推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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交錯する事件

 

 

 

 

「内緒話するんなら部屋の方がいいんじゃない?」

 

 良いことを思い付いた、そんな気安さでアイが言った。

 しかし、一人は新進気鋭の若手有名女優、一人は伝説とまで謳われ今なお翳りを知らぬ超人気アイドル、この面子がホテルの一室に集まるというのも傍目には異様だろう。

 そうした己の些末な懸念は、フロントで事も無げにブラックカードを出したアイによって容易く吹き払われた。

 

「一番広い部屋、お願いしまーす」

 

 気が付けば我々一行は、ホテル最上階のスイートルームで上等なソファーに腰掛け、モダンなガラステーブルを囲んでいた。

 

「さっすがマッ、んん゛っ! 最強無敵のアイドルの中のアイドル!」

「芸能界って夢はあるよな……」

「お前さん夢は見るな、とかなんとか抜かしちゃいなかったか」

「しゅいーとしゅごい」

 

 

 

 

 

 

「最初はファンレターの中に紛れてそれを見付けました」

 

 一人掛けのソファーに収まると、娘の身体は一層華奢に見えた。すらりと細く長い手足、大人びた面差し、怜悧な眼差し。宴会場で相見えたその時の印象は今や随分と変わり果てていた。

 白磁の人形のような美麗な無表情は、むしろ不安を殺す為の娘子なりの抵抗なのだろう。

 

「手書きで、消印もない封筒で10枚以上の便箋にびっしりと、私がこれまで出たドラマや映画や番組のことが書かれてました。批評っていうか、観察日記、みたいな。私の役回りとか、その時のコンディションとか、とにかく事細かく。まるで心配してる風な内容で。その時は特に気にも留めなかった。熱心なファンの人からたまにそういう手紙を貰うことはあったから……でも、すぐに」

 

 握り合わされた手、その甲に爪の先が食い込む。

 

「私生活のことまで指摘されるようになった。あそこの駅で見掛けたよとか、今日はあの本屋に寄らなかったねとか、誰誰と会ってるのを見たとか、派手な服装は君には似合わないからってよくわからないブランドの服や、下着なんかが送られてきたり……ある時、帰り道のコンビニで買い食いした物を言い当てられて、あぁ後を尾けられてるんだって確信した」

「帰り道……それは、不味いな」

「どうして?」

 

 アクアが顎に手をやって低く呟く。

 ルビーちゃんは無邪気に小首を傾げた。

 

「自宅の住所を知られてるってぇこった」

「ひっ」

 

 ルビーちゃんは喉奥に悲鳴を呑む。

 こちらの言に不知火嬢が無感動な所作で頷く。元より娘が明言していたことだ。私生活を把握されていると。

 

「週に一度、曜日はバラバラだけどマンションの部屋のドアに紙袋が掛かってる。服や香水や手紙。この前はゴミ捨て場が荒らされてたって管理会社から通知が来た。多分、それも」

「む、無理無理無理! そ、そうだよ引っ越そう! すぐに! 今夜!」

 

 至極真っ当に切実にルビーちゃんが叫ぶ。

 己は不知火嬢の顔色を見た。そこに宿ったのは恐怖ではなく、乾いた疲労感。

 

「もう二回マンションを変えたけど、その度に付いて来るの。二回目はマネージャーにも引っ越し先は言わなかった。けど……ダメだった」

「最初に手紙を見付けたのはいつ頃か覚えてるかい?」

「半年、ううん、半年と少し前、かな」

「……?」

 

 随分、長い。いやドラマだの映画だの、それらの撮影期間に気を遣った結果であるなら、格別長すぎるということもない、のか?

 よくぞ耐え忍んだものだと感心するより先に、己は胸三寸に微かな違和を覚えた。

 

「警察に相談しようとは、思えなかったか」

「……事務所や、そのクールの現場に迷惑掛かっちゃうから……鏑木さんの言ってたことじゃないけど、大きな仕事を貰ってるって自覚は私にもある。数え切れない人達の生活が懸かってる。穴を空けるようなことだけはしたくない」

「そんな……」

 

 悲壮な覚悟を口にする。十五、六程度の子供(ガキ)が一丁前に社会の一員として一本立ちをしてやがる。

 ルビーちゃんは痛ましげに表情を曇らせた。

 アクアは鉄のような無表情。その内心が穏やかでないことは解りきっている。

 己はといえば、唾でも吐きたい気分だった。やはり一向に。

 

「くだらんな」

「おい」

「そうだろうが。今にも降り掛かろうとする身の危険に甘んじようなどと、馬鹿馬鹿しい」

「ちょ、おじさん、フリルさんだっていろいろあって」

「実害が出てからでは遅いのだ」

 

 取り返しの付かぬ事態に陥らぬ保証はない。

 それこそ、生命を脅かす悪意が、この世にはある。日輪ではどうしたとて払えぬ闇が、あるのだ。

 利得だの外聞だの、くだらぬ。くだらぬ。それは命に代わるのか。

 代わりなどなかった。

 ないと知っている。既に思い知っている。

 死者が黄泉返るが如く、この世に在らざる超常の奇跡以外にそれは代替不可能なのだと。

 一瞬、俺は旧馴染みの友人と娘子を目端で見やる。

 あっさりと途切れ、一時は永遠に喪われた……別離を迎えた筈の者達を。

 

「悪いこたぁ言わねぇ。今からでも警察を頼りな。捜査が為されればこの犯人は逮捕されるだろう」

 

