推しの子と元刑事【本編完結】   作:足洗

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2025.06.20 一部修正


灼熱の夜の夢

 

 

 

 小手調べの上段────どころの話ではない。

 それは一跳躍でビルの二階相当、約5メートル上空に到達し、落下と共に刀を振り下ろしてきた。

 

「燃え尽きろ! “灼火繚乱(しゃっかりょうらん)”!」

 

 少年と青年の狭間といったやや甲高い声で、赤い和装の怪人は叫ぶ。

 まるで呼応するかのように刀身から火が溢れた。易燃の脂ないしアルコールを塗布して火を着けたのではない。自ずから火を()()()のだ。

 ふざけている。

 言ってしまえば鍛鉄・整形された金属の棒に過ぎない刀にそんなことが可能なものか。

 非常識だ。

 抱えっぱなしの吉祥寺先生と共に後方へ跳ぶ。一歩の後退で上段の打ち下ろしを躱し、返す刀の斬り上げを左足を引いて転身、さらに躱す。

 火の粉が散り、炎が舞った。大袈裟に回避したつもりだが赤熱した刀身と赤橙の火炎が通り過ぎ様にじりじりと肌身を焼く。目に焼き付く。

 ホノルルで見たファイヤーダンスを思い出した。

 

「ひゃぁあ!? あっつ、あつっ! あっつい!?」

「!」

 

 死に物狂いに実にシンプルな自身の窮状を吉祥寺先生は叫んだ。

 呑気に観察している場合ではない。己はともかく彼女の方はこんな熱気に晒されて堪ったものではないだろう。火傷などさせてはそれこそ事である。

 

「本気で行くぜ! 周天轟け────」

「っ!? これ、やば……マシラくん逃げて!」

「なに」

 

 一際強く赤く、刀身が発光した。

 怪人もとい仮称“ブレイド”は逆手に柄を握り、迷わず切先をアスファルトの路面へ突き立てる。

 

「“千燃万火(せんねんばんか)”ッ!」

 

 地面が膨張し、破裂し、吹き飛んだ。

 噴火の如く火炎が溢れ、夜闇を蹴散らす。

 通りを走行中の乗用車や運送トラックが次々に急ブレーキの金切り声を上げ、間の悪い車両が衝突したりされたり。怒号と悲鳴、クラクションが大合唱を繰り広げる。

 ────斯様に騒然たる大通りの惨状を眼下に収め、俺は顔を顰めた。

 

「無茶苦茶やりやがる」

「い、今、今、と、跳んで、マシラくん、飛んだ……? 飛ばなかった?」

「何かと忙しなくてすまねぇな先生」

 

 吉祥寺先生はコアラの赤ん坊のようにしっかりと己のシャツにしがみ付いて譫言(うわごと)を繰り返した。

 地上から五階建てマンション屋上への大ジャンプ。驚くのも無理はない。順応するどころか最初から大喜びだったアイやフリル嬢がおかしいのだ。

 

「まったく奇天烈な事態に巻き込んじまった。とっとと逃がしてやりてぇのは山々なんだが……彼奴めぼうぼうと景気よく火遊びしやがる。危なっかしくてしようがねぇや」

「あれは、あのブレイドは、GOAさんを襲った……」

「十中八九そうでしょうよ。まあ、あんな危ねぇコスプレ野郎が二人もいる方が異常ってもんで」

 

 腕から地面に降ろされて、吉祥寺先生はその場に座り込んだ。

 そうして己の軽口に神妙に頷く。軽口を笑える状況でもなかろうが。

 

「ところで先生。さっきの、野郎の爆破芸だが」

「ば、爆破芸? あ、はい、回焉・千燃……」

「そう、そのなんとかいうやつだ。何故わかったんです。まるで刃で突いた箇所が爆発すると知っておられたような反応だ」

「……銘刀“火颶鎚(かぐつち)”。作中で使用される銘刀の一振りです。その能力は炎熱操作。その刃で斬ったものを、いえ、刀身に触れたあらゆる物質を火炎に強制転換する」

「あ?」

「読んでませんか? 『東京ブレイド』」

 

 困ったような呆れたような顔をして先生は苦笑する。自分で自分の言葉に実感も納得もできなかったようだ。

 

