東方闇魂録   作:メラニズム

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第十九話

里は、最近にわかに騒がしかった。

 

というのも、里を取り巻く妖怪たちの動向がおかしいのだ。

 

常日頃、隙さえあれば人を襲う妖怪。

否、隙さえなくても己の胃袋の都合によって襲撃を繰り返す、それが妖怪だ。

 

彼らの襲撃が、最近は弱まってきた。

それだけならば、偶然の神による村人への予期せぬ恵みとでも捉えたのだが、

その弱まり方は、確率の偏りで済む程度の弱まり方では無い。

 

ある日を境に、村人に対する妖怪の襲撃率が六割減少し、それが続いている。

 

明らかに、何かしらの意図を感じざるを得ない程の弱まり方だった。

 

腕が立つ、という事で妖怪退治屋の集まりに誘われた騎士は、

おぼろげに感じていた妖怪たちの変調を、ここで初めて明確な異常として認識した。

 

集まりが終わり、妖怪退治屋の宿から出て来た騎士。

 

この異常には、恐らく紫が関わっているのだろうと当たりを付ける。

 

紫の事だ、里が滅びてしまうような事は考えては居ないだろう。

 

しかし、だとしても妖怪たちの悉くがその活動に鳴りを潜めているというのは、

どうにも不気味である事は確かだ。

 

あの時……紫が永琳と会談してから、半月が過ぎた。

あれから藍にも、紫にも一度たりとて出会わない。

 

この無気味な妖怪たちの動向を、何とかして聞き出したい物だ、と騎士は考える。

 

しかし、そこまで考え至って初めて、自分から彼女たちに接触する手段が無い事に気付く。

 

……どうやって接触するべきか。

 

確実な手段は騎士には無い。

出来る事と言えば、彼女たちに出会えそうな場所を巡るだけである。

 

と言っても、向かう甲斐が有りそうな思い当る場所は二つしかない。

篝火を置いた丘と、永琳達のいる竹林。

 

特に竹林は期待出来るかもしれない。

永琳と紫が出会ってから、紫たちと出会わなくなったのだから。

紫が居なくとも、永琳に聞けば何か分かるかもしれない。

 

だが、一先ずは篝火の丘に向かってみよう。

思えば篝火を置いてから、一度たりとて戻っていない。

 

篝火は剣を倒してしまえば消える。

雨風など、天候によって消える事は無いが、篝火を見つけた妖怪たちに倒されているかもしれない。

 

妖物と思われてしまうかもしれないので、稗田家に置いた篝火を消している。

あの篝火が消えていたら幻想郷に戻れない。

 

確実に何かが起こる事は間違い無いのだ。

最悪、何度か死ぬ事まで想定しなければ。

 

 

里を出た騎士は、身に纏っていた放浪者一式から、リンド一式……鎧、篭手、靴……へと着替える。

その上から灰色の外套を被った。

 

リンドの防具は、名工リンドの名を冠した防具である。

貴重なグラン鋼をふんだんに用いたこの防具は、軽さと強度を兼ね備えた逸品である。

軽さ故に攻撃の衝撃を緩和する事は出来ないが、金属防具特有の擦れ合う音が出ない。

 

着けっ放しだった赤錆の盾とバスタードソードを背負い直し、足音に注意しながら森を歩き出す騎士。

 

永琳と紫の会談の後、里に戻った騎士はその二つを装備していた事を忘れていた。

無手で里を出た者が盾と剣を携えて戻ってきた、というのは話の種にならないはずが無い。

噂話は騎士本人による手直しが有る程度加えられ、術により武具を出す力自慢という里での人物像が生まれたのだった。

 

実際赤錆の盾は、物理攻撃にだけはその大きさの盾には似つかわしくない程の耐久性を誇る。

そしてバスタードソードは扱いやすい武具だった。

 

故に、妖力を使わずに己の剄力で襲い掛かる、里周辺の妖怪退治には必要十分な装備だったのである。

 

平常時では赤錆の盾とバスタードソード、それに放浪者一式で充分な道のりではある。

だが、今の妖怪たちの動向は予想がつかない。

それこそ、いつもの放浪者一式では役者不足になる強さの妖怪が出るかもしれない。

 

