「五反田監督から聞いてるよ。相当動けるんだって?」
スタンバイ位置で大太刀の柄の握りを検める己に、その若手映像監督は気さくに言った。
「動ける、だなんてとんでもねぇ。ただ齷齪ひいこら飛んで跳ねるしか能がねぇというだけで……あの野郎め、何か余計なことを言いましたか」
「いやいや、糞生意気な新米をよろしくとだけ。映像作家の大先輩にそう言われちゃ俺も頑張らないとね」
「滅相もねぇや。どうか、あの宿六の妄言なんざお気になさいますな」
「や、宿六?」
今更親馬鹿にでも目覚めたかよ。あの
もう十分に目を掛けてもらった。十分すぎる。てめぇとそう歳も変わらねぇ気味の悪い黄泉帰りを養子として迎え、十五年もの間家に置いてくれた。物好きの一言では済まされない奇特さだ。
まったく変わった野郎だよ、泰志。
感謝に堪えぬ。面と向かってうっかりそんなことを口にした日には、気色が悪いなどと真顔で悪態を吐かれかねんが。
「なんにせよ監督のお墨付きなら信用できる。今回は俺にとってリベンジマッチでもあるからさ」
「報復戦、ですかい」
「そう。あそこでつまんなそうにしてる原作者様への」
軽食菓子類スポーツドリンクを始めとした飲料物に埋もれるように休憩スペースで所在なく座る小柄。我々の視線に気付いたアビコちゃんが小首を傾げる。
「ただでさえ漫画やアニメの実写化は叩かれがちなのに、その原作者にまで嫌われたらファンは益々痛烈に
「儘ならねぇ話ですな」
「本当にね」
力なく乾いた笑声を一吹き。若手監督は自ら両手で両頬を張った。
「遠慮はいらない。スタントさん達に話は通してある。思う存分大暴れしてくれ。『今ガチ』でやってるくらい派手にさ」
「おや、監督は廃業なさるんで?」
「お、おう! 覚悟の上だ……えっ、あれそんなヤバいの?」
「ディレクター殿が毎度頭抱えておられますよ」
「……誰かの首が飛ばない程度で!」
「善処いたしやす」
こちらの胡乱な返答に、三十前のまだまだ張りのあるその顔面が引き攣った。
大暴れなどと彼は嘯いたが、無論のこと本当に好き勝手暴れ狂えと己を唆している訳ではない。
アクション、とりわけ殺陣はその動きのほぼ全てが事前に細部まで設定されている。
スタントマンや殺陣師、あるいは“替え”を必要としない役者は一定の攻防を入念な打ち合わせと段取りによって記憶し、鍛え抜かれた運動能力と適した格闘技術・剣闘術理を用いてそれを完璧に再現する。
一対多の乱闘シーンなどはその最たるものだ。
寸分の誤りも許されない立ち回り、組み合い、打ち合い。極力当てず、触れずして、それでもなお真に迫った闘争を演ずる。
その難度。筆舌に尽くし難い。
ただの喧嘩や仕合の方がまだしも気楽だ。なにせ、より強く当ててぶつけて打ちのめすが本懐ゆえ。
剣術を続けていてよかったと今日ほど思ったことはない。そしてまさか、真剣の稽古がこのような場で活きてくるなど。
まず一番。
“敵”の下段斬りに詰め寄ってそれを封ずる。
ここに斯くたる技はない。体格と膂力にあかせ、刃の最適距離のさらに内側、
成人男性。身長は平均的としても、よくよくの鍛錬により積み重ねられた筋肉量は相応の体重として現れる。持ち上げた手応えは70㎏超といったところ。
「ッ!?」
重力の軛を外れて宙を泳ぐ彼から漏れ出た驚愕の気息は、演技のそればかりではあるまい。
そうして彼は用意されていたマットレスの上に無事墜落した。
ゆるりと振り返り、敢えてカメラのレンズを流し見る。その向こう側で
茫漠としたコンクリートの空間。その中を敵が……無数の黒が蠢いた。
闇に溶け込む暗色の衣、眼球の照りを僅かに覗かせるばかりの覆面と頭巾。
黒衣の集団が我が身を取り囲んでいる。
手に手に白刃を閃かせて。
大刀にしては小振り、さりとて小刀脇差にはちと長い。半端な刃渡りの直刀は、なるほど所謂忍者刀。
どうやら
結果はまあ、原作ファンの諸兄諸姉は既にご存知のこと。
鎧袖一触。
この身の強さを知らしめねばならない。一分に満たぬ映像の中に、最強にして最凶の狂った剣士を演じ切らねばならない。
「……」
不安げに、固唾を飲んでこちらを見守るあの小さな娘の為にも。
そのような気負いを
「は、ぁ……」
アクションシーンを生で、こんな風に一から見学するのは初めてだ。
このCMシリーズは事前にチェックしていた。セリフ回しや演技やキャラ解釈はともかく、前回と前々回と前々々回のスタントマンさん達は確かに
でもこれは。
「こんなに違うんだ……」
淀みない動作。体捌きとでも言うのか。刀の持ち方一つ。全て。
全てがどうしてか、こんなにも生々しい。彼の殺陣……殺し合いは。
これが演技?
