一階フロントやラウンジ、そして最上階のレストラン等を除けば客室のある階層はそれらに挟まれた中間層の十段。
夜半とあって窓の多くはカーテンが掛かっている。室内を見通すことは困難だ。
物理的障壁さえなければ────
「客の顔を検められるんだが……」
「……えぇ、マシラくんもしかしてこの距離で部屋の中見えるの?」
「おうさ。てめぇでも不気味なくれぇくっきりとな」
隣で娘子が目を細めて身を乗り出す。うっかり落ちてしまわぬよう、コートの腰ベルトを掴んでおく。
夜目が利くようになったことには自覚があったが、遠見においてもどうやら著しく強化されている。
眼力に集中すれば窓辺に立つ者の表情はおろか、毛穴すら覗けそうだ。
「悪いことしちゃダメだよ。覗きとか」
「たわけ。んなつまらんことを誰がやるかい」
「覗くんならうちの子達で我慢してね。事前に言ってくれれば私も準備しとくから、いろいろ」
「覗かれる準備ってなぁ……ああいや答えんでいい」
その『うちの子』とやらの中にはもしやしてアクアも含まれているのだろうか。
……尋ねまい。明言される方がよほど怖ろしい。
馬鹿話は横に置くとして、己の浅はかな期待が成就する見込みはないらしい。
「……ファイルに載った面子とまでは言わんが」
“藝の導”と関係し、あるいは入信した後、現在行方知れずになっている陽東高校の生徒が数名。彼ら
────組織売春。これが己の性質の悪い妄想でないなら、帳簿に並ぶ宿泊施設は顧客と春を
とはいえ、まさに今夜この時刻に、それが行われているなどと都合の良い偶然があるとは流石に思っていない。
そもそもそれを確かめる手段がない。
「……マシラくんは、部屋の中を確認したいの?」
「ああ、しないと言っておいてなんだが、本音を言やぁ覗きたくてしょうがねぇや。宿泊施設ってなぁ警察相手でも容易に宿泊者の個人情報を開示しない。高級ホテルなら猶更だ。令状がなけりゃあ……かっ、まあ己には関係ねぇが」
「ふーん……」
直近で手に入れた情報。それに該当する現場近くを通った行き掛けの駄賃に、何かしら手掛かりが得られないものかと虫の良いことを考えたまで。
また後日、方策を練って出直そう。己がそう思い直していたところ。
傍らの娘がぽん、と手を打った。
「いいこと考えた」
「勘弁してくれ。苦労性は社長一人で間に合っとる」
アイの突然の思い付き。絶対に碌でもない、そうでなくとも絶対に一悶着二悶着どったんばったん大騒動になるに違いない。
流石にそろそろ家路が恋しい。
「あー、そーゆーこと言うんだー。せっかく、せっっかくマシラくんの希望を叶えてあげようと思ったのに。あーあー悲しい。私悲しいなー傷付いちゃったなー」
「己の希望?」
「そ。部屋の中と、今そこに泊ってる人達を確認できる。いい方法」
夜光に浮かび上がる微笑はいつにも増して妖しげで、そして実に愉しそうだ。
恰好の悪戯を思い付いたのだろう。
アイは然程に勿体ぶることもせず、己に耳打ちした。こんな場所で今更盗み聞きを気にするのも妙だが。
「…………そいつは、まあ……うむ、確かに、誰あろうお前さんならば、やってやれぬことはないのだろうが……下手をすると警察沙汰だぞ」
「えー今更ー。マシラくんがそれ言う? どっちかって言うと覗きとか盗み聞きとかの方がちゃんと犯罪っぽくない?」
ちゃんとしているかどうかはともかく、現行犯で即逮捕となる類の行為であることは確かだ。そうではあるがしかし、法に触れる、それも意図的に騒乱を起こすという意味で言えば、アイの提案は力一杯最悪の部類だ。
企図を遂げられないならまだしも、事が順調に推移し過ぎれば収拾は非常に困難になる。
まあ最終的に誰が責めを取らされるのかと言えばそれは我らが苺プロの斉藤社長なのだが。