故に、金属音が出ず、それでいて並みの金属鎧以上の硬さを誇るリンド一式を着込んだのだ。

 

だが、その用心は無駄に終わった。

 

強い妖怪が居る訳でも無く、それどころかいつも遭遇する程度の強さの妖怪すら見かけない。

 

妖怪は居る事には居るが、それも好戦的では無い妖怪が、幾つかその姿を垣間見させるのみ。

 

何かが起こっている。

 

その確信を強めながら、騎士は丘を登り切った。

 

森が開け、背後から風が吹く。

 

篝火は無事だった。

 

そして、篝火の近く。

 

ある樹の下に、藍が背を預けて立っていた。

 

騎士の足音を聞きつけてか、閉じていた眼を開く。

 

「やはり、来たか。

来るならば、今日、この時に来ると思っていた」

 

その声色に、いつもの刺々しい物は無かった。

 

「今時分、ここに来たという事は、既に妖怪の動向は知っているのだろう。

この火を焚いてから、お前は一度たりともここに来ては居なかったようだからな」

 

「妖怪の襲撃が鳴りを潜めているのは、紫様のある計画による物だ。

月面侵攻計画。

……あの永琳とかいう人間と知り合いのお前なら、どういう事か知っているだろう」

 

「私は、何も知らん。

紫様があの女と交わした契約に則り、

あの女の書いた手紙の中身を見ず、月の警備軍総大将とかいう女に渡しただけだ」

 

「血の気の荒すぎる妖怪の間引き、月面の連中の技術奪取。

それが目的だと紫様は言っていたが、確実にそれだけでは無いだろう。

だが、本当の目的など、私が知る必要は無い。

所詮式だからな、紫様の命ずる事をするだけだ」

 

「だが、それでも解る事は有る。

月の侵攻は、確実に失敗する。

総大将とかいう女、あれは化け物だ。

紫様は、恐らく負ける」

 

「計画の実行は、今夜だ。

私は紫様を、自分の命を懸けてでも逃がす。

だが、逃がした後はあの方は悲しむだろう」

 

「あの方は、お優しいから。

私が死んでも、悲しんでくれるだろう」

 

「……男など、信用に足らん。

少なくとも、私は二度男から切り捨てられた。

紂王も鳥羽も、庇ってくれなかった」

 

「二度ある事は三度ある、三度目の正直。

お前がどちらになるかは、私には判らない」

 

「お前を信じはしない、ただいつものように命令するだけだ。

何、恐らくは最後の命令になるんだ、清々するだろう?

……私が居なくなったら、あの方の補佐をしてくれ。

私の代わりに」

 

その物言いは、まるで遺言でも残すかのようで。

 

透明な笑み。

 

その表情をする者が何を決意しているか、騎士は知っている。

 

己の最も大切な物に殉ずる者の表情だ。

 

その顔を見せるべきは、お前の嫌う己では無いはずだ。

 

そんな悲壮な表情をするようなお前では無かったはずだ。

 

いつもの憎まれ口はどうしたのだ。

 

不安になるじゃないか。

 

思わず彼女に手を伸ばす。

 

だが、藍は隙間に消えて行った。

 

伸ばした腕は、役目を見失い宙を切る。

 

何故だ。

 

何故、紫はそんな事を企てるのだ?

 

自らの側近ですら負けると確信を抱く程の無謀な戦を、何故。

 

永琳も、何を考えているのだ。

 

紫と何がしかの契約を交わしたと言っていた。

 

だが、その結果が月の者達に弓引く事の助長とは。

 

何もかもが、解らない。

 

騎士は駆け出した。

 

竹林の方へ。

 

最早、日は沈もうとしていた。

 

 

息せき切らして、騎士は竹林へとたどり着いた。

 

足音を忍ばせる事無く、地に落ちた竹葉を掻き散らす。

 

その音を聞きつけたか、大虎が姿を現した。

 

胴は大の大人が両の手で囲もうとしても足りず、

丈は体毛の色が違えば、熊とでも見間違えそうな巨体を誇る。

 

大虎はその巨躯で持って風を切り、騎士を食もうと飛びかかる。

 

それを、騎士は一瞥すらせずにバスタードソードを引き抜き、叩きつけた。

 

騎士は人の身を止めてはいないが、ソウルの禁術により人並み外れた膂力を持つ。

 

