東方闇魂録   作:メラニズム

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第二十四話

紅い屋敷の地下。

 

そこには、一つの部屋が有った。

 

その部屋の出入り口は木製の扉が一つあるきりだ。

その木製の扉のデザインは可愛らしく、それが周りの血のような赤さから浮いて見える。

その可愛らしさと赤の対比が、童話のようなメルヘンチックな非現実さを生んでいた。

 

レミリアは、その扉を開ける。

木の扉の軋むような音を耳にしながら、片手に持った人形を抱え直し、金の燭台に乗せた蝋燭に火を付ける。

 

蝋燭は、部屋の隅々まで、とまでは行かなくとも、四面を丸く照らす程度にはその役割を果たす。

そしてその蝋燭の光は、部屋の中央に座る、一人の少女を照らし出した。

 

その少女は、幾多のクッションと相当数の人形に囲まれながら、二体の人形のみを抱えて座り込んでいた。

少女が身動ぎするたびに、その黄金の髪がさ、と揺れる。

それと同時に、その背に生えている艶やかな黒色の蝙蝠羽も揺れ動き、地面に敷き詰められたクッションと床に転がる人形を押しのける。

 

黄金色の髪をした少女は、木の扉が開いた音に反応して立ち上がろうとした。

しかしその足取りは小鹿のように震え、頼りない。

おずおずと歩みを進めようとする少女の双眸に、光は無かった。

 

「……フラン。

無理に立とうとしなくていいわよ、危ないわ。

それよりも、新しいお人形、持って来たわよ」

 

「大丈夫よ、お姉様。

眼が見れなくても、お姉様の事は解るもの。

お人形を受け取る事くらい出来るわ」

 

そう言って歩みを進めようとするフランだが、クッションに足を取られて転んでしまう。

しかし、辺りに散乱したクッションが、フランの華奢な体を受け止めた。

レミリアは転んでしまったフランに駆け寄って助け起こし、フランの蛮行を叱る。

 

「ほら、転んでしまったじゃない。

無理をしちゃ駄目よ。

私やお父様、それに皆だって、あなたが怪我をしてしまう所なんて見たくないわ」

 

「……だって、お姉様。

私だってスカーレット家の者なのに、情けないわ。

何も見えないから、食事も、歩く事すらも碌に出来ない。

私が見る事が出来るのは、変なきらきらとした光だけだわ」

 

俯くフランの頭を撫でながら、レミリアはフランを慰める。

 

「スカーレット家の名を誇るのなら、まずは己を乏しめるのを止めなさい。

それに、そのきらきらとした光だって、何か物凄い物なのかもしれないってパチェが言ってたわよ?」

 

「……本当?」

 

「本当よ。

そのきらきらとした光って、生き物にしか見えないんでしょう?」

 

「うん。

だから、お姉様は私を此処に留めてるんじゃない。

生き物の事は解るけど、生きていない物の事は解らないから。

だから、転んだりしたら危ないから、って」

 

「ええ、そうよ」

 

「……あ、でもお姉様。

ならなんで、今日も持って来てくれた、お姉様が最近くれるお人形の事は解るのかしら?

最初は生きてるのかなって思ったけど、他のお人形と同じように、触ってもふわふわしてるだけで動かないわ。

もしかして、外には人形みたいな手触りの生き物が居るの?」

 

「いいえ、違うわ。

嘘偽り無く、あなたにあげている物は人形よ。

今日持って来たこれで三体目ね。

……このお人形は、特殊な方法で作ってるみたいなのよ。

ほら、時々フランの血を採ったりした時、有ったでしょ?」

 

「ありがとう、お姉様。

うん、何で血なんか採るんだろう、って思ってたけれど。

……あ、もしかして?」

 

人形を受け取ったフランの閃きを肯定するように、レミリアは頷く。

 

「そうよ、この人形を作ってる人形師は、フランの血を人形作成に使ってるみたいね。

フランに見えるその光は、生き物を構成する一つである血にも含まれてるらしいから、だから人形をフランが認識出来るんじゃないか?

