推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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薔薇色の夢を見る者達

 

 

「綺麗だと思ったの」

 

 女は突如、夜天を仰いで語り出す。

 ライターのゆらゆら揺れる灯が女の白く細い顎先を暗闇の中映し出す。

 

「業績は下がるしボーナスはカット。それだけなら景気の所為だけど、残業続きで日に日に雑多に業務だけが増えてく。ここ半年定時で上がれたためしがない。月の半分以上は終電にも逃げられる」

「……」

「友達はみんな結婚して子供作って苦労話みたいな幸福自慢しかしてこない。婚活とかマッチングとかいろいろやったけど見向きもされない。自分が魅力のない人間だって、再確認させられるだけ。惨めだった。アパートの部屋でふっと気付くんだ。あぁ私、このまま一人で死んでいくんだなぁって。年に何回か焦りと不安で気が狂いそうになる。後の何百日間はそういう感情すら動かない。感情に使う時間なんてどこにもない。何の為に生きてるんだろう。何の為に、何の為に!? ……そんな時だった。動画の広告に流れてきたこの番組が偶然目に入った」

 

 ゆらり、傾ぐように顎を引き、眼鏡の奥の瞳は虚空を見詰める。

 表情は幾分柔らかだった。

 

「何の苦労も知らなそうなガキ同士が恋愛ごっこするだけのよくあるリアリティーショー……かと思ってたら、なんかちょっと、いや大分おかしなことしてる。久しぶりに笑った。笑えた。涙が出るくらい。私とは大違い。私にはなかった。青春、みたいなもの。まるで、別世界みたいで……特に、貴方とアクア」

「ん?」

「五反田マシラと星野アクア。貴方達を見てると、胸が高鳴った。心が安らいだ。現実の嫌なことなにもかもを一時だけ忘れられた。貴方達の日常、触れ合いをもっと見たかった。会話だけでいい。ううん! ただ隣り合ってそこに居てくれるだけでも!」

 

 目を見開き笑みが咲く。花というには狂気が色濃い。なるほど、食虫花のそれだ。

 飢えた花の顔で女は絞り出すように呟いた。

 

「……尊かった」

「つまり、なんだ。お前さん、己とアクア以外を」

「消したかった」

 

 あっさりと言い切る。

 驚きは少ない。ただ、半信半疑ではあった。まさか、と。

 まさかあかね坊の突拍子もない予言がこうもぴたり的中するなどとは思わぬ。

 

「貴方達だけでいい。貴方達の風景が、世界がそこにあればいい。他は邪魔。雑音。特に、特に……女なんて必要ない。害! 汚れ! 綺麗な世界を汚す異物! 現にみんな望んでた!」

「皆?」

「そう! ネットのみんなが! 大食いのキャラ付けに必死な鷲見ゆき、八方美人気取りのMEM、なにより! 二人の間でぎゃあぎゃあうるさく騒ぐ有馬かな! それに……理解者ぶってる黒川あかねも、みんないなくなればいいの。そうすれば、理想の世界がそこに現れるのに」

「ほー、ノブユキとケンゴはいいのかい?」

「ああ、別にいいわ。顔が良い男の子は賑やかしにはなるもの」

 

 好き勝手言いやがる。

 喉元までせり上がって来た呆れを唾と共に呑み込んだ。説教を垂れる気も失せる。普段なら頼まれずとも口から漏れ出て来るのだが。

 

「だが、番組が打ち切られちゃ本末転倒なんじゃあねぇか。お前さん言うところの理想の世界とやらが終わることになるぜ」

「そうはならない。だって、貴方達の絆は本物だもん!」

 

 女は叫ぶ。自身の声に自ら興奮し、あるいは狂喜して。確信を以て。

 このような相手にそのようなことを自信満々()()()()()()もあまり嬉しくはなかった。

 

「マシラとアクア、すごい。すごいすごい。現実にいるんだ。こんな人達。友情とか、愛が! 恋愛だの性欲だの薄汚い感情なんて一切ない、打算のない無償の愛! 本物。本物の、愛で繋がって」

「うへぇ気色悪ぃ」

 

