東方闇魂録   作:メラニズム

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クリスマス。

眼が見える状態で、初めて体験するお祭り騒ぎ。
可愛らしいケーキも、皆の顔も、あの優しくて喋られないおじさんも皆いるクリスマス。

それを、フランはうきうきした気持ちで待ち望んでいたのだ。

だというのに、その直前になっておじさんが怪我をしてしまった。

酷い、あんまりにも酷い怪我。
首に深く切り傷が出来、そこから噴き出した血が廊下中に飛び散っていた。

フランが見たのは、最早その血が黒ずむほどに時間が経ってからだった。

そして、その時。
フランは、眼が見えるようになってから久しく見ていなかった、あの"白緑の光"を見たのだ。

パチュリ―の考察を聞いていたから、あの光は生き物が死んだりしてから時間が経つと消えて行くのだろう、という事は知っていた。
体の一部ですら無い血であり、更に黒ずむほどに時間が経っていたおじさんの血には、見えないはずだったのだ。

だと言うのに。

フランが見た時、真紅の廊下は白緑でいっぱいだった。

お姉様も、お父様ですらここまで強烈に見える事が無かったほどにまばゆい光。

その光は、眼が見えなかった時よりも魅力的に見えた。

どんな感動的な物語よりも真に迫るほどに強烈な"命"を感じた。

おじさまには恩が有る。
恩が有るし、優しくて大好きだ。
おじさまを傷つけた奴への報復をするのだ、と聞いても、胸が空くような気持ちすらした。
凄惨に血が染みついた廊下を見て、これ以上なく心配になりもした。

だというのに、"もしもおじさまが死んだら、もっとまばゆい光が見えるのだろうか"と言う考えが、頻繁に頭を過って仕方がない。

私はどうしてしまったのだろう。
頭ではいけない事だと解っていても、どうしても考えてしまう。

もしかしたら、これこそが"狂気"と言う奴なのかもしれない。

フランは、おじさまに会いたくない、と初めて思った。
地下の、暗い自室のベッドに横たわり、枕に顔を埋める。

会ってしまったら、私は……。

踏み込んだら帰れない、狂気への一方通行に、足を踏み入れてしまう気がするのだ。



第二十六話

「……と、言う訳で。

お客人に危害を加えた輩への報復は、御当主やお嬢様の体裁を考えると、必要不可欠な事なのです」

 

騎士は、白く細い体つきの男が懇切丁寧に語る"報復の必要性"についての言い分にぐうの音も出ず、首を縦に振る他なかった。

 

この華奢な体つきの男は、狼男である。

この屋敷で最も驚いた事の一つは、この男の満月の時とそうで無い時の姿のギャップであった。

 

西洋辺りの、成金の息子の御坊ちゃん、と言われれば納得がいくその姿は、獣臭溢れる精悍な体つきの満月時の狼男の姿とは、似ても似つかなかったのだ。

彼のような余りにも姿見の変わり方の激しい者が居るという前提があったので、かの銀髪の少女の嘯いていたような事情の者もいるだろう、と騎士は思っていた。

最も、その言い分はとても通じる様な物では無い、という事は騎士自身理解している物ではあったが。

 

騎士は、彼に報復する事を止めるように言いに来ていた。

 

あの少女は、暗殺に失敗したのだ。

後七日もすれば、己はこの屋敷を出ていく。

仮に二度目の暗殺者が放たれるにしても、七日もしない内に来るというのは考え辛い。

仮に報復などしたところで、何日もせずに居なくなってしまう者の安全を確保しても意味は無いに等しい。

 

そう思い、この屋敷の実務担当である狼男に、直談判しに来たのだ。

だが騎士の談判は、上に立つ者の面子、というもっともな理由によりあえなく粉砕された。

 

「お客人、あなたが後一週間もすればこの屋敷を出ていくという事は承知致しました。

ですが、最早暗殺者自体の情報や、その少女を放った者の調査、それに各所への根回しも終ろうとしています。

暗殺者の能力など、防備を抜けて不意打ちされても仕方がなかった事情は皆に周知してはいますが、このままやられっ放しならば、その鬱憤が美鈴さんに向かないとも限りません。

此処で止めてしまうというのは、我々にとっても不都合なのですよ」

 

狼男は、満月の時よりも格段に高い声音で朗々と説明する。

 

その声の高さに引かれるように、その物言いも高潔かつ若々しい物へと変化していた。

満月時には、彼の体は相当な変化が行われるようだ、と彼の説明を聞きながら思う。

 

上海。

その地では所謂秘密結社……犯罪組織とも言える存在が深く根を張り、大きな力を持っている、という事は騎士も知っている。

狼男曰く、立場的に些細な人物を暗殺する事による大規模抗争をある程度抑止する為、暗殺者と依頼者とを仲立ちする組織があるそうだ。

 

組織の方で暗殺の内訳を把握し、いざこざが起こればその情報を元に暗殺者と依頼者を特定してトカゲの尻尾切りを行う。

大規模な組織はそれぞれが仲立ち組織に融資し、互いの少々の"粗相"を御目こぼしする、という仕組みである。

その組織に所属していない者が独自に暗殺を行えば、御目こぼしの為にその者こそが暗殺される事になるのだ。

 

無論大規模な組織に所属していない者も所属しており、個々人の些細な憎悪を発散させるための機関としても成り立っている。

 