「問題はもう一つ。己は無論のこと、お前さんにしてもそんなノウハウはあるまい。いかにお前さんの人気が尋常ならざるものでも、“そいつ”を実践するには機材やらネット端末の操作やらが不可欠だ」
「あ~、うーんそうなんだけど、やっぱりダメかな? いい方法だと思ったのに」
「奇抜でなかなか面白れぇとは思うが、残念ながら現状実現はやや困難だ」
アイは腕を組んで眉尻を下げる。
半ば冗談だとは思うのだが、それは真実本気で残念そうな所作に見えた。
それを慰める心持ちで、俺は肩を竦めて言った。
「そうだな、それこそ不特定多数の観衆に対してパフォーマンスを披露するってぇことに手馴れた人間が、今まさにこの下の通りにでも歩いててくれりゃあ……」
十割十分の冗句である。
オフィスビル前の通り、そこに行き交う多くの人々を見下ろして己は、己のこの目はうっかりと……そのプリン頭を見付けてしまった。
「……ありゃあ、メムちゃんか」
「え、どこどこどこ」
「みなさーん! こんめむ~。MEMちょだよーイエーイ! 今夜はひさびさの屋外ライブ! 題して『B級ディナーレビューの旅』! 東京のコンクリートジャングルに突入して隠れた美食を求めてめむめむ探検隊が現地調査でっす!」
先端にスマートホンをクリップ留めした棒状の機械を携え、娘がそれに向かってにこやかに手を振る。
所謂自撮り棒のような外観だが、娘が身動ぎする度にスマホの角度がそれに追随する。その棒切れ自身が手ブレや画角を自動補正する電子機器のようだ。
MEMちょきた
間に合った!
配信もう始まってる?
こんめむ~
こんめむー!
MEMちょー!
ディナーを求めてさすらうMEMちょ
相変わらずJK設定迷子で草
「設定言うな! 迷子じゃねぇわ! 未来への投資というか、べ、勉強だし! わ、私だってその内素敵なお相手とろまんちっくなでなーで一騎打ち決める日が来るかもしれないじゃない? その時の為のこれは布石! モテ女のスキル磨きだから! えっと……そう! JKの背伸び! みたいな」
行き遅れのOLみたいなこと言い出したぞ
一騎打ちでなにを決めるつもりなんですかねぇ……
そらもうお赤飯よ
小豆決めて認知を迫るMEMさんじゅうななさい
草
必死すぎて草
今日も設定の死守おつおつ
「おまいら◯すぞ!」
スマホの画面に何が映っているやら知らんが、往来の真ん中でメムちゃんは怒髪天叫んだ。剣呑である。
通行人が幾人か足を止め、やや生温かな視線で娘を眺め、そうして足早に去って行く。
沈着冷徹な衆人環視にもへこたれず、メムちゃんは露骨に咳払いして居直った。
「はいでは気を取り直して一件目! 場所は繁華街からちょっと離れたオフィスビルの隣。珍しい立地だね。外出に慣れてない陰キャは気を付けてねー。私? わたくしはもう既に完璧なシティーガールですから~。おほほほー田舎民の嫉妬が心地よいですわ~」
路地に入り道を歩きながらその弁は止まらない。
立て板に水というか舌がよく回るというか、トークに花咲くメムちゃんのプリン頭を見下ろしながら。
実に、頼り甲斐があるというもの。
「お、早速お店の方が見えてきま────」
落下の只中、壁を蹴り、向かいのビルの壁面に着地しまたしても蹴り付け跳ねる。跳ね返り続けること五度。
娘の眼前に降り立った。
「精が出るなメムちゃん」
「ギィィィイイイイァァアアアアアアアアアアアアアッッ!?!?」
なに?
どうした
今ので鼓膜が逝きました
なんかきた
上から来るぞぉ気を付けろ!
降ってきた!?
誰
マシラだ
マシラ!!
マッシーキターーーー!
え?え?え?マシラくん???
いやどっから来た
今日のゲストマシラ?
空からマシラが降ってきた