東方闇魂録   作:メラニズム

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第十五話

 夢幻世界から抜け出てきた騎士と紫。

 その二人を、芳しい料理の香りと、金髪の女性が出迎えた。

 

 金髪の女性は、特徴を挙げ連ねればきりが無い。

 端正な顔立ち、蠱惑的な瞳、髪は一本一本が黄金のように煌めく。

 その臀部には、彼女の妖としての証である、九本の稲穂のように靡く尾が生えている。

 それらが合わさり、貧血にでも陥るかのような酩酊をもたらす色気となる。

 国をも傾けるような美しさを誇る彼女は、名を八雲藍と言った。

 

 話を詰める為の三日の間に、何度か彼女の事を紫から聞いていた。

 九尾の狐という大妖怪であったが、今では紫の式……主従として、彼女に従っているらしい。

 紫程では無いが頭脳は明晰であり、大妖怪らしい狡猾さと強さを兼ね備えている。

 そして何よりも、紫に絶対の忠誠を誓っている。

 これ以上なく素晴らしい従者だと、紫は己の事を自慢するようににこやかに言っていた。

 

 藍は暖かな料理と対照的に、冷ややかな眼で騎士を見る。

 紫の言う事は決して贔屓目で無い事は、これだけを見ても明らかだ。

 

 彼女は騎士が信用ならないらしく、常に冷たく当たっている。

 だが、それが妥当だと、騎士自身思う。

 ぽっと出の協力者で素性も知れず、強い事だけは解っている。

 警戒しない方がおかしいという物だ。

 

 疲れておぼつかない足取りの紫が食卓に着き、騎士もと誘う。

 

 食事は良い香りで楽しめたが、横から覗く藍の冷たい視線が気になって仕方が無かった

 騎士だった。

 仕方ない事だと、騎士自身も解ってはいるのだが。

 

 食事が終わってからも、事務的かつ冷たく騎士の分の食器を持っていく藍。

 

 そして、紫は既に畳に顔を付けて眠っていた。

 脇に置かれていた彼女の傘が、眠っている彼女の身動ぎで動く。

 

 そして聞えた物音は、物が転がる音でなく、耳障りな音だった。

 

 何が有ったかと見てみると、彼女の傘の持ち手と中軸の間から、錆び付いた刃が見える。

 傘には仕込み刀となっていたようだ。

 通りで中軸がやけに太かったはずだ、と騎士は納得する。

 

 しかし、当然のことながら護身用の仕込み刀にしてはおかしい。

 先ほど聞えた音からしても、その刃は相当錆び付いており、実用に耐え得る筈も無い。

加えて、その刀身は緩くだが螺子曲がっている。

 

 だが、そんな刃が仕込まれた傘を、紫は大事そうに抱え、眠っている。

 どうやら、護身用などでは無く、彼女にとって大切な物なのだろうと騎士は思った。

 

 さっさと出て行けと言わんばかりに騎士の支度を整える藍に従いながら、

 騎士は頭の片隅に引っかかる物を感じていた。

 

 彼女の持っていた、錆び付いた刃。

 

 どこかで見た事があるような、そんな気がしていたのだ。

 

 しかし、考えてもらちが明かない、詮無き事だと考え、騎士は紫の家を後にした。

 

 

 

 紫の式である藍は、紫の隙間の力を多少なりとも使えるという。

 それを使い、藍により適当な場所へと騎士は送られた。

 

 隙間で帰っていく藍を横目に、周囲の確認をする騎士。

 

 そこは、深い野山に囲まれた場所であった。

 

 帰り際、藍が土地の場所を呟いた。

 

「ここは大江山の近くだ。

 ……後は解るな?