故に、暗殺者の類はその組織に登録して暗殺業をするのが無難である為に、手慣れた手つきで暗殺を遂行しようとしていた件の少女も所属しているはずであり。

同時に、その暗殺を指示した者も、その組織の情報から特定できるであろう、と。

 

探るべき情報源が特定できているので、後一日もすれば、やるべき事は全て終わり、後は"報復"を成すだけだ、と狼男は言う。

 

「……と、言う訳ですので。

さほど日数も掛かりませんので、事が終わるまではここを去らないようにお願いいたします。

後、外出も控えて頂ければ幸いです。

不意打ちされた為に後れを取ったという事は解っていますが、こうした事態の後では、こちらとしましては一人で歩かれると生きた心地がしませんので」

 

騎士としては、解った、と頷く他無かった。

なにせ、彼らは己の身を案じてくれているのである。

元より滞在している間は外に用事は無いが、尚の事外を出ない様にしよう、と騎士は狼男に誓った。

 

その言葉を聞いて、狼男は安心したように息を付く。

 

「いや、頷いてくれて助かりました。

これで否と言われていたら、私もそれなりの事をしなければなりませんでしたから」

 

そう言って、狼男は懐から回転式拳銃を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

つくづくこの男は固定観念と言う物を崩してくれるものだ、と騎士は思う。

 

膂力に長ける、獣混じりの妖怪なのだ。

てっきり、こういった機械仕掛けの武具は用いない物だと思っていた。

 

騎士の思う所を察したか、狼男は苦笑する。

 

「……意外ですか?

確かに私の、狼男としてのイメージには合わないかもしれませんね」

 

狼男はそこで言葉を切ると、回転式拳銃の弾薬をつまみ、騎士に見せる。

 

「ですが、実に非効率ではありませんか。

例え鉄鎧ごと人を殴り殺せる力があったとしても、鎧を纏った人を殺すだけならこの小さな弾が、十二分に役目を果たしてくれます。

しかも、腕が何本あっても届かないぐらい遠くから、ね」

 

そう言うと、狼男はつまみ上げていた弾薬をまたテーブルに置き、今度は懐から金貨を取り出した。

 

「もっと遠くから、同じように人を殺すことが出来るのが、金です。

こいつを必要なだけ用意して「誰それをやれ」と言って渡せば、後は何もせずとも殺したい人は死んでいます。

最も、例外も居ますがね」

 

口元に笑みを浮かべながら、狼男は騎士を見やる。

 

「個人の手で行える事には、限界が有ります。

剣や拳よりも銃が、銃よりも金が。

それぞれが人を殺せますが、しかしその射程には限界がある。

世の中を妖怪よりも人が大手を振って歩いているのは、妖怪が殺す事に必要以上に力を入れている間、人間は殺傷力と射程のバランスを取っていた。

それだけなのだと、私は思っています」

 

狼男はテーブルの上に置いてあった、弾薬が一発も入っていない回転式拳銃を取り出した。

そしてテーブルの上に広がっていた六発の弾薬を、手慣れた手つきで装填していく。

 

全てを装填し、回転式弾倉を銃身に戻し、しかし安全装置は外さずに指掛けに人差し指を通して拳銃を回す。

 

「そう、それだけだと思っています。

なので、人もどきとして生まれた私は、この効率と実用性を兼ね備えた銃と言う物が大好きなんですよ。

人で無いのなら、人と対等に渡り合えればいい、とね。

人で無かろうと、人のように生き、人のように学び、人のように殺す。

それこそが、私の信条なんです」

 

誇らしげに、回転式拳銃の銃身を狼男はその白く細い指先で愛でる。

しばしの間、騎士の存在を忘れたかのように銃を愛で続け、ふと騎士が未だいる事に気が付く。

 

「……あー、申しわけありません。

……銃、試し撃ちでも、してみますか?」

 

顔を赤めらせ、取り繕うようなその誘いに、騎士は首を縦に振った。

 

「ああ、そうですか!

では、そうですね、室内ですので威力の弱い……そうですね、コリブリ2.7mm拳銃でも……」

 

結果として、騎士は1m先の標的にも当てる事が出来ないほどに銃の才能が無い事が露見した。

しかし、何時もの冷静な彼からは想像できないほど嬉しそうに騎士を指導する狼男の姿に、無駄な時間では無かったのだ、と感じた。

 

 

「……あら、無事だったみたいね。

私も、魔術的に死体漁りをする必要が無くて助かったわ」

 

眼に痛いほどに赤々としている内装は、慣れれば温かみも感じる。

だがその温かみを感じないほどに、パチュリ―の声色は冷え冷えとしたものだった。

 

しかし、彼女が本当に興味が無いのだとすれば、こちらを気にする事無く本を読み続けているはずである。

わざわざ本を読むのを止め、こちらに向き直るパチュリ―は、その声色を補って余りあるほど暖かく感じられた。

 

「……あなたも来たのね、レミィ。

しばらく顔を出さなかったじゃない」

 

「ま、ちょっとね。

……さて、聞いたわよ、一週間後にはここを出るんですって?」

 

「……はぁ!?」

 

レミリアが言い放った事実に、パチュリ―は驚愕した。

パチュリ―は騎士をぐっと睨み、問い詰める。

 

「……どういう事よ。

あなた、此処に逗留するつもりでここに来たんでしょう?

