東方闇魂録   作:メラニズム

11 / 35
第十話

 久々の人々の喧騒。

 文化が違えど、人が集まるとそこに生まれる物はそう変わりない。

 騒動。軋轢。恋愛。友情。災難。

 それでも世を儚み、隔世で過ごす者が少ないのは、人は本質的に群れる事を好むのだろう。

 

 情報を求める為に都を訪れた騎士は、久々の大勢の人の気配に少しばかり酔っていた。

 人々の会話にない交ぜられる悪意の応酬か、それとも高い身分の者の付けた香料が入り混じるからか。

 

 恐らくは両方だろう、と思いながら、騎士は都の裏路地へと入り込んでいく。

 人気の無い所ならば、この気持ち悪さも納まるだろう。

 

 しかし、幾ら権力が集中する、大王……神々の末裔の家系らしい……の居る都とはいえ。

 ここまで騒がしい物だろうか。

 身分の高低に関らず、不安気な表情とムラのある活気。まるで大きな何かが蠢いて居る様だ。

 

 近い内に、何か、大きな事が起こるのかもしれない。

 巻き込まれない内に早々と都を出た方が良いかもしれない、と思いながら路地裏のどこかの屋敷の壁にもたれ掛り。

 

 

「どうしてそんなに疲れてらっしゃるのかしら?」

 

 

 壁の中から。正確には、壁のあるところから、囁く声が聞こえてきた。

 すぐさま反応し、短剣……ダガーを構え、振り返る。

 路地は狭い。自在に振り回すならば、この程度の長さの獲物しか扱えない程度である。

 

 壁には小さな穴が開いている。先ほどの囁きはそこからか。

 壁から何か棒のような物が出てきて、四方に動いたかと思うと。

 壁が、人が通れる大きさに切り離された。

 

 壁から出てきたのは、女性であった。

 鮮やかな青色の髪に、差しているのはかんざしか。

 優雅なその仕草の中に、隠しきれない自信が見て取れる。あるいはそれは虚勢心だろうか。

 

 見れば、彼女の背後の壁の穴は、いつの間にか消えている。

 

「あら、怖い怖い。そのような物を出されては、女の身としては恐ろしいという物。

 女性の戯れを、本気にしては底が知れるわよ?」

 

 そういいながらもその顔に恐怖の色は無い。

 壁から出て来た事と言い、ただの人間ではないだろう。あるいは人ですらないのか。

 

 暫くの沈黙が、周囲を包む。

 

 焦れたように、目の前の女性が話し出す。しかし、彼女の余裕は陰りはしない。

 よほど自らの力に自信を持っているのだろうか。

 

「私の名前は霍 青蛾(かく せいが)と申します。

 女性に先に名乗らせる、無粋なあなたの名前を教えてくださいますか?」

 

 棘の有る言い方だが、そもそも騎士は言葉を話すことが出来ない。

 外套のフードを外し、口内を見せつける。

 青蛾は口内を見た後、微笑みを浮かべる。

 

「盲唖の方なのね。壁から出てきても驚かず、そして口が訊けぬ」

 

 嗚呼、何て面白そうな方。

 

 微かな呟き。静寂が辺りを包み込んで尚聞き逃しそうになる程小さな呟き。

 しかし、騎士の耳はその声を聞き取った。

 そして、厄介事がやって来たという事を悟ったのであった。

 

 

 

 情報とは、時として何よりも強力な武器となり得る。

 それを知っている騎士は、大王というこの陸地を統治している者の都を訪れたのだ。

 

 気持ち悪くなるような芳香に胸を焼きながら、騎士は気配を殺し、周囲の話し声に耳を傾ける。

 噂話は手っ取り早く情報を得る手段だ。特に騎士は色々と事情のある身である。

 面倒事を避けながら情報を集めたい騎士としては、これが最上の情報収集手段とも思っている。

 

 しかし。

 

 気配を殺しているにも拘らず、騎士が話を盗み聞きしようと近づくとこちらを見て話を止める。

 最初は己の力量不足かとも思ったが、同じ事が十も起きれば別に原因があるのではと訝しむ。

 

 周囲を見渡すと、己の背後にあの女性……青蛾が居た。

 

 目が合うと手を振り、笑顔を見せつける。

 

 離れる。振り返る。青蛾がいる。

 

 盗み聞きが失敗するのは、明らかに青蛾が原因であった。

 

