推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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創作者のアイロニー

 

 

 3LDKのマンションの一室をそのままスタジオとして用立てているという。

 内装は入居し立てのように小綺麗だが、これは単に手入れをしない所為で生活感が薄いだけのように思われる。鮫島アビ子にとってこの部屋は家ではなく作業場なのだ。

 玄関を上がって廊下を進む。その途中、半開きになっていた扉をアビコちゃんは慌てて閉じた。

 

「あ、あ、こっちは散らかってるので! 話はあっち、デスクの方で!」

「普通は逆でしょうに。応接室を用意しろなんて言わないから……もう、前来た時より酷くなってない?」

 

 己の後ろで吉祥寺先生が廊下のもう一方の扉を開く。

 

「あら、最近は結構可愛いの穿いてるのね。うちにいた頃なんて中学生男子みたいなボクサーだったのに……」

「なぁああああっ!!」

 

 アビコちゃんはなかなかの瞬発力で吉祥寺先生に飛び付き、彼女を追い払って固く扉を閉めた。おそらくは。

 せめてものマナーで視線はそちらにやらなかったので実際は定かではない。

 

「やはり来るのが急過ぎましたかね」

「今更怖気づかないでください。それに一週間前に予告してたってどうせこの子はこんな調子です、たぶん」

「そ、そんなことないもん! ちゃんと身支度して、部屋だって片付けてお茶の準備とかして……」

「脱ぎ散らかした服をクローゼットの扉に挟む? キッチンがちょっと臭うわよ。あと、部屋着を着るなとは言わないけどせめてアイロンくらい掛けなさい」

「吉祥寺先生、そのくらいで。己が悪いんです、ええ。本当に。だからもう少しこう、手心を」

「うぅぅぅうっ、だってだって、担当編集以外で男の人が部屋に来るのなんて初めてなんだもん……忙しくなかったらもっとちゃんとしてるもん……」

 

 姉か母御のような吉祥寺先生の猛攻に、遂にアビコちゃんは泣きを入れた。

 無理を言った手前もある。今更慰めの言葉を吐くこともできず、怖気づいたと罵られようが甘受する他あるまい。

 吉祥寺頼子、有名漫画家の先達であり鮫島アビ子とはアシスタント時代からの付き合いであり、即ち実質的師匠でもある。なんとも面白い女性だ。小気味というか気風が良い。

 

「不躾は承知ですがどうかお頼み申します。電話口でもちょいとばかし伺いましたが」

「は、はい……脚本家の人に脅迫状が来た、って」

「ええ、そして実際に不審者が彼を脅しに来ました」

「えっ」

「あの、ゴアさん? でしたよね。その人は……」

「無事です。幸い危害を加えられることはなかったようです」

 

 作業場には大きなデスクが二基ずつ壁際と部屋の中央に並んでいた。それぞれにLEDライトと斜めに傾斜した半透明の台(トレース台というそうだ)が据えられ、他にも素人には用途のわからぬ種々数多の筆記具が机上には溢れ返っている。

 アビコちゃんより頭二つ分は背の高い書架には、作画資料と思しい書籍と小道具が詰め込まれ、入りきらなかったのか戻す手間を惜しんだのか床にもファイルや写真集の類が積み上がっている。

 

「お」

 

 部屋の隅に傘立てのようなものを見付けた。のようなもの、などと迂遠に表したのは差さっていたのが傘ではなく模造刀や木刀ばかりだったからだ。

 アビコちゃんはキャスター付きの椅子を二脚滑らせ、己と吉祥寺先生に勧めた。そうして自身は隅の自分用のものに腰を下ろす。

 作業台には、今まさに描いている最中らしい原稿があった。

 ……忙殺されている漫画家の時間を奪うことの罪の重さについて己は今少し考えるべきなのかもしれない。このヤマが片付いた後はそうしよう。極力。

 

「早速ですが、こいつをご覧になってください。GOAさんが襲撃された時の動画です」

「しゅっ、マジですか」

「いや、あの、それ私も見ていいんですか?」

「ん、まあ、代紋背負った刑事の捜査じゃあねぇんだ。少しくれぇいいでしょう」

 

 探偵業従事者の守秘義務、という見方もあるのだろうが、それこそこんなモグリ探偵にそんな高尚なプロ意識がある筈もない。

 あるのはただ事件を解決し被害の出る前に犯人(ホシ)を上げる。その目的完遂意識のみ。

 事案、事件化し、実的被害が起きてからしか動けない警官であった頃とは違う。なるほどその点に関してだけは、今生で得たこの灰色の立場も悪くはない。

 吉祥寺先生は恐々と、アビコちゃんは食い入るように画面を見詰めた。しかしいずれの眼差しも常人にはない集中力を感じた。好奇心だけでは説明のつかない強烈な観察眼。

 漫画家とは皆こうなのか。

 

「これ……!」

「まさか、この格好、ブレイド? ブレイドの衣装を着た人間が襲撃犯なんですか!?」

 

 赤い衣装の怪人物がビルの上に姿を消すシーンに至って、二人は絶句した。

 