……って、パチェが言ってたわ」

 

「……でも、お姉様。

幾らこの光が実際に存在していて、私にしか見えない上に物凄い物だったとしても、他人に見えない物が見えるのは狂人以外の何物でも無いじゃない」

 

「……こんな光よりも、お姉様の顔が見たいわ。

お姉様が言う、お父様のしかめっ面が見たいわ。

狼男の、顔の厳つさに似合わない笑みが見たいわ」

 

「こんなものが見える眼より、ただ当たり前の、皆を見る事が出来る眼が欲しかった……」

 

フランの呟きに対して、すぐに返せる言葉をレミリアは持っていなかった。

フランに気付かれぬよう唇を噛み、すぐに唇から血が滴る。

 

レミリアは何かを決意したように、フランに呟いた。

 

「……大丈夫よ、フラン。

その内に、あなたの眼は見えるようになる。

そして、どれだけ辛い事が有っても、私は隣に居るわ」

 

「……お姉様、気休めなんて要らないわ。

それよりも、何か面白い事は有った?」

 

「……気休めでは、無いのだけどね。

ええ、有ったわよ。

それも、飛び切りの物がね」

 

そう言って、レミリアは今夜屋敷に訪れた、二人の奇特な訪問者の事を話した。

人形屋での大立ち回り、新しく己の部下となった者の素っ頓狂な物言い、レミリアの仕組んだ二人の決闘騒ぎ。

そのどれもにフランは心躍らせ、手に汗を握らせる。

 

「……ああ、なんで私はその場に居て、見る事が出来なかったのかしら!

その燕尾服の人も、舌が無くて喋られないなんて、少し親近感が湧いちゃうわ。

……あれ? お姉様。

その……美鈴? はお酒を皆と呑んでるのは解ったし、燕尾服の人がお父様と一緒にコレクションを見てるのも解ったわ。

でもなんで、お姉様は此処に居るの?」

 

「ええ、フランにお人形を渡さなきゃって事で、お父様の部屋に着いてすぐに部屋を出たのよ」

 

「そうなんだ。

お姉様、私の事は気にしないで、コレクションを見てても良かったのよ?」

 

「そう言う訳にはいかないわ。

あなたには出来るだけ早く人形を渡したかったし、正直言って、コレクションにはあまり興味が無いの」

 

「? だって、お姉様が提案したんでしょ?

なのに興味が無かったなんて、変なお姉様。

……でもそうなると、燕尾服の人とお父様は、二人っきりでコレクションを見てるのね。

一体どういう風に見てるのかしら?」

 

「そうねぇ。

今頃、コレクションを見るどころじゃないんじゃない?」

 

そう言って、レミリアは頬を吊り上げて笑う。

その表情は、これ以上なく愉悦に満ちていた。

 

 

アルカードの自室。

 

その空気は、重い。

 

何故ならば、騎士とアルカードが二人きりで、対面しているからである。

無論、会話など無い。

それどころか、決闘最中で双方共に盾を構えて様子を伺いでもしているような緊張感さえ漂っている。

 

双方共に敵意は無いというのに、修羅場の如き緊迫感が部屋を包み込む様は、この状況を引き起こしたレミリアが見れば抱腹絶倒已む無しだっただろう。

 

騎士は重々しい空気に晒されながら、居なくなってしまったレミリアに対して呪詛を吐く。

 

……この男と己が二人きりになれば、こうなるのは解り切っていただろうに。

一体何を考えて、彼と己を二人きりにしたのだ。

 

アルカードが、机からちらちらと見え隠れさせる右手を衝動的にしゃくり上げようとする。

それは彼の酒を呑む時の仕草であったが、生憎彼は酒瓶を狼男に預けたままだった。

 

この動作を見ても、己も彼も、この雰囲気に耐え切れていない筈なのだ。

 

だが、場の空気という強者に、言葉が喋られぬ者と口数が少ない者が相対した所でその勝機を数えるなど無駄という物。

 

しばしの間、彼ら二人は場の空気という強者の思うがままに、精神を虐げられる他無かった。

 

じっとりと、汗をかく。

見れば、アルカードもその頬に光る物が見える。

 

