それから一時間と四十分少々。藝の導による新信者向け講演会が終了し、神域から鳥居を潜って大勢の信者達が街へと放流された。
その人混みの中、ふらふらと迷い出るようにやって来たミヤコちゃんを道半ばで捕まえ、ワゴン車に回収する。
「ミ、ミヤコ? おーい、おいったら」
「ミヤコさーん? 聞こえてる~? おーい! ねぇってばー!」
車内二列目。丁度運転席の真後ろに押し込んだミヤコちゃんは、こちらからの呼び掛けに対して反応らしい反応を示さなかった。
「うふふ、あははは……ミヤビノカミ……ミヤビノカミさまぁ」
「うわぁ」
そしてそれは、茫然自失というよりどこか夢見心地といった様子で。
腕の中にしっかりと、教団で買い求めたらしい御守りやら注連縄飾りやら、件のミヤビノカミ様とやらの人形を抱えている。
とにもかくにも一目散、我々は苺プロへの帰路を急いだ。
ついでに張り込み場所に何の前触れもなく現れた少女ルメも、当然のように同乗している。
「で? おじさんはさー、なーんでこの子まで乗せちゃうかなー」
「……」
娘を連れ帰ることにルビーちゃんは不満であるらしい。そしてなにやらアクアの方からも、露骨な難色が目端を引っ掻き無言の抗議が耳につく。
「放っては置けまいよ。聞けばこの娘っ子なにやら訳知りのご様子だ。奇ッ怪な呪具だか神具だかで人々誑かす怪しげな教団向こうにしてあるいは一戦交えるかもしれん。情報は多いに越したこたぁねぇだろう」
「それは、まあ、そうだけどさ……」
「不満なら貴女が車を降りればいいわ」
「うぅわ便乗しといてもう我が物顔なんですけど」
「別に貴女の許可も、理解も、必要とはしていないもの。私はサルタに乞われて
己の膝の上に腰掛けたルメが、胸板にもたれ、逆しまの上目をこちらへ向けた。
視線はひどく熱っぽかった。
「取り急ぎミヤコさんのこの状態をなんとかしないといけない。情報を引っ張るならとっとと済ませろ。追い出すのはその後でいいだろ」
同じほど冷えた声音が響く。まるで本当の少年のように、純一で、真っ直ぐで、鋭利な視線。危うげな青々しさ。若木の枝先めいている。
どうしたどうした。己と同じ四十絡みが。
「あらあら。こっちのボクちゃんも随分ご機嫌ナナメね。精神と肉体の
「…………」
奇態と言えばこれ以上なく。幼子の顔をしながら少女は老練の魔女の如き口を利いた。
「運転中の車内では席を立たないでね!? 危ないもんね!?」
張り詰めた空気を敏感に察知して壱護が叫んだ。車中で乱闘が発生した場合、この男の顔に似合わぬ安全運転が恙無く維持できる保証はないのだから。
ルビーちゃん、アクア、そしてルメ、二体一に添え物である己がも一つ加わったこの構図はそのままに、犬猿の仲は趨勢進退窮まらず膠着状態。つまるところ、出会った当初から何一つ相変わらずであった。
「前々から気にはなってたが、お前さんらどうしてそう仲が悪いのだ」
「しょーがないでしょー。私とアクアは、こいつとは河豚炊いてるんだから」
「不倶戴天? まあ、そんなところか。ただ、どうしようもなく、存在するのが我慢ならない」
「そうなるわねぇ。その“席”はたった一つしかないから……というか、当のあなたにその自覚がないことも結構問題なのだけど」
「「確かに」」
今度は三者三様、意気投合して頷きやがる。
前言撤回してくれようか、この仲良しトリオと。
結局、はぐらかされたような感は否めない。いや、言い分は、理解できる。とても端的な解答が明示されている。
三者は異口同音に────原因はお前だ、と。
何故そうなるのか。そうなってしまうのか。
俺の無理解はそこだけだ。認識の不足、思慮の欠如。
罪。
そういえばルメに散々言われていたな。酷い男、と。
きっとそうなのだろう。言い訳の余地もない。
「なにはともあれ、だ。まずミヤコちゃんを現世に呼び戻してやらねば」
「あははははは」
一つの問題を脇に置き、別事を片付ける。それは実に言い訳染みていた。
ミヤコちゃんの調子っぱずれな笑い声が白けた車内の空気に虚しく響く。
「……これ、元に戻るの?」
「も、戻らねぇの!? 冗談じゃねぇぞ! おいこらマシラ! なんとかしろよ! 元はと言えばお前が持ち込んだ厄介事だぞ!? なぁおいお願いだから!?」
「わぁかったわかった。大の男がハンドル握ったままそう慌てふためくんじゃねぇよ」
とはいえ壱護の焦り様も無理はない。大事な女房が正気を失った上に快復の手立てがないなど、まあ気が気でなくなる。
「私が解いてあげましょうか?」
不敵な笑みで、娘は己を流し見ながら言った。
「できるのか」
「ええ、造作もなく」
程なく、ワゴンは苺プロの事務所ビルに到着した。
ふにゃけたミヤコちゃんを車から引っ張り出し、休憩スペースのソファーに座らせる。