 せいぜい紫様から受けた仕事をこなすんだな、どっちつかず」

 

 そう言い捨て、彼女は帰っていった。

 

 無論、騎士もその土地の事は、紫から聞いている。

 

 手紙を渡すべき妖怪の中の一人。

 

 酒呑童子。

 

 かの鬼の統べる山こそ、大江山なのだ、と。

 

 それにしても、この一帯は相当僻地にあるようだ。

 草の丈は騎士の肩ほどまでの長さを誇り、ただ掻き分けるだけで全身が切り傷に覆い尽くされるだろう。

 

 故に、騎士はソウルから装備を取り出し、目の前に広がる草々に備える。

 

 漆黒に金縁が施された鎧。

 竜血の鎧という。

 竜血騎士団という、英雄ヨアに率いられた者達。

 竜の血に魅せられた者達の鎧は、その過去に関わりなく、その鎧の豪奢さにのみ選ばれた。

 仮にも使者、それなりの格好でなければという、騎士の考えに依る物である。

 

 竜の血への憧憬を表した赤布は、漆黒の鎧を覆っている。

 しかし、その上に灰色の外套を身に纏い、赤布は見えなくなる。

 

 深い深い茂みの中を分け入り、しばらく経った頃。

 ようやく、酒呑童子の住処らしき屋敷を見つけ出した。

 このような山奥にあるのが異様に見える程豪勢なのが、外門から見ても解る。

 

 紅塗りの門が、軋みと轟音を上げながら開く。

 中から、赤ら顔した巨漢が二人出て来た。

 その額には角が生えており、彼らが鬼である事が見て取れた。

 

「おいおい、人間がたった一人で何の用だぁ?」

 

「まさか迷い込んだって訳でも有るまい。

 "鬼退治"ってんなら、真正面から来た事に敬意を持って、タイマンでやりあってやるがな?」

 

 そのどれでも無い、と騎士は首を横に振った。

 

「おいおい、命乞いかぁ?

 命乞いなら、せめてもっと怯えるとかしたほうがいいぜぇ?」

 

「それで助けてやるかは、また別だがな」

 

 二人の鬼は、笑い声を上げる。

 そこに、騎士は紫から預かった手紙を出し、次に開いた片手で頭を指差した。

 "お前たちのお頭に手紙だ"と伝えたかったのだ。

 

「あ?何だぁ、手紙か?」

 

「何で頭なんか指差してんだぁ?」

 

「おい、回りくどい事しねぇでちゃんと喋れよ」

 

 そういう鬼に対し、兜を脱いで舌を見せる。

 

「あぁー……成程な」

 

「しかし、結局何を言いたいんだ?」

 

「手紙、頭」

 

「頭ってなんだろうなぁ?」

 

「頭、頭」

 

「あ頭、い頭、う頭、え頭、お頭……あ、お頭の事か!」

 

「ああ、そう言う事か!」

 

 少しばかりの問答で、正解を導き出した鬼たち。

 喉のつかえが取れたようにすっきりとした顔で騎士を向く鬼。

 彼らに対して、正解だ、と騎士は首を縦に振った。

 

「そうだそうだ、やっぱりそうだった!」

 

「お頭への客となっちゃあ、こんなとこで足止めしちゃあいけねぇや!」

 

「ほれ、中に入れ入れ!」

 

 陽気な鬼たちに先導され、騎士は屋敷の中へと入って行った。

 

 内部はそれなりに広く、至る所に鬼が居る。

 鬼たちは皆一様に騎士を見つめ、腕を振り回すなどして闘気を顕わにしている。

 鬼の名声に偽り無く、彼らの気性は荒々しいようだ。

 

「何、心配するなよ。

 今のお前は客人なんだから、喧嘩を吹っ掛けるこたぁできねぇ」

 

「けどよ、出来ればお頭の用事が終わったら一発タイマンやらせてくれよ、な、いいだろ?

 ただ肝がふてぇだけじゃ、こんなとこまでこれやしねぇだろ?」

 

「そうだそうだ、お前、強いんだろ?

 なぁ、やろうぜ?」

 

 彼らの頭へと案内している二人の鬼がそういうと、待ってましたと言わんばかりに周りの鬼も

近づいてくる。

 どういう意図かは、考えるまでも無い。

 

 にわかにざわついて来た屋敷内部に、女性の声が響き渡った。

 

「おいおい、何だか面白そうな事になってるじゃないか!

