推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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暗雲

 

 

 

 芸能界に入って楽しいと感じたことは一度もない。

 こんなことをうっかり呟いてしまったなら、じゃあお前は何故そんなところにいるのだと大抵の人は疑問に思う。場合によっては眉を顰められ怪訝な顔をされる。

 当然だと思う。

 不遜な物言いだと思う。

 弁解するなら、私は芸能界とかいうものに対して憧れや夢を持っていないだけなのだ。

 役者や歌やバラエティー番組の仕事にはそれぞれ違った面白さがある。悪く言えば手当たり次第に、良く言えば多方面(マルチ)に。

 いろいろな異なる領域、異彩多彩な新世界に芸能人“不知火フリル”として耽溺できることを私は幸福だと思っている。

 仕事は好きだ。スケジュールがハードで、名前が売れれば売れるだけ求められるクオリティーは天井知らずに上がる。他者からの期待が重く、なにより重く背中を圧する。

 それでも、仕事は好きだった。

 完成品を評価されれば嬉しいし、また評価が芳しくはなかろうとそれはそれ。仕事に注いだ心血の量や質にこそ私は満足感を覚えた。

 私はどうやら結果だけを見ていない。頑張ることに価値があるとか、努力することが尊いのだとか、そういう綺麗な文句を否定する気はないけれど、それも多分どうでもよかった。

 私は仕事をこなすこと、その最中に味わう苦楽にこそ喜びを見出すタイプらしい。

 珍しくはないだろう。

 過程と、そこに己なりの創意工夫を凝らす、それが楽しい。その楽しいだけで私は今日までやって来た。

 だから、あるいは、()()()……私はこの芸能界(せかい)そのものには特別な関心がなかった。世間が、まるで幻夢のように語る“芸能界”なるもの。そもそもその感覚を理解できていない。

 私は芸能で糧を得ているが、私が籍を置くこの場所が殊更素晴らしいとは感じていなかった。

 なんせ私は不知火フリル(わたし)に舞い込んでくる仕事がただ楽しいだけなのだ。

 子供の積み木遊びを見て、積み上がった木片の形を独創的だの堅実だの云々評価するのは見物していた周りの勝手である。

 実際に遊んでいる子供からすれば、完成させることや完成品の質は無意味ではないが二の次だ。子供にとって肝要なのは、木片を積んだり組んだり弄ぶその行為、それ自体なのだ。

 私は積み木を弄ぶ子供。

 仕事は木片で、作品は積み木細工。

 存分に遊び尽くした私は人心地、そっと呟く。

 

 ────あぁ楽しかった

 

 そして、私はまた新たな形の積み木で遊び始める。

 積み上がった木片を過去にしながら。

 それが。

 そんな私が。

 あの娘は許せなかったんだろう。

 

 

 

 

「その娘とは同じ時期にスカウトされて、同じタイミングで事務所に入った。所謂、同期? っていうのかな。その年は同い年の子が私とその娘だけで、自然とよく話すようになった。実際その頃は芸能界のことなんて人伝になんとなく聞き知ってる程度だったし、右も左もわからない世界で私もあの娘も不安だったから、お互い助け合おうって励まし合った。社交辞令してる余裕なんてなかった……少なくとも私にとっては、あの娘が支えだった」

 

 黄金色の瞳はガラステーブルの卓面に落とされている。鏡面化したそこに少女の微笑が映り込んでいた。

 懐古、寂寥、あるいは、望郷。

 少女は今、在りし日を、思い出を見ている。

 そしてそれは今、おそらく彼女の手許にない。少女の手の届かぬところへ行ってしまったのだ。

 

「ドラマの出演が決まった時、家族より先に、まず真っ先にあの娘に報告した。ほんのワンシーンだけのチョイ役だったけど、まるで自分のことみたいに喜んでくれた。あの娘にモデルの仕事が入った時、発売日にその雑誌を買い込んで一緒に読んだ。十冊は買い過ぎだって、ちょっと怒られた。でも、嬉しかった。嬉しかったなぁ」

 

 徐々にその顔から表情が消えていく。瓶を逆さにして中身を捨てるような乱雑さで、感情という色が抜け落ちていく。

 

「いつだったろ。たぶん、ドラマのレギュラーが決まった年かな。同じ時期にCMが何故か立て続けに何本も決まって、異様に忙しくなった。“不知火フリル”ってタレントが売れ出した。事務所のプッシュも入って、いろいろな分野から声が掛かるようになった。うちの事務所、それぞれのタレント専用のカレンダーがマネージャーさんのデスクに置いてあるんだけど、それが向こう三ヶ月くらい真っ黒で……あの娘は……」

 

 ……すごいね、フリル

 

