推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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あめつちのあわいにありてまちびときたらん

 

 

「犬猫ならまだわかるが、まさかカラスなんて拾ってくるとは……」

「ほんの二、三日だ。婆さんにはもう話通してるよ」

「結託済みかよ。あのな、一応ここの家主は俺ってことになってんだぞ」

「名義はな。しかしだ、この家の最高権力者は、一体何方だい?」

「……ぐぬぬぬ」

 

 返す言葉もなく悔しげに呻く義父殿のこの髭面がなかなかどうして面白い。

 我が五反田家において、祖母上こそが絶対君主、最高意思決定者である。逆らうことは許されない。

 自室の隅にカラスがちんまり納まった段ボール箱と、その側に給水器を設え、糞尿用の蓋付バケツを置いた。

 野郎二人して屈み、箱の中で眠る仔カラスを見下ろす。

 

「それにしても随分大人しいな。もっとカアカアうるさいもんかと思ったが」

「現場で拾ってからこっち、ずっとこの通り頗る行儀はいいぜ。まあ元来が賢い鳥だ。きっと住人に気を遣ってくれてんのさ」

「ははっ、そりゃすげぇ。人間の出来たカラスもいたもんだ」

 

 そうやって俺達はくだらぬ軽口を大いに笑い合った。

 

 

 

 

 

 監督が引き上げたので、自然部屋の中には己一人にカラスが一羽。

 テレビやラジオをBGM代わりにする習慣もなく、部屋はひどく静かだ。仔カラスの微かな息遣いさえよく聞こえる。

 宵の口、夜が繁華に彩られる時刻。確かにここらは住宅街だが、それにしたとてマンションの周辺は常にないほど閑静だった。

 

「寝るには良い夜だ。なあ?」

 

 努めて潜めた声で語り掛ける。無論、仔カラスの応えを期待したものではない。

 指の裏で黒くて小さな頭をそっと撫でた。

 心なしか、その寝顔は和らいで見えた。それになにやら仄暖かなものを覚え、暫時この平穏に浸る。

 近頃なにかと忙しなかった。それを厭うなどとんだ贅沢というものだが。さりとて束の間の静寂(しじま)は心身に沁みた。

 ゆえに。

 その気配は色濃く。

 あるいは故意に垂れ流され。

 己の存在を声高に叫び

 こちらの神経を撫で引っ掻いた。

 

「何者だ」

「…………」

 

 カーテンを閉じた掃き出し窓。表を行き交う自動車のハイビームが硝子を撫でる。

 浮かび上がる。

 人影。

 ベランダに何かが、いる。

 俺は立ち上がり、カーテンを払った。レールを甲高く滑り露となった外。そこには果たして。

 少女。

 小柄な、幼い子供。

 夜空を背にして、長い純白の髪が風にそよぐ。

 反して、身に帯びているのは闇に溶け込むような黒いワンピース。あるいは仕立ての良い、喪服だ。

 石膏人形のように美しい少女が、どうしてかベランダの手摺の上に立って己を見ている。

 この世のものではないかのような美貌は残念ながら鉄のような無表情。仏頂面。無感情を、装っている。

 己の目には何故かひどく、その娘が不機嫌に見えた。

 戸を開いて手を差し出す。第一印象に語彙を割いている時ではない。

 

「危ねぇよぅお嬢さん、そんなとこ立ってちゃ。とりあえずこっち下りな」

「……」

「頼むよ。己の方に来たくねぇってんなら、隣の部屋でもいい。とにかく手摺から下りてくんな」

「あの子」

「ん?」

「傷は、癒えた?」

 

 銀光に煌めくその瞳、視線が部屋の奥に注がれる。

 

「カラスか」

「……」

「ああ、もうすぐ包帯が取れる。体力が戻れば支障なく飛べるだろう」

「そう……」

 

 徹頭徹尾全てに対して無関心だった表情と声色に、ほんの僅か、安堵の気色が滲む。

 

