GOAは言った。守ってほしいと。
なにやら怪しげな探偵業を営むらしい何処の馬の骨かもわからぬ若僧に、居住まいを正して神妙に。
それを見計らって雷田が卓上に一枚の紙を滑らせた。
A4のコピー用紙。紙面にはなにやらおどろおどろしいフォントでこのように綴られていた。
作品の名声に集る金の亡者
お前はまた一つ名作を穢した
東京ブレイドから手を引け
さもなければ、銘刀の主達がお前を裁くだろう
己とアクアとあかね。卓上から顔を上げた我々は居直り、あかねは考え込み、アクアは視線でこちらに問う。これに対する所感、あるいはこの文面の企図。
己はとりあえずただ思ったことを口にした。
「こらまた古典的だねぇ」
「脅迫状、だよね。これ」
「どちらかといえば怪文書に見えるけどな」
「害悪の告知は、まあ読み取れんこともねぇが」
「えっと、脅迫罪の成立要件はぁ、生命、身体、財産、名誉、自由に対する加害の旨を当人あるいは当人の親族を対象に告知すること……だったかな」
「いや十分だろ。今時この手の脅迫文を警察も軽視できない筈だ……違うか?」
「うるせぇな。鬼の首獲ったみてぇにこっちを見るんじゃねぇよ」
「あーまたそれ。時々そうやって二人だけで通じ合うんだもん……デュフフ、もっとくださいそういうの」
あかね坊の世迷言はさて置き。
アクアのそれは己の古巣の不始末を揶揄した物言いなのだろうが、こちとら十五年から昔に退職済みだ。警察組織とて世相を反映して体制や風土を変えていく。否応なく変えざるを得ない。
「こいつは警察には通報したんで? 流石にあちらさんも民事不介入なんて寝言は吐かんでしょう。税金の正しい用途ってぇやつですよ。くく、人より余計に支払わされてんでしょうに」
「ええそれはもう毎年嫌になるほど……コホンッ、冗談は置いといて。通報するのが一般市民の義務であり権利なのはわかってるんです。でも……」
GOAは肩を竦めて鼻から軽く気息を吹く。洋画俳優のような仕草である。嫌味ったらしいといえばそうなのだが、キャラに合っている所為か面白味が勝った。
「仕事柄、この手の脅迫は日常茶飯事で」
「あぁ? 脚本家ってのはそんな物騒な仕事なのかい」
「脚本家全員がそうとは言わないけど。漫画やアニメの実写化に携わる機会が多い僕のようなライターは、どうもその傾向が高くなるみたいだ」
「人気作になるほどファンの熱量も半端じゃない。中には過激な批判……ほとんど誹謗中傷染みた抗議文が来ることもある。なんせ二次元で成立していた作品を三次元の映像作品に落とし込まなきゃならない。ストーリー、設定、ビジュアル、画作り、撮影手法、擦り合わせなきゃならない要素は膨大だしどうしたって絶対に齟齬は生じてしまう。実写化っていうのは観客だけじゃない。作り手にとってもなかなか頭の痛い案件なんだよ……ま、クリエイターじゃない僕が言うのは烏滸がましいんだけどさ」
補足をくれた後、雷田はやや自嘲してそう締め括る。
「あ! 言っておくけどGOAくんの脚本には何の問題もないよ。業界内の支持だけじゃなく、彼ほどユーザーからここまで高評価を得ている“実写化に秀でたライター”はそう多くない」
「あはは、フォローありがとうございます」
「まあ創作の難しさなんてなぁ素人が軽々に推し量れるもんじゃあねぇんでしょうな」
「他人事みたいに言うな。お前だって一応当事者だろうが、主要キャスト」
アクアの小言に知らんぷりを決め込む。
GOAと雷田は毒気を抜かれたように少し笑った。
「……つまり警察にはあまり期待できない、と?」
「別に対応が不誠実だとか厳正に受け止めてもらえないだとかそういう心配をしてる訳じゃないんだ。ただ、こんな悪戯をいちいち相手にしていたらおちおち仕事もできやしない……そう、本音を言えばそこに行き着く。今回の仕事は、できるなら最後までやり遂げたい。大事になった挙句にこの企画がお流れになるなんてまっぴらだ、ってね」
「……」
害悪の告知──これが殺傷や放火、爆破予告のようなある意味わかりやすい文面であれば警察は大手を振って捜査に乗り出してこれる。その場合、確実に今回の舞台企画は延期、ないし中止となるだろう。
それが嫌だからこそ、彼らは胡散臭いモグリ探偵を頼った。
……なんだか以前にも聞いたことのある話だ。
芸能、創作、この分野の人間達は夢と仕事に取り憑かれている。大なり小なり、狂っている。
「あの、
不意に、胸の前で控えめに挙手したあかねが言った。
虚を衝かれた様子でGOAが目を瞬く。
その驚きには取り合わず、己もアクアも黙って次なる返答を待った。あかねの質問は格別示し合わせるまでもなく俺達の腹の中に湧いた共通の疑問であったからだ。
たったこれだけの脅迫
他に、何かあるのだ。己の如き奇天烈な男を頼らざる得ない何かが。
GOAは緊張した面持ちで一度溜息を落とすと、ポケットからスマートホンを取り出しなにやら操作した。
そのまま画面をこちらへ向けて端末を卓上に置く。
男の指が画面をタップすると動画の再生が開始された。
夜の街中と思しい。人気が少ない路地の只中である。手振れが酷く、カメラは下へ上へ、時にアスファルトの地面や建物の壁面、電柱、街灯に忙しなく画角を変えた。
『なっ、なんだ、なんなんだ……!』
荒い息遣い。声からして撮影者はGOA本人である。
恐慌一歩手前。道端で怪物に出くわし逃げている最中といった様相。リアル志向のパニックムービーに似たようなシーンがあった気がする。
そんな己のくだらぬ印象は──逆の意味で裏切られた。
『っ!!』
突如、画面が赤く染まる。赤、
炎。
飛び散る鮮血にも似た炎。
それは一瞬路地の狭隘を埋め尽くしたかと思うと、さらに刹那、夜闇に解けて消えた。
街灯が割れる。散り散りになったアクリルガラスとグラスファイバーが降り注ぐ。電線が紫電と火花を発し、停電と共に薄い街明かりすら消えてしまった。
暗視モードに切り替わったカメラが、夜の帳の向こう側を辛うじて灰色に染めて映し出す。
そこに、いた。
時代錯誤な和装である。あるいは、和装のようにデザインされたモダン衣装とでも言おうか。
朱い装束。およそ現代人の服装ではなかった。
赤い髪。後頭に結われた長い髪が夜闇に馬尾の如く尾を引く。
そして極めつけはその手に。青い柄糸、金雲を模した鍔、拵えからして打刀。
刀を肩に担いだその男がカメラを見た。無邪気な、獰猛な笑みで。
「これって……」
「まさか、これ」
「なんだこりゃ。こいつは、あれだろ。漫画の」
「そう」
画面から顔を上げる。
GOAは苦笑を滲ませて頷いた。不可解と含羞と諦観を含ませ、出来の悪い冗談を笑うように。
「僕はあの“ブレイド”に襲われたんだ」