たった半月で発つのなんて、それは鳥が止まり木に留まった程度のものでしかないじゃない」

 

「ま、そこら辺は彼自身が決めた事よ、口出しするべきことじゃあないわ。

それよりも、ね。

"問題の答え"、捜すのを忘れていないかしら?」

 

レミリアに問われ、騎士は少しばかり考え込む。

そして、少しばかりの間の後に彼女の言う"問題"に思い至った。

 

その様子を見て、レミリアは眉をひそめながら問題を問い直す。

 

「もしかして、本当に忘れちゃった?

なら言い直すけど、要するに私のお父様の抱える謎について、よ。

多少のヒントは出してたけど……それでも、まだ不十分かしら?」

 

レミリアのその言葉に、騎士は頷いた。

階段の手摺りにヒントが有る、という事は教えて貰ったが、流石にそれだけでは答えを出せるかどうかとなると少しばかり不安が残る。

 

騎士の肯定に頷きで持って返し、レミリアはヒントを出した。

 

「じゃあ、ヒントね。

私のお父様の名前、アルカード。

その綴りを見れば、幾らなんでも解るでしょ?

各国の歴史とかを調べていたあなたなら、ね」

 

「あら、レミィ。

それはヒントじゃないわ、答えを言っている物よ」

 

「あら、そうかしら?

ま、いいじゃない、それでも。

真実を知らないまま立ち去るっていうのも、胸の空かない話じゃない?

……さあ、さっさと真実を探しに行きなさい。

今、あなたの前には真実が服脱いでベッドの上で待ってるような物なのよ?

此処で行かなきゃ男じゃないわ」

 

騎士は、レミリアに後押しされるままに図書館を後にした。

 

「……良かったの?

仮にも、彼は部外者だと言うのに。

役の揃っていないカードみたいなものよ、出すだけ損をするだけだわ」

 

「部外者だから、よ。

部外者はカードのジョーカーみたいなもの。

何にだってなれるわ。

どんな役だって作れる」

 

「でも、ジョーカーが一人居ただけでは、役は揃わないわ。

ジョーカー一枚だけで、あなたは賭けるつもり?」

 

「あら、パチェ。

あなた、一つ忘れてるわよ」

 

「あら、何かしら、レミィ」

 

「私がいつ、まともに賭けをやってるって言ったかしら?

生憎、私は現実主義者なのよ。

"イカサマ"していない訳が無いでしょう?」

 

「……ああ、そうだったわね。

忘れていたわ、あなたの"能力"」

 

「……役者は揃って、台本も渡された。

後は劇を眺めるだけよ。

それが、悲劇だろうと喜劇だろうと」

 

「でも、あなたは知っているのでしょう?

これから起こる劇が、どんな物なのか」

 

「知っているわ。

だけど、知ってた? パチェ。

人生に、良いも悪いも無いのよ。

世界にはハッピーエンドもバッドエンドも無いの。

あるのは、当たり前が当たり前のように重なった、トゥルーエンドだけなのよ」

 

 

日は落ちていた。

 

降り積もる雪が世界を冷やしている。

 

そして、紅魔館に唯一備え付けてある窓もその寒さからは逃れ得ず、透明な硝子を白く濁らせていた。

 

白く濁った硝子を通して月明りがその白さを増し、紅く彩られている階段の踊り場が白く染まっている。

その階段の手摺り、その前に騎士はいた。

 

手摺りを触る。

そして、少し力を入れてみる。

 

手摺りを手前に引っ張ってみた時、はめ込まれていた物が抜ける様な音と感覚が騎士の手を伝う。

 

「……何を、やっている?」

 

その時、騎士の頭上より声が響いて来た。

騎士は声の方を見上げる。

 

階段を登り切った所に、アルカードが立っていた。

アルカードは、仕込まれていた"仕掛け"に騎士が手を伸ばしているのに気が付くと、大きなため息を吐いた。

 

「……レミリア、か?」

 

余りにも言葉足らずのその問いは、しかしそれだけで意思の疎通には十分であった。

騎士はその問いに、頷きで持って返す。

 

「そう、か。

……全く、頼んだ訳でも無いというのに」

 

アルカードは階段を下り、騎士の隣、踊り場から上へ上る一段目に座り込んだ。

そしてその手に持ったウィスキーの瓶を一口呷ると、騎士に向けて軽く掲げた。

 

「……元々、お前と呑むつもりで探していた。

どうだ、呑まんか?」

 

騎士は、掲げられた酒瓶を取り、一口呷る事によってその返答とした。

 

アルカードの隣に座ると、そこからは美しく、しかし冷たくも感じる白い月が見えた。

 

「……そうだな。

竜にまつわる物を、もう一度見せてくれないか。

有る物全てで無くていい、一つだけでいい。

あの時は、色々とあって碌に見る事が出来なかったからな」

 

騎士は、顎に手を当て考え込む。

全てを出すのならば考える必要は無いが、どれか一つ、となるとこれは少しばかり考える必要がある。

 

そして騎士は、あの時場に出していなかった竜に纏わる物が、一つある事に思い至った。

 

騎士は、黄金の柄を持つ、一本の十字槍を取り出した。

 

「……これは?」

 

騎士は懐から紙を取り出し、この槍の説明を書き殴る。

 

かつてロードランのみならず、神話の物語として名を馳せた、四人の騎士が居た。

 

"王の刃"。

"鷹の目"。

"深淵歩き"。

 

そして、"竜狩り"。

 

かの者の槍は頑強な竜の鱗を一顧だにせず貫き通し、その槍で持っていくつもの竜の首柄を上げた。

 

これは、かの者の持っていた槍、"竜狩りの槍"である。

 

騎士の説明を読み終わると、アルカードは突如として笑い始めた。

静かに、しかし心底愉快そうに。

 

「ああ、そうだったな。

竜の素材を使った物、とは言っていなかった。

竜にまつわる物と、確かに私は言ったな、ああ、そうだった」

 

ひとしきり笑うと、片手で竜狩りの槍を弄びながら、アルカードは語り始めた。

 

「……そうだな。

ある、一人の男の話でもするか。

最も、情けない男の話だ、酒の肴には向くまいが」

 

アルカードは騎士から酒瓶を受け取り、一度呷った。

そして一息つき、話し始める。

 

「ワラキア、という国を知っているか?