 思わず口走っていた。

 しかし女の方は何程も堪えた様子はなく、問わず語りを気持ち良さそうに続けている。

 処置無しだ。じりと間合を詰める。

 語りに夢中と見せて、女賊めは反応だけは敏速だった。

 予め緩めておいたのだろう携行缶の蓋を指で弾き飛ばし、ライターを振り翳す。

 

「来るな! 動くな! 火ぃ着けるぞ!」

「止しなぃ。今ならばまだ未遂で済む」

「わ、わた、わたしが作るの。り、り、理想のカップリング、夢みたいな世界を、あは、あははははは」

「おぉいおい勘弁してくれ。俺ぁ心療内科医じゃあねぇんだ。しかしまあ、一つ忠告するならばだ……てめぇはまず、てめぇの“病気”を自覚しな」

「っっ!!」

 

 闇間で女の顔が醜悪に歪み、鬼の形相を浮かべた。

 半瞬の躊躇、女が携行缶を大きく振った。中身の液体を辺り一面へばら撒く為に。

 そうはさせぬ。

 己は既にして踏み込み、懐からそれを取り出している。

 携行缶の丸い口へ、ねじ込んでいる。

 昨朝余らせたアンパンを。

 

「んなっ」

「ああああああああああああもったいないぃいいいいいいいいいいい!!」

「ゆきうるさい!」

 

 新館で悲鳴が轟く。

 続いて響いた怒声は有馬嬢だろう。

 一瞬、朦々と広まった饐えた臭いが鼻を刺す。しかし僅かな量が漏れ出るまでが精一杯。ぎちぎちに詰まったアンパンがガソリンの流出を堰き止め、振り回そうが逆さにしようがもはやどうにもならぬ。

 

「糞がぁ!」

 

 女は缶を投げて、立て掛けた脚立も碌々伝わず半ば屋根を跳び降りた。

 己もまた屋根を跳び、中庭に駆け出そうとする黒い背中を見やる。だが慌てることはない。

 旧館と新館の狭間、渡り廊下の影からすっと立ち上がる。女の進行方向には、アクアが待ち構えていた。

 その手に大型の懐中電灯のようなものを構えて。

 少年が手元のスイッチを押し込む。

 途端、わっと暗闇に白く広がる。進行方向を覆い包みながら打ち出されたのは網。

 それはいつだか己自身体験した、ネットランチャーだった。

 

「くあっ!?」

 

 高耐久の化学繊維が下手人を絡め取り、重りが遠心し巾着状に収束する。

 立つことも儘ならず、女はその場に倒れ込んだ。

 

「……アクアてめぇこんなもんを己に使う気だったのか」

「便利だろ?」

「かっ、悪たれが」

「アクアくん、マシラくん、PC(パトカー)あと五分くらいで着くって」

 

 アクアの背後からスマホ片手にあかね坊が歩み寄って来た。

 想定していたより警察の到着が早い。事前の通報は打合せ通りだが、娘はこの旅館の辺鄙な立地を考慮して動きをやや早めたのだろう。

 

「ありがとうよ、あかね坊。さて、官憲共が来るまで大人しくしててもらうぜ」

「結束バンドで親指縛っとこう」

「お前という奴はどうしてそう物騒なもんを取り揃えていやがるんだ」

「どっかの馬鹿が着の身着のまま危ないことするからだよ馬鹿」

「……デュフフ」

 

 傍らで異音が鳴る。

 見れば、あかねが己とアクアを横目に笑っていた。平素は涼やかに笑う娘が、今は何とも曰く言い難い……粘ついた笑みを浮かべている。

 

「どうしたあかね坊。ニヤニヤと」

「カミングアウトして気が緩んでるんだ。今まではもっと上手く隠蔽しながら妄想してたんだろうな」

「ファッ!? べべべ別に妄想なんてしてないよ!? ワイルド系×クール系バディモノ美味しいでしゅとか全然考えてないよ!?」

「これは緩み過ぎじゃあねぇか」

「タガが馬鹿になってる……」

「このぉ!!」

 