据わった目、薄笑いを浮かべた顔、胸に巫女の人形を大事そうに抱く姿がやはり痛々しい。
ルメはミヤコちゃんの正面に陣取り、その顔を見上げた。真っ直ぐ、瞳の奥を覗き込む。
「……」
「あぁ……すてきな、お姿……光! 光が、いっぱい瞬いて……! 捧げなくちゃ、たくさん、捧げなくちゃ。お金、信仰、精気……それがお力になるの。そしてミヤビノカミ様のお力が、私達を幸福にしてくれるわ! あぁなんて尊い────」
瞬間、黒い少女の姿が霞んだ。
それは、別にその場から掻き消えただとか不思議な力が働いただとか超常現象が発生しただとかそんなことではなく。
ただ単に少女が動いたのだ。
俊敏に、鋭く。
少女の紅葉のような右の平手がミヤコちゃんの左頬を打ち抜いた。
「ぶほっ」
乾いた音と間抜けな呻きがそう広くもない休憩スペース内を反響する。
壱護があんぐりと口を開けた。
事の仕儀を並んで見守っていたルビーちゃんとアクアも呆気に取られた様子で目を瞬く。
打たれて傾いだミヤコちゃんの顔が元の位置に戻り、戻った途端に今度は左の掌が空中を走った。過たず、それは女の右頬を打った。
「ぶべほ」
「ふっ」
「どぼ」
「ふっ、ふっ、ふっ、ふんっ」
「べひぃ、ばは、のぼ、ばふん」
「デンプシーロール!?」
「これ一歩で読んだやつだ!」
「ミヤコーーーッ!?」
右、左、右、左、右、左────絶え間ない連打。打ち出される左右の鞭打。高速の
そして最後の一打。一際甲高く打撃音が鳴り響き、それは終わった。
ミヤコちゃんが項垂れる。
ルメは額の汗を拭うような所作をして、軽く吐息した。
「はい、治ったわ」
「力業じゃねぇか!?」
「えっ、なに、なんか不思議パワーで洗脳解除とかするんじゃないの!?」
「はぁ? おかしなこと言う子ね。フィクションの観過ぎなんじゃない? 頭は正常?」
「こんの、ぶっころ」
「止さんか」
呼吸するように敵意に火を入れる娘子らを宥めつつ、己とアクアはミヤコちゃんの顔色を看た。
両頬の腫れがやや痛ましいが、徐々に目の焦点が合ってくる。
「俺達がわかるかい、ミヤコちゃん」
「ミヤコさん、5引く3は?」
「ミヤコ!」
「…………んな、なによあんた達。ちょ、顔近っ、やだ、こ、困るわ。所属タレントと、そんな爛れた……私には一応、いっっち応壱護が……!」
「ミヤコ!?」
「どうやら戻ったみてぇだな」
「悪化してないか……?」
「もう一発くらいイっとく?」
「もぉ、手が痛いわ。サルタぁ、手ぇふーふーしてー」
甘え声のルメが己のシャツの裾を引いた。
なるほど確かに、小さな掌は酷使した分赤くなっている。擦ったり吹いて冷ましたりしてやると、ルメは大層嬉しそうな顔になった。
そしてやはりこちらを見下ろすルビーちゃんの目は冷ややかだった。
「に、にしてもだ。こんな気付けで治っちまうとはな。いや治ってもらわにゃ困るんだが」
「当たり前よ。さっきも言ったけど、あれは紛い物。一度氣を当てた程度じゃ人を完全に支配なんてできない。本来なら近くに在るだけで十分。人も動物も、器物でも魅了できる。ああ、電子機器越しでも変わらないから、あれが本物だったら私とサルタ以外はしっかり
「……そもそもなんなのだ、ありゃあ」
「
「贋物と言ったな」
「ええ、とても不出来な、けれど半端に力を持ってる。いえ、出来の良い悪いはこの際どうでもいいの。なにより忌々しいのは、履き違えていることよ。あれは人の為の衣装ではない。天照らす光の御方に捧げた舞……あなた様の
「……天の岩戸か」
アクアが呟いた。
それは名高い神話の一項。
「御令孫の御名を称するあの男、どこぞの山でとんだ遺物を掘り起こしたのでしょう」
「佐藤トシヤ、だったな。そう言えば山崩れに巻き込まれてどうのと」
アクアを振り返りながら、ホームページに綴られた導師の奇蹟体験を思い出す。
あながち嘘でもないらしい。
ルメが不敵な笑みを浮かべた。
「無から有を創り給うは神のみ。人が神を真似ても神にはなれない。模造品には必ず欠陥がある」
「は? どういう、意味?」
「あの紛い物。貧弱とはいえ魅了の呪を持ってた。けれどそういう理外の力がなんの代償もなく使える筈はない。なら……元手は誰が支払ってるのかしらね」
ルビーちゃんには殊更酷薄な、愉しげな微笑で応えて、ルメは不吉を口にした。
「ミヤコちゃん、体に異常はねぇか?」
「えっ……? ん、顔が痛いのと……」
「すまん。それ以外だ」
「あとは……すごく、怠い……やたらお腹空いてる……もぉなんなのよぉ。なんか五歳くらい齢取った気分……」
「…………」
アクアもルビーちゃんも嫌な顔をしていた。
己の顔も似たり寄ったりだろう。
ルメが微笑む。己にばかり優しげに、娘のそれは相も変わらず実に、残酷なほど、美しかった。
「アレはね、人の精気を養分にしてるの」