空気が己の精神を滅多刺しにしているのを耐えながら、ふと騎士は思う。

 

……己は、何をやっているのだろう。

 

ただ己の収集品を出すだけではないか、何でこんな風に空気に虐げられねばならないのか。

 

正しく空気に呑まれていた騎士は、正気を取り戻す。

 

阿呆らしい。

これをレミリアが想定して場を仕組んだのならば、吸血鬼と言うよりは小悪魔と言った方が適切だ。

十中八九、愉快犯なのだろうから性質が悪い。

 

正気を取り戻してみれば、場の空気という物は何ら脅威でも何でもなかった。

緊張感漂う場の空気を無視しながら、騎士はアルカードの机へと歩み寄る。

 

騎士の行動によって緊張感が砕け散り、アルカードも息を付いた。

そして威厳を持った声音で場の空気を仕切り直そうとする。

 

「……さて、それではどのようなコレクションを見せてくれるのかな、お客人?」

 

騎士も己が壊した場の空気を取り繕うべく大袈裟に礼をし、その手に竜由来の品を取り出していく。

 

まずは竜骨の拳、次にプリシラの短剣、飛竜の剣、黒竜の直剣、ロードランとドラングレイグ双方の黒竜の大剣……。

 

骨を丸ごと加工した手甲に流麗な容貌の短剣、竜の鱗や尾を模したような片刃剣など、次々と騎士が竜にまつわる物を出していく。

それに、アルカードはストップをかけた。

 

「……待て」

 

どうしたのだろうか。

 

訝しみながら、竜由来の物を出す事を一旦止める騎士。

アルカードは理由を問う騎士の視線に何も答えず、床に置かれていた竜由来の物を指す。

 

床は様々な武具の重さに、軋みを上げていた。

それもただ軋んでいるのではない。

耐えられずに床板が圧し折れる様が易々と想像出来るほどに、その軋みは少しずつ音を大きくしていっている。

 

「……後どれくらいあるのか私には解らんが、少なくともこのままなら床が抜ける事は解る」

 

「場所を移動しよう。

図書館ならば、大量の本棚に耐える為に幾らか備えをしてある」

 

騎士はその提案に頷きながら、床が抜けぬよう恐る恐る床に置いた武具を拾うのであった。

 

 

重く、巨大な鉄扉。

 

それを開けた騎士とアルカードを、甘やかさの中にむせ返ってしまうような、古書独特の香りが熱烈に出迎えた。

 

壁と現した方が適当なほどに立ち並んだ本棚、その中には紙一枚差し挟む間すら無いほどにぎちぎちと本が詰め込まれている。

 

本を読む側の利便性という物をかなぐり捨てたとしか思えないほどに、本棚と本棚の間は狭い。

無論本棚の横にはまた本棚があり、信じられない事に本棚の"上"にも本棚が積まれている。

縦へと積まれた本棚は、額と顎が平行になるほどに見上げてようやく見えるほどに高い天井にまで届いている。

 

これ以上本が入る余地など無い、と確信を持てるほどに所狭しと並べられた本の山。

その狭さは、本を読む者を当然のように否定する。

 

本来創造主であり、読むという存在意義を与えるはずの人を退ける。

そこは正に本だけの世界であった。

 

「……確かに自由に使っていいとも言ったが。

偏見を抜きにしても、魔女という類の者は常識という物が無いらしい」

 

アルカードは大きくため息をつき、騎士は、先ほどからこの男のため息ばかりを聞いているな、と独りごちる。

見た目に似合わず苦労性なのだろうか。

否、苦労性と言うよりは、見た目通りの神経質なのだろう。

 

アルカードは騎士を先導するように前に立ち、まず確実に人が通れないであろう本棚の間を、何とかして通ろうとする。

しかし、やはり通れない事など百も承知らしく、数秒もしない内に通ろうと試行錯誤していたのであろう、忙しなく動いていた手の動きを止める。

そして苛立たしげに本棚を指で何度か叩き、ついにアルカードは大声を上げた。

 

「パチュリ―・ノーレッジ!

