東方闇魂録   作:メラニズム

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第九話

 雨は激しく、稲穂が苦しげにその身を悶えさせる。

 永琳達がくれた外套は、雨すらも弾く。しかし、それでも尚外套の隙間から雨が入ってくる。

 

 山の中ほどから見えた、あの雲。あの中にこそ、大和の神とやらが居るのだろう。

 雲が着地した所は、稲を刈り終わった所の真ん中。

 その範囲は広く、成程戦うならばここが一番被害が小さいだろう。

 

 で、あれば。やはり、あれは侵略目的で来たのだ。

 これから奪おうという土地を、荒らす訳が無い。

 

 騎士は、まず村の方に向かった。

 村人も、この事態の中で子供たちの様子が心配だろう。

 子供たちも、まさかあの神々の戦いの中心に寄る筈もあるまい。

 

 荒ぶ風が轟音を轟かす中、騎士は村までたどり着いた。

 

「ああ、旅の方!私達の、村の子供たちはどこへ!?」

 

 やはり、この状況の中、心配だったのだろう。

 村に入った瞬間、近くに居た女性が話しかけてくる。

 騎士は身振り手振りで、あの山で遊んでいたのだと伝える。

 

「そう、ですか……まさか、モリヤ様の戦いの中に行く事は無いでしょうけど……大丈夫かしら」

 

 不安は拭い切れなかった様だが、一先ずは安心したようだ。

 女性と老婆は村の奥へ避難しており、男たちは何やら集まっている。

 その中に近づいていくと、声をかけてくる者が居た。鉄輪を持って行った鍛冶師だ。

 

「ああ、旅の方!子供たちは……成程、あの山で。

 ……ああ、あ奴らを探しに行かなくても結構です。

 あ奴らもこの村の子。モリヤ様の戦いを、邪魔しようなどとはしますまい」

 

「……我々ですか?我々は今、武器になりそうな物を集めている最中です。

 モリヤ様が負けるはずもありますまいが、いざという時は、モリヤ様を逃がさねば」

 

「はは、かかあからも止められましたがね。最後には許してくれました」

 

 そういう彼らの顔は、恐怖の色が濃い。

 しかし、モリヤ様を信じているのか、どこか楽観的な。

 そして、信じる物の為に、大事な物を投げ打てる。

 良くも悪くも、男の顔であった。

 

 彼らが見る先は、モリヤ神の戦場。

 

 ふと、誰かが口遊み出す。

 

 モリヤの石の蛇様は。

 

 それは、子供たちの作った歌。

 一人が口遊み出すと、他の者も歌い出した。

 その声は混じり、ついには大きな声へと変わる。

 

 ♪モリヤの石の蛇様は

 

 ♪腹の膨れる黄金を

 

 ♪我らに与えてくれるとな

 

 ♪一尾の蛇が奪おうと

 

 ♪村を襲ってくる時も

 

 ♪我らが祭った輪で持って

 

 ♪蛇を裂いてくれるとな

 

 勝ってくれ。負けないでくれ。

 その歌は、まさしく祈りの歌だった。

 

 良い人たちだ。騎士は思った。

 

 皆、戦いの方を向いている。

 

 モリヤ神の。彼らの神の戦いを、見ている。

 

 

 

「諏訪の神よ。我は大和より来た神。建御名方神という」

 

 モリヤ神の前で名乗りを上げたのは、女性の神だった。

 赤い色の衣服に、紫色の髪。その面は綺麗、というのが相応しい。

 だが、その身に纏う覇気は凄まじく。

 

 正しく、神。

 

 時に与え、時に奪う。残酷で、しかし平等でもある。

 

 己が本来有るべき、神の姿を見せられているような気がした。

 

「この度は、貴様が民から奪うばかりで、恐怖によって支配していると聞き及んで参った。

 故、今ここで貴様に問う。

 これは偽りか。真か。答えてみよ」

 

 モリヤ神は問われ、答える事が出来なかった。

 己は水を与えはした。しかし、それからは崇められ、彼らから与えられるばかり。

 あの息絶えた男は、対価を払わなかった。しかしそれが今の状態に値するだろうか。

 

 あの男に、息子が居たらしい事は後に知った。だが、その命を奪う事は無かった。

 何故かは己自身にも解らない。だが、そんな物は欲しくないと思った。

 では、己はあの対価を拒否した事になるのだろう。

 