自由を求めて生まれ、そして抵抗の末に喰われて消えた、小国の事だ」

 

知っている、と頷き返す。

 

ワラキア。

二つの大国に挟まれ、生き残る為に必死に足掻こうとし、しかし結局は大国に弄ばれて併合された国である、と騎士は理解している。

 

「かの国では、一時期、串刺し公と呼ばれる者が居た。

かの者の父は、政治的な事情により神聖ローマ帝国のドラゴン騎士団の騎士に叙任された。

その為に、串刺し公はワラキアの言葉で"竜の子"という名を授かった」

 

「かの"竜の子"は、己が名前の由来であった竜にことのほか興味を示した。

しかして竜というのは、その地に伝わる物語では悪の権化と大差ない物だった。

ワラキアの言葉では、竜と言う言葉は悪魔と言う意味も含んでいたのだ」

 

「竜の子は悩んだ、己は生まれながらにして悪なのかと。

頑強な鱗でもって矢玉を寄せ付けず、その口からは鉄をも熔かす火を吹く竜とは、正義にはなれないものか、と」

 

「竜の子は悩み、世界の竜に関する物語を集めた。

すると、彼にとっては喜ばしい事に、竜と言う存在は国ごとに違う認識のされ方をしていた。

故に、竜の子はその名に誇りを持った。

そしてその時に、竜の子はある種の幸運により、ワラキア公としての座に付く事になった」

 

アルカードは、軽く握っていた竜狩りの槍を、強く握り直した。

 

「それからは、竜であろうと竜の子は考えた。

竜は己の金銀財宝を守り、頭が良く狡猾だとされていた。

己を竜になぞらえた竜の子は、小さな己の国を守り抜こうと頭を働かせた」

 

「反逆者は串刺しにした。

敵兵の死体を全て串刺しにし、串刺しの林を作り上げた。

夜襲も、焦土戦、ゲリラ戦、やれる事は何だってやった。

それは、己の宝である領土と、民を守る為であった。

しかし、竜の子はその残虐さにより、竜の子では無く悪魔の子として認識されるようになった。

そして、結局はその悪名により、裏切られて死んだ……はずだった。

悪魔の子は、その時初めて、奇跡と言う物を感じた。

最も、性質の悪い冗談のような奇跡だったが」

 

アルカードは、握り締めていた竜狩りの槍から力を抜いた。

からり、と音を立て、竜狩りの槍が転がり、月光をその身に浴びて輝く。

 

「悪魔の子は、それまでの所業を骨肉にしたような力を得ていた。

他者を串刺しにし、血濡れにしたためか、人の血を飲む事が出来るようになっていた。

化け物と蔑まれて居た為か、化け物のような力を手繰る事が出来るようになっていた。

そして神罰が下ったのか、日に当たれば体が焦げ、今度こそ死ぬのだろう、という事が何故か分かった」

 

「しかして、悪魔の子は死に直す事が出来なかった。

己は死ぬべきだ、とは思っていたが、彼は未だ竜としての生き方に固執していた。

だが、同時に、最早己は竜なんて物を名乗れないだろう、とも考えていた。

だから、悪魔の子としての死に方か、竜の子としての死に方か。

どちらがこの身に訪れるのかを見届ける為に、生きる事にしたのだ」

 

「それから時は経ち、かの者はその名よりもドラキュラ、という名の方が有名になった。

……これで、終わりだ。

どうだ、詰まらなかったろう。

全てが自業自得なのだから、喜劇と呼ぶべきなのだろうが。

いずれにしても、三文芝居以下の詰まらん話だ」

 

騎士は酒瓶を呷る。

そしてアルカードに渡し、アルカードも呷った。

そこで酒瓶の中は空になり、アルカードは立ち上がった。

 

「……呑み足りなければ、適当に酒庫にでも行くと良い」

 

そう言うと、アルカードは竜狩りの槍を握っていた手を何度も握り締め、開きながら歩き去っていった。

その掌は、まるで焦げたように黒ずんでいた。

 

騎士も立ち上がり、竜狩りの槍を仕舞い込んでから、件の"仕掛け"に手を伸ばす。

覆いをするようにはめ込まれていた木版を、騎士は取り外した。

 

そこには、四足の竜の紋章が彫り込まれていた。

かのドラゴン騎士団の紋章は、四足の竜が描かれていた物であったという事を、騎士は思い出す。

 

そして、騎士は懐から紙を取り出し、アルカードの綴りを書き込んだ。

 

Alucard。

 

騎士はそれを少しばかり眺め、その下にアルカードの綴りを逆にした物を書き込む。

 

Dracula。

 

つまりは、そう言う事なのだろう。

 

その後、騎士は件の報復が、レミリア・スカーレット一人によって行われる、という事を聞く事となる。

決行日は、明日。

 

クリスマスの日であった。

 

 

しくじった。

 

