「それでそれで、運剣が見えないんです! 速すぎて!」
「み、見えないのはちょっとまずいんじゃないかしら。映像として」
「柱が爆発して一本消えたんですよ! すごくないですか!?」
「すごいってかヤバいわよね建築基準法的に」
「ああそれなら大丈夫です。あのビル今はもう更地ですし」
「なるほど、証拠は隠滅済みな訳ね。監督さん多分相当頑張ったのね根回し」
「解体業者さんは笑って許してくれたそうです。『今ガチ』のあいつならしゃーない、って」
「なんかもう全部『今ガチ』のあいつで説明付きそうなのが……」
「すごいですね」
「うん、すごい恐い。その人ホントに大丈夫な人?」
「じゃあそれも含めて今日は先生に判断してもらいますね。あ、もうお店着いたみたいです」
「相変わらず気を許した瞬間に距離感バグるわね貴女。仮、でもないけど、仮にも若手俳優を個室居酒屋に呼び付けるって結構物凄いことしてるって自覚ある? あぁないか!」
「奥から二番目の個室です、と」
シックなモノトーンの和紙の壁紙とモダンな生け花の据えられた通路を抜けて、メッセージアプリに記された個室を見付ける。
控えめにノックし、返答を待って引き戸を開いた。
黒檀のイミテーションテーブルに丸い障子窓から間接照明が注ぐ。
近頃なにやら合縁を得た、と思っていただけたらしいアビコのお嬢ちゃんと、向かいの席には眼鏡を掛けた妙齢の婦人がお一人。こちらは初見である。
「こんばんは。本日はお招きありがとう存じます。五反田マシラと申します」
「あ、いえ、これはこれはご丁寧に」
「そういうのいいですよ。早く座ってください。ほら、ここ」
「お前さんはもう少しお行儀を覚えような」
「一応それとなく窘めてはいるんです。こんな仕上がりですけど決して悪気はないんです」
苦労性がまた一人。
アビコちゃんの師匠であられるという吉祥寺先生は実に、実に常識を弁えていらっしゃる。心から安堵した。この子の行く末とかそういうあれに。
全個室の居酒屋である。馴れ親しんだ大衆酒場のような雰囲気ではなく、なかなかに値の張る類いの。
「おい、出入口でいつまでつかえてる気だ」
「現状私ら廊下で晒し者なんですけど」
「おぉっとすまんすまん」
背中を叩く声と手に道を譲る。
クロップドとかいう丈が短めのパンツにコーディガンを羽織ったアクアに、黒いブラウスに市松模様のスカートを履いたゴシック西洋人形のような有馬嬢が並び立つ。
そんな身綺麗な若者を前にした途端、アビコちゃんは身を縮めて近くに寄った己のシャツの裾を引っ張った。
それで隠れているつもりらしい。
「おいおい先生。いきなりどうした。さっきまでの威勢の良さはどこへ行っちまったんだい」
「……イケメンと、美少女……こわい。眩しい。テンパる……」
「えぇ」
「あーごめんなさいね。アビ子先生は、ちょっと、そう! シャイなの」
「ところで、その理屈で行くと俺ぁ先生の審美眼に収めてもいただけねぇ醜男ってぇことかい? とほほ、いっくら事実ったってそいつぁ手厳しいねぇ」
「ち、ちがっ、そういう意味じゃなくて」
「アクア坊、己のような小汚ねぇのが隣に座っちゃ先生に対して失礼極まる。お前さんが代わりにお酌してやってくんな。オイラァ端っこの方でノドグロだけ頂戴してるからよ」
「ううぅうぅううぅううう……!」
「あんまり調子に乗ってからかうなよ。お前を使ってくれた人だろうが。あと、遠慮してる風で図々しいわ。ノドグロは俺も食いたい」
ぺしぺしとそう痛くもない平手を背中に食らいながら笑う。
己は大人しくアビコちゃんの隣に腰を落ち着け、有馬の嬢ちゃんが吉祥寺先生の隣に、最後にアクアが端に並ぶ。
店に到着してようやく、我々は席にありついた訳だ。
「有馬さん! ご無沙汰してます。『今日あま』の打ち上げ以来ね。アクアくんも元気そうでよかった」
「こちらこそ! 今日は呼んでいただけて嬉しい。すみません、なんか便乗したみたいに」
「こいつが突然人数増やして、ご迷惑じゃなかったですか?」