「お前さん、それを確認に来たのかい」

「それもある」

「ほう、ならついでだ。別件の方も今伺おう。この家にどのような御用向きかな」

 

 こちらの質問に応える意志があるのか一向判然とせぬ。ややも挑むような目を己は少女に向けていたらしい。

 娘子は、幼気な面差しに到底似合わぬ酷薄な笑みを湛えた。

 

「マシラ。マシラ……ふふ、なんて捻りのない。預けるにしても、別の(あざな)が幾らもあったでしょうに。あぁ、本当にあのひとらしい」

「重ねて問うが、おのれ何者だ。どうやら其の方────人ではないと見える」

「へぇ」

 

 その時初めて娘はこちらに興味関心の類を示した。

 

「わかるんだ。まあ、わかるよね。その酸漿(かがち)色の眼なら。だったらどうする?」

「そいつぁそちら次第だよ、姫御前」

「なら、こういうのはどう? 私は人ならぬ魔の遣いで、貴方の大事なものを奪いに来た。餓えた鴉が獲物を啄みに来たの。惨たらしく食い荒らして、ぐちゃぐちゃにして、全部を台無しにしてあげる」

 

 逆月のように口の端を吊り上げて少女は笑う。

 人ならぬ、その宣言に何程の過言なし。邪悪というものを知っている。人に忌まれ、畏れられるとは何かをこの娘は知り尽くしている。

 ゆえに、それと理解して敢えて踏み付けるのだ。

 それを。

 

「一度は喪くした。けれど今双子として今生に在る。大切なもの。尊い人。愛しい子。幸せを望む彼と彼女。貴方は願い続けている。過去も、今も、これからもただあの二人に、たった一つの願いを捧げ続けてきた……救いあれ、と」

「雨宮と、さりなちゃんに、貴様はなにを企む」

「さあ、私はなんでも構わない。ただ壊せればそれで。貴方を縛る楔か鎖でしかない星の子など────()く、鴉の餌にでもしてやればよいのです。そうでしょう? ふふ、ふ、ふ、そう、そうね、そうしてしまいましょう。今、すぐ、これから、私が」

 

 身を翻した少女の腕を掴み、捕えて引き寄せる。手摺の上から乱暴に引き摺り落とす。

 娘は無抵抗にこちらの膂力に従った。

 

「あの二人を害すると言うなら。この己の目の前で、あの二人の幸福を破壊すると言うなら、容赦はない。我が肉体と魂魄の全て、全て、全てでそれを阻止する。それを企てるあらゆるものを」

 

 白銀の瞳が凝然と己を見上げる。

 眼球から赤光の漏出を自覚しながらそんなもの構いもせず、俺は邪鬼を自称する少女を睨め下ろす。

 

「殺さなければならない。その存在を、到底許しちゃおけねぇなぁ」

「…………」

 

 殺戮を手段として用いる。俺はその邪悪を既に知っている。

 私心私欲によって友を殺され、私心私欲によって仇敵の殺害を望んだ。

 あの時、俺の殺意は完結を見ず、代わりに報いをその身で受けた。

 殺し、殺され、また殺す。

 どうあっても終わらない血臭の染み着いた円環に喜んで身を投じようとしたのだ。

 まともである筈がない。

 まともであることなどできない。

 俺が望は一つ。それを阻む存在の対処法とて一つきり。

 

「あの子らに手を出そうというなら相応に覚悟せよ。俺は一刀の憎悪によって怨敵たる貴様を滅ぼす」

「……」

「存念や如何に」

 

 通告は我ながらシンプルだ。

 害為す者、害して殺す。災い為す者、災禍にて殺す。

 ならばお前は何者か。それらをもたらす鬼か邪か。

 如何に、如何に、如何に。

 

「…………」

「あ……?」

 

 問いを重ね言葉を迫るこちらの高圧な態度に対して、娘の反応は緩慢だった。

 少なくとも恐怖で竦み声も出ない、そんな弱々しい有り様とは遠い。

 ただ、娘は寂しげなのだ。切なげなのだ。胸を鋭く貫かれている、悲しみに。

 

