推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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偽神殺し

 

 

 白い衣袴(きぬばかま)の男が控室に駆け込んだ。

 高級ラウンジのような内装。部屋の中央で革張りのソファーが品良くガラステーブルを囲んでいる。

 ニニギノミコト()()佐藤トシヤは、まず真っ先にソファーの上に鎮座するアタッシュケースに取り付いた。

 よほどに焦っているのか殊の外ダイヤルロックに手こずり、そうして苦労して開いたケースの中身は……ノートPC。

 

「まだだ。まだ大丈夫だ。ミヤビの力があれば事故にできる。金を撒いて議員に口添えさせて警察を黙らせて、ほとぼりが冷めるまで日本を離れて」

 

 中年男は今後の展望について実に丁寧に喋り倒した。

 すわ、こちらの存在に気付いたかと一瞬身構えたが、どうやらそうではない様子だ。

 それがこの男の慌てふためき方らしい。

 

「大丈夫だまだ稼げる! 俺とお前が揃えばいくらでも稼げるぞ! 信者共はお前の虜だ! 金さえありゃなんだってできる! コネも人気も思いのままだ! 現に見ろ! 何が聖地だ。こうしてドームだって押さえられ」

「そのバイタリティーだけは感心する」

「へっ?」

 

 ぎょっとして男が振り向く前に、その脂っぽい後頭部へ警棒を振り下ろす。加減は心得ている。

 我ながら鮮やかに、一撃で佐藤トシヤは昏倒した。

 気配の殺し方、背後に忍び寄る足運び、得物の扱い。堅気にあるまじき小技ばかり上達する。

 間違いなく。

 

「あいつの所為だ」

 

 ノートPCの電源を入れながら独り言ちる。

 あかねの奇行を批難できたものではない。

 用意していたSIMフリースマートフォンとPCをケーブルで接続する。そうして初期画面に一つだけ新規にインストールされているアプリをタップすれば、自動的に文書データの吸い出しが開始される。極々ありふれたハッキングツールだ。情報化社会様様というか、探せば誰とでもコンタクトを取りどんなものでも売り買いできる現代社会は懐が深く、また闇も深い。

 映像端末の利点はやはりその場でデータの中身を確認できることに尽きる。

 

「……まあ、そうだよな」

 

 そこには事前にマシラが入手していた帳簿の裏付け……組織的な売買春の事実がずらりと並んでいた。

 正答を確認したところで喜びなど欠片もない。ひたすらに気分は最悪だ。

 

「……」

 

 芸能界で夢を見る為の代償がこれか。

 こんなものを支払ってでしか立てない世界。

 果たして()()にそんな価値があるのか。

 マシラ……藤咲は断言するだろう。そんなものは無い、と。

 飄々と振る舞って見せてもあの男はそういう潔癖さをずっと隠し持っている。昔から。出会った頃から。

 子供が食い物にされる世界など、必要とあらばあいつは躊躇なく破壊しようとするのだろう。

 その(はげ)しい正義を俺は否定できない。腐れ縁の……親友の想いを尊く思う。

 そして同じくらい、夢の重さに感情が寄る。芸能界の華々しく、棘々しく、痛々しいまでの光の強さ。夢の輝かしさ。

 

「お前だって全否定はできないだろ……さりなちゃんの夢をさ」

 

 あいつのはまるっきり親馬鹿だし、俺なんか完全な依怙贔屓だけど。

 さりなちゃんの夢の世界。前世で叶わなかった夢の続きをあの子は今ようやく始められた。これから歩いていく。

 あの子の未来が見られるならなんだってやる。道を掃き清めて邪魔な壁があるならぶっ壊す。

 ────いや、一緒に越えていくんだ。

 さりなちゃんと俺と、お前で。

 そうだろ藤咲。

 汚くて、闇深くて、悪意の蠢く世界だけど、それだけじゃない。それだけじゃなかったろ。

 だってこの世界にも光があった。

 誰も彼も魅了して虜にするくせに、とびきりの完璧で究極の嘘吐きのくせに、本当は誰よりも寂しがり屋で、誰よりも愛情深い女の子。

 アイが、いてくれた。

 それだけで十分だ。十分すぎる。

 さりなちゃんの夢は幻なんかじゃなかった。“本物”は確かに、ここにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから私は“本物”なんかじゃない」

 

 友達の手を引いて不知火フリルはひた走る。

 階段を二段飛ばしに駆け上がり、大挙したはいいもののドーム内で繰り広げられる常軌を逸した闘争にただただ唖然とする警備員や場内スタッフ達を躱して、通路を抜けエントランスを突っ切って、回転ドアから外へ。

