「ふじ────」
「お宅、どちらさん?」
俺が一声上げる前に、既に監督が進み出ていた。
明らかに部外者。それも剣呑な空気を纏った男に向かって行くのは流石というか。
男──藤咲は目の前に立った監督に余所行きの笑みで応じる。
「どうも。己は……こういうもんです」
藤咲が背広の内ポケットに手を入れて、警察手帳を僅かに取り出して見せた。そのまま懐に隠した状態で上下に開く。
「ほー、本物みたいだな」
「お疑いなら後で照会してくださって構いませんぜ」
「……あぁ、それもそうだ。ならお言葉に甘えてあんたの連絡先寄越してくれ。一応、念の為に」
藤咲は逡巡もなく名刺を取り出し、監督もまた臆さずそれを受け取る。
監督の目が、今度は藤咲を値踏みしているのだと気付いた。
緊張感に息が詰まる。友人の、見たことのない顔を見てしまった、そんな気不味さに胸がざわつく。
「ちょっ……藤咲さん……!」
廊下の向こうからミヤコさんが小走りにやってきた。傍から見ていて可哀想になるくらいの大慌てっぷり。
「裏門でお待ちくださいって言ったじゃないですか……!」
「ご足労いただくのもなんですし、要件はちゃっちゃと片付けてしまう方がよかろうと。不躾でしたかな? いやぁこいつぁうっかりうっかり」
「っ……いけしゃあしゃあと」
「ミヤコさーん。アクアは……あ、こんなとこにいたの? ルビー寂しがって……あれ」
相も変わらず朗らかに近寄って来たアイが、藤咲の姿を見て立ち止まる。
首を傾げ、顎に手をやって考え込むこと数秒、ぱっと灯りが点るように笑みが浮かぶ。
「フジサキ、藤咲ジンさん! あの時の刑事さんだ」
「ご無沙汰しております、星……」
「ああああああ!! 芸名で! 弊社のアイは基本的に芸名で手続きや出演等やらせていただいておりますので!! おりますので!!?」
「おっと、こりゃこりゃ失敬いたしました。それにしてもまさか覚えていてもらえたとは」
「もちろん! 私、才能あるなって思った人の名前はすぐ覚えちゃうんです」
「そいつぁ光栄だ」
色のない愛想笑いと温度のない社交辞令。それは、藤咲らしからぬ冷ややかな対応だった。
「お話、でしたよね。せんせのことで」
「ええ早速ですが」
「ま、待ってください。せめて場所を変えましょう。どこか人目に付かないところへ」
「校長室、今日は特に使う予定じゃない」
監督が言った。
それは実に渡りに船で、ミヤコさんにとっては地獄に仏だろう。
「んで、場所を貸す代わりに俺も取り調べに同席させるってのはどうよ」
「んなっ、いいわけないわよ! い、いえその……」
地獄の沙汰への代金請求もそれはもう迅速だった。
ミヤコさんが発奮して、目の前の相手が誰か思い出して口ごもる。謝罪の言葉を探したらしいが結局は諦めてしまった。
アイとミヤコさんを連れて早々に藤咲が歩き出す。
俺も後を追おうと……踏み出した足が空中を蹴った。
「いやお前は行っちゃダメだろ。この場合」
「ちょっ、放せっ、放してくれ!」
「アクア、いい子にして待ってて~」
手を振るアイを監督に抓み上げられながら虚しく見送る。
去って行く友人の、妙に煤けたその背中を、ただ見送る。
(……藤咲、どうしちまったんだよ)
お前、そんなに強引だったか。相手の都合にそんなに無思慮な奴だったか。
あいつは、あの男は違う。絶対に、あんな能面みたいな笑い方をするような奴じゃなかった。
どうして。
「まともな刑事じゃないな」
「え」
「刑事、というか警察官全般に言えるが、普通捜査活動なんかは二人一組が鉄則だ。単独行動なんてしないしまず許されない。しかも、ありゃ宮崎県警の刑事だ」
「なっ! ……なんでそんなこと」
「手帳の記章に書いてあった」
「あぁ……」
「県外の警察が他府県へ参考人の事情聴取の為に出張、ってのがそもそもおかしい。よしんばそういう指示を受けてるなら、なおのこと一人でこんなところに乗り込んで来るのは異常だ」