上海の奥深く、路地裏の最中。

銀髪の少女は姿を隠すような、その背丈を鑑みると大き過ぎるコートを羽織り、片手に己の荷物をまとめた鞄を持ちながら歯噛みする。

 

とある人形師からの依頼。

人を殺し、その部位を持ち帰るというだけの、人形師から依頼されるいつも通りの仕事。

 

ただいつもと違ったのは、殺す対象が男であった、という事だ。

 

ロンドンから逃げて来たのは良いが、この狭い上海で殺しをするには、それなりの体裁が必要だった。

だからこそ暗殺組織なんてものに所属した訳だが、これがどうしてやり易い物が有った。

 

女子供だけを狙うという条件付けは、適当に依頼を請け負うよりは周知が行き届く為にやり易い。

更に言うならば、趣味が金に変わるのだ。

好きな事をして生きていけるというのは、中々に面白い経験だった。

更に警察に追われる事も無いとなれば、少女には最早この上海が天国のように見えた物だ。

それと同時に手当たり次第に娼婦を殺し逃げていた時と比べて、スマートに、その上で金を貰えるという事が、己の成長を表わしている様にも思えた。

 

しかし、今となってはこのように逃げ支度をしなければならない事態に陥っている。

馴染みの依頼主で、大金を積まれたからと言って押し切られたが、やはり断れば良かった。

 

情報を集めた時点で、碌な物が無かった。

 

標的は腕が立つ、それはいい。

どんな人物だろうと、喉を掻き切れば同じだ。

 

ただ、碌でも無かったのは標的が居るという屋敷の方だった。

きちんと土地を買っているというのに情報が異様に少なく、解った情報も確かな物が一つとしてなかった。

 

曰く、化け物の住む屋敷。

曰く、人を買い、喰っている。

 

そんな訳が無い、人の血は返り血を浴びた時に少し飲んでしまった事が有るが、とても飲めた物じゃなかった。

あんな物を飲めるような奴が、いる訳が無い。

 

仮にいたとしても、止まった時の中で動けるはずが無い。

時間は、私に首ったけなのだから。

そう思っていた。

 

銀髪の少女は、首から下げている懐中時計を見やった。

 

標的は人間だ、と聞いていた。

だが、そうでは無かった。

 

あれは、化け物だった。

 

止まった時の中でも動いていた。

それだけで心臓が止まりそうになったが、それでも世界は私に味方していた。

 

私の事を屋敷の使用人か何かだろうと思っていたのだ。

適当に話を合わせて、後は首をちょん切って。

そこからは持っていく部位を指定されていなかったからどうしたものか、と楽観視しながら、私は振り向く標的に合わせてナイフを振るった。

 

化け物は人間のように血を吹きだし、しかし死ななかった。

投げつけたナイフも防ぎ、どこからか燃える剣を取り出して首の傷を焼いた。

普通の人間ならばあれだけ血を噴き出した時点でも死んでいるし、ナイフを防げるわけがないし、傷を焼いたとて、その痛みで死んでいる。

 

だと言うのに、死んでいなかった。

ついでに塗りたくっていたサソリの毒も、象すら殺せるほど毒を凝縮させた物だった。

それが効果を発揮していたにもかかわらず、剣を取り落す事は無かった。

 

知らない。

私はあんな化け物がいるだなんて知らなかった。

 

怖い。

血を噴き出し、なおも生きるその姿は、心の奥底に、こびり付くように恐怖を残している。

 

でも、恐怖だけなら今までも感じた事は有った。

あのロンドンで、人を殺してから警官に見つかりそうになった時だって、これと同じくらい恐怖を覚えた物だ。

 

にも拘らず、恐怖が生々しく焼き付いているのは、あの化け物が持っていた"これ"のせいなんじゃないだろうか。

 

少女は、双子の生卵にも思える、真っ黒な"何か"を、ポケットから取り出した。

 

標的は殺せなかったが、この奇妙な物は回収した。

標的の体の部位では無いが、あの人形師にはこれを渡す事にしよう。

 

件の暗殺組織には、もう既に脱退届を出してきた。

早く渡して金を貰い、逃げなければ。

 

少女は歩く足取りをさらに早める。

 

かの屋敷が、私に報復を企てているかもしれない、と聞いたのはつい先日である。

 

標的の情報を得る為に懇意にしていた情報屋が、物知り気な態度をしながら吹っ掛けて来た情報だ。

高くついたが、それだけの価値は有ったと少女は思っている。

 

何せ、あのような化け物を囲った屋敷だ。

ともすれば、本当に化け物が私を追ってくるかもしれない。

それも、時間を止めても動くような。

 

それは、悪夢以外の何物でも無い。

 

故に、少女は高跳びする準備を全て整え、後払いの金を取りに、件の人形師の所へ赴いていたのだ。

 

曲がり角を曲がる度に、化け物が出るんじゃないかと言う恐怖が背筋を撫でる。

 

一度、曲がる度。

二度、曲がる度。

 

三度目を曲がった時に人形師の寂れた家が見えた時、思わず少女は一息ついた。

 

扉を開けると、いつも通りに人形が沢山立ち並んでいる。

そしていつも通りに、男が人形に囲まれながら椅子に座っていた。

 

「……ああ、来たのか、切り裂きジル(ジル・ザ・リッパ―)。

あの旦那のどこを持って来た?