「知らない顔だった。今まで見たことない、透明な顔であの娘、笑ってた……」

 

 透明な、白磁の人形めいた顔で少女は言った。

 

「才能があるから芽が出る訳じゃない。努力はティッシュみたいに薄っぺらな付加価値で、運はひたすらの絶対条件。商品価値を決めるのは顧客ですらない。芸能界と消費者との間に布かれたシステムに上手く乗れるかどうか……あの娘、言ってた。芸能界って、つまりパチンコ台なんだよって」

「え?」

私達(タレント)はパチンコ玉。筐体を選んでお金を入れて遊ぶのがファンや消費者。製作に携わる人達や業界の偉い人が演出や当たりの確率をある程度操作するけど、お金が払われなきゃ当然、打ち出してすらもらえない」

 

 ぴんと来なかったらしいルビーちゃんが首を傾げた。

 アクアと己は、その喩えの皮肉な妙味に思わず失笑した。

 アイは、黙って不知火嬢を見ている。にこりともせず、近く見覚えのないほどひどく神妙な顔で。

 

「どうして売れるのか、どうして売れないのか。そんなの、わからない。私は売れた。あの娘は……売れなかった。言葉を選んだり探したり、仕事の内容とか私とあの娘のキャラの違いとか、いろいろ、そういろいろな言い訳を考えて、考えて、考えて考えて考えて……結局なにも浮かばなかった。あの娘に掛ける言葉。あの娘と会う時の顔。自然な態度。厭味にならない服装……くっだらない、自己保身」

 

 無意味な努力だった。

 少女は吐き捨てる。

 

「私が一人でぐだぐだ悩んでる間に、あの娘はきちんと自分の気持ちを決めてた。きちんと、真っ直ぐに……」

 

 話し掛けて来ないで

 私が裏でなんて呼ばれてるか知ってる?

 不知火フリルのコバンザメ

 バーター狙いの腰巾着

 私があんたに売名の為に擦り寄ってるんだってさ

 ふざけんな

 あんたといると、イライラするの、惨めなの、耐えられないの

 

 私は

 あんたが

 憎い

 

「よくある話でしょう?」

 

 溜息のように少女は囁いた。

 微笑のような形の顔で彼女は我々を、アイを眺めやった。

 よくある話なのだ。この芸能界において其処此処に掃いて捨ててなお山のように積み重なる物語。

 嫉妬と羨望と挫折と憎悪、そして絶望の地獄。緩やかな、心の死滅。

 

「今ならもう、そんなに悩まない。同い年の子がどんどん入って来ては同じだけ辞めていく。気が合うな、好きだなって思える共演者が、次の週には現場にいないなんてしょっちゅう。感慨どころか、悲しいとすら思わなくなってきた。でも……やっぱり別なんだ。あの娘は」

 

 それは独白というか、確認するかのような言い様で。

 

「先も見えない暗い芸能界(せかい)に、肩を並べて、支え合って、最初の一歩を踏んだ。その時の傍らの暖かさを、私は忘れられない。あの娘は私の、特別な人……友達」

「……その娘は今どうしてる」

「半年くらい前に、事務所を退所して別のところに移った。ドラマやモデルの仕事をしてるのをちょくちょく見掛けたけど、連絡は取れなかった。連絡する勇気も……そう、そうしたら、ある日突然、あの娘から電話が来た」

 

 少女の言はしかし、喜ばしきことを語るそれではなかった。

 

「元気にしてるか、とか。この前のドラマ見たよ、とか。当たり障りのない話をして……酷いこと言ってごめん、面と向かって謝らせてほしい、今度会えないかって言ってくれた。内心ほっとした。ふふ、浅ましいよね」

 

 今を時めく美少女が憎々しげに鼻を鳴らす。

 

「予約した喫茶店の個室には、あの娘と……もう一人、知らない女の人がいた」

 

 俄かに、雲行きが怪しくなる。

 不知火嬢はまた無表情に戻っている。いやあるいは、それはこのスイートルームに入って以来最も硬く無機質な鉄面皮。

 

「久しぶりとか近況の報告とか、そんな全部が白々しくて、コーヒーが運ばれてきた頃にあの娘、嬉しそうに切り出した」

 

 良い出会いがあったの

 ミヤビノカミ様にお会いして、私救われた

 フリルにも是非会って欲しいの

 

「う」

「ちょ、それって……」

「……」

 

 アクアは喉奥で呻きを呑み、ルビーちゃんは怯えたような顔をする。

 不知火嬢は己を見据えて言った。挑むようにも、縋るようにも見える眼差しで。

 

「『(わざ)(しるべ)』って団体、あの娘はたぶん、そこに……監禁されてる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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