「賑やかな方がいいじゃあねぇか。なあアビコちゃん」
「私は別に三人でも」
「こら! 言い方! 三人でも十分楽しいのに五人なんてもっと楽しいですってちゃんと言いなさい」
「それからマシラ。仕事をくれた、それも年長者にしれっとちゃん付けしてんじゃねぇ」
「こうして並んでたらまさかこの男の方が年下だなんて絶っ対に思わないけどねー」
「アビ子先生はそういうの気にしませんから大丈夫ですよ。どんどん子供扱いしてあげてください。喜びます」
「喜びませんよ!?」
「そらそら、飲みもんが来る前に他も頼んじまおう。アビコちゃんなに食べたい? お肉ばっかりじゃあなく野菜も食べるんだよぅ。お、茄子の揚げびたし。旬のものは体に良いぞ。いきねぇいきねぇ」
「お、おとん」
「わりとナチュラルにこういうやつなんです」
「番組中もおっさん臭いからやめろっていつも言ってんのにやめないんだからまったくこの男は……」
メニューと睨めっこを始めたアビコちゃんを見守りながら、祝宴は和やかに始まった。
祝うというならまずは直近のCM撮影。その完遂と放映であろう。
「……あの、あり、ありがとうござい、ました」
「ん? いやいや礼を言うのは己の方だぜ先生」
おずおずとした感謝はいかにもこそばゆい。
あるいは恐縮の至りというもの。なにせ、好き勝手やらかすだけやらかしただけなのだ、己は。
「楽しい仕事だった。
「も、もちろんです! ってか、貴方がいてくれないと、こ、困ります……」
「なかなか勘違いを誘う会話ね」
「ちょっと、『今ガチ』最終盤なんだから文〇砲とか勘弁してよ」
「この場合、未成年相手の鮫島先生の方がダメージでかいからな。迷惑の一言じゃ済まない。マジで頼むぞお前」
「かっ! 色惚けはこれだからいけねぇ」
「い、色惚け……それ私もカウントされてます?」
「されてますね」
「誠心誠意の真心篭った感謝をなんだと思ってやがるんだか。ねぇ? 先生、無礼な話じゃあありやせんか」
「ん、ん」
茄子を頬張ったまま頻りにそうだそうだとアビコちゃんが頷く。
はもはもと柔らかな瓜の身を咀嚼し終えてから、娘は訥々と語った。
「……最初から、不安でした。原作宣伝の短いCMとはいえ、アニメとはやっぱり違いますし……失敗例も多いですし」
「……」
「ぐふっ」
「有馬、流れ矢は鋭いがしっかりしろ」
吉祥寺先生の眼鏡の奥で翳ったその瞳をして、邪推せずにはおられない。
原作という我が子を産み落とした者達の苦悩。軽々に理解など、示せようものではないが。
「貴方を、ネットの切り抜き動画でたまたま見付けた時、あぁこの人だ! って思いました。イメージと記憶がカチッて噛み合ったんです。昔に一度、同じような感覚を頼りにして、“ハバキ”を描き上げました。自分でも驚くくらい、なんの迷いもなく描けた……私自身が覚えてないだけで、どこか他所からパクってきちゃったんじゃないか心配になるくらい。“ハバキ”は独りでに動くんです」
「キャラが作者の手を離れて物語の中を動き出す。ある意味創作の理想形ですね」
「……貴方を見付けられてよかった」
俯き加減に娘は言った。
顔が随分と赤い。カシスオレンジが早くも効いてきたのだろう。
「これで、安心。実写化も平気。役者さんってマシラくんみたいな人が一杯いるんでしょう?」
「んんん? それは、さて、どうだろうなぁ」
「練習すれば人間ってあんなことできるようになるんだって、私感動しました。すごい、すごいです! ハバキが本当に、リアルに存在するんです! なら他の子達だって!」
「あれ? 私達もしかしてこの作品の実写化のハードル青天井になってく瞬間を目撃してない?」
「大丈夫だ有馬。そんな都合よくオファーが来るとは限らない。俺達には縁もゆかりもないんだから」
「今まさに
「マシラくんのお仲間さんなら、できますよね?」
「無茶なこと言い出したわよ」
「とりあえず人類の定義から話し合おう」
「俺ぁ人類じゃあねぇってのか?」
「「うん」」
「しっかりきっぱり頷かれましたね……」