ベランダにそよと吹き込んだ夜風には、微かに冬の気配が香った。
「ルビー、寒くないか」
「大丈夫だよ。もう、いつまで経ってもせん、んんっ……アクアは心配性なんだから」
「そんくれぇルビーちゃんが可愛いくて仕様がねぇのさ、この男は」
こちらの軽口を無視してアクアは自分の上着をルビーちゃんの肩に掛ける。
途端、娘子の笑顔が一層華やいだように見えた。まるで恋する乙女のように。
いや、比喩であるものか。この娘はずっと、ずっと一途に。
「くくっ」
「なんだよ」
気取らずこんな真似ができるこの男のそつの無さが可笑しくて、この娘に対する過保護ぶりがなにやら懐かしい。
それが己はどうやら嬉しいらしい。
この他愛のない時間が、なにやら無性に尊いのだ。
無論、素面でこんなことを言えたものではない。うっかり口を滑らせた日には一体どんな風にからかわれるか。
己の愚昧な見栄など知る由もないルビーちゃんがふと独り言ちる。
「フリルさんも来れたらよかったのにね」
「今はただでさえ忙しいだろうからな」
「今回の騒動で業界の上の方が随分バタついたろ。あの子の事務所でもお偉いさんが一人飛んだそうだ」
「大事じゃねぇか」
「うわぁ」
「だが違法行為に関与した人間達がその進退を問われ、糺されようとしている。そうでなくてどうする。そうでなくてはいかんのだ。そしてそうなったのは、ルビーちゃんのお陰なんだぜ?」
被害者や家族達に泣き寝入りではなく正しく戦うという選択をさせた。
被害者一人一人をその足で探し出し説得を重ね彼ら彼女らに団結を促した。
「別に私は大したことした訳じゃないよ。あの団体に巻き込まれたたくさんの人達の話を聞いて、その人がどうしたいのか、何ができるのか、私なりに必死で考えてそれを伝えただけ。法律のこととかはおじさんの受け売りだし」
どこか気後れするようにルビーちゃんは小さく舌を出した。
「……すごいよ、さりなちゃんは」
「ああ、まったくだ」
「えへへ……」
我らにはできない、最も困難なことをこの娘は為し遂げたのだ。
敬服以外の何を思う。
「あれ、っていうかさ」
「ん?」
「おじさん、普通にフリルさんと連絡取り合ってるんだ」
「そういえば」
「いや待て待て。IDならお前さん達も交換しただろうが」
せっかく感慨に耽っていたというのに急に調子を取り戻したようにルビーちゃんとアクアは互いに顔を見合わせ、そのまま詰め寄ってきた。
「俺達もうるさいこと言いたい訳じゃないけど、流石に相手を選べよ。身の程的な意味で」
「十二分にうるせぇよ。要らねぇ心配せずとも己の分ぐれぇ弁えとるわい」
「まあ、あの不知火フリルだし? すっごく包み隠さず言っちゃえば、ものすんごい上玉? だし」
「ルビーちゃん。まるで山賊だぜ、その言い様ぁ」
「第一印象だけなら星野兄妹ポイント的に及第点をあげてもいいでしょう」
「この娘っ子はいってぇどの立場から採点下してんだい」
「面白いだろうちの妹。この上なく不遜で」
「てめぇもな」
話が妙な方向に転ぼうとしている。
「そろそろ中に戻るぞ。体が冷えちまう」
「おい逃げるな。前々からお前の今生の人生設計については一言言いたかったんだ」
「なんて言うか、おじさんにはラブコメの波動が足りない。もっとラッキースケベとか狙ってこ!」
「むやみやたらに余計なお世話だよ。あとな、んな頓狂なもんを若ぇ娘っ子が爺に要求するんじゃねぇ」
「あ、こら、都合悪くなったらジジイぶるのやめろ」
「ふりもなにも紛うことなき爺なんだよこちとら。羅武だか米だかぁ間に合ってるよ。万一子供をそんな目で見るようになった日にゃ、俺ぁ腹切るぜ」
「ほー、なら子供相手じゃなきゃいいんだな」
「もう子供じゃない人、一人知ってるなぁ。もうすぐ三十路なのに年齢迷子の綺麗な人……」
「おい」
予想はつく。雨宮吾郎と天童寺さりなからアクアとルビーに。その顔は旧知の友から気の置けない少年と少女のそれに変わる。この双子の兄妹が一体誰を想像し、誰の名を口にしようとしているのかわかってしまう。
きっとその名はこの二人にとって最も特別な意味を持つというのに。どういう訳だか、己と目合わせようというのだ。
冗談ではない。
「お前さん達至上の“推し”じゃあなかったのかい」
「だからこそだよ。まあ……推しのアイドル、ってだけじゃなくなっちまったからだけどさ」
「幸せになって欲しいの。大好きな推しで、お母さんだもん」
想いというなら、その声に宿るのは愛情以外の何ものでもない。
親孝行は結構だが。
「……おじさんにも幸せになって欲しいの」
「馬鹿なことを」
「っ! 馬鹿なことなんかじゃないよ!! おじさんはずっと、昔も今も私達の為に……だから私も、アクアも、真剣に……!」
「己はとっくに欲しいもん掴んじまってるのさ。なんだてめぇら、気付いてなかったのかい」
言ってから無性に含羞が湧いて、掃き出し窓を開いて室内に逃げ込む。
「ほれ馬鹿兄妹。寒いからとっとと中に入らねぇか」
「うるせぇ糞馬鹿野郎」
「おじさんってホント素直じゃないねぇ」
綺麗な顔にニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべる二人に悪態の一つも返そうとした、その時。
ポケットのスマホが振動した。着信である。
画面には見知らぬ番号が表示されていた。
背後のバカ共の追撃を嫌い、その場で通話をタップしてスマホを耳に当てた。
「もしもし、こちら五反田の携帯でござい。そちらはどちらさんで」
『はじめまして。僕は雷田。今度出演して頂く「東ブレ2.5」舞台の音頭取りをしてる者です』
「おや……こいつはどうも。ええお名前は存じ上げております」
『ありがとう。突然の電話で申し訳ないが、単刀直入に言うと君に頼みがあるんだ。五反田マシラ……いや、万事請け負い屋“サルタヒコ”に』