 私も混ぜてくれよ!」

 

「ほ、星熊の姉御!」

 

 彼女の一声に、騎士の元に集まりかけた周りの鬼たちは散って行った。

 だが、彼らの口元は一様に苦笑いを浮かべている。

 そして騎士に憐れむかのような視線を向ける。

 

「おう、お前ら。

 聞けば、酒呑の奴への客だって?」

 

「へ、へえ。

 ですんで、喧嘩吹っ掛けるのは後にして貰えると……」

 

「んじゃ、それが終わりゃあやってもいいって事だね!」

 

「客人!

 酒呑との用事が済んだら、ちょっと面貸してくれよ!」

 

 星熊と呼ばれた女性は騎士への頼みごとを一方的に言い放つと、どこかへ歩き去って行った。

 どうやら、拒否権は無いようだ。

 

 騎士は酒呑童子への道案内をされながら、ここへ来てから抱いていた言いようの無い感情への

目星をつけていた。

 彼ら、鬼が気に食わない。

 何故気に食わないかは、今はまだ騎士自身解らない。

 

 果たして、何故気に食わないのだろうか。

 

 その答えを出す前に、酒呑童子の所までたどり着いた。

 

 木張りの床に畳が置かれ、その上に角の生えた巨漢が座っている。

 

 彼が、酒呑童子だろう。

 

 案内した鬼は戻って行き、騎士と酒呑童子の二人だけとなった。

 

 騎士は預かった手紙を手渡しに行く。

 

 騎士の腕ほどもある指で受け取った酒呑童子は、器用に封を開けて読む。

 

 酒呑童子が手紙を読む間、しばしの沈黙が場を満たす。

 

 読み終わったのか、酒呑童子は吐息を漏らし、騎士へと向き直る。

 

「お前は、鬼についてどう思っている?」

 

「鬼は嘘をつく事を厭い、正々堂々のぶつかり合いこそを生きる意味とする」

 

「無論、人の骨肉、生き血や酒、女なんかも好きではあるがな。

 やはり真実と戦いこそを好む」

 

「元々、鬼は人から変化して成る。

 不徳をする者、嘘をつけぬ者、荒くれ者。

 そういった奴らが、人の身では抱え切れぬ程の想いを溜め込み、鬼と成る」

 

「……あいつらは、良い奴らだろう。

 いつも陽気で、お頭お頭と我を慕う。

 能天気で阿呆ばかりだし、頭が冴える奴も誇りを先んじて、結局馬鹿をやる」

 

「そうして、正々堂々とやり合って、満足できれば死のうと構わない。

 ……全く、阿呆ばかりだ。

 阿呆でなければ、鬼にはならなんだのだろうが」

 

 そう言う酒呑童子は、悲しみと愛おしさがない交ぜとなっているような声音だった。

 

 酒呑童子は、酒が臓腑に沁みるような間の後、鬼の首領らしい声で騎士に告げる。

 

「最近、我らは京で人攫いをしていてな。

 ついに藤原道長が源頼光らに、我らの討伐を命じたそうだ」

 

「我の片腕の茨木童子も、ちょっかいを出しに行って片腕を切られた。

 あ奴らとの因縁を終わらせねば、おちおち居を変える事も出来んわ」

 

「故に、源頼光たちを返り討ちにしてから、この手紙の返事をする」

 

「そう、あの妖怪に伝えておいてくれ」

 

 話が終わったと見たか、扉を轟音で持って星熊が開けた。

 

「小難しい話は終わったかい?

 さあ、喧嘩をしようじゃないか!」

 

「おっ、そんな事決めてたの?

 人間も隅に置けないなぁ」

 

 星熊でも酒呑童子でも無い声が、酒呑童子の後ろから聞こえてきた。

 見ると、酒呑童子の後ろから、小童程の背丈の鬼が出て来た。

 確かに先ほどまで、己と酒呑童子の二人しか居なかったはずだが、と騎士は訝しむ。

 

 星熊は酒呑童子と小童の鬼を見比べて、咎めるような視線を小童の鬼に向ける。

 

「……おい、萃香」

 

「そう見るなって、嘘なんかついてないんだからさ」

 

 そう言いながら、萃香はこちらへと歩み寄ってくる。

 すると、そう近くにいる訳でも無いのに強烈な酒精の香りが漂ってくる。

 