その人外の剄力は、武具を顧みずに十全に発揮される。

 

鈍く耳障りな音が、肉を硬い物が掻き分ける音を掻き消す。

 

バスタードソードの刃が半ばから折れた。

しかし、その刃は虎の体躯を真正面から割り、脳髄、筋、骨、胃までを覗かせる。

 

折れ飛んだバスタードソードの刃は宙を舞い、二つに分かたれた虎の身の前に突き刺さる。

 

それを騎士は視界に入れる事すら無く、柄だけとなったバスタードソードをかなぐり捨てる。

 

日は既に落ち、満月が顔を出している。

 

騎士は地を蹴る足にさらに力を込めた。

 

 

霧で朧にかすむ門を走り過ぎ、玄関へと走り寄る。

 

「そんなに急いで、誰に用が有るのかしら?」

 

その声に立ち止まり、急ぎ振り返る。

 

永琳が居た。

 

「まあ、解り切った事よね」

 

永琳は騎士の羽織っている灰色の外套を見やり、微笑む。

 

「ちゃんと、見つけてくれてたのね」

 

丈夫に作っていたが、ここまで永い時を耐える事は想定していない。

こうして羽織れる程状態を保っているという事は、彼がとても大事に扱ってきた事を指し示す。

その事実に、永琳は心中が暖かくなる。

 

永琳は暖かい心中に浸りながら、言葉を紡ぐ。

 

ここに来た以上、彼には真実を知る権利があるのだから。

 

「……貴方の呪い。

穢れと同質のそれの正体は、人の感情よ。

人間性、と言ってもいいかもしれない。

神も、妖も、人の感情を糧に生まれ、生きる。

いつぞや、言ったわね。

穢れから、妖怪は生まれるって」

 

今は、そんな事を訊きたいのではない。

そう言いたげに詰め寄る騎士を、永琳は片手で押し留める。

 

「あなたの篝火は、そういう意味では不思議な物よね。

あなたの眼の奥の火は、穢れを糧に燃える。

篝火も、それと同じ仕組みで燃えている。

貴方たち、呪われた者の骨は、穢れの塊とも言えるから。

穢れを燃やし照らす火は、その真逆の物とも言えるから。

太極が……陰と陽が、篝火に詰め込まれている。」

 

「妖怪が生まれやすい環境、という物が有るのよ。

例えば、人が沢山死んだ場所。

例えば、穢れの塊がある場所」

 

「彼女の能力も、不思議な物よね。

あらゆる物の狭間を操る力。

物事の境を操る事が出来るならば、陰を陽にも、陽を陰にもできる。

まるで、あなたの篝火のようね」

 

騎士は永琳に詰め寄る事も止め、立ち尽くしていた。

 

まさか、いや、そんな馬鹿な。

 

脳裏に浮かんだ可能性に動揺する騎士を見つめながら、永琳は更に言葉を紡ぐ。

 

「あなたは、彼女の傘に仕込まれている刃を知っているかしら?

錆び付いている刃。

見た事が有るならば、既視感ぐらいは覚えたはずよね」

 

紫の傘に仕込まれている刃を、騎士は思い出す。

 

錆び付き果てていたその刃は、峰などなく、両刃の剣だった。

錆びていた為に解り辛かったが、その作りや刀身からして、数打ちの、取るに足らない代物。

 

だが、それこそが異常の証だ。

 

この国は、ロードランよりはるか東にあった国のように、片刃の剣が主流となっている。

彼女の傘に仕込んであったような、両刃の剣を造れる所など有っただろうか。

 

鉄と言っても、その製法で鋼としての性能は著しく変わる。

 

だからこそ、鉄の製法を厳重に秘匿する諏訪のような場所も有り、

だからこそ、今身に付けているリンドの鎧を作り出せる職人、リンドをドラングレイグは高給で召し抱えた。

 

無論、片刃の剣……刀しか作った事の無い国の刀工だろうとも、両刃の剣を作れない事は無いだろう。

 

だが、あの刃は数打物だったのだ。

数を優先して作られた数打物は、一品物のそれに比べると著しく質が劣る。

だが、数打物は作る物のノウハウが無ければ、作る事は出来ない。

 

だからこそ、あの刃は、本来この国には無いはずの剣なのだ。

 

騎士が仕舞い込んでいた記憶が、眼前で再生する。

 

あの場所を、地上に有った月の都の後を立ち去る時。

 

燃え盛っていた篝火の剣を、自分はどうした?