 騎士は青蛾を振り切る為に走り出す。

 

 幾つかの路地を抜け、立ち止まる。

 かなり走ったのだ、振り切ったろう。

 

 そして噂話の盗み聞きをしようとし……また、こちらを見て話を止めた。

 

 騎士は辟易しながら、振り返る。

 

 やはり、青蛾が居た。変わらず満面の笑みを浮かべながら手を振っている。

 

 そして、騎士に近づいてきた。

 

「先ほどからこっそり見ていましたのだけれど、あなた、ここの内情が知りたいの?」

 

 全くもって潜んではいなかったが、彼女にとっては違うらしい。

 否、敢えてそう言って煽っているのか。

 どちらにしても有り得そうであるから、厄介な人間だ。

 騎士は青蛾に苦手意識を持ち始めていた。

 

 内心を内に秘め、青蛾の言葉に頷く。

 彼女の意図はともかくとして、頷かなければずっと付き纏われると言う予感がした。

 

「そう。ならば、私はあなたを手伝えるかもしれません」

 

 さあ、こちらに付いて来て。

 

 そういう彼女の顔は、蠱惑的であった。

 ああ、関わりたくない。しかし付いて行かねばまた付き纏われるだろう。

 体を重く感じながらも、騎士は彼女に付いて行った。

 

 

 

 

 彼女が騎士を案内したのは、都の中でも一際大きな建物であった。

 周囲に居る人間は全て明らかに高い身分しか居ない。

 

 彼女が案内したのは、政治の中枢。世の大王……聖徳太子の居る所だった。

 

 青蛾は何を考えているのか。

 

 そもそも騎士が情報を掴もうと来たのは、面倒事を避ける為である。

 面倒事が起こりそうな場所を知れば、其処を避ける事も出来ようという物。

 

 にも拘らず、面倒事を巻き起こす中心地に赴くとは。

 

 確かに彼女には直接その事を言ってはいない。

 しかし、噂話を盗み聞きしようとしている時点で普通は予想が付きそうな物ではあるが。

 

 そんな騎士の心情を知ってか知らずか、青蛾は建物の門番に話しかけている。

 否、二言三言話しただけで、門番は門を開け、青蛾を招き入れた。

 青蛾は門中からこちらを手招きしている。

 

 壁を通り抜ける事が出来るような者が、政治の中心に真正面から入り込める。

 それも部外者をも伴って。

 

 周囲の入り混じった芳香すら掻き消す程の濃い陰謀の匂いに、騎士は立ち眩みを覚えた。

 

 最早、面倒事は避けられそうにない。

 

 

 

 

 屋敷の中を幾らか歩き。

 騎士の眼の前を歩く青蛾が、ある部屋の扉を開ける。

 

「誰だ、無礼な……何だ、青蛾でしたか」

 

 そう言い放ったのは、部屋の中に居た人物であった。

 男性の衣服をしているので気づきにくいが、その体躯の形からして女性である。

 そしてその女性の眼前には、銀髪をした少女が居る。

 短い金髪をした女性は騎士を見ると険しい眼になるが、銀髪の少女は騎士を見ると、

 何を勘違いしたか。

 

「おお、青蛾殿!もしやそこな男は我々の計画の新たな賛同者ですな!?

 真逆我ら以外に尸解仙になりたい者がいるとは思わなんだが、これも太子様の仁徳故ですな!

 心配めさるな、この物部布都、計画に加わりたいと言う者を追い返すような狭量の持ち主では

ありませぬので!」

 

 空気が、止まった。

 

 騎士は明らかに聞いてはならない事柄が満載の発言を聞いてしまった事に。

 

 太子と呼ばれた女性も、恐らくはその発言故。

 

 ただ一人、青蛾のみが、あらあらと言いながら佇んでいた。

 

 布都と名乗った少女は、固まった空気をしばしの間が経ってから気づき。

 

「えっと……太子様、我、もしかして……やらかしてしまいましたか?」

 

 と言いながら涙ぐむ。それを切欠に再起動した太子は、

 

「……そこな貴方。ここまで知られてしまったならば最早一蓮托生。

 まさか、逃げるとは言うまいな?」

 

 そう言いながら、腰に下げた刀を抜き放ち、騎士に向ける。

 