「まあ、いいか。

 んじゃあ付いて来な、客人!」

 

 そう言い捨てながら、星熊は歩き出す。

 その後ろを千鳥足で、萃香が追って行く。

 

 どうやら、やはり喧嘩はしなければならないようだ。

 

 部屋を出る時に、酒呑童子に礼をし立ち去る。

 

「そんなものはいい、さっさとついて来……行け」

 

 何故か酒呑童子はどもりながら、騎士を送り出した。

 

 星熊は屋敷を出て、しばらく歩いていく。

 

 長い草など気にする事も無く、どんどんと歩いていく。

 

 その肌には草木による切り傷一つ無く、否が応でもその肉体の頑健さを垣間見させる。

 

 歩きついた先は、樹や背の高い草どころか雑草すら生えていない荒れ地だった。

 萃香は離れた所から、瓢箪に詰めた何かを呑んでいる。

 あの酒臭さを見るに、酒だろう。

 

「ここなら、お前さんも全力を出せるだろう?

 さあ、喧嘩だ喧嘩だ!」

 

 そう言いながら、星熊は片手に酒の入った盃を持ち、空いた拳を構える。

 

 騎士という身分でも、喧嘩という物と無縁では無い。

 故に、騎士も喧嘩の作法を心得ている。

 

 己の武具に頼る事無く、己の拳で持って勝敗を決めるのだ。

 

 故に、騎士も武器を出す事無く、拳を構える。

 

「鬼相手に殴り合いを挑むのかい?

 あんた、いい男だね。

 良い男だけど……」

 

 少し、無謀に過ぎるんじゃないかい?

 

 そう言いながら、星熊は一歩にして騎士の至近に入り、拳を突き出す。

 

 辛うじて反応できた騎士は、屈むようにしてその拳を避ける。

 

 尋常でない膂力だ。

 

 恐らく踏み込んだであろう場所は土煙が人一人包むほど湧き上がり、

 避けたにも拘らず、拳の風圧で半ば吹っ飛ばされる。

 

 辛うじて受け身を取り、立ち上がる。

 

 そんな騎士を見て、星熊は笑う。

 

「いい男の上に腕も立つ、か。

 いいね、いいよ」

 

「お前さんとなら、良い喧嘩が出来そうだ」

 

 そういう星熊を尻目に、騎士は指輪を取り換える。

 

 あの膂力は脅威だ。

 かといって武器を出すのは、あの様子を見れば悪手。

 

 武器の長さによるリーチを生かすにしても、あの踏み込みの前には意味は無いだろう。

 それに、力任せに武器を折られて隙を見せてしまえば、後は死あるのみ。

 

 最も危険なようでリスクが少ないのが、素手による殴り合いだと騎士は判断したのだ。

 

 指輪を三つほど入れ替える。

 

 覇者の指輪、刃の指輪、暗い木目指輪。

 

 覇者の指輪は、覇者という誓約によりもたらされた指輪である。

 苦難を潜り抜けた者に与えられる指輪は、装備者の拳の威力を馬鹿げた物へと変える。

 

 刃の指輪はある狂戦士の得物を模した指輪で、装備者の物理攻撃の力を上げる。

 

 そして暗い木目指輪は、ロードランの時代に東の地で作られた、特殊な指輪である。

 金属にも関わらず、表面に木目の文様があるその指輪は、装備者に東の地独特の体術をもたらす。

 

 暗い木目指輪による体術で避け、騎士の出来得る限りの強化を拳にもたらす。

 

 そして、騎士は篭手も変えた。

 

 騎士は竜血の篭手を外し、代わりに不思議な模様が刻まれた篭手を身に着ける。

 装備者に幸運をもたらすとされるその篭手は、刻印のガントレットと呼ばれる。

 この篭手がもたらす幸運とは戦場による物であり、装備者の攻撃に幸運をもたらす。

 

 つまり、稀に威力が上がるのだ。

 

 装備を瞬く間に変えた騎士を面妖な物を見る目で星熊は見るが、尚も拳を構える騎士に笑みを浮かべる。

 

 最早言葉は無い。

 