「……全部あいつの独断ってこと?」
「みたいだな。とんだ跳ねっかえりもいたもんだ。おもしれぇ」
俺を床に下ろして、監督は指で画角を作りその黒い背をフォーカスした。廊下の果てに消え去る寸前の、光を嫌う影のような男の姿を。
「命令無視、独断専行、異端、一匹狼の不良刑事……ちょっと陳腐だが、刑事モノは設定が固め易い。かちっと画がシックになる。なにより、いいキャラしてるぜ。あの藤咲って野郎。まさに怒れる男だな」
「怒り……?」
「ああ、言葉の端々とか、表情とか、特に眼だ。あの眼はかなりキてる。あのまま殺されるかと思ったぜ」
そんな馬鹿な。監督の言い様に俺は笑おうとして、失敗した。
藤咲、お前が怒りを露わにするのは、いつもいつも。
イジメがあれば虐めた犯人を見付け出し、それを暴き立てて罪を償わせた。
喧嘩沙汰が起これば仲裁に走り、元凶となった人間や事物を徹底的に洗い出し、場合によっては荒事の矢面に立つのも辞さなかった。
でも、それでもお前が常に憎んだのは罪だ。人を憎まず、間違いを犯した者に理解を示す努力をお前は惜しまなかった。
そんなお前がどうして、そんな眼をする。
なにをそこまで怒る。
なにがお前を怒り狂わせた。
なにが────あぁ、そんなこと、わかりきってるじゃないか。
「馬鹿かよ……いいんだよ、もう……俺は、ここにいる。こうしてまた、生きてるから……だから……」
「?」
ドラマだか映画撮影の為なのだろう。宛がわれた校長室には最低限の調度品が据え置かれていた。
対面のソファーに、星野アイ、斉藤ミヤコが座る。
ガラステーブルを挟んで向かい、己もまた浅く腰を下ろす。
再び手帳を取り出して見せた。儀礼であり、もはや手癖のようなもの。
本部の命令を遵守しない無頼の分際で体よく国家権力を利用している。
始末書では済むまい。他人事のように、俺は薄ら笑う。
「五分で終わらせやしょう。伺いてぇのは三つです。一つ、星野アイさん、当時貴女が西臼杵公立病院に入院されていたことを知っていたのは、付き添いの斉藤社長、社長夫人の斉藤ミヤコさん、病院の一部スタッフ、そして雨宮吾郎……他には誰か、いませんか」
「うーん、いなかったですね。私、友達とかいなくて。ファンの皆にはもちろん秘密だったし」
「嘘がお上手だ。お嬢さん」
星野は微笑んだ。こちらの不躾な物言いに気分を害した様子もない。
「えー? 私嘘なんて吐いてませんよ」
「あの子らの父親はどうです」
「……」
「知っていたのか、知らなかったのか。自発的に報せていなかったってんならそう答えてもらっても構わねぇんだぜ。身内を庇おうとするのは人の常よ」
「ちょ、ちょっと、貴方失礼じゃ」
「どうなんだい? 答えんことにゃ話は終わらんぜ」
「知ってた、かな。報せたつもりはないけど、世間話ついでに喋っちゃってたかも」
企業や政府の緘口令でもあるまいに。ただの口止めならこんなものだろう。
つまるところ初めから情報は漏れていた。あの病院の周辺に“外部”の人間がいたという公算は高い。
「なら二つ目だ。あんた、つきまとい被害に遭っちゃいなかったかい。ストーカーと言い換えてもいいが」
「ストーカー? えっと、いなかったよね?」
「え? いえ……そりゃあ熱心なファンはたくさんいましたよ。ライブ後の出待ち、握手会とか、直接顔を合わせる機会もいくらかありますし、ちょっと強引な人にはスタッフや私共から注意したり……でも、実害らしいものは今のところない、筈です。アイさんが自覚されてる範囲でないなら……」
「まったくないです!」
「ないそうです……」
ストーカーは基本的にその相手に己の存在を気付かせようとする。好悪の別など慮外に、相手の反応をこそなによりも欲するものだ。
ある程度芸能活動や生活環境を管理していた事務所関係者はおろか、星野アイ本人が把握していないなら、なるほどストーカー被害そのものはなかったのだろう。
