「思えば最初っから迂闊だったぜ。そもそもあんな往来の真ん中で暢気に問答してたのが間抜けよ」
「ふふ、おまぬけー」
「……言っとくがな、そこにゃお前さんも含まれてんだぞ」
「わかってまーす。私達ふたり仲良くおまぬけコンビだねぇ」
「まったく……」
冬だというのに、今やすっかりと夜長の風情を覚えている。なにやら軽い疲労感を伴なう妙な心持ち。
どうしてか次第次第、帰り路が遠退いていく。
「おう、そうだそもそもお前さんレコーディングの帰りってんなら車だろう。送迎車はどこに落っことしてきた」
「社長が迎えに来てくれたんだけど、マシラくんが通りに出てくるのが見えたからその場で降りてきちゃった」
「社長とは、一体……」
看板タレントに脱走されたあの男の泣き顔が目に浮かぶようだ。あやつ自身はただ真面目に仕事に取り組んでいるだけなのだが、いつもながら無闇矢鱈に憐れかな斉藤壱護。
おそらく今なお鬼のような着信が入っているのだろうアイのスマートホンは十中八九電源が切られている。衝動的に行動する癖に妙なところは周到なのだ、この娘。
表の通りに比べれば大人しい人気、擦れ違う老若男女からの視線にもいい加減慣れてきた。いや、気にするだけ無駄であり、飽きたのだ。
「あ、あのお店テレビで見た」
オリーブ色のトレンチコートの背中が迷いない足取りで先を行く。向かう先は洋菓子店である。
「マシラくーん。アイス食べたくなぁい? お
「へいへい」
構わんさ。今更大声で名前を呼ばわれたところで、どうということはない。どうでもいい。諦めはついているとも。おうともさ。
ところで、こちらもどうでもいいのだが。
「今日に限って何故にその色を選ぶ」
「? なにが?」
「コートだよ。いや変装に地味な色を選ぶのはまあいいんだが、それが二つ並ぶとどうもな」
「おぉ、ホントだね。お揃いだぁ」
腰の辺りを持ち上げて、アイはその場でくるりと回る。
アイは、どうしてか
「実は偶然じゃなかったりして」
「ん?」
「にひひ」
稚気な忍び笑いを零し、アイはとっとと扉を押して菓子屋に入っていった。
値段も見た目も相応に上等なアイスが六つ。星野一家と己の分と、残りはミヤコちゃんと社長への詫び代というか、迷惑料だとか。
紙の手提げ箱の底には、保冷剤ではなくドライアイスが敷かれていた。舞台演出に使われるもの以外では、久しぶりに現物を見た。
「いい加減に帰ぇるぞ。今頃社長がべそ掻いてんぞ、絶対」
「はーい。ちゃんとしたデートはまた今度ね」
「買い物だの飯だのちょくちょく付き合っとるだろう」
「ちっちっち、わっかんないかなー。そういうんじゃないの。ん、そういう意味だとエスコートは断然アクアが上手だったなぁ。うーん我が子ながらやり手過ぎるくらいでお母さん
「結構なこった。野郎、しっかり孝行息子が板についてるじゃあねぇか」
「ドヤァ。うちの子ってばすごいんです。だからマシラくんはアクアを見習って私をハチャメチャに甘やかしてください」
「無茶抜かすんじゃねぇよ。あの女誑しの手管ァ、んな一朝一夕に真似できるかい」
「ぷっ、ふふっ、あっははは、女誑しとかひっどーい。せんせは女の子に優しいだけだよー? ただ普通の人よりちょこっと、計算高いけど」
「知ってるよ」
一体、何年の付き合いになる。高校時代から勘定するとなると、四半世紀を優に超える。
腐れ縁も極まって発酵を始めている。
我知らず、口端に笑みを刻んだ。
「…………」
「?」
突如、アイは立ち止まった。花屋の店先に佇む娘の姿に刹那、己が想起したのは
だからなのか。だのに、なのか。
「十五年」
「あん?」
「結構長いよね」
「まあ、そうだな」
同意を求められ、否定する理由も然して見付からず肯く。この反射的な応答が、かの娘にとって満足いくものでないことだけは確かだった。
淋しげに、ゆっくりと蕾が開くように、アイは笑った。
「たった十五年かもしれないけど……あの後輩だった人や、さりなちゃんや、せんせに比べたら、全然かもだけど……私だって、私だって」
十五年。アイは繰り返した。
「ねぇ、藤咲さん。十五年前のこと覚えてる?」
「どの
「もちろん、あの日、あの時のこと。引き払った後の伽藍堂の部屋、眩しいくらい白い日差し……血の匂い、割れた窓ガラス」
「……」
「赤い床、赤い背広、泣きじゃくるルビー、手を真っ赤にして叫び続けるアクア、血の海、そこに沈んで、沈みながら────微笑むあなた」
並べられていく単語一つ一つが、記憶野を掻き毟り極めて高精細に明瞭に酷烈なまでにその光景を呼び起こす。再生は実に容易だった。そしてそれは当然のことだった。
あの日あの時、己が死の瞬間を俺は確と覚えている。忘れろと言う方が無理な話やもしれんが。いや、雨宮などは自身が転落死した瞬間をすっかり失念していたんだったか。
まあ、状況が違う。俺は今際の際、運よく言葉を交わすことができた。最期の別れ。そう思えばこそ、ただ。
ただ喜ばしかったのだ。雨宮とさりなちゃんが、ここに、この世に再び生きていてくれたことが。
途方もなく、嬉しかったのだ。
「あの時、私がなに考えてたか藤咲さんにわかる?」
「……いや」
「血塗れで、死がすぐ傍に寄り添ってる。それでも、アクアとルビーに、せんせとさりなちゃんに笑いかけるあなた。あなたに想われてる二人を、私、私ね」
華やいで笑み。
アイは残酷なほど、怖気を催すほど美しく笑った。
「羨ましいって、思ったの」