「でも、なんでだろ……火颶鎚の仕手は本来“キザミ”の筈なのに……?」

 

 ふと怪訝な表情で女は独り言ちる。

 不審人物に追い回されながら漫画の設定を大真面目に解説させられているこの状況。なかなかどうして珍妙で滑稽である。いわんや彼女自身の心境など推して知るべし、というもの。

 

「……あぁそうだそうだ思い出した。ありましたな、そんな必殺技。アクアとルビーちゃんに監視されながらぶっ続けで読まされたんで随分内容が抜けちまってら」

「それ、アビ子先生に言っちゃダメですよ。ショック受けちゃいますから」

 

 口許に手の甲を当てて女は上品にくすりと笑う。少しだけ、愉しげに。

 しかしその笑みはすぐに紫煙のように掻き消え、後には弱々しい翳りばかりが残った。

 

「……」

「なんにせよありがてぇや。そうとも知らず馬鹿正直に刃先打ち弾いてた日にゃえらい目に遭ってましたぜ」

「し、信じるんですか? 自分で言っておいてなんですけどフィクションの話なんですよ!?」

「目で見て触れられたんならそいつは事実。動かしようもねぇ。それにだ、先生のご助言ならば信用は十分です。すぐにもローンが組めちまいますよ。かかかっ」

「馬鹿なこと言ってっ」

「ええ、馬鹿なこと、馬鹿踊りです。他人様に迷惑かけてすることじゃあねぇ」

 

 気配。足音、衣擦れ、なによりその熱気が。

 接近する。

 彼女を背にして振り返る。

 手摺の向こうから赤い姿が飛び出した。夜空の暗さを蹴散らす馬鹿に明るい赤。

 

「逃がしやしねぇ! オレの本気を受けてみろ! 終焉・無間焦熱────」

「てめぇはいちいち叫ばねぇと火を吹けねぇのかい。小うるせぇ」

 

 空中で器用に大見得を切る仮称ブレイドへ真っ向跳び迫り、既に極至近距離(クロスレンジ)

 刀の間合ではない。切先は己の肩を通り過ぎており、よしんば鍔許の刃を当てたところで引くも押すも能わぬ。コートの生地を多少焦がせようが斬れぬ銘刀など(なまくら)同然。

 そしてここは絶好の、拳の間合。

 肘を直角に固め、対手の柄を握った両手両腕の間に下から通す。

 

「シィッ」

 

 跳躍の上昇力を乗せたアッパー。拳骨の尖端は過たず青年の細い顎を打ち上げた。

 声も出さず、弾けるようにブレイドが上体を仰け反らせた。

 手首を取る。捻り上げたことで握力を減じた指から柄を引き剥がす。

 後ろ襟を掴み、空中で半回転。我は上に、彼は下に。

 落とす。

 跳躍、接触、落下、一秒に満たぬ空中での攻防戦。その決着。

 屋上の床に叩き付けられたにもかかわらず、ブレイドは呻き声一つ上げなかった。なかなか見上げた根性だ。

 俯せになった男の赤い背中に膝を突き入れ、後ろ手に押さえ付ける。尋問のスタイルとしては極々スタンダードと言えよう。

 

「さて、なんと呼べばいい? 不審者、暴行犯、破壊魔、お望みならブレイドでも構わんぜ」

「やるな。だがまだ終わりじゃねぇ!」

「終わりだよ。どんな理由があるにせよ、てめぇをここから逃がす訳にはいかねぇ。そら! 洗いざらい」

「ここからが本番だ! オレの本気を見せてやる!」

「芝居がしてぇなら劇団にでも入りな。今てめぇのその小芝居に付き合ってやるつもりは」

「いくぜ! 燃え上がれ! オレのカグツチ!」

「おい」

 

 途端に違和感は露になる。

 会話が成立していない。というより、こちらの声、言葉を聞いていない。受信していないのだ。

 なんだ、こいつは。

 疑問を抱くと共に己は最大の違和感に気付いた。

 背中に触れた膝、押さえ付けた手首、なにより発声しているその口。

 こいつ────呼吸をしておらぬ。

 脈すら感じない。体温と感じていたものは肉の発熱ではなく刀が吹いた火炎の余熱だ。

 

