クリック、クリック、クリック。
暗い部屋の中に響く。マウスボタンを押し込む硬く軽い音色。いかにも神経質に、小刻みに、クリック、ドラッグ、クリック、クリック。
日が落ちていることにも気付かず照明を点すことも忘れ、デスクの影は作業に没頭している。
それは、広義には編集に該当するのだろう。職業的にまったくの無縁という訳ではなく、やたらに手際は良い。
しかし当人にとってそれは追想であり、神聖な信仰対象への祈りに近しく、極めて有機的な栄養の摂取行為そのものだった。
「……糞」
呪詛は自然に溢れ落ちる。
神域が冒されているからだ。不可侵の筈の美しい世界に異物が紛れているからだ。
苛立つ。
「お前らは邪魔なんだよ」
一枚の画像は、鞄の中から撮られたにしては上々の出来だった。
少年少女達のオフショット。スズメバチの巣の駆除依頼をこなした後、駆除班と実況中継班が合流した時のもの。
汗みずくになった五反田マシラが嫌がる星野アクアに絡んでいる。ぐったりとした熊野ノブユキに森本ケンゴがスポーツドリンクを差し出して労っている。それを見て笑う鷲見ゆき、呆れる有馬かな、腰を叩くMEMちょ、なにやらアルカイックに微笑む黒川あかね。
美しい光景だった。陳腐な表現を当てるなら、これこそ青春なのだ。そして絆が、無垢で、清澄で、猥雑さの欠片もない完璧な情景。
完成された芸術に、畏れ多くも混じるそれとそれとそれ。
「消えろ。消えちまえ」
自分でできないというのなら、仕方ない。
この手で消してやる。
小型ビニールハウス程度の重量なら普通の怪我で済んだものを。そうならなかったことを後悔すればいい。
チャンスはある。
チャンスは、ある。
場所は小造な宴会場である。十二畳敷き、欄間に施された龍の透彫がなかなかに見事だった。
時刻は早朝、丑三つ時は越えたものの未だ空も真黒な3時過ぎ。冬本番を目前に、空気の冴えはもはや身を切るまでに鮮やかで。
珍しきかな、ロケーションは屋内である。場所柄か時刻柄か定かではないが撮影クルーはややも浮き足立った雰囲気を醸す。
今ガチという番組はよくよくセオリーを外すことに腐心する。
ゆえにこれは変化球に当たる。
「海だ山だとさんざ行ったり来たりしたが、斯様に風雅な宿で今ガチやる日が来るたぁ妙な気分だぜ」
「言わんとしてることはなんとなーくわかるんだけど、相当変なこと言ってるよおじさん」
「山間に建つ古びた旅館。人の往来が絶えた閉鎖空間で、何も知らない少年少女達は恐怖のずんどこに突き落とされ七転八倒くんずほぐれつ捕って獲られて採り返されて」
「フリルさんなに言ってんの?」
「会うた時から思ってたがなにやら変わった子だのう」
「この辺りだと特にミシシッピアカミミガメが要注意外来生物に指定されてる。なんとかしなきゃ。唐揚げがいいな」
「……カメって食べられるの?」
「なんでも肝臓が美味いんだそうだ」
「それからそれから、リスのチタタプのオハウを一度でいいから食べたい。どうしても食べたい」
「リ、リス? 捕まえてもいいの? なんとか保護法とかに引っ掛かんない?」
「あータイワンリスやらタイリクモモンガやらは外来生物法の範疇だったと思うが」
「どっちも可愛いよ。モモンガなんてほら、目がくりくりしてて」
「あ、ホントだ可愛い! ……え、ってかフリルさんこれ食べる気なの? あととりあえずなんか捕まえて食べるで話進めるのやめない!?」
やいのやいのと駄弁に興じる我らをスタッフやディレクターは頓着などしない。しても詮ないのだと過去に学び今を生きているのだから。
5秒前! 4、3、2────
スタッフの指が折れていき、最後の1秒は無言のままキューが出る。
一番槍、ルビーちゃんが叫んだ。
「今気付いた! ツッコミ役私一人じゃん!?」
「最終回間際なのにリクエスト企画第一弾」
「突撃寝起きにサンタクロゥス~」
赤いナイトキャップに赤いコートに赤いズボン。カトリックの司教が身に纏う祭服がデフォルメされアレンジされ尽くし、某飲料メーカー等の広告が浸透し、結果今日民衆が認知するところのサンタ装束が出来上がったとか。
袖を通すまでもなく気付いていたことだが、我ながら様にならぬ。やはり老成と恰幅が足りないのだろう。
一方、二人の娘子らは。
「いやトナカイ役普通逆じゃない?」
「そうかい? 二人とも大層可愛らしいじゃあねぇか」
「ドヤ」
茶色い着ぐるみで着膨れした不知火嬢がポーズを決める。赤い付け鼻には電飾が仕込まれており、それは頻りに明滅した。
ルビーちゃんは被り物の角の位置が気に入らないのか、蹄の前足でごそごそといつまでも身繕いしている。
気の早い、ともすると早過ぎる今ガチクリスマス仕様であった。
