推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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前途多難

 

 

 

 

 苺プロの休憩スペースは主に所属タレントに開放された場である。

 過ごし方は各々自由。芝居なり番組なりの台本を確認するもよし、次スケジュールまでの時間を休息に充てるもよし、現役学生ならば学校の課題や自習に使うもよし。

 これは役得というより、当然の福利厚生の一環であろう。

 ただ、何事にも限度はある。

 労働者に対する雇用者のストレスケアは決して単なる慈善行為ではない。パフォーマンスの向上、延いては何を置いても利益。次に利益。そうしてからようやく三の次に当たる諸々を整える。資本主義としては当然だ。

 なるほど無為徒食などは論外としても、雇用関係であるからには線引きというものがある。会社の制度にただ胡座を掻くばかりでは、それこそ我が身に立つ瀬がない。

 

「あら、よくわかってるじゃない。なんなら就業規則を読み上げてやろうかと思ったんだけど」

「いや、待てよ。規則ってんならあれだ、確か育児支援の名目で近頃子連れ出勤なんてぇハイカラなもんを導入してんじゃあなかったかいこの事務所は。ほれ、PDFの46ページ辺り、育児休暇の下にしれっと……おぉ? しめた、続柄については記載がねぇな。まあなんだ、親戚の子っちゅうことでここはひとつ。ね?」

「くっ、社会人経験あるやつはこれだから生意気……当然だけど! きちんと監督責任を果たすように! 子供の面倒見るのがどれだけ大変か……!」

「わー実感こもってる~。まるで子育て経験者みたいな魂の叫びだね!」

「ルビー、あんま煽るな。あの時期はお互いにとって黒歴史だから」

 

 昔を懐かしむ風のルビーちゃんとは裏腹に、げんなりとするアクアとミヤコちゃん。どうやらそれを思い出として昇華するにはまだちと掛かるようだ。

 

「社会人?」

「……なに、あんたまさかここ以外でもバイト三昧だったの? いよいよ年齢不詳具合極まってきたわね。人生生き急ぎすぎでしょ。子役やってた私が言うのもなんだけど」

 

 床に広げたスケッチブックからメムちゃんが顔を上げ、ビーズクッションでスマホを弄っていた有馬嬢が皮肉を垂れる。

 ミヤコちゃんは娘さん方の疑問符を半ば黙殺した。最適解である。

 

「ふむん、マッシーの波瀾万丈な人生経験エピソードはトーク動画だけで結構稼げそうですな~。ね、ね、どう? 私のチャンネルでゲストで出ない?」

「今のコンプラ過敏な時代だと悪い方で話題を呼びそうね」

「あ、おじさんとアクアの昔話なら私も知りたい。私に黙ってやらかした数々のやんちゃ三昧を吐くんだよあくしろよ」

「ルビーさん、ルビーさん、コブラは、コブラはマジ勘弁してください」

 

 五反田マシラの正体について、斉藤夫妻のスタンスは一貫して『見て見ぬふりで行こう』である。

 実年齢云々も然ることながら、やはり死人が黄泉帰ったという一点が夫妻の理解能力的許容限界を突破してしまったのだとか。無理もない。

 

「ルビー、首から上は大事な商売道具なんだから、固めるなら手足にしなさい。こいつら警察のご厄介になったことも一度や二度じゃないわ。YouTubeに上げるならそれなりに検閲しますから」

「さらりと出るよね。衝撃の事実」

「おいおい、あくまで額面通り参考人聴取だ。今のところ被疑者になったこたぁねぇぜ」

「そういう問題じゃないんだよなぁ……」

 

 とはいえ、現在に至ってなお、アクアやルビーちゃんと夫妻との関係が良好であることはせめて幸いだ。傍目に見てもその付き合いの深さは親類縁者と呼んでなんらの差し支えもない。

 兄妹にしても社長とミヤコちゃんには一定の信頼を置いている様子で、こればかりは相性というか人徳というか、第一印象や関係性に依るところでもあろうが。

 己はそれに、筋違いな安堵など覚えている。良い縁の許で旧知の者らが居所を得られたその一事に。

 