 ここで太子を斬り捨て逃げたとしても、追手が付くだけだろう。

 逃げても、逃げずとも、厄介事である事には変わり無く。

 この状況を運んできた元凶である青蛾への評価。

 それを、厄介な人間から疫病神へと格上げする事のみが、騎士が出来るせめてもの抵抗だった。

 

 

 

 

 逃げられぬよう、手足を縛られながら、騎士は彼女らの計画の切欠と、その全貌を聞かされた。

 

 そもそもは、青蛾が彼女、聖徳太子を訪ねた事から始まったらしい。

 

 聖人として持て囃された太子は、人が儚く死に往く事に、不満を抱いていた。

 

 そこに青蛾が現れ、道教という宗教を伝えられた。

 道教はどのような物でも修行すれば、寿命を超越し超人的な力を持つ仙人とやらになれるとか。

 

 しかし、道教は政治には不向きであった。

 権力という力で押さえつけ、物事を推し進めるのが政治である。

 そこに、道教という誰でも修行さえすれば超人となる物を据えては、政治が成り立たぬ、と。

 

 そこに、青蛾が入れ知恵をしたのだそうな。

 表向きでは仏教を推し進め、裏では自分達だけで道教を信奉し、仙人になればいい。

 

 そして、彼女らは仏教の世にする為に、計画を立てていた。

 そこに、青蛾と騎士が割って入ってきたという事らしい。

 

 土着の神々……モリヤ神や建御名方神、月夜見らの事……を信奉する神道を支持する側へ打撃を与える。

 神道を支持する中でも最も勢力の大きい、物部氏を滅ぼす為の計画。

 

 だが、それにしてはおかしい。

 

 騎士は、銀髪の少女……物部布都を見つめる。

 布都自身は見つめられ、照れるような顔をするが、太子は言わんとする事を悟ったらしい。

 

 何故、その滅ぼす物部の姓を持つ少女が、この場に居るのか。

 

「布都は、元々神道でなく道教を信奉していましたので。

 私が計画に取り込んだのです」

 

 つまり、彼女は内通者という訳だ。

 騎士が納得した顔をしていると、太子は騎士へ指示を出す。

 

「まあ、最早計画は実行段階。

 あなたは布都がここに居たという事を言わなければそれでよろしい。

 この一夜が過ぎた後には、全ては終わっているのですから」

 

 そう言いながら、太子は布都を寝かす。

 何を始めようというのか。騎士が疑問を抱くと、青蛾が説明する。

 

「これから、彼女を尸解仙へとする実験台とするのよ。

 死んだように眠った後は、仏教が滅んだ時に蘇る。

 太子様がここまで出来る様になったのも、私が道教について教えたからなのよ?」

 

 尸解仙にする術を太子が出来るようになったのも、己の教え故だ。

 私の力は素晴らしいだろう、とでも言いたげな口調だった。

 

 屋敷から見える、真っ暗な空。

 その遠くの暗闇が、赤色に明るく照らされる。

 

 あそこまで夜の闇が照らされる等、余程の光源でしか有り得ない。

 山火事か。否。

 

 "この一夜が終わった後には、全ては終わっているのですから"

 

 この一言は、これの事だったのだ。

 焼き討ち。

 物部布都の家が、燃えている光。

 

 恐らくは知っていたであろう布都の寝顔は、安らかな物であった。

 

 そこまで。そこまでしなければならないのだろうか。

 騎士は困惑を抑えられない。

 

 人である事を捨て。己の家族を捨て。帰る所を捨て。

 

 そこまでする価値が、不老不死にあると。彼女らは思っているのだろうか。

 

 人である事が、家族が居る事が、帰る所が有る事が。

 

 彼女らは、それがどんな物にも代え難い事だというのを知らないのか。

 

 外から聞こえてくる、火事の火に向けて唱えられた法華経が、暗闇に虚しく響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝、騎士は解放され、屋敷を出た。

 

 相も変わらず香料の芳香が混じり、吐き気を催す香りとなっている。

 しかし、今日はその芳香の中に、煤の香りが混じっている。

 

「昨日の夜、あの光は物部に征伐軍が攻め立てた光だそうな」

 

「これまで二度も追い返されたからな。三度目の正直と言う奴だ」

 

「やはり仏様を焼き打つなど罰当たりな真似をすれば罰が当たるという物だ」

 

「ああ、全く違いない」

 

 そう噂する者達の横を通り過ぎ、騎士は都を出て行った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。