相変わらず不可思議な光景だった。
少女は、少女にしか見えぬ煌びやかなその女は、殊更華美な装いをしている訳でも大声で宣伝文句を口にしている訳でもない。
ただ歌った。
「────」
花弁が開き咲き誇る様にも似た笑顔を周囲に振り撒きながら、歌を口ずさみ道を歩いただけだ。
歩道橋の上を行く人々。それは仕事に向かう会社員か、周辺施設を利用する遊興客か、あるいはドームで開催される講演会に参加する多くの信者達か。
いずれにせよ誰も彼もが足を止めた。息を詰めた。高架下を行き交う自動車の排気音すら遠退く。
人波が割れる。女に行く手を譲る。
視線は釘付け。まるで魅入られたかのように。
否、これが魅了なのだ。
理外の器物を用いて異能によって他者の意識を操作するミヤビノカミとは根本的に違う。
人は望んでアイに魅入る。心を明け渡す。自ら。
歩道橋を渡り切ったアイは、その場、その空間で縫い留められた数多の人々へと振り返り、そっと微笑んだ。
「続きはアクアガーデンで」
声は通る。異様なまでにクリアな音質で。騒音に満ちた都心の只中であるにもかかわらず。
歩道橋にいたあらゆる者が女の
アイは擽ったそうにくすくすと笑って踵を返した。
そうしてその姿が建物の影に入ったのをビル屋上から見計らい、跳ぶ。ものの二秒弱で地上に達し、両腕で娘を捕らえ即座に路面から跳躍。
人間の動体視力を上回る速度、瞬発で。
その場を脱した。
「今のって」
「い、今のそうだよね!?」
「ウソ、本物……?」
「す、すごかったね」
「綺麗だった」
「やばかった」
「続き……」
「聞きたいな」
「聞きたい」
「聞かなきゃ」
「今行かないと絶対後悔するよ」
「……行く?」
「私も、行こうかな」
「お、俺も」
「おかあさーん! わたしたちもいこーよー!」
「……うん、そうね。そうしよっか?」
「ど、どこって言ってたっけ!?」
「えっと、たしか」
「大丈夫! 私覚えてるから」
「行くか」
「行かなきゃ」
「行こう、行こう」
あかねが導き出したドームへのアクセス経路において最大の人口密集が予測される基点、全てを巡る。
手間は、然して掛からなかった。少なくとも己はただ移動の足に徹するだけでいい。
魔術めいて鮮やかにいとも容易く、人々は誘われ集まっていく。本来の目的地をあっさりと見限り、甘い歌声を求めて。あたかもハーメルンの笛吹に付き随う子供らのように。
ひとえにそれはアイの力。娘はもはや、存在する、ただそれだけで人間に影響を及ぼした。
今ガチファン感謝祭の為に押さえた野外コンサート会場へ引き返す空中遊歩の最中、俺は腕の中に収まる娘の身体の軽さに幾度目とも知らず感慨を覚えた。己の膂力の異常さを差し引いても、ひどく、ひどく華奢な。儚い質量。
小鳥のように小さなこれが、億万の民衆を熱狂させる力を持っている。そのように信仰されている。
「重いな」
「うわー、今すんごい失礼なこと言われた」
「いや、お前さんのことではなくてな」
「乙女心を傷付けちゃうノンデリな人はバイショー請求されます」
「そいつぁおそろしい。何をご所望だい」
「んーどうしよっかなー。ふふふ、ワガママだったらいくらでも思い付くけど」
悪戯っぽい笑みで指折り請求内容を口ずさむ。
己が困る様を楽しむ腹積もりだろう。
呆れと、安堵を少し。笑声を吹いて己は居直った。
「小娘のワガママくれぇ屁でもねぇよ」
「…………ふ、ふふっ、小娘かぁ」
また一つビルを跳び越える。
遠く、高く、人界を見下ろしながら。
「そっか……」
首筋に掴まる細腕にそっと力が篭る。その所作が妙に幼気だった。
どんなに人々を魅了し、狂喜させ、愛慕を集めようがその実相は変わらない。
星野アイもまた、誰かに愛されたいと望んでいる。同僚、友人、家族、自身の息子と娘、そして……母親。
変わらない。常人が常人なりに欲する諸々と何一つ変わらない欲求を持って生まれてきた。
人を超えた美、人を超えた魔性、人を超えたあまりにも眩い“光”をその身に宿していようが。
この娘とて同じ。
同じだ。
今、目前で刻一刻肥大する異形の深緑。蠢く無数の
「私を崇めろ! 私を称えろ! 私を、愛せよぉ!!」
鬼か邪か、凶悪に歪むその形相は、まるで駄々を捏ねる子供のようで。
ワガママを聞いてもらえないから癇癪を起している。
望みが叶わない理不尽に怒り狂っている。
違いはこれか。
あの娘と、この女の違い。
「求めるばかり、貪るばかり」
「あぁ!?」
「あの娘っ子は愛の深ぇ女だぜ。愛されたいと、掻き毟るほど求めて望みながら、同じかそれ以上に……愛したいと心の底から叫んでる」
愛を知らずに生きた娘の十六年間を悲しいと思う。愛を知ったそれからの娘の十五年間を尊く思う。
「この伽藍堂が答えだ。今のお前さんに愛される資格など、ない」
絶えず蠢いていた触手が動きを止める。広大な無音の空間に響く、何かの瓦解。
緑の暴力が降ってくる。
地面を抉り、舞台を潰し、己が信者の為の座席を薙ぎ払い、ただ地団太を踏む。
異能の巫女は孤独を嘆いた。精一杯の暴力で。
剣を執る。切先から柄頭まで二尺に満たぬ。飾り気はなく、鍔もない。刃先は潰されている。儀礼用の模造品だ。
しかし十分だ。
我欲に塗れた異形の化物を討ち取るにこれ以上の武器はない。
触手の刺突が来る。
横一閃、それを斬り払う。
蔓の尖端は槍のように真っ直ぐ、卒倒した中年男のすぐ傍に着弾した。
「ひぃっ!?!? なん、なな、ひやぁぁああああああっ!?」
なかなかの反応速度で跳び起きたニニギもとい佐藤トシヤは会場から逃げ出した。
重いドアをこじ開けて出口に消える。
その様子を見て取って……物陰に潜んでいた少年が男の後を追い駆けていく。
アクアはドアを潜る直前こちらを振り返り、己を見据えた。
────無茶するなよ
────てめぇもな
巨大な植物の化物に、一振りの剣を携えた青年が対峙する。
神話の如き非現実。
その光景を、外野席から見下ろす者が一人。白い上衣に緋袴、巫女装束を纏った少女。
他のスタッフ達はとうの昔にその場を逃げ出している。にもかかわらず少女はその場に佇んでいた。ただその場に留まり、待った。
待ち人を。
そうして程なく。
濡れ羽の美しい黒髪を乱して、息せき切らして、もう一人。少女が現れた。
「フリル……」
「はぁ、はぁ、はぁ」
不知火フリルの瞳に驚きと喜色が過る。ずっと無事を祈って、願って叶わなかった友達との再会がようやく叶ったのだ。
対する彼女は、スタンドの上で場違いな巫女姿を晒すその少女の瞳に宿るのは。
揺らぎ、戸惑い、そして隠し切れないほどの……歪んだ喜悦。
少女はにたりと笑みを浮かべた。愚かな不知火フリルを嗤った。
「来てくれると思った」