 与えられてばかりで、彼らに報いようと村を守りもした。

 だが、それとて彼らから祭られた武具が無ければ、どうなっていた事やら。

 

 己は。私は、彼らに何一つ。返せてはいないのだろう。

 では、建御名方神の言う事は、正しいのではないだろうか。

 私は、彼らを恐怖で統治しているだけではないだろうか。

 彼らの笑顔は、恐怖故に張り付けていただけではないだろうか。

 

 建御名方神のいう事が正しいと。

 そう感じたならば、己はここで身を引き、彼女にここを譲るべきなのだろう。

 

 だが、私の体はいつの間にか戦う姿勢を取っていた。

 彼らの貼り付けかもしれない笑顔の中で、ぬるま湯に浸っているのが好きだからか。

 解らない。彼らの本心も、己の心も。

 

 兎にも角にも、私はここの神の座を譲りたくないと思っている。

 

 ああ、なんて浅ましい。

 

 彼らから祭られた、鉄の輪を周りに漂わせ。

 彼らが育て、刈り取った後の稲穂を踏み。

 モリヤ神は、建御名方神に飛びかかった。

 

 

 

 

 山の中。騎士が掘った穴の中で、緑色の髪をした青年は我を取り戻した。

 気が付けば、あれだけ晴れていた空は嵐となっている。

 穴の中を這い出した青年は、村の方を見た。

 

 戦いは、始まっていた。

 

 どこからか現れた大きな丸太が舞い。

 鉄輪らしき銀が、無数に空を駆ける。

 

 それは、明らかに殺し合いの光景であった。

 

 元より青年は、モリヤ神の事は嫌いでは無かった。むしろその逆である。

 かつてよりの命の恩神であり、知ってか知らずかその命も青年から奪わなかった。

 それも理由の一つではある。

 しかし何よりも、結果的にその地位へと導いてしまった事への悔恨。

 それこそが、青年が大和の神々へ、この村の事を話すという謀りをした唯一の理由である。

 

 どちらが勝つか。恐らくは、大和の神が勝つのだろうと青年は思った。

 元より、彼の謀りは大和の神が勝たねば意味が無い。

 故に、言葉を弄して、大和の神々の中でも有数の強さを持つ神を呼んだのだ。

 

 無論、本来ならば一人の人間には到底不可能な事である。

 ただの一人の人間の言葉を、大和の神々が聞いたのは、その必死さ故だろう。

 

 モリヤ神を殺す為呼んだ訳では無い。故にこの光景を見ると、青年に恐怖が過る。

 大和の神が、モリヤ神を殺してしまうのではないか、と。

 

 丁度いい間で、大和の神々を止めねばならない。

 そう思い、足を踏み出そうとした。

 

 瞬間、白昼夢が彼に過る。

 それは、モリヤ神が湖を生み出してから、青年が逃げるまでの短い間。

 いつモリヤ神が己を殺しに来るか分からず、常に恐怖して居た時の事。

 

 青年は、声にならない声を上げる。

 

 彼の全身を、痙攣が包む。

 村を出てからも度々発作的に起こるそれは、神経の病。

 それは、今においても彼を苛んでいる。

 

 往かねば。この手足を引き摺ろうとも。

 神から逃げ、村から逃げ。神をも騙したこの身なれど。

 

 これを止めねば、この村の景色に。親父に。稲穂に。

 

 そして何よりも、大好きなモリヤ神に、死んでも顔向け出来なくなる。

 

 全身の自由が利かず、よだれをも垂れ流しながら這う青年。

 その後ろから、物音がした。

 

 

 

 

 

 神々の戦いは、建御名方神の優勢であった。

 そもそもの地力が違うのか、あるいは戦い慣れているのか。

 恐らくは両方だと騎士は感じた。

 だがその二つに劣っていても、モリヤ神は喰らいついている。

 

 建御名方神が、その猛攻をいきなり止め、後ずさる。

 防ぐので精一杯であったモリヤ神は、それを隙と見て攻撃する余力も無い。

 

「何も言わず襲い掛かってくるから、ただの力を過信した神かと思ったが。

 中々どうしてやるでは無いか」

 

「では、本気で行かせてもらうとしよう」

 