 再度星熊はその踏み込みで近寄り、拳を突き出す。

 

 だが、騎士は飛んだ。

 そして両手を星熊の両肩へと置き、更に両手で跳ねる。

 空中で姿勢を整え、背後へと回り込んだ。

 

 そして、後ろから星熊の腰を殴りつける。

 

 星熊の口から血が溢れる。

 

 姿勢を崩した星熊に、騎士は更に拳を叩き込む。

 

 手を振り子のように勢いをつけ、殴る。

 

 両手を組み、脇腹に横合いから叩きつける。

 

 そして両手を組んだまま、仰け反り腰を落とした彼女のうなじに打ち下ろす。

 

 相当効いたらしく、星熊はふらついた。

 

 勝負はついたかと、騎士は攻撃の際止めていた息を吐く。

 

 その瞬間、星熊は強かに騎士の脛を蹴り上げた。

 

 鋼が怪音を上げてひしゃげ、騎士の足に関節が一つ増える。

 

 片足だけで騎士は飛び退くと、拳を構えた。

 油断していた訳では無い。

 だが、想像していた以上に、星熊は強かった。

 

 あのような碌に力など入らない姿勢で、金属の具足を足ごと圧し折る。

 

 更に気を張らねばならない、と騎士が思った瞬間。

 

「ああ、後いいわ。

 降参降参」

 

 そう言い、星熊は構えを解いた。

 

 青痣を作り、血を吐いている彼女だが、どうにも堪えた様子では無い。

 恐らくはまだまだ戦える筈だが。

 

「喧嘩としちゃあ、私の負けさ。

 盃を落としちまった。

 それに、これ以上は殺し合いになっちまう」

 

 どうやら、彼女は自分自身に盃を落としたら負けという枷をつけていたらしい。

 見れば、確かに盃が落ちている。

 それを見やりながら、騎士は破損した具足を適当に変え、エスト瓶を呑み折れ曲がった足を治す。

 

「それも悪くは無いが、あんた拳で戦うのが得手って訳じゃあ無いだろう?

 また今度、次は本気の殺し合いをやろうや」

 

「私の下の名は勇儀。

 星熊勇義さ」

 

 そう言いながら、握手を求めてくる彼女に手を差し出しながら、騎士は何故鬼が気に食わないかという己の心情に当たりをつけていた。

 

 人は奪う為か、守る為か、どちらにせよ戦いを手段とするのが主だ。

 

 しかし、鬼は戦いが目的であり、奪うのは戦いの為の手段だ。

 

 その違いこそが、騎士の心内に違和感を生じさせるのだ。

 

 ふと萃香の方を見てみると、萃香が倒れ伏していた。

 

 近寄ってみると、蒼褪め、気絶している。

 

 これはどうした事だ。

 良くは解らないが、屋敷で安静にさせねばと騎士は萃香を背負い、

鬼の屋敷へ駆け出して行った。

 

 待て、と声を掛ける勇儀の声を背にしながら。

 

 しばらく走り、騎士は道に迷ってしまった事に気が付いた。

 

 屋敷はどこだ、と辺りを見渡す騎士。

 

 ふと、血の匂いが辺りを埋める。

 

 草木を揺らしながら現れたのは、六人の男だった。

 

 五人はそこら中に返り血を纏っている。

 

 その内の一人が、首を抱えていた。

 

 その首は、酒呑童子の首だった。

 

 萃香を背負いながら、身構える。

 

 六人の男の内五人が腰につけた刀を構えたが、首を持つ一人は待て、とその四人に告げる。

 

「……お主、その鬼と懇ろか?」

 

 違うと首を振ると、そうかとその男は呟いた。

 

「我は源頼光。

 藤原道長の命により、酒呑童子の討伐に参った。

 恐らくは知っておろうが、この首は酒呑童子の首よ」

 

「僧に化け、毒を盛り、寝込みを襲い、取った首よ」

 

 そこまで言った時に、萃香が目を覚ましたようだった。

 頼光を見ると、蒼褪めた顔に怒りを湛えながら、言う。

 

「何故、殺した」

 

「主の命だからだ」

 

