推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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蛮行

 

 

 

 アイの初出演ドラマを見た俺の感想は有り体に言って業腹の一語。当初撮影していた箇所はその尽くがカットされ、画面内にアイの尊顔が映っていた時間は数秒に満たない。

 

「くっ、許すまじ五反田監督」

「……」

 

 期待した合いの手はなく、俺は肩透かしを食らった心地で後ろを振り返った。いつもなら自分以上に大騒ぎする童女の叫び声が、今夜に限って聞こえてこない。

 ルビーはソファーでアイの膝の上に抱かれながら、呆とテレビ画面を見ていた。

 いや、あれは見てすらいない。その目は実際のところなにも映していないし、認識してない。まるで心ここに非ずの態で。

 

「ルビー、元気ない……? お腹気持ち悪い?」

「っ、ううん。違うよママ。ただ、えっと……ルビー眠くなっちゃった!」

「そっか! じゃあ歯磨きして今日は早めに寝ちゃおう」

「うん……」

 

 そうやってアイに心配されても、ルビーはいつものような猫撫で声で甘えるでもなく、ただ従順に洗面所へと向かった。

 ここ最近、明らかにルビーの様子がおかしい。そして俺は彼女の変調の切欠を知っている。よく、覚えている。

 あの日だ。アイのドラマ撮影に同行した日、撮影現場にあの男が現れてから。

 

「藤咲が……」

 

 高校時代からの腐れ縁を差して幼馴染と呼んでいいものか。なんとも不思議な、奇妙な()()に在る友人。

 そうして再会した旧友は……自身の間合の内に(おどろ)のような殺気を漂わせてそこに在った。ひどく倦み疲れ、影の色濃い冷徹な刑事の顔でアイを問い詰めようとした。

 老獪なあの男らしからぬ余裕の無さ。愕然とする俺に、あの時監督はきっと純粋に好奇心か、感興を口にしたんだと思う。

 ────あれは正規の捜査活動ではない。違法捜査だと。

 飄々として、軽口の絶えない奴だった。けれど警察官の職務を、その意義と矜持を蔑ろにするような男では決してなかった。

 尊んできたそれら一切に背いてでも、あいつは……俺を殺した犯人を追って、やって来た。宮崎から東京へ越境し越権し、職権を濫用して。自分の積み上げてきた実績も信頼も名誉も、正義も、打ち捨てて。

 

「……」

 

 俺は拳を握る。丸くて小さく柔らかな子供の手を見下ろして、溜息を落とす。

 自分のことだからなのか。自分自身のことである筈なのに。

 変貌した友人の姿に、痛みを覚える。それを強いたことに、その原因が自分なのだという事実に。怒りすら。納得できない。間尺に合わない。

 俺は自分の死に然したる感慨を抱かなかった。何者かの手で殺されたのだろうことはぼんやりと自覚している。けれど怒りは湧いてこない。怨みや憎しみなんて強い感情欠片も覚えなかった。

 ないのだ。俺は不運で、俺を殺した奴は紛れもなく悪だった。殺人犯を許さず、その逮捕にあらゆる、本当にあらゆる努力を厭わない藤咲は正しい。だが。

 あの男を、藤咲をあそこまで、あんな惨い有り様にまで駆り立てるほどの価値はない。俺の死に囚われる友人を憐れだと思う。

 心底、愚かだと思う。

 ……そう断言してしまう自分に呆れる。

 けれど本心だ。俺は心から、あいつの蛮行を止めたいと望む。

 

「……ルビーは、なんで」

 

 藤咲仁の出現が星野ルビーの心境にどうして影響を及ぼすというのか。

 あるいは星野アイに対する藤咲の横暴に怒りを覚えて……到底そんな雰囲気ではなかった。感情が抜け落ちたような顔で、ただぼんやりと座っている様からそんな力強いものは感じられない。アイのライブ映像を流している時でさえ、ふとした瞬間抜け殻になるのだ。

 喪失。

 あれは喪失だ。

 昔、幾度も目にしたことがある。研修先の救命救急センターで、西臼杵の病院でも、幾度も、幾度も幾度も。

 家族を、友人を、恋人を、大事な誰かを亡くした人間の顔だ。病床の傍らで、手術室の扉の前で、その甚大な事実を咀嚼できず、あらゆる感情が流れ落ちた後の、置いて行かれた人達の。

 さりなちゃんが亡くなったあの日、鏡の中に見た男の。

 

「そう、なのか……」

 

 ルビーも何かを、ひどく、この上なく大事な何かを、失ってしまったのだろうか。

 一体何を?

