「220万再生だって! やっばいね!」
「やっべぇよ!!」
アイが無邪気に喜んだ。
壱護が切実に悲鳴を上げた。
撮影スタジオの控室であった。一人一人に与えられた楽屋とは別に、演者が一堂に会して談笑や打ち合わせを行う広間に我々はいる。
五メートルの長机の上にずらりと溢れ返る関係各所より贈呈されたケータリングや差し入れの菓子折等。別室にはさらに数倍する無節操な物量が仮置きされている。それらはこの『今ガチ』への期待感、あるいは下心を物語っていた。
アイは個包装されたマカロンを一つ摘まみ上げて、少し迷ってから結局それを箱へ戻し、代わりに最中の包みを開いた。
美味そうに菓子を頬張るアイの呑気な様子に、壱護の
「私もこの道結構長いけど一晩で200万超えは流石に初めてだぁ。しかもまだまだ伸びてるし。これもしかしなくても一千万……や、や、億行っちゃう? もう昨夜から脳汁出っぱなしよこれ」
「すっかりハイになってるわね。後々正気に戻った時が見物だわ」
やや瞳孔が開き気味のメムちゃんは鼻息も荒い。
有馬嬢は椅子に腰掛け、呆れの色濃い目でメムちゃんとそれを唆した者共を順繰り見やった。
つまりそれはアイと、己であるが。
同時接続者数の国内最大記録を更新した先のライブ配信から早数日。先だってメムちゃんとアクアによって編集加工を施されたアイのゲリラライブ映像は、アップロードと同時に膨大なアクセス数を記録し続けている。
ポッキーを五本、束にして齧ったゆきが小首を傾げる。
「路上ライブってやっちゃダメなの? 駅前とかよく見るけど」
「んー、まあ規模による。個人が勝手に道端で歌うだけなら注意とかほぼされない。俺も昔やったことあるし」
ケンゴはだらしない姿勢で椅子に腰掛け缶のコーラを一口呷る。格別炭酸がきつい訳でもなかろうに、少し顔を顰めて。
「ただ、万単位の通行人の足を止めるなんて芸当は逆立ちしたってできねぇよ。よく警察呼ばれなかったな」
「それな。トレンドに『アイ』と『ゲリラ』と『暴動』が未だに並んでっし……芸能人ってすごい、改めてそう思いました」
ノブユキのその小学生男児の如き感想を揶揄する者は誰もいなかった。
「芸能人
「ホテルの支配人さんがアイの熱狂的なファンだった、とか出来すぎだよね! さっすが究極アイドル!」
「いえーい」
無邪気なルビーちゃんが我が事のように胸を張り、アイ共々にピースサインを掲げた。
壱護は怒りの沸点を優に通り越し極点を超え、空気の抜けた風船のように萎んでいく。
「……事務所に礼状と花輪が届いたぞ。あとリゾートの無料宿泊券。今ガチも見てるからっつってメンバー全員分だありがたく思えクソが」
『おぉ』
感慨深くというか他人事というか、なんとも低い歓声が上がる。
ゲリラライブの会場にされたホテルの前庭は早くも聖地の様相を呈して、宿泊客や
なるほど、客寄せパンダとしてアイ以上の適任などおるまい。
支配人殿はなにも重篤なアイドルオタクというだけではなく、数的貢献を見越していちごプロとお近付きになりたいのだ。
「生臭いな」
「いやまったく……アイめ、さてはこの辺りを見越してやがったな」
上座でルビーちゃんと戯れる少女、少女のような
アイはすぐに悪戯な、そして強かな微笑を己に返した。
向こう見ずな破滅嗜好症、そんなものに魅入られていた時期がこの娘にはあった。それは今もかの娘の中に名残雪めいて積もっている。それを匂わせる言動行動を短くない付き合いの中で幾度も見てきた。
今やそこに百戦の芸能、対人能力が合わさり実益さえ伴って、当人はその危うい趣味をすっかり満喫している始末。
「恐ぇ女だ」
「他人事みたいに言ってるが、半分くらいお前の所為だからな」
「そりゃ流石にちぃっとばかり殺生な話じゃあねぇか?」
情けない己の訴えに、アクアは冷然と肩を竦める。
「お前が与えたんだ。アイに、ルビーに……俺に。いろんなものを、無節操に、無際限に、手当たり次第に惜しげもなく、
────命さえ
音にせぬ囁きで少年は一言締め括る。
それは、あるいは責め問うような響きで、己を刺す。
結果として俺はこの家族に重い荷物を押し付けたのだ。あの日、あの薄暗いマンションの一室で。その事実は理解している。すまない、とも思っている。
「アイは変わってない。ただ飾らなくなった。B小町時代の映像と見比べるとよくわかる」
「確かに歳食うのを忘れっちまってはいるが」
「そういうことじゃねぇよ……嘘が、もうそれほど必要じゃなくなったんだ」
アクアはひどく厳かにそう言って、薄く笑った。寂しさと喜びと懐かしさの綯い交ぜになった複雑な表情でアイとルビーちゃんを見詰めた。
「生きててよかった。最近、よく思う」
「はっ、大仰な」
「……」
「生きるだの死ぬだの、そんなもんはもっと歳食って老いさらばえてから思え。お前もあの娘らも、それでよいのだ。そうでなくてどうする。戯け」
「うん、そうだな」
再生し再会した愛する者達。
己としては、それらが日常に埋没し、緩やかな時間を過ごしてくれさえすればそれでよかったのだが。
面倒事に自ら首を突っ込む己にこの者らは嬉々として追従したがる。今回の件が済んだら、その辺りをどうにか改めさせねばなるまい。
「……で、例の追跡行の首尾は」
「ああ、それなんだが」
「二人の会話っていつ聞いても不思議で面白いね」
パイプ椅子の上で己とアクア各々二人、尻で跳ね上がる。
一体いつの間に現れたやら。背後に立ったあかね坊がずずいと顔を寄せてくる。
「あかね、お前な……」
「盗み聞きたぁ感心せんな」
「えー、二人が気付かなかっただけだよー。っていうか失礼なのはむしろアクアくんとマシラくん! それこっちの影が薄いって言ってるのと同じなんだからね」
「気配殺して忍び寄っておいてその言い草かよ」
「まるで気付かなんだわ。あかね坊、随分と腕上げやがったな」
「えっへん。近寄っちゃえばあとは簡単なんだ。二人の呼吸数はもう体感でわかるから」
「なんか今さらっとキモいこと言わなかった……?」
耳聡い有馬嬢がその役者仲間たる少女を気味悪そうに見やる。
近頃は今ガチメンバーも各々で忙しく以前ほど密に時間を共にすることも減ってしまった。その隙にあかねがどのような成長、もとい変態を遂げたのか、我々はまだ知らない。
知らない方が良いのかもしれない。
「リハ再開でーす! スタンバイお願いします!」
小走りに休憩スペースに入ってきたADが威勢よく言った。
にこにこ顔のあかねにアクアと苦笑を突き合わせ、迂闊な密談を戒めるよう心に念ずる。今更の感は否めないが。
「フリル嬢がまだ見えんが」
「前があるらしい。一応今日の内に合流はできる筈だから……話はその時に」
潜めた声音のアクアの言に頷く。
ともあれ今は仕事の時間であった。