 解放感。午後の日差しはひどく麗かだった。先程までの光景が夢か幻に思えるほど。

 

「あなたは私を本物とか、天才とか言ってくれるけど、そうじゃないよ。私だって褒められれば嬉しい。認めてもらえたら馬鹿正直に喜んじゃう。単純なの。仕事のクオリティに拘っても、崇高な理想みたいなものは抱けない。夢がない。私は求められるだけ巧く演じるし、上手く歌う。けど……」

 

 サイレンの音が近づいてくる。消防車とパトカーだろう。

 辺りに剣呑な空気が漂い始めているにもかかわらず、驚くほど敷地内の人気は少ない。

 

「誰かに夢を見せることはできない」

 

 ここに集まる筈だった観客も街を行き交う人波も、きっとそこに向かったんだ。きっとそれに夢中なんだ。

 その“夢”に魅せられてる。

 

「技術屋っていうのかな? 最近よく思う。私の限界はそれなんだって。私は違う。本物じゃない。あの人達のようにはなれない」

 

 仄暗い親近感を込めてフリルは友人に微笑んだ。

 

「本当の“本物”はあの人達なんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

(いいや)、本物などここには何一つありゃしねぇよ」

 

 緑の触手を斬り払う。幾百、幾千にもなろう。斬り落とされた植物は途端に色と水気を失い、枯れるどころか塵も残さず消えていく。

 ドームの天井に取り付いた巨大な塊は蠢動し続けている。その様は旺盛な生命力というより、過負荷に苦しみ早鐘を打つ心臓のようだった。

 彼奴にも遂に限界が来たのだ。質量保存の法則を無視するが如く増殖を続けた繁茂(はんも)とて元手はある。信者から吸い上げた精気、そして己から掠め取った力、その双方を使い尽くしてなお終わらぬ消耗。

 

「違う違う違うぅ!! 私は本物だ! 私は本物の力を手に入れたんだぁぁああぁああっ!」

「お前さんのソレも、無論のこと己のコレも」

 

 そして、おそらくは真の意味で神を宿すルメですら。

 

「理外の器物、異なる力、神か天魔の仕儀。そんなものを振り翳せばそりゃあ結果は出るだろう。当然だ。ルールを踏み倒して思い通りにできるのだから。かかっ、当世(いま)風に言うとなんだ? チートってぇやつかね」

 

 ゆえにこの対峙が、反則技同士の潰し合いくらいが相応だ。

 

「本物なんてなぁそうほいほい出てくるもんじゃねぇだろう。時代に一人か、二人……それこそあそこで歌ってる娘とかな」

 

 華のような笑顔。星屑を宿した瞳。

 ビジョンは現世に実体をもって実在する女神を映し出す。人の子として泣き笑い悩みながらそれでも……愛に生きた女を。

 アイを。

 剣を構える。深く、脇構えに近く、抜刀術よりやや浅く。腰を落とす。

 

「信者を食らって、子供の夢も食らって、それでなれるものが本物な筈ぁねぇだろうが。そいつぁただの化物だ」

「はぁはぁはぁはぁ、わた、わたし、は、は、わたし、は」

「……そんなものになりたかったんじゃねぇんだろ。お前さんだって」

 

 蔓の中心に据わる女もまた眩しそうにアイの顔を見た。

 女の面相は(やつ)れている。いや、事実顔からは精気が抜け、皮膚は皺が寄り張りを失った。

 急激な老い。

 我欲と渇望と、夢の代償。

 その様は醜く(おぞ)ましくそして……憐れだった。

 土壇場は今。情けとは言うまい。せめて華々しく。

 握り込んだ柄から刃へ、目に見えぬ力が、身の内より湧き出る力が、猛り狂う異なる力が伝う。刃先に満ちたそれが溢れる。それは熱のようでもあり、光のようでもあった。

 

「幕だ」

 

 周囲に集る蔓は余計に殖えた飾りのようなもの。

 本体は常に不動。女が襷掛けにしているあの日陰蔓ただ一房。

 今ならば届く。

 この肉体と神威が同調を始めた今ならば。

 一剣にて。

 地面を踏み締め、仰け反るように。

 斬り上げる。

 空を。その先を。さらにさらに先を。ドーム内中心部から天井方向へ約70メートルの距離は、たった今絶無(ゼロ)に至る。

 斬撃は雷光に似てただ鋭く(はや)く細く鮮やかに走り、奔り────その蔓を断った。確かに両断した。

 

「あぁ……光、が……」

 

 そして一人の夢が終わりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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