 

回収もせずに、蹴り飛ばしていた。

 

騎士が回収せずに放置していた篝火は、そしてその剣は、あれ一つだ。

 

有り得ないと叫ぶ心の声が、小さくなっていく。

 

「……彼女が月に行くのは、錆び付いた刃の主を探す為。

自らの出生を知る為。

戦いに勝とうとは、思っていない」

 

「ついでではあるけれど、気性の荒い妖怪の間引きをする意味合いもあるけれどね。

どちらにしても、月面は血に濡れるでしょう」

 

紫。

 

流れるような長い金髪を靡かせながら、楽しげに悪戯をする彼女の笑みを思い出す。

 

彼女が、己の娘。

 

そして、己が彼女の父。

 

ならば、彼女は己の家族、という事なのか。

 

家族。

 

その単語に、不死人となった時の思い出が蘇る。

 

『化け物』

 

"最初"の家族が、己を見て恐れ戦いていた姿が。

 

次に、月明りに倒れ伏す老夫婦の姿が。

 

胸から血を流す車持皇子を見つめる、妹紅の姿が。

 

家族を得て、失って、また得て、失って。

 

今度は、失わないで居られるだろうか。

 

"三度目の正直"となるか、"二度ある事は三度ある"となるか。

 

脳裏に浮かべていた、最初の家族の記憶が鮮明になっていく。

 

これまでは、無意識に記憶を封印していたのだろうか。

 

不思議と、恐れ戦いていた顔だったという事しか思い出せなかった父の顔が、鮮明になっていく。

 

眼を見開き、頬が恐怖に引きつり、鼻白み、口角に泡を付かせながら、声高に罵声を浴びせている。

 

そうだ、父は恐怖に口角に泡を噴きながら、父から己へと受け継がれ、

そして死後に己の遺品として家へと戻ってきた剣で、不死人となった己を斬ったのだ。

 

何度も、何度も。

 

息子に継がせた鎧に阻まれ、刃が毀れながらも。

 

そして、ついには半ばから折れるまで。

 

己に刃を振り下ろす父の姿が、最後に見た父の、最初の家族の姿だった。

 

息が荒れる。

 

胸の動悸が止まらない。

 

あの妖怪にしたように、何もかもを破壊したくなる衝動が高まる。

 

そんな事はしたくなくとも、体が悶え、暴れるように。

 

脳裏にちらつく家族の罵倒。

 

その中に、一つの思い出が蘇る。

 

それは、眠りが安らぎであった頃。

 

父の髪がまだ黒く、そして背がとても大きく見えた頃。

 

己が自らの事を僕と呼んでいた頃。

 

上級騎士の息子連中から虐められていた事が有った。

 

ただの騎士の家である僕とは身分が違い過ぎて、反抗なんてすれば

お家取り潰しになってしまう、と子供ながらに知恵を働かせ、泣きながら耐えていた事が有った。

 

目元を赤く腫らしながら帰ってくる僕を、父は何も言わずにいつも見つめていたのだ。

 

虐めは順を追って酷くなって行き、

ついに真剣を取り出して来た時に、僕は父の背中を見たのだ。

 

父が祖父から伝えられた、傷だらけの騎士の具足に身を包んだ、その背中を。

 

相手が子供とはいえ、真剣であるのに反撃もせず、ただただ仁王立ちで僕を庇ってくれた。

 

実際の時間は解らないが、とても長かったように思える。

父は長い間耐えていて、ついに他の者の眼に入り、上級騎士の息子連中は他の警邏の騎士に取り押さえられた。

 

彼らが自らの家から追放された、という事を訊くついでに、

あの息子連中を取り押さえた一人である父の同僚から聞かせて貰った話が有った。

 

僕が最初に泣き腫らして帰った次の日から、父は周りに頭を下げて、

騎士階級の者が行う警邏の場所を、僕の見える場所へと替えて貰っていた。

 

父は、ずっと見守っていた。

 

ついぞ、父が最も雄弁だったのは口では無く、その背だった。

 