「とにかく! ここは職場! 貴方は所属タレント! 就業規則に基づいて一定の権利は認めます。えぇそれが健全な企業ってものですから? ただし! 壱護の言葉じゃないけどそれは貴方がきちんと稼いでいる間だけ! 実績が伴わないならこういう勝手は────」

「騒々しい女」

「…………なんですって?」

 

 ぴしりと、空間が凍結を起こしたようだ。

 ミヤコちゃんの言を断ち切って、その冷めた声音はよく澄んで響く。まるで鈴を転がすよう。それは純白の髪の下、白百合めいて可憐な少女の造形にまっこと相応しい儚げな美声。

 ただ、纏う気配ばかりが不相応だった。無垢な刃物の切先に指を滑らせるが如き危うさ。

 ミヤコちゃんの頬と目尻がひくりひくりと震える。感情が顔面の筋肉に痙攣となって漏れ出ているのだ。そしてそれは間違いなく穏和とは正反対の種類の。

 

「こら、ルメ。そいつぁなんてぇ言い様だい」

「だって本当のことじゃない。ぴーちくぱーちく小言が多い。出て行け、の一言で済むことを愚痴愚痴しつっこいったら。やっぱり、年嵩の女って皆こうなっちゃうのね。嘆かわしいわ」

「ぷっつーん」

「あ、自分で言った。自分で言ったよ今」

「キレ散らかす前に宣言挟むだけまだ偉いわ」

「年齢のことを口にしたら戦争だろうがっ……!!」

「落ち着けMEMちょ落ち着け。今のはMEMちょ関係ないから。ビークールビークール」

 

 やにわにミヤコちゃんの両肩から怒気が膨れ上がり、ゆるく巻かれた茶髪がメデューサの蛇髪の様相で踊り出す。どういった仕組みなのかはわからぬ。

 眼光を尖らせ、今にも食って掛からんばかり。怒声の爆発を覚悟して室内の全員が身構えた、その瞬間。

 

「“ひかえよ”」

 

 柔らかに少女は言った。

 命ずるような言葉を、あたかも愛の囁きの響きで。

 

「────はい」

 

 ミヤコちゃんは応えた。しかしそこに先まで滾っていた自身を打ち震わすほどの怒りは微塵もなく、今はただ虚ろな目と声で女は脱力して佇立するのだ。

 

「喉が渇いたわ。ミヤコさん、紅茶を淹れてくださるかしら」

「仰せのままに」

 

 言うや、踵を返してミヤコちゃんは給湯室へ入っていく。

 その背中が室外へ消え、沈黙がきっかり一分間。

 

「いやいやいやいやいやいやいやいやいや。えっ、なに? なにそれ? 今のなに???」

「あれ明らかにミヤコさん操られてたわよ!? ギ〇ス!? 〇アスなの!?」

「……」

「おい、連れて来た張本人。なんか言えよ」

「おじさんには黙秘権がありません。弁護士も呼べません」

 

 それはまた酷い。民主国家にあるまじき仕儀である。

 床の上で黙ってただ窮する無様な己に、とてとてとルメが近寄って来る。少女は座椅子にそうするように己の胡坐に腰を下ろし、己の胸板を背もたれに全身を預けた。

 

「だそうよ、サルタ。だから言ったのに。面倒にしかならないって」

「だからとてお前さんから目を離す訳に行くかい」

「それは私が厄介だから? それとも……心配だから?」

「両方だよ、お嬢ちゃん」

「ふふ……貴方のそういうところ、昔から好き」

 

 ちう、と。

 顎の下に柔らかな感触を覚える。それはどうやら、少女からの接吻だった。

 

「んなっ」

「……」

 

 ルビーちゃんは声を漏らし顔を顰めた。怒りの薪に火が点った、そのような気配。

 対して、アクア坊の顔は際限なく無彩色に、ただただ表情を殺ぎ落していく。子供にこのような真似をさせる変態とでも思われているのだろうか。今のところ言い訳の余地もないが。

 電灯を背にして己を見下ろし影を纏う美貌二種。双子の大きな瞳の奥から、黒々とした綺羅星が瞬いて見えた。

 謎の少女ルメとの出会いからまだ幾日かを数えるばかり……前途は実に多難である。

 

 

 

 

 

 

 

 

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