 そういうと、モリヤ神の周囲に浮かんでいた鉄輪が錆び、端から粉となって消えていく。

 

「我も神の端くれ、天の力を操る事など造作も無い。

 貴様のその鉄の輪も、錆びて崩れ落ちさせた」

 

 しかし、一つだけ、崩れ落ちない鉄輪があった。

 多少錆びているものの、周りの鉄輪と比べれば、明らかに異様であった。

 

 それを見て、ほう、と感心の声を上げる建御名方神。

 

「この力、通じぬ物などそうは無いと思っていたが。

 中々良い鍛冶師でも居る様だな、この村は」

 

 崩れ落ちなかった鉄輪は、騎士が強化した物だった。

 騎士の世界では、竜とは世界が光と闇に分かたれる前より居た。

 その力は強大で、およそ寿命という物を持たない。

 故に、そのウロコを用いて強化した鉄輪は、多少なりともその特性を帯びたのだろう。

 

 しかし、大量の鉄輪で持って、漸く喰らいついて居ただけの差があったのだ。

 唯一残った鉄輪だけでは、結果は明白。

 

 だが、モリヤ神はその鉄輪を手に握り。建御名方神に襲い掛かる。

 

「良い執念だ。やはり戦いとは、こうでなくては」

 

 その執念を、建御名方神は褒め称える。しかし、その余裕は崩れない。

 

「しかし、最早決着はついている。それ以上は見苦しいのみ」

 

 襲い掛かるモリヤ神に、これまで飛ばしていた木を持ち、振り被り。

 強かに叩きつける。

 

「終わらせよう」

 

 転がり、倒れ伏したモリヤ神に、巨木を持って構える。

 

 その時、騎士の眼に、ある物が映った。

 

 止めを刺そうとする建御名方神。

 

 その眼前を横切る物がある。

 

 それは矢だ。

 

 矢が飛んで来た方を見る建御名方神。

 

 其処に立っていたのは、騎士であった。

 

 走りながら、剣を取り出し。同時にナイフを投げつける。

 

 ナイフを避ける為に、建御名方神は後ずさり、モリヤ神を庇う様に、間に割って入った。

 

「お前、何者だ?否、それよりも神々の戦いに割っている等言語道断。潔く死ね」

 

 そう言い放ち、モリヤ神との戦いの時も使っていた巨木を宙に浮かべ、飛ばしてくる。

 

 その質量は膨大。しかし、ただ飛んで来るだけならば、騎士ならばどうとでも出来る。

 巨木が直撃する直前、騎士は懐から何か取り出した。

 

 その直後、勢いを伴って飛んで来た巨木が弾き飛ばされる。

 

 その事実に、目を見開く建御名方神。

 しかし、騎士は巨木を弾き飛ばすのに精一杯で、攻撃に移れない。

 

 騎士が使っているのは奇跡を使う為に必要な触媒、タリスマン。

 そして使っている奇跡はフォースという。

 

 その奇跡は衝撃波を発生させ、矢玉を弾く。

 隙も少なく、使える回数も多い。優秀な奇跡である。

 

 だがしかし、途切れる事の無い建御名方神の猛攻に、動く事も出来ない。

 

 だが、"それでいい"。

 騎士の目的は建御名方神を殺す事では無く、時間を稼ぐ事なのだから。

 

 外から眺める物からすれば、一瞬の膠着。それは、フォースの使用回数が切れる事で崩れ去る。

 

 フォースの使用回数が切れ、そこに飛来する巨木。

 それを片手に持った剣で持って弾き飛ばす。

 

 だが、一本弾くだけで、刃が欠け、半ばから折れ曲がった。

 

 己のソウルの内より、更に剣を取り出す騎士。

 

 しかし、取り出した途端に錆び、錆び付いた処から暴風に吹かれ、粉となり消えていく。

 

「珍妙な術を使い、挙句の果てに剣で弾くとは。

 其処な神も骨のある奴だったが、貴様のその武勇、敬意に値う」

 

「だが、我とて神。たかが人に翻弄されては名折れでな」

 

「その剣も、鎧も。全て風に消えるが良い」

 

 剣も、鎧も錆び付き空へと消えていく。

 

 まだだ。まだ、時間を稼がねばならない。

 