だが。
「ファンレター……それまでは間断なく届いていたものが突然ふっつり途絶えた、なんてこたぁありませんか。特にここ二年ほど……妊娠が発覚してからは」
「そんなのわかるわけないでしょ! 一体何通届くと思ってるの! それにある程度量が嵩んでくれば順次破棄してるんです」
「保管してある分で構いません。纏めてこちらに寄越してもらえますかな。検めます」
「あ、検めるって……」
まさかそこから犯人を特定できるなどと楽観してはいない。
ただ潰すべき蝨ならそうする。それだけだ。
「三つ目、こいつで最後だ」
「はーい」
「はあ……」
依然明朗な娘とは裏腹に、マネージャーの女には色濃い疲労が見て取れる。なにやら苦労性らしい。
言えた筋ではないが。
「子供の父親の身許を教えてもらえるかい」
「それは命令ですか?」
「いいや任意だ。公僕にそんな権利はねぇさ。強いて言やぁお願いだ。今までの質問含めてな」
「じゃあダメです。それだけは教えてあげられない。ごめんね、刑事さん」
「ア、アイさん!?」
斉藤だけが律儀に動揺を露わにする。
星野の目は真っ直ぐだ。星でも瞬いているように、その大きな瞳は綺羅綺羅と眩い。
嘘の上手い娘だった。それを嘘と自ら知りながら壊れ物めいて大切に扱うのだ。大切に、尊び、愛でるかのように。
「あの子達がもう少しだけ大きくなったら……ううん、お父さんに会いたいってあの子達が言うなら会わせてあげたい。その後ならいいですよ。でもそれまではダメ」
「……」
今、そこに宿るものは。
嘘はない。綺羅星めいた輝かしい嘘が消え、ただ唯一残ったものは────
「わかった。質問はこれで終いだ。時間を取らせて申し訳ない。ご協力、感謝しますよ」
「いえいえ」
「……もうこういうことはないようにお願いしますよ?」
斉藤マネージャーの至極尤もな苦言に頷く。
懲戒ものの横車だ。実際、己の首にはもう縄が掛かっている。
残された時間は少ない。その僅かな時間を使って俺は……俺は何がしたい。友人を滑落死させた犯人を自らの手で捕らえ、一体なんとする。
同じだけの痛みを与えようというのか。
復讐を、果たそうというのか。
「……では、ここいらでお暇を」
「あ、待って藤咲さん……今度は私から質問したいな」
「なんです」
「…………せんせは、今どうしてるんですか」
振り返れば、ソファーを立ち上がった娘子が己を見詰めている。じっと、心まで見透かされそうな透き通った目。
おかしなものだ。嘘を尊ぶ娘が、嘘を許さないとは。
「先日、高千穂の山中で……遺体で発見されました」
「っ!」
「……そんな」
「己はその
そう独り言ちてから、己が埒もないことを詮無い相手に口走っていたことに気付いた。
「もし気が変わったらご連絡ください。己でなくとも構わねぇ。警察は、市民からの情報提供をいつでも承っておりますので」
不良刑事がどの口で。そう叱ってくれる者はもういない。
校長室の扉を開き、廊下へ出た。
すると、そこに。
「おっと」
「あっ……」
扉のすぐ傍、壁に背を預けて子供一人佇んでいた。
金糸の髪、しかしその整った顔立ちと目元の造りは星野アイと瓜二つだ。
「お、おじ……おじさん」
「すまねぇな。別に嬢ちゃんのおっ母さん虐めてた訳じゃあねぇんだ。ただ、お話聞かせてもらいたくてな。おいちゃん、もう消えるから、安心しな」
屈み込んで笑い掛ける。そうしてから、自分の面がお世辞にも子供受けするかどうかを思い出した。
立ち上がろうとした時、背広の袖口をその小さな指が掴んだ。
「あ、あの、あの……私ね。私」
「ルビー?」
扉から顔を出した星野が娘の姿を認めて首を傾げた。
娘は声を詰まらせる。
生憎、それを辛抱強く斟酌してやる暇が俺にはもはや残されていない。
場違い者はとっとと立ち去ろう。
────この時、きちんと話を聞いてやるべきだったと遅すぎる後悔を抱いたのはそれから暫く先の話だ。