「合成ではない、と撮影者本人は主張してます。自分も彼をわざわざこんな手の込んだ悪戯をする人間ではないと判断した上で、捜査……あぁ調査しています。何か、この動画に映った人物に心当たりはありませんか?」

「心当たりといっても、ファンの人がコスプレしてくれることはよくあるし……」

「ご、合成じゃないって……この炎と、最後のあの大ジャンプとかも、本当にあったことだって言うんですか?」

 

 吉祥寺先生のその眼鏡の奥の理知的な目が、珍獣でも見付けたように瞬く。彼女が見ているのは己の顔だ。言外に頭の具合の心配をされていることはよくよく伝わってきた。

 

「……付き添いを頼まれた時に軽く説明はされましたけどやっぱりわからない。五反田くんは、いちごプロダクションの俳優さん、なんですよね?」

「俳優()やってる、まあ珍奇な請け負い屋ですよ。芸能界ってのは忌々しいほどトラブルには事欠かん世界ですから、己のような嗅ぎ回るだけが得意な男が重宝されっちまう。まったく嘆かわしいことで」

「当人が言いますか……本当、漫画の登場人物みたいな人ですね。私が言うのもなんですが」

「いやぁお恥ずかしい」

「褒めてませんよ。半分くらいは」

 

 眉根を寄せて呆れた顔をしてから、吉祥寺先生は楽しげに笑った。

 半分も賛美されてはそれこそ身に余り身が縮んでしまう。

 

「……そんな……でも、ありえない……どうして……」

「?」

 

 手渡したスマホを手にしたままアビコちゃんは会話にも混ざらず、何か。

 様子がおかしい。画面を見るでもなく深刻に考え込んでいる。

 視線は虚空を、いや、脳裏に想起した何かを見詰めているかのよう。

 

「アビコちゃん」

「っ、は、はい……?」

「何か思い当たることがあるのかな。どんな些細なことでも構わねぇ。教えちゃもらえ……」

「知りませんッ!」

 

 きん、と静かな室内に漂っていた和やかな空気を消し飛ばす。制御し損ねた声量でアビコちゃんは叫んだ。

 自身の仕出かしに気付いた娘は目に見えて狼狽した。

 

「ご、ごめんなさい。大きな声、出して。私、私、わかんないです。何も、知らないです……」

 

 打って変わって弱々しく、娘子は俯き椅子を回してデスクに向かってしまった。

 その態度の異状を見過ごせるほど朴念仁を気取ることはできそうにない。

 

「アビコちゃん、今回の」

「アビ子先生は今とても多忙なんです」

 

 続く言葉は傍らの吉祥寺先生に遮られ、立ち塞がった彼女に視線すら遮られてしまった。

 

「週刊連載を抱える漫画家は異常者です。人間生活を捨てて仕事をしてます。ハッキリ言って人間じゃありません変態です。変態集団です」

「あの、先生、それは流石に言い過ぎ……」

「本来なら今この時間すら惜しいくらい。原稿、まだなんでしょ?」

「……」

「こんな……被害に遭われた方には申し訳ないけど……こんなことでこれ以上彼女の負担を増やさないであげてください。お願いします」

 

 吉祥寺先生は深々と頭を下げた。その姿に周章狼狽したのはこちらよりむしろアビコちゃんの方だ。

 形の良い旋毛を見ながら、俺は鼻から息を吹く。

 恥ずかしい限り。いつまで経っても刑事気取りの己自身を思うと、まったく嗤える。

 

「俺ぁ何様のつもりだろうな。いやすまなかったな、アビコちゃん。もう無理には聞かん」

「……」

「吉祥寺先生も、無理言ってご足労いただいたってのにとんだ世話ぁかけちまって」

「い、いえ」

 

 突然殊勝な態度を取った己に驚いたのか、吉祥寺先生は少しはにかんだ。

 

「今日のところは出直すとしましょう。お仕事が一段落したら……するんでしょうかね」

「ぁ、あぁ~、まあ、今週分を上げればなんとか……あの」

「ん?」

 

 腰を上げた己にアビコちゃんは何やら口をまごつかせる。

 両手の人差し指を突き合わせ、躊躇いがちに迷いがちに言葉を探している様子。

 

「何か要件があるなら早く言いなさい。自分から連絡して会う約束取り付ける度胸とかないでしょ、貴女」

「今日の先生なんか毒強すぎません!? うぅ……そ、相談が、あって」

「俺にですかい? 漫画家先生のお悩みにこんな役者崩れが役に立ちますか」

「いや、その、まさにその役者の人に……ハバキ役の貴方に、話を聞いて欲しいんです」

 

 アビコちゃんはそう言うと、デスクの引き出しからそれを取り出した。紙の束である。クリップ留めされた原稿用紙のようだ。

 そして、その表紙に当たる紙面には毛筆フォントの題字が記されている。

 

『東京ブレイド2.5』

 

「これの内容について……ハバキは、どう思ってるんですか」

 

 

 

 

 

 

 

 

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