 フォースも切れた。このまま大木を飛ばされては、直ぐに限界が来る。

 建御名方神が大木を飛ばせぬよう、接近戦に持ち込まねばならない。

 だが、鎧も剣も無しに近づく事など、無謀に過ぎる。

 

 ……否。ある。あの力で錆び付かず、風にも消えぬ鎧と剣が。

 

 しかし、それを使う事を騎士は躊躇っていた。

 

 化け物。そう言われた騎士の記憶が、それを使う事を躊躇わせる。

 

 だが。

 

 彼の後ろには、恩のある人が。

 

 彼の足には、温かく迎えてくれた村が。

 

 彼を見つめるのは、優しい村人が。

 

 暖かい心を持った彼ら。その心に、影が差してはならない。

 

 子供らの、あの輝かしい瞳の輝きが、雲ってはならない。

 

 まだ何とかなるのだ。全ては終わっていない。

 

 悲劇に満ち満ちたロードラン、ドラングレイグとは違う。

 

 まだ、取り返しはつく。

 

 ならば。己への罵声など、気にしている場合では、無い。

 

 騎士は、懐から石を取り出す。

 

 突然、騎士は頭を抱え、苦しみ出した。

 

 それはまるで生まれ変わる為の苦しみにも似ていた。

 

 光。

 

 それが収まった後には、竜が居た。

 

 否、人の形をした竜だ。

 

 漆黒の鱗で出来た鎧は、暴風雨の中でも、凄まじいまでの存在感を誇る。

 

 目の前の者が竜であるならば。その存在感に納得もいく。

 そう建御名方神に感じさせる圧力を放っていた。

 

 騎士が変身した直後から、建御名方神は能力を発動している。

 しかし、あの鎧は錆びる気配すらない。

 

 騎士が着ている鎧は、黒竜の鎧という。

 古い伝承に残っている、黒い竜。その鱗を用いた鎧である。

 竜の鱗を強化に使っただけで、鉄輪は目に見えて能力に耐えた。

 であれば、鱗自体を用いたこの鎧ならば。

 その騎士の目論見は当たっていた。

 

 竜人となった騎士は、懐より剣と呪術の火を取り出す。

 その剣は長大であり、大剣の部類に入る。

 黒竜の大剣。

 黒竜の尾から出来たとされるその大剣は、二種類ある。

 騎士自身が黒竜の尾を断ち切り手に入れた物と、遠い未来、ドラングレイグで手に入れた物。

 今騎士が取り出したのは、後者である。

 前者と比べれば細身のその剣は、しかしその身に秘める力は十二分。

 

 取り出した呪術の火を胸に当て。騎士の全身を赤い灯が包み込む。

 内なる大力。

 己の身の中の力を引き出し、強大な力を持つ代わりに、己の身を傷つけ続ける。

 あれほどの力の持ち主、これを用いねば攻めきれない。

 時間稼ぎもそろそろいい頃合いだろう。これならば、自傷で死ぬまでは確実に持たせられる。

 

 大剣を持って、赤い灯を纏った騎士は建御名方神に突撃した。

 

 その後ろを、眺める者が一人。

 

 モリヤ神だ。

 

 彼女は傷つき、朦朧とした意識の中、疑問を抱いていた。

 

 何故、彼の姿が変わったのか。何故、彼はあれほど強いのだろうか。

 

 色々と疑問はあるけども。それよりも、何故彼は私を守っているのだろうか。

 

 一宿一飯の恩義だろうか。あり得ない話では無い。彼は恐ろしい程生真面目だったから。

 

 しかし、それが人の身で、神に立ち向かうほどだろうか。

 

 ああ、解らない。彼が何を考えているのか。

 

 否、信じられないだけなのだ。

 己を慕う村人すら信じ切れぬ者が、一日二日共に居ただけの者を信じれるはずがあるものか。

 

 私は、何をしているのだろう。

 

 問いにも答えられず、慕う者すら信じれず、彼らの温かさに甘えてばかり。

 

 だから、彼の息子もこの村を去ったのだろう。

 

 この様に、村人の彼らも呆れているに違いない。

 

 そう思い、村の方を見る。

 

 彼らは、こちらを見ていなかった。

 

 己の方を向き、跪き、ただ只管に祈っていた。

 