「人間じゃあねぇのか……?」

「まだまだ勝負はこれからだ! そうだろ────“つるぎ”!」

 

 溌溂と声を上げた。全幅の信頼を寄せる相棒の名を呼ばわって。

 身構え、ようとして留まる。己に近接する殺気も凶器の影も見当たらず、感じなかったからだ。

 それは。

 山吹色の小造な胴着を着込み、黒い袴を穿き脚絆を履いた少女。その頭頂部に一本の角を生やしている。

 両手に携えた武器は、実に奇形。中華包丁のような刃渡りと刃幅、そのくせ刃は鋸など目ではない、もはや鍵かソードブレイカーのように深く歪に切れ込みが入っている。

 あんなもので斬り付けられれば肉が削ぎ落ちるだろう。

 そして“つるぎ”と呼ばれた少女が今まさに悪趣味なその凶器を打ち下ろさんとしているのは、よりにもよって。

 

「だらしがないわよ、ブレイド! 大将首はこの私が貰った!」

「吉祥寺先生!!」

「へ?」

 

 いつからか、へたり込んだままこちらを見守っていた吉祥寺先生の背後に“つるぎ”は立ち現れたのだ。

 先生の反応は鈍い。背後の存在に今ようやく気が回った様子で、驚愕と恐怖を脳が発露する暇すらもはや無し。

 駆けて届く距離ではない。

 ならば。

 足下のそれを掴み上げ、振り被り────投げた。

 

「おぉぉおおおるぁぁあああああああああッ!!」

 

 成人男性一個分の質量および体積および形状の物体、仮称ブレイドが宙を走り吉祥寺先生の頭上を越え間もなく、つるぎに命中。

 ぐちゃりと二つの人型が絡み混ざりながら転がっていった。

 素早く彼女の傍に駆け寄り、その眼前に立ち塞がる。

 二対一の上、こちらには要守護対象。勝利条件は撃退ないし鎮圧。

 あるいは……敵方の戦闘能力を剥奪する。どんな手を使ってでも。

 

「この人を狙うってんなら……もう手加減はできんぞ」

 

 手足の一本か二本、使えなくする必要がある。かの無外流の作法に(なら)い、手足の腱を引き裂くことも考慮の内。

 彼我、膠着。こちらの鬼気を感じ取って今更警戒心を思い出した訳でもあるまい。

 静かだ。先刻までの芝居がかった台詞の応酬が懐かしいほど、ブレイド、つるぎ、両名が沈黙している。

 能面のような無表情が二つ、四つの無機質な瞳がこちらを観察し。

 

「……」

「……」

 

 無言のまま彼らはビルの屋上から飛び降りた。

 落下音はなし。あの身体能力ならこの程度の高さ問題にもならないだろう。

 警戒の念を一分ほどまで落とし、静かに残心。最後に浅く鼻から吐息して、ようよう戦気を腹の底に仕舞い込む。

 振り返って、未だ地面に腰を下ろしたままの先生の前に片膝をつく。

 

「危ういところでしたな。お怪我はありませんか?」

「……ぇ、あっ、はい! だ、大丈夫です。大丈夫、ですけど……今の、つるぎ、ですよね」

「そのようで。まさかあんな非常識なモノが一晩で増えちまうとは、己の見通しが甘かった」

「見通せるものでもないでしょう、あんなの、誰にも……私はこの通り無事です。だからそんなに、気に病まないで。ね?」

「いえ、危険な目に遭わせちまったのは事実です。その責任は取らせてください」

 

 眼鏡の奥で目を丸くしたかと思うと、彼女の頬にさっと朱が差した。恥じらいに僅か、悶えるような所作で顔を背ける。

 色っぽい様は眼福この上ないのだが、生憎今はそれを無邪気に有り難がっている余裕がない。持ち上がった懸念材料の重要度が己の精神を否応なく現実に引きずり下ろす。

 

「そういう、言い方っ。もしかしてわざとですか?」

「……」

「ちょっと……なんとか言ってください」

「狙いはあんただ」

「は?」

 

 ぽかんとする吉祥寺先生に、俺は追認の意味を込めてもう一度言う。

 

「彼奴らの狙いは己ではない。あんただ、吉祥寺先生」

 

 

 

 

 

 

 

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