父が祖父から、祖父が曾祖父から受け継いだ、傷だらけの騎士の鎧。

 

正面だけが異常に傷ついた、鎧。

 

それは、父も、その父も、脇を守る味方に恵まれ、敵から逃げた事の無い証左で。

 

それは、父が僕を守ってくれた鎧で。

 

だからこそ、化け物呼ばわりされ、殺された後でも捨てるに捨てられなかった、鎧。

 

ああ、そう言えば。

 

父が己を殺した時も、その背には老いた母が居たのだった。

 

死んだはずの息子が干乾びた姿で現れたのだ、それは恐ろしかったのだろう。

だが、あのような形相をする程怖れながらも、父は母を守ろうとしたのだ。

 

父は変わった訳では無かったのだ。

 

年老いた後でも、家族を守る為に必死になる、敬愛すべき父であったのだ。

 

ただ変わってしまっていたのは、不死人となってしまっていた己だけだったのだ。

 

あんな風に、なれるだろうか。

 

不死人という"化け物"ではなく、今度こそ"騎士"となれるだろうか。

 

護りたい者を守り通せる者に。

 

いつかの、父のように。

 

気がつけば、身に纏っていたリンド装備一式が、騎士装備一式に変わっていた。

不自然に傷だらけのその騎士装備は、父から受け継いでいた物。

無意識の内に、己の内のソウルから取り出していた。

 

そして、背には赤錆の盾は無く、代わりにアルトリウスの聖剣が有った。

 

アルトリウスの剣は、彼の旅路の最中で姿を変えて行った。

アルトリウスの伝承では、彼の剣は元々聖剣であり、深淵の魔物との契約をした時に剣は呪われた。

そして闇に飲まれきった時には、深淵の武器となっていた。

 

そのソウルから出来る物も、憑代によりその三種のどれかが出来る、と鍛冶屋から聞かされた。

 

その時に、騎士は鎧と共に受け継ぎ、半ばから折れた剣を憑代とした。

己の腹を引き裂き折れた剣を。

 

変貌した家族への恨み、己の嘆き、それらが跡形も無く混じり合い、唯一形として残った剣。

それを、子供の頃語り聞いた英雄、アルトリウスの剣へと変えて、積もり積もった想いを塗り潰そうとした。

 

塗り潰した思いは、今その覆いが破かれ、露出した。

だが、今そこにあったのは、その感情を抱いた本人すら直視する事を避けた、悍ましい物では無い。

 

蒼く輝くその刀身に、かつて在った折れる前の剣の姿を幻視する。

 

この剣は、恨み辛みが篭っていた剣などでは無かったのだ。

 

勇気を振り絞り家族を守った父の剣だったのだ。

 

恨み辛みなど悍ましい物を抱いていたのは、己だけだった。

 

何故か前にも増して、その蒼い刀身は輝いているように見えた。

 

騎士は刀身を一度撫で、背中に背負う。

 

背中に背負ったアルトリウスの剣に、背中を押されている気がした。

 

押しているのは誰だろう。

それは解らない。

 

しかし、今は振り向かずに、前を向かねばならない。

 

後ろを向いていては、また、失ってしまうのだから。

 

騎士の決意を込めた眼に、永琳はため息をつく。

 

「結局、行く気なのね」

 

大きく肯く。

 

どうすれば、月まで行けるのか。

 

守りに行かねばならないのだ。

 

「そうねえ、念じれば行けるんじゃない?」

 

騎士の無言の問いに、永琳ではない声が返答する。

声のした方を向けば、そこには輝夜が居た。

 

冗談で言っているのかと、輝夜を睨み付ける。

 

「あら、そんな眼で女性を見る物では無いわ。

それに、私は本気で言ってるよ?

疑うより先に、やってみなさいな」

 

その言葉に、騎士は不承不承頷き、念じ始める。

 

月に、行きたい。

 

否、行かねばならない。

 

誇りの為に。

 

いつか失ってしまった家族の為に。

 

そして、新たな家族の為に!