腕か? 足か? それとも眼か?」

 

「そのどれでも無いけれど、これを」

 

そう言って、少女は人間性の双子を投げ渡す。

それを受け取って見た時、男は一瞬驚いたようだった。

その為に表情の色が消え、そして地から水が湧き出るように、その表情からは少しずつ陶然とした色が滲み出る。

その色は愉悦へと色を変え、その顔に似合わぬ柔らかい笑みを以て男は少女を称える。

 

「……ああ、切り裂きジル。

素晴らしい仕事だ。

これだ、これこそ、俺が旦那から感じていた物だったんだ。

腕で無くてよかった、足で無くてよかった、眼で無くてよかった。

あの子はもう生まれようとしているんだ、それを手術するなんて、俺はどうかしてた。

ああ、ありがとう、ジル、完璧な仕事だ、素晴らしい、本当に素晴らしい。

あんたは暗殺者の鑑だ、俺ぁあんたの事を一生忘れない」

 

「……そんな言葉より、早く貰える物を貰っておきたい」

 

「あ? ああ、そうだったな。

下手な賛辞より、現物を弾む方が礼儀ってもんだ。

ほら、これだ、受け取ってくれ」

 

そう言って男が差し出した鞄を、少女は受け取る。

その際に近づいた為に、男の額が奇妙に盛り上がっている事に気が付いた。

 

こいつも、また化け物だったのか?

 

なんて事、思っていたよりもずっと身近に、化け物はいたらしい。

 

だが、この化け物とも、これでお別れだ。

 

少女はその場で鞄を開き、中の金を確認する。

 

問題ない、全て本物だ。

これだけあれば、豪遊する事を考えなければ人の一生ぐらいは食べて行けるだろう、と言えるほどには詰まっていた。

 

するべき事はした、後はさっさと逃げ出すだけだ。

 

挨拶も無しに飛び出していった銀髪の少女を、男は頭を下げて見送った。

 

しばらくの間頭を下げていた男は、手に持った人間性の双子を大事に持ちながら、家の奥へと向かって行った。

 

電気のついていない、血と腐った肉の香り漂う部屋の、電気を男は付ける。

そこには、男の愛しい愛しい"ソレ"が、姿を変えずに横たわっていた。

 

「ああ、済まなかった。

これまで、すごく待たせてしまったね」

 

男はこれ以上なく優しい声音で、金髪の少女の形をした"ソレ"へと語る。

 

「でも、すごく素晴らしいって思わないか?

今日は、クリスマスなんだよ。

聖人の生まれた日と同じ誕生日になるんだ。

やっぱり、君は神に愛されているんだよ」

 

男は、その艶やかな金髪を撫でる。

 

「君は、人の腹から生まれていない。

それは、一人の女性が、全身全霊を以て与える愛を、受け取れなかった、という事だ。

僕も君を全身全霊で愛している、だけれど僕は君の母では無いんだ。

だから……心配だった。

君が、本当に生まれて来てくれるのか。

聖人ですら、女性の腹から生まれてきたのだから」

 

指通りの良い髪を、心底愛おしげに撫でつける男の顔は、少しばかり悲しげでもあった。

 

「でも、君は神に愛されていたんだ。

僕は君の体を繋ぎ止める事に長けた才能を持っていた。

腕の良い暗殺者が居た。

そして、今ここに、クリスマスの日に、君が生まれる為に必要である"これ"を手に入れた。

神は、子を産めない僕に、君を授けてくれたんだ」

 

男の瞳からこぼれ出る涙を、少女の形をした"ソレ"は頬に受ける。

その薄い唇を、壊れ物を扱うかのようにそっと、丁寧に男は開いた。

そして、男は"ソレ"の口に人間性の双子を放り込もうとする。

そこで、男は有る事に気が付き、放り込む事を一旦やめた。

 

「ああ、こんな物を呑み込んでしまったら、喉が詰まってしまうね。

気が付いてよかった」

 

そう言いつつ、男は人間性の双子を二つに分ける。

そして、二つに分かたれた人間性を、男は"ソレ"の口に一つづつ放り込んだ。

 

「メリークリスマス。

お誕生日、おめでとう」

 

 

"ソレ"が最初に覚えたのは、喉を通る何かの感覚だった。

 

一つ目であったであろう何かは既に体に吸収され、二つ目を喉が通りながら、体の変調を覚える。

体が引き伸ばされるような感覚と、頭から何かが垂れ下がるような感覚を覚え、体の変調は終わった。

 

「ああ、神よ、あなたはなんて……素晴らしい」

 

その言葉に、"ソレ"は目の前に何かが居る、という事を知った。

そして、目の前を何かが塞いでいる、という事も初めて知った。

 

目の前の何かを見たい、という意志は、しかし生まれたばかりの"ソレ"には明確な言語として認識してはいない。

だが、その"人型"の形をした体は、瞼を開く、という動作を覚えていた。

 

目の前には、奇妙な形をした何かが経っていた。

ぎょろぎょろとした一対の丸い何かから、液体を垂れ流している。

そしてその丸い何かのすぐ下に位置している切れ目から、その何かは音を出した。

 

「おはよう。

そして、生まれてきて、ありがとう」

 

ぼんやりとしていた"ソレ"の意識は、少しずつ浮上する。

それと同時に、"ソレ"は空腹、と言う物を初めて感じた。

その腹がねじくれる様な苦しい感覚を、"ソレ"はどうするべきか持て余す。

 

しかし、体の一部が、その感覚に釣られるように自然と、かちかち、と鳴らしていた事に"ソレ"は気が付いた。

 

「ああ、お腹が空いているんだね。

そういえば、君の体に臓器が入るように、餓死者の胃を使っていたっけ。

さて、それなら胃に優しい物の方が良いかな?