せめて人が通れるだけの間は確保しておけ!」

 

対峙する者が有れば気力を殺ぎ落とされるであろう迫力の声は、しかし無数の本棚に阻まれ響く事は無い。

 

だが、届く事には届いたのだろう。

 

本棚一つ一つが、まるで生きているかのごとく、自ら壁へと限界まで近寄る。

それぞれの本棚の間に有った微小な間は、しかし無数に立ち並ぶ本棚達が押しやられた為に、

騎士たちが図書館の奥へと歩を進めるには過不足無い程度の通路に変わる。

 

そして視界を塞ぐ本棚が皆脇へと退いた為に、その先に居る者の姿も見れるようになった。

 

紫色の髪を垂れ流す、寝巻を着た少女であった。

しかし、その少女……パチュリ―・ノーレッジの容貌の全容が解ったのは、彼女に大分近づいてからである。

というのも、パチュリ―の周りには、本棚にすら入らずに積み上げられた本の山が乱立しており、その姿すら碌に見える事が無かった為だ。

 

パチュリ―はその手に持った本の頁を凄まじい速さで捲りながら、こちらを一瞥する事すら無く呟く。

 

「……何の用?」

 

その無体な対応にアルカードは一つ溜息を付きながら、諦めたように頭を振り要件を話す。

 

「多少開けた場所が要る。

その為にここを使いたい。

……だから、せめてここら一帯の本の山をどうにかしろ」

 

「……何でまた、此処を使う必要が有るのかしら?

玄関ホールとか、他にも山ほど使える場所は有るでしょう」

 

「この客人が竜にまつわる様々な物品を持っているらしくてな。

見せて貰う事になった。

一度は私の部屋で見せて貰おうとしたが、量と重さに床板が耐えられそうも無かった」

 

「だから、耐重を施しているここを使おうとした、と。

だけど、竜なんてきょうび珍しいを通り越して、

それこそ伝承でしかいないような存在の代物の物品?

騙されてるだけじゃないの?」

 

「嘘は嘘で楽しむ余地は有る。

それに、一部しか見てはいないが、とても偽物には見えん」

 

「ふぅん」

 

パチュリ―は、そこで初めて本から眼を離した。

彼女の傍らにある、パチュリ―の腰程度の高さの本の山に、読んでいた本を置く。

すると、積み上げられた本の山は、それぞれが独りでに壁際の本棚の元へと飛んで行った。

飛んで行った本たちは、壁際の本棚もぎちぎちに本が詰められているというのに、その前に先ほどのように積み上げられていった。

 

「邪魔をされるのは癪だけど。

家主の命なら、従わない訳にはいかないわね。

……ねぇ、その品々が偽物だったら、その嘘吐きの身柄を貰ってもいい?

人体実験、したかったのよね」

 

「私の客人では無い、レミリアの客人だ。

訊くべきなのは私では無い」

 

「あらそう。

だけど、彼じゃないにしてもそろそろ人体実験はしたいわ。

件の妹様の見える光、その存在の立証と解明の為にね」

 

「そうか。

では、狼男にでも伝えておけ。

私の名前を使って、好きにやればいい。

金も労力も、使いたければどれだけ使っても構わん」

 

「自分で伝えろ、って?

あなた、実務は狼男に、顔役はレミィに任せきりなのだから、それぐらいしても良いでしょう?

本当、若隠居は羨ましいわね」

 

「……別に若くなど無い」

 

「吸血鬼に老いも糞も無いでしょう。

……さあ、見せるなら見せるでさっさとしてくれない?」

 

世間話と聞き流し、適当に積まれてある本を開こうとした騎士に釘を刺すように、鋭い語句で騎士へとパチュリ―は言い放った。

騎士は決まり悪げに開こうとした本を戻し、許可を求めるべく辺りを見渡す。

アルカードは構わん、とでも言うが如く頷き、パチュリ―は早くしろ、と言わんばかりに元より細めている眼を、更に糸ほどまでに細める。

 

騎士は辺りに十分な広さが確保されている事を今一度確認してから、二の轍を踏まぬように今度は一つ一つ、床板の様子を確認しながら武具を取り出し始めた。

 

