星野
ひょんなことから死んでしまった俺は、さらにひょんで不可思議なことにアイの双子の嬰児に転生した。
吃驚仰天とかいうレベルを通り越してもはやこの世の不条理をただ呆れるしかない。そうやって自分を受け入れ、肉体の使い方に馴染むまでに随分時間が掛かってしまった。
転生を自覚してから二年弱。ようやく、立って歩いてもまあ不自然ではない年齢に達した俺達は、推しのアイドル・星野アイの子供として日々を恙無く過ごしている……つもりだ。
今日こうして彼女の芸能生活初のドラマ撮影現場に付き添うのだって、家族として心配してるだけなのだ。
「いいですか二人とも。どーしてもって言うから連れてきちゃいましたけど、頼みますから現場ではアイさんのことママなんて呼ばないでくださいよ。私の子供という設定で……ん」
マネージャーに運転手も兼任するミヤコさんの言葉が途切れる。
着信だ。ハンズフリーのイヤホンマイクを耳に、ミヤコさんはホルダーに置いたスマホをタップする。
自然とアイも俺もルビーも声を潜めた。誰かが同じ空間で電話する時って周りがなんとなく空気になろうと努めるよな。
「もしもし斉藤です。えっ……あ、ええ、ご無沙汰しております…………はい? 話、ですか……い、今から!? いえ困ります! 星野アイは今から撮影があっ……はあ!? 現場に!? で、でも、ですが……」
「?」
動揺した声。ミヤコさんの話しぶりからも、この電話が事務的な連絡事項の伝達でないことは明らかだ。
なにかトラブルだろうか。
二、三言の押し問答の末、折れたのはミヤコさん。観念したように電話相手に告げているのは撮影現場である廃校の名前だった。
通話が終わるや、ミヤコさんは深々溜息を吐いた。前々から思ってたが心労が判り易い人だな。
「どうしたの? なんかトラブっちゃった?」
「いえ、それが……警察、刑事さんから連絡で、アイさんにどうしても話を聞きたいと」
「け」
ルビーが声を漏らし慌てて口を噤む。まあしかし、その気持ちはわかる。俺も動揺を押し隠すのに必死だったから。
(警察が、アイに話!? 話ってなんだ!? 取り調べに来るっていうのか……? なんで!?)
何の為に。何が目的で。
警察が捜査活動を行うからには刑事事件が発生したということ。その捜査線上に、アイが?
そんなバカなことあってたまるか。
「その、現場に直接来るそうです……」
「はあ!? なに考えてんの!? マネージャーなんだから追い返しなさいよ! バカなの!? ちぬの!?」
「ひぃすみませんすみませんすみません」
ルビーの赤子らしからぬ剣幕にミヤコさんは縮み上がった。
いやお前もっと取り繕えよアイの前なんだぞ。
「警察、警察……? んー私そんな悪いことしたかなぁ。あっ、こっそり社長の黒霧島飲んじゃったこととか? 未成年飲酒、バレちゃったか~」
当事者なのに誰よりも朗らかなアイが呑気に言った。
絶対違うと思う。週刊紙が面白半分ですっぱ抜くレベルでくだらない。そんな民事以下の事案でいちいち警察は動かない。
「ほら、去年お産の為に入院した地方病院、覚えてます? あそこの、アイさんを担当してた産婦人科の先生が突然失踪したじゃないですか。それもよりによって予定日に」
「え」
漏れ出たその声は誰のものだったろう。アイか、それとも俺か。
どうして。
なんで今になって俺の話が出てくるんだ。俺はここにいるじゃないか。
……間の抜けた言い種なのはわかっている。なんたって
雨宮吾郎。転生する前の、元の肉体。前世、なんて呼べるほど遠くもないし、あっさりと忘れられるような終わり方じゃなかった。
「その人のことについてもう一度話を聞かせろって……そのくせ詳しいことは直に会ってから説明するの一点張りで……ホント、今更なんなのかしら」
そうだ。
そして警察が動いたからには今更、家出人捜索なんて悠長な事態はとうに過ぎ去ったのだろう。