 何をしている。この雨だ、風邪を引いてしまうぞ。

 

 地面に跪いて。四吉、その服は花子に告白する為に買った一張羅だろう。泥だらけになるぞ。

 

 何故。どうして。こんな私を。

 

 嵐の中だからだろうか。背後の足音に、モリヤ神は気付かなかった。

 

 息をするのも苦しそうな声で、子供たちに支えられ、立っていたのは。

 

 緑色の髪をした、青年。

 

「ごめんなさい」

 

 声を出すのもやっとの状態で、まともに口を動かす事も出来ず。

 しかし、必死になって紡いだ声。

 

「親父が、死んで。代わりに、命を渡さないで、逃げて。ごめんなさい」

 

「聞えた声が、辛そうだったから。俺が、そんなところに立たせてしまったから」

 

「俺が、大和の、神を呼びました。ごめんなさい」

 

「皆、あなたに頼り切りで。全部、苦労を押し付けて」

 

「ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 支離滅裂で、聞え辛いその声は、確かにモリヤ神に届いた。

 綺麗な緑色の髪に白髪が生えている。どれだけ彼は思い悩んだのか。

 何故、ここまで思ってくれる人間を、信じ切れなかったのか。

 血を吐くような表情で、なおも謝る青年。

 私は、彼に偉そうな事なんて言えないけど。

 でも、これだけは言える。否、言わなければいけない。

 

「大丈夫。あなたの命を取りはしない。

 確かに、神として祭り上げられるのは、少し辛かった。

 だけど、それ以上に色々な物を、貴方たちから貰ったから。

 神として命を捧げられるよりずっと、大切な物を貴方たちから貰ったから」

 

「だから、謝らなければならないのは、私。

 ごめんなさい、貴方の父を救えなくて。

 ごめんなさい、貴方が其処まで悩んでいる事に気付けなくて」

 

 そして、お帰りなさい。

 

 そういうモリヤ神の顔は、神としてでなく。

 母のような。柔らかい、優しい笑みだった。

 

 それを聞いた青年は、崩れ落ちる。

 倒れ伏した青年にも、モリヤ神にも。

 その瞳から流れる物は、雨か涙か。

 それは、彼らにしか解らない。そして、それでいいのだ。

 

 建御名方神をその膂力で持って押し切り、退けさせた騎士。

 彼はその光景を見て、安堵する。

 大団円になるかはまだ解らない。だが、彼らの擦れ違いは無くなったのだ。

 

 内なる大力による限界が来たのか、その足からソウルとなって消えていく。

 消えていく彼の顔。黒竜の兜の下に浮かぶ笑顔は、誰も知る由も無い。

 

 己を押し切りながらも消えていく騎士。

 加減されたと昂ぶりながら、モリヤ神へ歩み寄る建御名方神。

 その眼前に立ち塞がるは、緑色の髪の青年。

 彼に従う様に、彼を支えていた子供たちも、モリヤ神を守る様に立ち並ぶ。

 

「誰かと思えば。貴様はあの時我らに誓願してきた男では無いか。

 何故私の前に立ち塞がる。こうなる事を望んだのは貴様だろうに」

 

「其処の子らも、何故にこの男に従う?

 この男は、お前らが敬意を払う神を殺すよう仕向けたのだぞ」

 

 建御名方神のその問いに、子供たちは力強く首を振る。

 

「兄ちゃんがそんな事する筈無いもん!」

 

「何か絶対理由があるもん!」

 

「だって、僕たちは鈍臭くて、優しくて、変な事で思い悩む、

 そんな兄ちゃんをずっと見てきたから!」

 

「だから、僕たちは信じるんだ!兄ちゃんを、モリヤ様を!」

 

 嵐の中でも、子供たちの眼は光り輝いている。

 その眼は、一片の陰りも無い。

 その返答を聞き、建御名方神は再度青年に問う。

 

「さて、この子らは答えた。今一度貴様に問おう。

 何故、私の前に立ち塞がる?」

 

「……俺は、子供の頃から変な力があった」

 

 そして、青年は話し始めた。

 己の過ちを。迷いを。恐怖を。悔恨を。

 

 村人たちも、建御名方神も、子供たちも。

 皆が、嵐の中耳を傾ける。

 青年が流すべき涙を、嵐が代わりに流しているようだった。

 

「……成程な」

 

 そう一言言い、建御名方神はモリヤ神に問いかける。

 

「あの竜人が戦っている時、既に貴様は聞いておろう。考える暇は充分有ったな?