 突如、女が声を上げた。黒々と怨嗟すら滲む叫喚。

 ポケットに忍ばせていたのだろう。女は蹲ったまま細いスプレー缶を手にしてこちらへ、あかねへとノズルを向けた。

 

「見せ付けてんじゃねぇぞ! この糞アマ!」

 

 ジッポーライターは未だ女の手の中。

 スプレーが掠れた音で吹き出す。霧状に散布された液体に、ライターの火を翳した。

 一切の支障なくそれは引火する。

 赤々と燃え上がる。闇を払い、吹き出す火炎。

 

「────」

 

 刹那、思考は加速した。

 スプレーの中身、不明。

 液体の散布量と勢いを思えば取るに足らない火力だが、もしあれが特殊な化学薬品であった場合、曝露の危険もまた未知数。

 我が身は問題ない。毒物であろうが劇物であろうが大した損害には成り得ない。この肉体の馬鹿げた耐久性ならば。

 だが傍らの、この二人には────以上結論。

 斬り払う。

 踏み出る。モッズコートの裾を払い、ベルトの左腰に差したその柄を握り、抜き放つ。

 三段伸縮式特殊警棒。

 軽い金属音と共に刀身が伸び切り、それは過不足ない刃渡りと重量を得たと同時に上段に構え。

 打ち下ろす。斬撃が走る。奔る。

 

「カァァァアアアアアアアアアアアアアッッ!!!」

 

 裂帛の気息、全身全霊。

 十二分の脱力と踏み込みから成る体重移動力を乗せた運剣……その対極。

 肉体能力の粋。愚劣愚直なる筋骨の強度にあかせた剛なる剣。

 全力死力の、斬り下ろし。

 眼前、視界を覆う炎の塊。見当で一立方メートル。空間ごと鉄器が薙ぐ。

 できる。

 常軌を逸した剣速と尋常ならざるこの膂力あらば。

 できるのだ。

 火炎はまず二つに断ち割れ、その後警棒の通過した軌跡へ、追随するように空間に刻まれた斬線へと吸われる。

 在り得ざるその“真空”へと呑まれてゆく。

 消える。

 まるで陽炎の如くに、火は裂け砕け散り散りになって消え去った。

 

「…………へ?」

「はぁぁああ……危ねぇ危ねぇ」

 

 警棒を軽く振るい、呆然とする女の手からライターを弾き飛ばす。ひょーいと放物線を描いて、それは新館の方へ飛んだ。

 

「行ったぞノブユキ!」

「えぇ!? ぅおう!」

 

 新館二階の窓からノブユキが顔を出した。

 少年は飛んできたライターをはっしと両手で捕まえる。

 

「おぉぉわたたたたた!?」

「あぁーもぉー!」

「落ちる落ちる!?」

「あっぶねぇ!」

 

 伸び上がって窓から落ちかけたノブユキをどうやら背後から有馬嬢とゆきん子とケンゴが引っ張っていた。

 あわや滑落し掛けたノブユキが叫ぶ。

 

「とったどー!」

「うるっさい!」

「叫んでないで早く蓋閉じろ! 火傷するぞ!」

 

 有馬嬢がぴしゃりと、ケンゴが割合冷静に言った。

 女を後ろ手に縛り上げながら子供らのそんな様子に笑んだ。

 

「神妙にしてろ……次はねぇぞ」

「ひっ」

 

 静かに言い含めてやると女は今度こそ諦めたように大人しくなった。

 警棒の刀身を仕舞い、懐に納める。

 振り返ればそこには、下手人の女と同じほど娘子が神妙な面をしていた。

 

「マ、マシラくん、今の、ど、どうやったの……?」

「うん? 俺ぁなんぞやったかね? アクア坊は見たか?」

「ミテナイヨー」

「だそうだぜあかね坊。気の所為だ。目の錯覚だよぅ」

「えぇ……」

 

 遠く複数台のエンジン音が聞こえる。サイレンを鳴らさないのは通報時の現状から犯人の逃走等を想定してのことだろうか。

 女は項垂れてぶつぶつと何か呟いている。大方、自身が言うところの理想世界とやらに脳内で逃避行しているのだ。現実に背を向けて。

 それは一つの救いなのだろう。余人に理解者はおらずとも、自己で完結した快楽があるなら。

 所詮今の我が身は警察でも教育者でも、まして宗教者でもない。ただの悪童に過ぎぬ。罰も説法も救済も、与えてやれるものなどはない。

 