「ひどいひと……あなたっていつも、いつも。私には何も言わずにさっさと道の先へ行ってしまう。私はいつもその背中を追うだけ。それだけが役割。与えられた使命。あなたが……」

 

 ふつりと声が途切れ、代わりに銀の瞳が己の身を見詰め、視線が胸板を撫でる。優しげに、あるいはまさか、愛おしげに。

 

「……いつも、導いてくれた。私が幸福になれる道を探し求めて長く長く、それはとても長く旅路を行って」

「それは」

「昔の話。夢のような日々の夢よ。私にとっての、きっと……最古で最愛の記憶」

 

 少女は片目から涙を溢した。相反する感情の制御を失って。

 小さな手が己の頬に触れる。子供らしい熱と瑞々しさの指が吸い付くように、離れない。

 

「そっくり。この眼。顔立ちだって面影がある。懐かしい。あぁこれ、この匂いだ、すぅぅううう……はっ、あ、この匂いが私の傍に、傍に……どうしていてくれないのあなた、あなた様……ひどいよ。ひどいじゃない。ねぇ、あなたも、そうお思いでしょ……?」

「……」

「マシラ……良い銘ですね」

 

 さめざめと泣き、少女は己の胸に顔を埋めた。そうしなければもはや耐え難いと。立ち上がることも儘ならぬと。

 俺は、訳もわからす少女の華奢な肩を抱き、儚い体躯を包んだ。壊れてしまわぬよう、潰してしまわぬように、丁寧に、大切に、愛おしむように優しく。

 ただ、悲しみに暮れるこの子供が、痛くないように、苦しくないように、泣き止んでくれることだけを願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「鼻、痛くないかい?」

「ん……」

「うん! きゅうりの浅漬け、いい感じ。お嬢ちゃんも味見してくれるかい?」

「……美味しい」

「ホントかい!? いやぁよかった。すぐにカレイの煮付けできるからね。おかずもちょっとずつ摘まんでいいから。あ、泰志あんたはダメよお行儀の悪い!」

「あ痛てっ! そりゃ差別ってもんだろ母ちゃーん!」

「いい年の男が細かいこと言うじゃないの! まったくもうそういう尻の穴の小さなことを言うからあんたにはいつまで経っても彼女の一人も」

「今は関係ねーだろがい!!」

 

 五反田家の騒がしい食卓は今日、いつにも増して賑やかだ。

 なにせ可憐で小ちゃな客人と夕餉の席を囲んでいる。祖母上も気合いが入ろうて。

 

「っというかマシラ! てめぇだよこら! 猪肉だの鮫肉だのスズメバチだのカラスだのはまだいい! 断じてよくはねぇがまあいい! なんなんだこりゃ!? なんで女の子浚って来てんだてめぇ!!」

「浚ったとは人聞きの悪い。この娘自ら訪ねて来てくれたのさ」

「……」

 

 まあ帰ろうとするこの娘を夕餉に誘ったのは確かに己だが。

 

「名前すら知らねぇ幼女を部屋に連れ込むとかお前、そんなに社会的抹殺対象に躍り出たいのか。馬鹿なのか」

「そうだった」

 

 すっかり忘れっちまってたが。

 

「お前さん、名前はなんてぇんだい? よろしければその御名を頂戴仕りたく候う」

 

 おどけて慇懃に頭を垂れると、白銀の少女は一瞬髪の下に逃れ表情を隠す。笑み、だったような。あるいは羞恥の朱色だったような。

 

「…………ルメ……」

「? ルメ……でいいのかい」

「……それでいい」

「ルメ。ルメか。なかなか可愛らしい響きだな」

「うるさい。サルタめ」

「かっかっかっ! マシラがサルに格落ちか」

「そう。デリカシーのないあなたはサルよ。あなたは……私のサルタよ」

 

 

 

 

 

 

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