 では、改めて問おう。

 貴様は民を恐怖で縛り、貢物を貪っていたのか?」

 

 その問いに、モリヤ神は答える。

 

「……判らない。私は水を与えただけで、後は彼らが作り上げた。

 この稲も。鉄輪も。彼らが作り、祭ってくれた。

 もっと豊作になる様に、私は出来た。しかしそれはしていない。

 これは彼らの田畑だ。私が力を使えば、彼らの努力を穢してしまうような気がした。

 だから、搾取していると言われれば、私は否定出来ない。

 彼らは私に笑顔を向けてくれるが、私はそれを信じ切れない。

 だから、恐怖で縛っていると言われれば、私は否定できない」

 

 それを聞くと、建御名方神は村の方を向き、叫ぶ。

 

「では貴様ら、村人に問おう!

 モリヤ神は貴様らを恐怖で縛り付け、貢物を搾取していたか!?」

 

 それは嵐の中を切り裂くように響き渡る。

 

 何も、聞えない。否、嵐に掻き消されているのか。

 

「……ぅ……」

 

 ふと。微かに聞えてくる。

 

「…がぅ……」

 

 その音は徐々に大きくなっていく。

 

「違う!」

 

 やがて、その声は嵐を掻き消すように響き渡る。

 

「モリヤ様は、俺たちに水をくれた!」

 

「モリヤ様は、俺たちを化け物からずっと守ってくれた!」

 

「モリヤ様は、いつも俺たちの事を考えてくれていた!」

 

「モリヤ様は、いつも俺たちの事を案じていた!」

 

「俺が足を折った時、心配そうに見守っていてくれた事を俺は知っている!」

 

「私が一人で泣いてた時、体面をかなぐり捨てて慰めてくれた事を知っている!」

 

「返しても返しても、返し切れていないのは、俺たちの方だ!」

 

「俺たちは、モリヤ様だから信じているんだ!神だからじゃない!」

 

 嵐に掻き消されぬよう。喉も嗄れよと彼らは叫ぶ。

 

 いつの間にか。嵐は弱まっていた。

 

 雲の隙間から、日の光が差す。

 

 彼らは駆け出し、モリヤ神の元へ走った。

 

 皆、泣いている。外聞も無く、男も女も老いも若いも。

 

 それを、境内から見つめる男が居た。

 騎士である。

 どうやら、丸く収まったらしい。

 日が差し、煌めく稲穂よりも、一際泣いている彼らが美しいと思った。

 

 外套を被り、日の光が差し込む中を、騎士は歩いて行った。

 

 

 

 

 

 その後。騎士は、風の噂で諏訪の事を知る。

 曰く。大和の神により諏訪は侵略され、神が替わったと。

 

 そして、これは眉唾物であると片付けられた噂であるが。

 体面上神が替わったとされている。

 がしかし、実情は大和の神と諏訪の神が、協力して諏訪を治めているらしい。

 

 尚、余談であるが。

 諏訪での戦いの時に、モリヤ神はミシャグジ様という物を呼び出したそうな。

 後世には石の蛇であるとされているが、異説としてこんなものがある。

 

 ミシャグジ様の姿形は、人の形をした竜である。

 ミシャグジ様は大和の神を圧倒したが、ある時突然粉と消えたそうな。

 

 伝承には、ミシャグジ様が消えた後に、竜の鱗らしきものが残ったとされている。

 だが、証拠品が無い為に、民間伝承の中で尾ひれがついて出来た噂であるとされた。

 

 その真否を知るのは、それこそ神本人であろう。

 

 

「諏訪子様、ただいま帰りましたー!」

 

「お帰りー」

 

 緑色の髪をした少女が、金髪の少女に声をかける。

 緑色の髪の少女が付ける髪飾りは、カエルを模っているものだ。

 その質感は、騎士の持っていた竜の鱗と同質の物。

 

「……ついに、今日ですね」

 

「そうだね」

 

 その後、彼女たちはある場所へと赴き。

 騎士に出会い、一悶着があるのだが……。

 それは今の騎士にとっては、遠い遠い先のお話。


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