 一体、誰を。

 

「……あいつに聞くしかないか」

 

 俺は名刺を取り出した。そうして映画監督五反田泰志の連絡先をスマホに入力していく。

 ルビーを直接問い詰めても正直に口を割るとは思えなかった。なら、確かめる術はこれしかない。丁度ドラマの出来についてもクレームを入れたかったところだ。

 監督は藤咲の連絡先を知っている。

 問題はどういう名目でそれを掠め取るかだが……。

 呼出音が鳴る。すぐには繋がらなかった。向こうの生活サイクルなど知る訳もないので、この時刻でも電話に出てくれる保証はない。

 内心焦れて来たその時、スピーカーから慌ただしい声が響いた。

 

『はい!? 今ちょっと立て込んでんだけどなぁ!』

「悪いけどこっちも急ぎなんです。この前現場でお会いしたアクアですけど、覚えてますか」

『って、お前、早熟ベイビーか』

「変なあだ名付いてるし……聞きたいことがあるんだ」

『丁度いい。いやナイスタイミングだ』

「は?」

 

 走りながら通話しているかのような息遣いと震動音、こちらがそれを尋ねる前に監督は、電話口のこの野郎はあろうことか。

 

『お前ら兄妹、本当はアイの子供(ガキ)なんだってな』

「んなっ!?」

『ってことは今近くにいるんだろう? 星野アイ。ちょっと代われ』

「ばっ、あんたそれを一体どこで!?」

『あぁあぁ今はそういうのいい。緊急事態だ。アイの……命に関わる重大事だ』

「────アイの命っつったかてめぇ」

『そうだよ。そのことで今……あぁ見付けた。おい! おいこの不良刑事! ちょっとは待ちやがれ!』

「!」

 

 藤咲、そこにいるのか。

 電話口の向こうは雑踏のようだ。

 

『……もしもし』

 

 鋼のような、巌が震動するような、低い男の声がした。藤咲の声が。

 

『星野アクアくんかい』

「……はい」

『俺は……おいちゃんは警察の藤咲というもんだ。以前に一度、撮影現場の廃校で顔を合わせたと思うが、覚えてるかねぇ』

「はい、覚えて、ます」

『そうか。今家にお母さんはおられるかな。大事な話がある。電話を代わってもらいてぇんだが』

「……大事な話って、なに」

『……』

「アイの身に何か危険が迫ってるってこと?」

『そうだ』

 

 藤咲は躊躇を殺して言った。

 

『君のお母さんに危害を、酷いことをしようと企んでる奴がいる。そいつを捕まえる為には、君のお母さんの協力が必要だ』

「警察に通報するだけじゃ足りないのか……ですか」

『通報自体はするべきだろう。だが、警察はストーカーのような実害の見え難い民事に介入できない。精々その地区の警邏巡回を増やす程度だ。無意味だとは言わねぇが、十全とは到底言えぬ』

「……宮崎の、殺人事件のあらましを」

『!』

「それを全部ぶちまけても、駄目なのか」

『……駄目だった。被疑者も定かではない憶測では、本部は、動かせなかった……』

 

 男のただでさえ低い声が、さらに地の底に沈み込む。苦汁を、無念を、不甲斐なさを、藤咲は噛み締めていた。

 

『……すまねぇ』

「っ……謝るなよ。なんであんたが謝るんだ」

 

 お前は、一年以上放置されてた死体を見付けたんだろ。山の中に転がってる俺を、見付けて、それで、その所為で()()()()になっちまったんだろ。

 俺なんかの為に。

 死んで、推しのアイドルの子供に転生してなんも考えずに有頂天で喜んでたこんな奴の為に。

 怒って戦ってくれてたんだろ。

 謝るのは、俺の方じゃねぇか馬鹿野郎。

 

「っ! 違う。俺がやるべきことは……!」

『アクアくん?』

「俺も戦う。今度は、俺も一緒に」

 

 電話を持って走る。

 そう広くもないマンション。ダイニングに飛び出すとすぐに彼女の姿を見付けた。アイはキッチンに設置したウォーターサーバーから水を汲み、コップに口を付けていた。

 駆け寄って来た俺を、極上の笑みで出迎えてくれる。

 

「どうしたのーアクア。アクアも喉乾いた?」

「アイ」

 

 小首を傾げるただそれだけの仕草さえ可憐な美少女に、俺は取り合わず、スマホを差し出した。

 

「藤咲……刑事さんから」

「へっ、どうして、アクアのスマホに……」

「出てあげて。大事な話なんだ。これはアイの、命に関わることだから」

 

 その戸惑いを理解する。無理もないと思う。疑問も驚きも当然だとわかってる。

 それでも俺は────友達の尽力を無駄にしたくない。

 

「力を貸してほしいんだ。あいつに。アイを守る為に……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の影に立って、私は兄と母を見詰めていた。(そばだ)てた耳で母の通話の一言一句を聞き、その向こうにいる人の思惑を、意図を、意志を想像する。

 その機会を得る為に。

 その瞬間を断じて、逃さぬ為に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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