流麗で凝った装飾のされた短剣、プリシラの短剣。

半竜であり、禁忌とされて絵画の中の世界に閉じ込められていたプリシラ。

その彼女の持つ力、生命狩りの力が備わっている。

 

と、取り出す物品の名称や来歴を頭で諳んじてみるが、言葉を喋られぬ者では手慰みにしかならず。

結局、図書館からは騎士が取り出した武具や物品が床に置かれる音しか響く事は無かった。

 

これでいいのだろうか、と騎士は次々と竜にまつわる武具を取り出しながらも考えていた。

貴族間でよくある名品・珍品の見せ合いなどは、それらの来歴などを事細かに自慢するのが常である、と思っている。

無論これは騎士の勝手な偏見に過ぎないのだが、やはりそう言った類の事は必要ではないだろうか、という疑念が頭を離れない。

 

無論騎士にそこまでして楽しませねばならないほどの借りなど無いのだが、どうせ見せるのならば楽しんでもらいたい物だ。

 

物品を一つ取り出し、床の軋みを慮りながら物を置く。

幾らここが耐荷重対策を立てているのだとしても、先ほどの崩れかねなかった床を思うと、気を付けずにはいられない。

 

更に言うならば、アルカードの自室の床が軋みを上げた物品は数こそ置きはしたが、総重量で言えば全体で言えば大した事は無いのだ。

古竜の大剣と同じかそれに匹敵する重さの物は数品ある上に、竜を使った品以外にも竜に関わる物ならばそれなりにあるのだから。

 

古竜の大剣、竜王の大斧、大竜牙。

アルカードの自室ならば、この三つだけで確実に床が抜ける重量を持つ三品の位置関係をようやく決め置き、視線を上げた。

 

まず眼についたのは、爛々と光り輝くパチュリ―の瞳である。

音も無く多種多様な魔方陣を……そうと思ったのは、一重にその魔方陣の形がそれぞれ違っていたからでしか無い……光り輝かせながら、

その魔方陣にも負けぬ程に爛々と瞳を輝かせているのだ。

 

恐らくは己の出した物品が本物なのか調べているのだろうが、それにしてもその眼の輝きようは尋常では無い。

刻一刻とその瞳の輝きと口角の攣りあがりようが酷くなっていく。

その様は傍らで様子を見ているアルカードが、無意識に一歩退くほどであった。

 

騎士としては、ドラングレイグやロードランで出会った魔術師を思い浮かべる光景であった。

どうやら知を求める類の輩は、何処に行こうと変わる事は無いらしい。

 

幾多の魔方陣が、現れては消え、消えては現れる。

その間、騎士もアルカードも身動ぎ出来なかったのは、やはりパチュリ―の威圧感に依る物だろう。

 

そのように気圧されているのだ、突然全ての魔方陣を消してこちらを凝視し始めたパチュリ―に騎士が一種の恐怖を覚えるのは、無理も無い話であった。

 

「……あんた」

 

びくり、と騎士が一歩退く。

パチュリ―は気圧されている騎士を舐るように見つめながら問う。

 

「少なくとも、嘘吐きでは無いらしいわね」

 

「パチュリ―・ノーレッジ。

つまりそれは」

 

「ええそうよ、皆全部本物ね。

それも、所謂ワイバーンから神話級の竜まで、寒気がするほど多種多様で貴重な物ばかり。

神秘的な価値で言えば、多分今この場に有る物だけで軽く小国は買えるわ。

それ位規格外な代物ばかりね」

 

そうか、と一言言い捨て、アルカードは興味深げに足元に有る様々な竜の品々を触る。

それは確かに竜に関する相当な興味故の行動だろう。

だが明らかにパチュリ―の方を見ようとしないのは、瞳を爛々と輝かせているパチュリ―に関わりたくないからか。

 

己とて、知的好奇心を剥き出しにした魔術師と関わり合いになりたくは無い。

だが、最早手遅れなのだ、とこちらを見つめているパチュリ―の瞳が声高に叫んでいた。

 

「それで、そんな規格外な代物をあなたは……いったい何者なのかしら。

私、とても気になるのよ。

ええ、本当に、妹様の光の事と同じぐらい、好奇心がくすぐられてるのよ……解る?」

 