 

強く強く、騎士は思った。

 

すると、体がにわかに軽くなった気がした。

 

眼を開けると、身に付けていた外套が光を発し、騎士は宙に浮いていた。

 

それも少しの間で、次の瞬間騎士は月へ向けて物凄い速さで飛翔していった。

 

「……惑星間航行用装備、"月の羽衣"。

その最初期モデルで、尚且つ念動型の超レア物なんて、初めて見た時驚いたわ。

永琳がそこまで彼に入れ込んでたなんて、ねぇ?」

 

そう言いながら、輝夜は永琳の方を向く。

すると、永琳は大きなため息をついていた。

 

「どうしたの?

こうなるのも含めて、全部想定済みなんでしょ?」

 

「そうだけれど……。

絶対嫌われただろうな、ってね。

月の事を彼女が知る為には、私しか情報源が居ないじゃない。

私が促したのなんて解り切ってるわ」

 

「いや、アレ絶対気付いてないわよ。

というか、そこまで頭回るような状況でも無いでしょ、彼」

 

「……そうかしら?」

 

「まず間違いなく、ね。

いやー、しっかし珍しい物が見れたわ。

あの永琳が、こんな乙女な反応をするなんて」

 

輝夜のからかうような口調に、永琳は不思議そうな表情を浮かべて言葉を返す。

 

「私、乙女と言えるような年はとっくに過ぎ去ってるけど?」

 

「……無自覚とは、流石の私も想定外だわ。

何で育ての親より娘の方が色恋沙汰に聡いのよ」

 

「恋?

そうねぇ、その経験は無いわね、私。

恋ってどんなものなのかしらね?

ちょっと気になるわ」

 

「多分灯台下暗しって奴じゃないかと思うけれど……?」

 

彼女らが雑談をしていると、にわかに目の前の庭に異変が生じる。

 

紅く光る粉が舞い、人の形を成していく。

 

大きな鎌を持ったその人型は、明確な敵意を持っていた。

 

「……ちょっと、アレ何?」

 

「多分だけれど、彼の火の影響じゃないかしら。

穢れは人間の感情に依る物だから、彼が強く願うと火もその強さを増すんじゃない?

いわば、火は誘蛾灯か灯台のような物じゃないかしら。

彼の世界のモノが、火によって引き寄せられてるのね」

 

そう言いながら、永琳はどこからか取り出した弓で人型……闇霊……の頭を射た。

闇霊は頭に矢を生やし、痛がるように抱える。

 

永琳は間髪入れずに矢継ぎ早に闇霊を射抜き、闇霊の体は最早矢衾か人なのか分からない程になっていた。

 

そこまで射られ、漸く力尽きたのか、闇霊は崩れ落ちて紅い粉へと姿を変えていく。

 

闇霊を模っていた粉は、永琳と輝夜へと吸収されていった。

 

「うわ、やだ、なにこれ。

これって害あるんじゃないの?」

 

「これ自体に害は無いはずよ、多分これは魂の外側を形成している元か何かでしょうから。

魂自体が臓器や骨だとしたら、筋肉や脂肪と言った所かしらね。

これに害があるなら、毎日食事するたびに命の危機に晒されるでしょうね」

 

「もしそうなってたらさぞや物騒な世の中になった事でしょうね。

まあ、永琳の矢にあれだけ耐える時点で、相当物騒な奴だったみたいだけど」

 

「そうね、彼の居た世界はあんなのが溢れる程居たのかしら。

それなら、腕も磨かれるという物ね」

 

納得がいったように頷く永琳を脇目に、輝夜は有る事に気付く。

 

そして額に汗をうかばせながら、気付いた事を呟いた。

 

「……彼、珍しい程やる気満々で飛んで行ったわよね。

アレだって、この比じゃない位出てくるんじゃないかしら」

 

「……あ」

 

「あ、って何よあって。

どうするの?

流石にあの存在は想定外でしょ」

 

「……想定外だけど、そもそも私的には彼と豊姫、依姫が生き残っていればいいからね。

それだって彼は死んでも死なないし、そこまで気にする事は無いわ」

 

「でも、もしあの女が死んだら、彼意気消沈するわよ?

娘なのだもの」

 

「そうならなければその方が良いけど、そうなれば、それでも良いわ。

時間は心の傷を癒す物で、私たちには時は死を運ぶ物でないもの。

ただ流れ去るだけなのだから」

 

そう言って、永琳は昇る流れ星を見つめた。


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