体な様に思わず笑う。

 傍らであかねも堪え切れずといった風に吹き出した。

 

「くっふふ……お前さんがひたむきで、頑張り屋だってぇこたぁ十分カメラの向こうに伝わったろう。足りねぇってんなら我ら一同でこれからも推し挙げるまでだ。執拗に、徹底的に、視聴者共に嫌というほど思い知らせてくれよう」

「それ、嫌って言われたらダメなんじゃないかな……でも」

 

 あかねは頭に載った己の手を取り、頬に滑らせた。

 

「ありがとう……すごく、嬉しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐすん……ところで前から気になってたんだけど、なんで『あかね坊』なの? 私って……そんなに男っぽいのかな……」

「坊ってぇのはなにも男児だけをしてそう呼ばわるんじゃあねぇんだぜ。赤ん坊、瓜坊、食いしん坊に甘えん坊ってなもんで」

「ゆきは食いしん坊。じゃあ私は……甘えん坊?」

 

 小首を傾げる娘に微笑む。

 

「いいや、幼気(いたいけ)で可愛い小ちゃな子。だからあかね坊はあかね坊なのさ」

「っ、そ、そう、なんだ……そうなんだ……」

「あぁ不愉快だってんなら」

「そんなことない!」

 

 音量調整を誤ったか、娘は恥ずかしそうに俯いた。

 

「……あかね坊でいい。マシラくんには、そう呼んでて欲しい」

「そうかい。では有り難く、そうさせてもらおう」

「えへへ」

「かっかっかっ」

 

 

 

 流し台で鍋を洗いながらメムちゃんは目を見張る。

 

「マッシーが……あのマッシーが、れ、恋愛要素を復活させた!?」

「焼け石に水だろ」

「もうとっくに手遅れだよな」

「そもそも恋愛なの? あれ、仔犬が飼い主見付けたみたいな顔よ。くっ、のっ、イノシシの脂ってっ、こんなに頑固なの!?」

「あー、確かにあれは恋愛じゃないな。強いて言えば親子というか師弟というか……ダメだ、浸け置きしとこう。重曹ならある」

「あぁ……美味しかったなぁ……次はシカだね」

 

 メムちゃんは面々の口性なさに閉口し、鍋洗いに戻った。

 

「ンベェー」

 

 早々退院したハイジが、食んでいた干し草から顔を上げて暢気な鳴き声を上げた。

 

 

 

 

 

 

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