先ほど展開させていた魔方陣よりも更に多く、大きい魔方陣がパチュリ―の周囲に現れる。

 

「ええ、解るわ。

多分そうなるだろうとは思ってたもの」

 

「……レミィ」

 

パチュリ―のねめつける様な視線が騎士から逸れる。

騎士の背後には、金髪の少女を背負ったレミリアが居た。

ずり落ち掛けた少女を背負い直しながら、レミリアはパチュリ―に軽く手を振る。

 

「はぁいパチェ。

予想通り、淑女らしくない"お話"をしようとしてたみたいね。

私、あなたのそういう魔女らしからぬ暴力的な物の考え方、嫌いじゃないわ。

嫌いじゃないけど、彼、一応私の客人なのよね。

"そういうの"、止めてくれない?」

 

「あら、私以上に魔女らしい魔女もそう居ないわよ?

ただ、あなたやアルカード、それに彼を相手取るリスクに見合うメリットが有ると思っただけ」

 

「へぇ、パチェが其処まで言うなんて、珍しいわね。

ま、そんな事しなくても大丈夫よ。

彼には本を書いてもらうつもりだから、書く為に逗留してる間に好きなだけ聞けばいいでしょ?」

 

「そうは言うけどね。

彼が素直に教えてくれるとでも?

情報には対価が要る。

けれど本物の竜の素材を使った武具を無数に手に入れる相手に提示できる対価なんて、流石に無いわよ」

 

「有るわよ。

彼、唖なのよね。

だから本を書かせる事になったんだけど、その為に彼の知ってる言葉を翻訳しなければならない訳」

 

「……つまり、私に訳せ、って?」

 

「そう言う事。

本が出来なきゃ此処に居れないから、彼はあなたの言う事を聞かないと駄目って訳。

完璧な理論でしょ?」

 

「そんな無茶苦茶な理屈、通ると思って?

そもそも彼がここに逗留しないと決めれば、それでその完璧な理論とやらは崩れ去る訳だけど」

 

「大丈夫よ。

"見えたから"」

 

「……あらそう。

なら大丈夫ね」

 

あれだけ細かくレミリアの理論の穴を突いていたパチュリ―は、レミリアのその一言だけで大人しくなった。

そもそも本人の目の前で足元を見るなと言いたくは有るが、世話になる事も事実ではある。

己にも利益があるのならば、特に異議を唱える必要は無いだろう。

 

それよりも気にかかるのは、レミリアが背負っている少女の事である。

レミリアとは対照的に物静かな少女は、不安気に周囲を見渡していた。

 

少女が周りを見渡し、その身動ぎを感じたか、レミリアは少女に声を掛ける。

 

「どうしたのフラン?」

 

「えっと、お姉様?

お客様が居るの、よね?」

 

「ええそうよ、件の燕尾服。

それがどうかしたの?」

 

「えっと……そこの、ゆらゆらって揺れてる……?」

 

そう言って、フランが騎士の方を見つめる。

だが、その視線はしっかりと己を捉え切れていない。

 

……もしや、フランは盲目なのだろうか?

否、盲目ならば己の居場所を認識できるはずが有るまい。

己は喋られないのだから。

 

レミリアは、騎士とは別の所に疑問を抱いたらしい。

眉をひそめ、フランに問いかける。

 

「……フラン、彼に見えるのは、件の光じゃないの?」

 

「いいえお姉様、違うわ。

なんだか、手をかざすと暖かそうで、でもね、その周りが暗いのよ」

 

「あら、興味深い事言うのね、妹様。

普通を定義するだけのデータも無いけれど、少なくとも今の所彼は例外、イレギュラー、って事になるのね」

 

「イレギュラーねぇ。

フラン、何か彼にしたい事でもあるかしら?

この際だから、色々試してみればいいわ。

"眼も、良くなるかもしれないわよ?"」

 

「え、でも、お姉様。

この方はお客人なんでしょう?