 今ガチに対して行われた襲撃とは違う。明確に個人を狙ったつきまとい事案。

 悪質だが、手口は単純だ。ストーキングする相手に直に接近せずにおられない自制の無さにしても、網に掛けてくれと言っているようなもの。

 警察機構を存分に使えばいい。それで確実な安全を買える。

 業界の損得勘定など糞喰らえだ────

 

「マシラくん」

「ん」

 

 突如、後ろから白い手が伸び、己の両頬を摘まんだ。

 頭上からアイの穏やかな声が降ってくる。

 

「こわぁい顔してるよー。ダメでしょー女の子脅かしちゃ」

「やめんか」

「フリルさんいぢめるのやめるまでやめたげなーい」

「苛めてなどおらん。要らぬ危険を背負い込むなと言うておるのだ」

「ふふふ、子供に優しいマシラおじさんは相変わらず心配しょーだー」

「場が固まっていたこの前のようには行かん。どころか十五年前の二の舞を演じぬと、どうして言える?」

「っ……」

 

 その苦しげな息遣いはルビーちゃんであろうか、それともアクアであったろうか。

 十五年前の酷い始末を思い出す。思い出すだに含羞で背筋が痒い。

 いや、あの時と同じように、己の命一つで済むならばそれはそれでよいのだ。

 所詮拾い物の人生。二度目の奇貨。

 ただ願わくば、こやつらが、生きていてくれるならそれで────

 

「ま、最悪自分が死んで解決するならそれはそれでいっかー……とか、考えてるでしょ?」

「まさか」

「嘘」

 

 背後から、ソファーの背もたれを乗り越えるようにして女がこちらを覗き込む。その深い深い瞳が、我が身の内の奥深くを、千変万化の彩を湛えた視線で撫で上げる。

 見通されている。

 見透かされている。

 頬に垂れた女の絹糸のように滑らかな黒髪がこそばゆい。わざと擦り付けてくるのだ。

 甘い香が鼻腔から脳幹を貫いた。それは己をひどく居た堪れない心地にさせた。子供の時分を知ればこそ、今でさえその姿が少女にしか見えぬからこそ、その“色香”に己は顔を顰める。

 女は、笑う。

 男を揶揄うのが愉しいのか。いやあるいは……自分勝手な男を責め苛んで。

 

「酷い人」

「……」

 

 いつか、同じような科白を聞いた気がする。そう、あの時もあの娘は、丁度こんな寂しげな貌に儚い笑みを浮かべていた。

 鋭く突き刺さる視線を見返す。アクアは真っ直ぐに己を睨み付けていた。

 綺羅、綺羅と揺れる瞳の光を見た。ルビーちゃんの伏し目がちな視線、それは悲しみで滲んでいた。

 

「嘘ついたってすぐにわかるんだから。私が嘘のエキスパートだってこと、マシラくんが一番知ってるでしょ?」

「さてな。随分苦労させられた覚えはあるが」

「えへへ」

 

 アイはこちらの苦言に何故か嬉しそうに綻ぶ。

 

「今度は一人じゃ行かせない。私も、アクアも、ルビーも」

「……」

「自己犠牲って物凄い自分勝手だよ? 残される人の心をズタズタにして、置き去りにして消えてなくなろうだなんて、そんなの…………私は、“私達”は許さないよ」

 

 ────絶対に許さないから

 

 耳孔に響く。お鈴の深く骨の髄まで揺さぶるその残響めいて、女の声が脳と、そのさらに奥へ沁みた。

 

「やー! ごめんねフリルさん! なんか身内のノリでさ、今気づいたけど私達の方がごにょごにょ内緒話しちゃってるね~」

「……へっ、あ、い、いえ」

 

 此度の主賓というか被害者でありながら放置を喰らっていた不知火嬢が再起動する。ひどく呆気に取られた様子で。呆れてものが言えぬだけ、という可能性も大いにあるが。

 事情聴取に戻ろう。己が内心そのように考えを巡らせた時だ。

 不意に、アイは不知火嬢を見た。

 アイの瞳の中、さながら星々の光輝がその運行を一旦止め、不知火嬢の宝珠の如き金瞳に注がれている。

 一体、なにを。

 

「フリルさん、貴女も嘘が上手いんだね」

「えっ」

 

 そうして出し抜けに娘は言った。

 

「というか、隠し事かな。この場合」

「ど、どういうこと、ですか」

「まだ言ってないことがあるんでしょ。結構重要そうなこと。もしかして、他にも誰か、()()()()()()()()。やっぱりそれは番組の為? それとも、別のこと……別の誰かの為?」

 

 不可解なアイの問いは続く。意図も脈絡も読めぬそれらに、しかし己は予感のようなものを覚えている。勘働き。経験則と言ってもいい。

 偽証をするのはなにも加害者ばかりではない。被害者もまた、様々な思惑動機存念によってそれは為される。

 不知火フリルはまだ他に、異なる懊悩の源泉を抱えている。

 どうやらアイは“それ”を看破していた。

 

「聞かせて、フリルさん。私達が力になるよ。なにより、マシラくんはもう貴女を放っておけない。そういう人だから」

「……」

「諦めて!」

 

 身も蓋もない言葉で締め括り、アイは晴れやかな笑顔で不知火嬢に向き合う。

 娘は大いに戸惑っていた。鉄の無表情は見る影もなく、年相応の少女の貌で不安、迷い、怖れを胸に抱いて。

 その目が遂に、決意する。

 

「……私の友達が、このままだと多分……()()()()()()告発される」

 

 娘の語る経緯は実に不可解なものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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