それとも、しっかりした物を食べた方が良いのかな……」

 

目の前の何かは、"ソレ"がかちかちと鳴らしているのを見て、その丸い何かとその下に有る切れ目を裏返した。

そして何かを探すように、辺りを漁っている。

 

"ソレ"は、その感覚を無くす為に、自然に辺りを見渡した。

辺りには、目の前で動いている何かと同じ部分をした物が散乱している。

"ソレ"は、直感的にそれらを自分が食べられる事、しかし目の前で動いている何かは、食べるには適していないという事を悟った。

 

しかし、"ソレ"は目の前で動いている何かに向かって動こうとした。

何故か、食べられないはずの"ソレ"こそが、食べたいと感じたのだ。

 

"ソレ"は、体を体とも知らない。

そのつぎはぎの体から伝わる人としての本能と、生まれたばかりの人ならざる者の本能だけが、上手く動かない体を突き動かす。

生まれたばかりの白紙のような体は、少しずつ体を動かすたびにその動かし方を覚えていく。

目の前で動く何かの所までたどり着く頃には、"ソレ"は拙い物ながらも歩くという動作をこなしていた。

 

「……ん?

おお、すごいじゃないか、もう歩けているなん……」

 

そして、"ソレ"は目の前で動く何かに齧り付いた。

本能は"食べられる物じゃない、吐き出せ"と命じるが、しかしそれから感じる味は余りにも優しく、甘美なものだった。

 

齧り付かれている何かは、その味と同じように、優しい目で"ソレ"を見つめていた。

肩に噛み付かれ、咀嚼されているにも拘らず、噛み付かれていない方の手で長くなった"ソレ"の髪を撫でている。

 

「どうだい、美味しいかい?

……ああ、しかし本当に良かったよ。

ちゃんと成長してくれるか、っていうのも、僕は心配だったんだ。

けれど、その心配は杞憂だったね。

神は、本当にやさしい物だ。

二つ目のあれを呑み込んだら、君が美しく育ってしまうなんて」

 

"ソレ"は、肩から片腕を食べ尽すと、次は柔らかい腹に齧り付いた。

 

「ああ、だから君はお腹が空いたんだね。

でも、肋骨には注意しなよ?

あれは、中々脆い物でね、喉に刺さってしまうかもしれない」

 

"ソレ"は腹を食べ切り、何かは上と下に分かたれた。

"ソレ"は分かたれた方の下に齧り付く。

 

「おや、そっちから食べるのかい?

……それにしても、君はよく食べるね。

良い事だ、たんと食べて、たんと育ってくれよ。

……ああ、気が遠のいて来た。

でも、おかしいな?

人は、これだけ血を流してたらもう死んでいる筈なんだが。

ああ、これも神の御加護なのかもしれない。

感謝します、神よ。

死ぬ前に一刹那ほども長く、私に愛娘の姿を見せて下さるのですね」

 

"ソレ"は下を食べ終えると、上の方に齧りついた。

"ソレ"はやはりいけない物を食べてしまったからだろうか、吐き気という感じた事の無い感覚で胸がいっぱいだった。

しかし、その感覚を押し潰す程に、その何かは優しく、甘美な味をしていた。

 

「……ああ、もう、眼がかすんできたよ。

だけど、死ぬ前に、君にはもう一つあげなければならない物が有ったね。

それを忘れて食べ物を探していたなんて、やっぱり僕は駄目だねぇ?」

 

"ソレ"は、先ほどから聞こえてきた音に、意味が有るという事すらまだ知らない。

故に、その音に何も反応を示す事無く、何かを食べ続ける。

 

「ああ。

やっぱり、君の金髪は、美しいなぁ。

君の前には、天使という言葉も、霞んで見えてしまうよ。

それは、やっぱり、僕が、いわゆる、親馬鹿、という奴だからなのかなぁ?」

 

"ソレ"は、もう既に何かを司る、小さな丸の部分以外は全て食べ切っていた。

 

「もう、胴まで、食べたのかい?

これは不味いな、早く決めてあげないと。

そうだなぁ」

 

"ソレ"は、何かの小さな丸と大きな丸を繋げる部分に齧り付く。

"ソレ"は、自然にその小さな丸から見下ろされる形となった。

 

「……ああ。

素晴らしい、良い名を思いついた」

 

「"ルーミア"」

 

何かは、その音を最後に、その音を出す切れ間を"ソレ"に喰われた。

そして、"ソレ"はその何かを最後まで食べ切った。

 

"ソレ"は、何かを食べ切り大きく息を吐いた。

その動作により、偶然"ソレ"に開いた切れ間から、音が漏れ出た。

 

それは、何かが出していたのと同じ物だった為に、"ソレ"は驚いた。

そして、"ソレ"は何故か、音を出す事に執着した。

 

「ぅ、うー。

ぅーむ、みぃ。

ぅーい、あ」

 

自然に、"ソレ"は何かが出していた音を再現しようとしていた。

何故かは、"ソレ"自体解らなかった。

 

そこで、何かが軋む音がした。

 

「……あら、出来てるわね。

よしよし、これでアリスちゃんに胸張ってプレゼント出来るわ」

 

"ソレ"は、鈍い動きでその音がする方を見た。

そして、そこに居た、食べたばかりの何かと同じ形をした何かと、眼が合った。

 

"ソレ"は、恐怖を覚えた。

 

"ソレ"は死と言う物を知らないが、それと同種の物を明確にその何かから感じていた。

同じ形をしていても、眼が合っているそれは別物だった。

 

「ふーん。

ねえ、親は美味しかった?」

 

何かは音を発した。

だが、"ソレ"は音の意味を知らない。

ただ、先ほどから何故か頭を離れない音を、再現しようとしている。

何故かは、"ソレ"にも解らない。

 

「る、ぅーいあ」

 

「ん?」

 

「るー、みぁ」

 

「ルーミア?