失礼じゃないかしら」

 

「失礼な訳無いじゃない。

ねぇ?」

 

レミリアに問われた騎士は、一呼吸おいてから頷いた。

 

フランが見ている物。

それは、始まりの火では無いだろうか。

騎士はそう直感していた。

 

ソウルとは、根源の力である。

それ故に、それに関わる力は多岐に及ぶ。

 

騎士自身は、ソウルへの才は皆無と言っていい。

肉体や魔力はソウルによって限界まで鍛え上げる事が出来たが、当のソウルの扱いについては鍛える事は出来なかった。

ソウルへの才を、ソウルによって鍛えるという事など出来るはずも無い。

今の騎士のソウルに関する技量は、純粋に長い旅路においてある程度熟練したが故の結果である。

故に、その道に長けた者からすれば赤子のような物だ。

 

例えばこれまでこの世界で出会った、様々な妖物達。

彼らの持った特殊能力も、恐らくはソウルに依る物なのだろう。

 

依姫や豊姫から、己の腕を見極める為に襲撃された時。

あの時に己が使った深い沈黙。

あれで、自らの能力が使えなかった、と依姫や豊姫は言っていた。

あれはソウルに関わる魔法の発動を阻害する物である。

深い沈黙で能力が使えなくなったのならば、それは能力という物がソウルに依って成せる物だという証明になりはしないだろうか。

 

レミリアは、件の光こそがフランの何時も見えている物だ、と言った。

それはソウルの光なのだ、と思えば説明はつく。

そして生物の中にあるソウルの光が見えるほどに鋭敏な感覚を持っているのならば、己の中の始まりの火が見えるのも納得がいく。

 

レミリアから助けを受けながら己へと歩み寄るフランを見て、騎士は彼女の見えている、光とゆらゆらとしている物への考察を終わらせた。

一先ずは危険な彼女の歩みを一歩でも少なくする為に、こちらからも近づかねばなるまい。

 

腰を降ろして、フランを抱き留める。

フランは先ほどの危うい足取りが嘘のように、己の瞳をじいと見つめている。

 

どれだけ経っただろうか。

 

その光の無い瞳に、己の瞳の中の火が反射して映った。

少しずつ、少しずつ、眼球が光を受け止める事を思い出すように、彼女の瞳は光を蓄えていく。

 

陶然とした表情を浮かべて見つめていたフランは、ふと我を取り戻したように辺りを見渡した。

 

「……あれ?」

 

フランは先ほどとは違い、しっかりとした眼で騎士、レミリア、アルカード、パチュリ―を見やった。

 

「何だか、急に眩しくなったわ。

お姉様、これってどういう事なのかしら?」

 

フランのその問いは、アルカードの不器用な抱擁の前に掻き消された。

 

 

フランにとっては、その日は夢のような日であった。

お姉様の顔も、お父様のしかめっ面も、狼男の顔の厳つさに似合わない笑みも、全てを見る事が出来た。

自分の治癒を祝って、屋敷の全ての者が我を忘れるほど飲み食いしていた。

それが、とても嬉しかった。

 

死屍累々となった玄関ホールは、実に酒臭かった。

そんな中、酒精に溺れていなかったのは、フランとレミリアの二人だけであった。

 

「……フラン。

だから言ったでしょ、見えるようになる、って」

 

「うん、まさか本当に見えるようになるなんて、想像もしてなかった。

お姉様の言ってた運命が見える力、嘘じゃなかったのね」

 

「いつも言ってるじゃない、私は嘘をつかないって。

吸血鬼だけど、同時に悪魔なのよ? 私」

 

「うん……」

 

「ねえ、お姉様。

私、今日で望んでた、全ての事が叶っちゃった」

 

「あら、良かったじゃない。

けど、もっと貪欲に行きましょ?

色々見て、もっと色々な望みを持つのよ。

そうすれば生きるの楽しいから。 私みたいにね」

 

「うん……。

ねえ、お姉様。

私ね」

 

「もっと変な物が見えるようになっちゃったの」

 

夜は明けようとしていた。

夜明け前の最も暗い時間が、世界を包み込む。

 

だが窓の無い紅魔館では、それを知る者はどこにもいなかった。


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