こんな恐ろしいものが。
一歩、右側面へ踏み込む。丁度最接近してきた上段からの斬り下ろしを躱し、擦れ違いに柄頭を腹へ打ち込む。
くの字に折れた彼はそのまま画角の下へと逃れ、カメラから消える。
続いて左から降って来た刃をひらりと身躱し、丁度地摺りのような恰好になった敵手の腹を踏み付ける。
黒衣の下に装着されたプロテクターとクッションが衝撃を殺してくれたことを祈るばかり。地面に仰臥した青年隠密を見下ろして、不意に
頭上に掲げた刀身が殊更ゆっくりと露わになる。鈍い銀光が照り返す。絹を払われた女の肌の如く、艶美。
かと思えば、軽い一振りで鞘を刀身から吹っ飛ばし。
「……」
返す刃、足蹴にした忍の胸にそれを突き入れた。
一秒半の空虚……後に勢い血飛沫が噴出する。血霞はまるで彼岸花の花弁のようだ。それがあまりに綺麗で、
「────」
我が身を取り囲む者共は、刃を手にしたまま二の足を踏む。暗殺者にあるまじき人間的動揺と恐怖心の伝播。観客にもそれは伝わった筈だ。
目の前で極大の刀刃を弄ぶ者の兇気を。
「天に冥府」
斬り上げ、斬り下ろす。
斯くも単純、単調な打ち込み。しかし、それが人の身の丈を超える刃渡りと、まるで小太刀でも扱うかの如き剣速によって放たれるならば、それは必殺足り得る。
……いや、刃金を手にしておきながら立ち止まる。その惰弱をこそ嗤うのだ。
「地に魔道」
転身して足下を背後の一人へ、最後の乱破者へと蹴り込み吹き飛ばす。
それは柱に背をぶつけ、地面にへたり込んだ。
震え、後退る。コンクリートの一柱が退路を塞いだ事実すら忘れて、隠密最後の生き残りは、全身全霊で生に執着を見せた。
許すまい。ハバキという男は断じてそれを許しはしまい。
何故なら既に道は一つ。刃を執ったその時に他の全ては鎖され、残るは一条。
「我ら、踏まえしは……
屍を山と築き、それを踏み拉いて行くと覚悟した筈だ。後戻りなどできはしない。立ち止まることさえもはやできない。
武とはそういうものだろう?
問い掛ける。今、この手で摘み取る目前の命に問う。
(……そうか)
娘の言葉がすとんと腑に落ちる。妹御の存在。無節操に振り撒かれる兇気。武の本質を謳いながらその実……武を憎悪する自己矛盾。
ハバキ、この男、妙にしっくり来る。まるで己で己を演ずるような。
まるで……あの日の己を演ずるような。
脇構えに執った大太刀、膨れ上がる殺気、歯を食い縛る軋み。
吼える。
「イィェエエエヤァァアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」
斬線が奔る。
模造刀の切先が、物打ち処が確と敵手の身体を捉え、その背後の柱諸共に両断した。
唐突だが。
この柱の表層は木材と発泡スチロールで組まれたハリボテである。
内部に電気式の起爆装置が仕込まれ、己がタイミングを合わせてこの大太刀で斬り掛かることで、あたかもハバキの斬撃によってコンクリートの柱が破壊されたかのように演出を施すのが目的だった。
だが。
それで果たして、あの子は満足してくれるか。
監督も大言壮語してくれた。暴れろ、と。
ならば。
もう一押し。
もうあと少しくらい無茶をしても罰は当たるまいて。
なあアビコちゃん。虚構は眩い。輝かしい。夢想を画にして世に送り出すその仕事は尊いものだ。見上げたものだ。
そういうお前さんにこそ、見ていて欲しい。
現実だってそう捨てたもんじゃあねぇんだぜ。
それは斬撃と呼ぶには激烈に過ぎ、もはや爆撃と表して然るべき惨事で。
旧来の鉄筋コンクリート造であったことが幸いしたというか災いしたというか、内部に通った複数本の細い鉄筋を半ば引き千切ってそれを覆うコンクリートの構造材を爆散させた。
柱そのものが破断する。
瓦礫が散り塵埃が舞い上がり、周囲は一面灰色に包まれた。
「カットカットカットーーー!! マシラくぅぅぅうううううん!? なにしてんのぉぉおおおおおお!?」
「ひ、ふぎゅ、ひ、ひや、はわわわ盟刀“
「先生、鼻血拭いてください」