「……佐々木エイコさん」

「優しい世界が見たかっただけ……私はただ、二人の幸せを感じて……少しだけ、ほんの少しだけでも……ただ……私……見たくて……救いだった、尊いもの……私は、私は……」

「貴女は、間違ってる」

「ッ! お前に私の何がわかる!?」

「わかりますよ。だって私も────この二人の尊みに浴する一人だから!」

「とーとみってなぁなんだい?」

「聞くな。俺は聞きたくない」

 

 ひそひそと耳打ちするとアクアは表情筋の死んだ顔で遠くを見た。

 

「うるさい! あんたなんかにわかる訳ない! 若くて、美人で、将来有望な女優、この二人と同じくらい別世界に住んでるあんたなんかにッ!」

「でも思い通りになんてなりませんよ、何も。この番組に出るまでは舞台だけが私の居場所でした。でもその機会すら減ってたんです。看板女優なんて持て囃されても結局話題がなければ消えていくしかないんです。私みたいな根っこが不器用な人間は……虚構を演じても現実の苦痛はずっと付いて回る。忘れられる辛さ、必要とされない悲しさ、事務所は稼げないタレントに用はない。マネージャーがよく社長に怒鳴られてました。無駄飯食らいをどうにかするのがお前の仕事だろ、って」

「う、うるさい。ち、違う。私とあんたは違う……」

「救いは、マシ×アクでした」

「!」

 

 はっとして佐々木エイコが顔を上げる。

 慈悲の女神のような顔をして、あかねはその場に屈む。

 

「眩しくて、暖かくて、切なくて……尊い。二人の遣り取り、言葉の一つ一つ、表情すら養分でした」

「……憎まれ口を言った後、さりげないフォローを入れるアクア」

「それを大らかに、お父さんみたいな包容力で受け入れてるマシラくん」

「幼馴染って設定が卑怯だと思った。目と目だけで通じ合ってるのが画面越しにでも理解(わか)る」

「マシラくんは誰とでも打ち解けちゃう陽の者だから、誰かに優しくしてる光景を見てアクアくんは嫉妬しちゃうんです」

「二人共いきなり饒舌になってきたぞ」

「あーあー聞こえなーい聞こえなーい」

 

 あかねが佐々木エイコの体に絡んだ網を取り払っていく。

 地面にぺたりと座った彼女と同じく、自身も跪いて向かい合う。

 

「私達は、二人の愛の巣の観葉植物であるべきなんです。陳腐ですけど、それ以上を望むべきじゃない」

「……わかってる。わかってた、つもりだった。でも……どうしても、許せなかった……! 薔薇の間に挟まろうとする女が!」

「大丈夫」

 

 女の両肩に手を置いてあかねが微笑む。

 

「この二人の絆は不滅。たとえどんなことがあっても罅割れることなんてない。今のまま変わらずに、永遠に在り続けてくれる」

「でも……」

「もしも、それでも不安なら……これを差し上げます」

「!! これは!?」

 

 あかねはどこからともなく、なにか薄い冊子のようなものを佐々木エイコに差し出した。

 

「クロリバ先生の最新刊……っ! 違う。こ、これ、こんなの見たことない。ま、まさかあんた……いえ、貴女は……!?」

「理想とは無謀を窘める言葉。決して叶わない夢を嗤う為の言葉じゃない。そして夢を見るのは万人の自由です。貴女はきっと、情熱の表現方法を間違えてしまった。ただそれだけ。ただ、それだけ」

「あぁ……あぁっ、先生……!」

「俺達ゃなにを見せられてんだ」

「知るか」

 

 佐々木エイコはその場に感極まって泣き崩れ、頻りに謝罪の言葉を繰り返す。

 あかねは依然、それを穏やかに見下ろした。その背を擦り、新刊送ります、よかったらアンケートにご感想ご要望を、と囁いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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