こちらを向いたディスプレイには現在ネットに配信されている映像が流れているそうだ。こんな深夜とも早朝とも言えぬ時刻に生中継をやろうというのがそもそもおかしな話なのだ。
「こんな阿呆みてぇな時間からインターネットに齧り付いてる変わったお客がいるものかね」
「やにわにdisから入らないでねーおじさん。そういう軽率なのどっちかっていうと私のキャラなんだけどなー」
「同時視聴者数が一万人超えたって」
「おはようさんこの物好き共め!」
「まだ上がってる! ちょっとキモいぐらい上がってく! え、今ガチユーザーってみんな無職なの?」
「ルビーも十分口悪いと思う。そういう正直なとこ私は好きだよ」
画面端に表示されたコメント欄が高速で流れ去っていく。
「『フリル!』『不知火フリル!?』『フリルちゃんだー!』うーんコメント速過ぎて読めな……『隣の美少女は誰?』よくぞ聞いてくれましたぽけてぃさんありがとう!」
「ここぞとばかり動体視力が冴えてるな」
「褒め言葉に目敏いルビーちゃん、可愛いね」
「初めましておはようございます! あ、MEMちょらいぶで知ってくれてる人もいる!? ありがとう! アイドル見習い星野ルビーです! 前々からずっと見てた今ガチに出演させてもらえるなんてホントに感激! うん、薄々皆さん気付いてるかもだからはっきり言うね。コネです!! 縁故採用です!! ありがとうアクア! お兄様愛してる! そしてそしてなんと言っても真打はこちらの方!」
「どうも、どうもどうも、不知火フリルです。知ってる人も知らない人もね、名前だけでも憶えてってくださいね。え? なんで今になってゲスト出演かって? それはね、今度出るドラマの番宣をやって来いって事務所の偉い人に言われたからだよ。概要欄にホームページのURL貼ってあるから気が向いたらそっちも見てね」
蹄を振りつ、不知火嬢は手書きらしいプラカードを五秒ばかり掲げた。
そしてどうやらそれで娘が任ぜられたという番宣は終わった。
「はい、じゃあ本番行ってみよう」
「番宣ってこういうもんなの?」
「違うんじゃあねぇかな。よくは知らねぇが」
他人のことを言えた筋ではないが、不知火フリルは大概自由気儘な娘さんだった。
クリスマスだかサンタだか、浮ついたこの企画が本決まりを見る数日前。
そこには顛末があり、明確な思惑があった。
「犯人を特定する」
「まあ、そいつぁ急務ってぇやつだが」
五反田家の自室にて議論を重ねた末、煎茶を一啜りしてアクアが言った。
今ガチメンバーを付け狙う“襲撃者”に如何に対処し、そして対手を如何に捕縛するか。
「今回上がって来た企画、使えるかもしれない」
「旅館を借り切るってぇ太っ腹なあれか。一ヵ所に役者を集めて犯人は袋の鼠、と行きてぇところだが……そうそう上手く誘き出せるかねぇ」
「むしろ今だからこそチャンスなんだ」
「どういう意味だい」
「犯人がどうして今頃になってハウスを落下させるなんて強引な襲撃を敢行したのか。焦ってるんじゃないのか? 今ガチの最終回が近いことに」
「番組が終わっちまえば、演者を襲撃する機会を失うから、か」
それはつまり番組関係者の中にメンバーを狙う者がいるという証左。元より予想されたことだ。鏑木からの情報と現場の状況を鑑みてもそれはおそらく正鵠に近い。まこと、残念ながら。
「慰労会、とでも銘打って関係各所を招待すれば、敵さん喜んでそこらに紛れてやって来るかもしれねぇな」
「現行犯。俺らがそいつを捕まえるならそこしかない」
「肝はそこよ。現場をどうやって抑える」
「ちょっと考えがあるんだ。犯人は多分今ガチのヘヴィーリスナー、それを上手く利用すれば……嵌められる」
「ほう、言い切るじゃねぇか。そこんとこ、もっと詳しく知りたいねぇ」
アクアはその小綺麗な顔に悪い笑みを湛えた。己が同じような面をしていないとどうして言える。
悪巧みというやつは、幾つになっても愉しくて仕様がないものなのだ。
「まずは」
「うむ」
「おるぁぁああああ!! 私を除け者にしてまたなんか企んでるな野郎共!?」
部屋に飛び込んで来たルビーちゃんの旋風脚をアクア共々蟀谷に喰らう。
作戦会議にルビーちゃんが加わり、そうして我ら三人は仲良く企てを調えた。
決行日。
慰安旅行を兼ねて旅館一棟を借り切る御大尽ぶり。山荘を舞台に放たれた待望のリクエスト企画第一弾は。
「寝起きドッキリです!」
「バラエティーとしちゃあれだな、古風というかベターというか」
「可愛い女の子の寝顔をギャラ貰って見られるとか、超最高だよね」
「おじさんうるさい! フリルさんヨダレ拭いて! これが民意なの! 視聴者の欲望なの! 私悪くないもん!」