「違う。

 酒呑童子では無い。

 何故、他の鬼も殺したのだ」

 

「神が命じたからではある。

 だが、それが本意では無い。

 お前らが人の脅威となるからだ」

 

 頼光と萃香の問答は続く。

 他の五人も、騎士も、誰も何も言わない。

 

「お前ら鬼も、哀れよな。

 何もしなければ、我々も殺しになど来なかったものを。

 だが、お前らは人に害をなさずにはいられない」

 

「お前ら二人が仇を討とうとするならば、我々は戦う。

 だが、そうで無ければ我々はお前らを見逃そう」

 

「まあ、人も妖も変わらない限り、いずれはお前ら鬼は死に絶えるだろうがな」

 

「せいぜい、今度は殺されぬように生きる事だ。

 "酒呑童子"よ」

 

 そう言い、頼光は五人を連れて去って行った。

 五人は騎士と萃香を見ていたが、ついぞ手を出さずに頼光に付いて行った。

 

「……まずは、屋敷に行こうか」

 

 そう言う萃香の顔を、騎士は見る事は出来ない。

 だが、その声音には含むものを感じられた。

 

 

 黒々とした木に、血がまき散らされている。

 鬼たちの死体を埋めた後、騎士も、星熊も、萃香も。

 

 誰も、何も言わずに居た。

 

 ただ、萃香が酒を呑んでいる微かな水音だけが響く。

 

「こいつはさ、密と疎を操ることが出来るんだ」

 

 星熊が、語り出す。

 

「だから、自分を疎にしてから、二つに分けて二人になる事も出来る。

 あの巨漢の酒呑童子も、萃香だったのさ」

 

 そう言ってから、またしても沈黙が続く。

 しばらくしてから、萃香が口を開いた。

 

「私だって鬼だ、喧嘩とかは好きだし、嘘をつく事に抵抗もある。

 だけど、それだけだ。

 私にとって、鬼という存在を賭ける程大事なのは、仲間さ」

 

「あいつらは、良い奴らだった。

 あんな奴らと一緒に、ただ飲んで騒いで。

 それさえ出来てりゃ、幸せだったんだ」

 

「あの酒呑童子も、そうだった。

 あいつも私ではあったけど、半ば独立してたようなもんさ。

 あいつは鬼の首領としての心持ちとか、才覚とか、私の中のそういうのを集めてた。

 そういうのの中には、あいつらへの想いも入ってた」

 

「全部、消えちまった」

 

「あいつらへの想いも、仲間も」

 

「……私は、紫の誘いに乗る事にするよ」

 

 そう言うと、萃香の目の前に隙間が出来た。

 瓢箪の酒を一度呷ると、萃香は隙間へと飛び込んだ。

 

 星熊も立ち上がり、隙間へと歩みを進める。

 

「……あいつは嘘吐きで、鬼の風上にも置けない奴だけど。

 嘘をついちまうほど、誠実なのさ」

 

「んじゃあ、また会おう」

 

 そう言い、星熊も隙間へと飛び込んだ。

 

 騎士は、未だ座り込む。

 

 その後ろに、紫が出て来た。

 

「ありがとう、これで交渉は成ったわ。

 あなたのお蔭ね、まさかあの二人を誘えるとは」

 

 そう呟く紫の姿には、いつもの少女然とした雰囲気は無い。

 狡猾で計算高い、妖怪の姿がそこにはあった。

 

「じゃあ、これからもよろしくね。

 頼りにしてるわ」

 

 そう言うと、紫はまた隙間へと消えた。

 

 騎士は立ち上がり、今しがた作った鬼たちの墓へと向かう。

 

 鬼は、満足した戦いの後は、笑って死ぬという。

 そうして死んだ鬼たちは、死よりも大切な何かを、見出したのだろう。

 だが、彼らはそうでは無い。

 ただ、死んだだけだ。

 

 騎士は墓を一瞥すると、最早誰も居ない鬼の屋敷を出た。

 

 もしかすれば、自分もまた、大切な何かを見出せずに亡者となるかもしれない。

 

 騎士は歩みを止め、屋敷の門を見ると、また歩き出した。


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