大丈夫、最後の記憶は曖昧だが、“それ”だけは嫌でも自覚してた。
死を。
おそらくは十中八九────俺の死体が見付かったんだ。
舞台は学校。テーマは所謂学園恋愛モノ。本日のロケ地であるこの廃校は、そういうシチュエーションの撮影におけるお馴染みというか御用達なんだとか。
普段は閑静なのだろう校舎に、今は撮影スタッフやら機材やらがごった返している。
役者やスタイリストが、たくさんのADに厳めしいカメラマンが、外部委託の各種業者が此処彼処を行き交う。
騒々しい訳ではないが、忙しない。良くも悪くも活気付いた現場の空気。
他人事の癖にどうしてか緊張感など覚えている。アイの初ドラマ出演だ。成功を祈るのは当然だが。
「……」
「ルビーちゃんどうしたのー? なんだか元気ないねー」
「お母さんいなくて寂しくなっちゃったんじゃない?」
「もしかして具合悪い?」
演者の女優やグラビアアイドルが頻りに問い掛ける。
「……」
「?」
しかし、ルビーは無反応だった。俺と違って子供らしく愛想を振り撒くのは得意な筈だが。
とはいえ、鬱陶しいから無視してるってほど、冷淡な様子でもない。
俯き加減に視線は奈辺をじっと見詰めている。そう、それこそ思い詰めて、外界の声がまったく届いていない。
まるで不安で、不安で不安で堪らない。そんな顔。
「ルビーのやつ……」
「お前の妹、どっか悪いのか」
「へ!?」
突如、頭上から降って来た声に竦む。
廊下から楽屋代わりの教室を、じっと椅子から動かないルビーを見ていた俺の隣に、いつの間にか男が佇んでいた。
草臥れたパーカーに、伸び過ぎた感のあるショートの癖毛、仏頂面には無精髭。
五反田泰志監督。この現場における実質の最高責任者だ。
「いくら働き方改革ったって病気の子供現場に置いとけねぇぞ。母親呼んで来い。別にマネージャーがいなくても役者さえいりゃ画は撮れんだ」
「滅相もございません! うちの妹は元来口数が少なく人見知りする子で! 一見具合が悪いように思われるかもしれませんが実際ピンピンしておりますので!」
「お、おう」
「部外者としましては現場の進行の妨げになるようなことだけは決して決して致しません致させません! ご配慮本当に痛み入ります! さなきだに僭上ではありますがひとえに弊社のアイをお取り立ていただけましたならこの上ない幸いにございますぅ!」
「さなっ、僭じょ、ってめっちゃ喋るなお前!?」
若干引かれながらも、現場から叩き出されるような事態だけはなんとか回避できた。
その後何の酔狂か監督からは名刺を渡され、加えて日本ドラマ界に蔓延る生臭い現状を教示される。
内容はかなり興味深いが。
「ま、いろいろ言ったが、どうせ撮るなら面白い画面で撮りたいってのが正直なとこだ。その意味で、お前は結構いい線行ってる。ってか異様だわ」
「はあ……それは、どうも……?」
頷いてよいものか考えて、結局は首を斜めに傾げた。褒められているようないないような。
そんな監督の値踏みするような視線が、不意に逸れる。
「あ? なんだ、あいつ」
「?」
俺の頭上を越えて、廊下の向こうへ。
釣られて俺も視線を追っていた。
そこに、外光に照る白く滑らかなリノリウムをかつかつと蹴る革靴。
人影が、歩み寄って来る。それこそ影のように光を嫌う黒い背広姿。前を開け、ネクタイは首元を緩め襟のボタンも外されている。
迷いない噛むような足取り。前方一点を刺す眼光は猛禽類染みて鋭い。
精悍という表現がぴったりの奴だった。柔和に笑うかと思えば、やけに色気のある目で物思いに耽っていることもあった。
その男が今、ひどく危うい。抜き身の刃を見ているような不安。恐怖を、相対する者に抱かせる。
(なんか、痩せたなお前……)
顔の陰影がそう見せるのか。以前より肉付きが落ちた気がする。
懐かしむほど時は経っていないのに、それでも過去は、記憶は胸に溢れ出していた。
────藤咲