マンションの自室、勉強机に向かいノートをまとめる。
少なくとも今生では高校生の身の上なのだから、授業なり定期考査なりに向けて予習復習をするのが健全な学生の在り方と言えるのだろうが、紙面に走り書きしているのは怪しげな新興宗教団体とその触肢に冒された芸能界との関係について。
不健全極まりない。探偵か、あるいは刑事の真似事である。
「ふ……」
そんな風に考えてから、室内で一人苦笑する。あの馬鹿の馬鹿さ加減が感染したのだ。
四半世紀近く腐れ縁を続けていれば汚染もされるだろう。
まんまとその片棒を担いでいる。いや、高校生時代にも何度か。
変わらない。呆れるくらい。それを内心で悪くないと思っている自分にも。
「利害関係はわかりやすい……肝心なのは物証と、行方不明者の居所……やっぱり乗り込むしか……いやいやいや、それは最終手段」
「アクアーーー!!」
弾けるように扉が開かれ、ルビーが部屋に飛び込んできた。風呂上がりなのだろう、髪や肌からまだ湯気が立ち昇っている。
コットン素材のルームウェアはデザインなのか身丈のわりに袖が長く、ぶんぶんと羽のように少女はそれを振り回す。
「ルビーさんルビーさん、お前に対して閉ざす扉を俺は持ってないけど、せめてノックくらいはしてくれてもいいんだぞ」
「やだ! 思春期男子なせんせの恥ずかしいところも見たいから諦めて! そんなことより見てこれアクア!」
力一杯のプライバシー侵害宣言。自室で迂闊なことができなくなった。
とりあえず寿さんから厚意で頂戴したサイン入りグラビア写真集はマシラの部屋に避難させようとひっそり決意しつつ、突き出されたスマホの画面を見た。
「……」
それは見慣れた動画サイトのとあるチャンネルに表示されたライブ配信の告知画面だった。とあるもなにも、よく見知った友人MEMちょのそれであるが。
サムネイルは、誰かの瞳。その二つの宝石に星団を丸ごと閉じ込めてしまったかのような輝彩。
それこそ見間違えよう筈がない。誰を忘れても彼女だけは、脳髄ではなく魂がその残光を手放しはしないだろう。
人間離れした美貌。出会った頃より確実に、あの病室でさりなちゃんに見せられたジャケット写真などより遥かに極上へ完成していく。
完璧で究極な筈の彼女は、気付けば刻一刻進化していく。
小さな四角い画の中から流し目気味に、けれど凄まじい貫通力を持ってアイの両瞳がこちらを見詰めてくる。
タイトルは何の捻りもなくひどくシンプルに。
『■■■ホテル前で一夜限りの単独ゲリラライヴ』
その時、机に放っていたスマホが喧しく鳴動した。
着信。社長からだった。
「もしm」
『アイそっちにいるか!? いるんだろどうせ!? 事務所の社長撒いてマシラ拾って直帰かましてんだろあんの頭パッパラ娘ぇ!!』
「あぁ……」
その怒声で俺は概ね事の次第を把握した。
「こっちにはまだ帰ってきてない。というか、居場所ならわかるけど」
『ホントか!? じゃあ教えろ! すぐ教えろ! 今度という今度は容赦しねぇ! 事務所の屋上から縄で吊るして窓辺から懇々説教してやる!』
「いやー、むしろ今回は知らない方がいいかもしれない。あんたの精神衛生の為にも」
『はあ??』
どうせ後々嫌でも思い知らされるんだから、彼にもほんの一晩くらい安寧な時間があっていいと思う。
俺は労いの言葉を幾つか社長に送って、そっと通話を切った。
振り返る。
そこには果たして、法被を身に纏い手作りの団扇と赤いサイリウムを五指に挟んだルビーが立っていた。鉢巻には『アイ♡ママフォーエヴァーだいすき』と手書きしてある。
「いつ作ったんだそれ?」
「なにしてんのお兄ちゃん! 早く準備準備! 配信始まっちゃう!」
テレビには既に動画アプリが起ち上げられている。コメント欄が高速で流れ流れ、早くも待機人数は五桁に達した。
円形噴水がライトアップされた。その淵に立つ一つの
次の瞬間、アンプ内蔵スピーカーが吼えた。雑踏、喧騒をほんの刹那、蹴散らす大音量のメロディー。
その娘には一刹那で十分だった。
あるいは万分の一秒でも、視線を注ぎ、耳を傾け、意識を向けたが最後。
男が、女が、老人が、少年少女が足を止める。
ホテルの前庭、ロータリーの中央に噴き上がる水飛沫を背にして立つ一人の女。
美しい人型を注視する。せざるを得ない。魅入られるまま。
なになに
見ろよ
なんだ
誰かが
あれって
あぁ
あぁ
あれは
あの子は
あの人は
正確に一定のプログラムをなぞるだけの灯光が、今この時役割を変える。一つの使命を帯びて、女神の為のスポットライトへ。
彼が見た。彼女が見た。
誰も彼もが時間の運行を忘れたかのようにただ一人────アイを見た。
「さあ、始めるよ」
娘はキャスケットを取り、夜空へ放る。
解放された黒髪が闇より深く混淆し、艶然と。
コートの前を開け、裾を払う。
己が身を曝け出すように。
それは実にポップでサイケでロックでキャッチ―。極彩色の幻夢の如き偶像の……怨嗟と苦悩、憤怒と悲哀の歌だった。