そう、あなたはルーミアと言うのね」

 

何かは"ソレ"が発したかった音を発すると、またあの軋む音を立てた。

 

「ま、人形はあるし、あなたの事はどうでもいいわ。

じゃあねー」

 

そう言って、何かは"ソレ"の前からいなくなった。

 

"ソレ"はその場にへたりこみ、それからいつまでもあの音を発しようとしていた。

 

「るぅーみ、あ。

るーぃあ。

……るーみあ」

 

"ソレ"は、やっと発したかった音を発する事が出来た。

 

それから長い時間が経ち、その時にやっと、"ソレ"は己に送られた音が、名前なのだと認識した。

 

聖なる夜、"ソレ"は"ルーミア"という名と共に生まれた。

 

 

走る、走る、走る。

 

路地裏に散らばっているガラス片をブーツで踏み荒らしながら、銀髪の少女は走っていた。

 

最早この地に長く居る必要は無いのだ。

港へ向け、少女は一秒でも早くとあらん限りの力を足に込め、走っていた。

 

曲がり角を曲がる。

当たり前なのだが、そこには誰も居ない。

その当たり前に安心する事を、もう何度繰り返しただろう。

 

「ジャック・ザ・リッパ―。

1888年8月31日から、彼はその姿を表舞台に表わした」

 

少女は振り返った。

そこには木箱が積み上げられており、その上にちょこんとドレスを着た青髪の少女が座っていた。

 

だが、そこにはさっきまで誰も居なかったはずだ。

 

「それから11月9日までの間に、売春婦を五人殺害。

しかし犯人逮捕には至らなかった」

 

少女は懐の懐中時計を触った。

世界が灰色に染まる。

 

世界が止まり、目の前の化け物も動かなくなった。

少女はそれを確認し、一心不乱に走る。

 

時を止めている時には、誰も殺す事が出来ない。

それは、少女が能力に目覚めてから、ほどなく気付いた事であった。

止まっている物の首に刃を突き立てても、刃の方が欠けてしまうのだ。

何故かは知らない。

ただ、出来ないという事が解るだけで、少女には十分だった。

 

しばらく走った後、少女はまた時を動かした。

いきなり過ぎて驚いたが、時を止めて逃げたのだ。

もう追って来れはしないだろう。

 

大通りから少し路地裏に分け入った所にある、茶店の前に少女はいた。

 

いささか走り過ぎて喉が渇いた。

少し、お茶でも飲んで喉を潤し、また港まで走ろう。

 

少女が茶店に入ると、店員が店の席へと少女を案内した。

店員は少女に注文を聞く。

 

「ご注文は何に致しますか?」

 

「銘柄は何でもいい、ミルクティーを」

 

「そうねぇ、私は西湖龍井をお願いするわ」

 

少女は、その声を聞いて冷や汗がどっと噴き出た。

そして声が聞こえた方を見やると、そこには振り切ったはずの青髪の化け物が居た。

 

店員は注文を聞き、店の奥へと下がっていった。

己を口端を釣り上げながら見つめる化け物に、少女は眼を離せない。

それは、これ以上なく明確な恐怖であった。

 

「ねえ、あなた、ジャック・ザ・リッパ―って知ってる?

彼、ジャックなんて名前はついているけど、ある一説によると女性である可能性があるらしいわよ。

被害者の女性たちが、警戒する事無く犯人を迎え入れていた痕跡があったから」

 

にやにやとしながら己を見る化け物に、少女はまた時計を握り締めて時を止め、逃げた。

 

先ほど走った疲労も回復していないが、こいつは異常だ。

最早一刻の猶予も無い、さっさと船に乗り込んで逃げなければ。

 

走る、走る、走る。

 

足がもつれそうになりながらも、必死に走る。

 

何なんだあれは、時間は止まっているというのに。

 

何故解る。

何故知っている。

 

やはり、あの屋敷の奴らは化け物だったのだ。

 

だが、逃げ切ればいいのだ。

時を止めていれば、あの化け物は動かない。

 

時を止めて、少女は息を整え、疲労を回復させる。

そして走り、また疲労すれば休む。

 

港さえ、港さえ行けば、逃げられる。

 

そうして、少女は時を一度も動かす事無く、港へとたどり着いた。

 

少女は時を動かし、止まっている客船へと足を運ぶ。

 

そして気が付いた。

上海は、海運に長けた土地である。

ここは客船専用の場所とは言え、夜だろうと他の乗客の姿が見えないなんて事は有り得ない。

 

しかし、周りには誰も居なかった。

 

「もう、結局私が代金払ったのよ?

飲まないでどこかに行ってしまうなんて、いけずねぇ」

 

気がつけば、目の前にはあの化け物が居た。

 

少女はへたり込んだ。

もう、駄目だ。

どれだけ逃げても、この化け物は追ってくる。

 

ここで、私は死ぬのだ。

物心ついた時のように、冷たい所で、冷たくなるのだ。

たった一人で。

 

少女は、眼を瞑った。

己もまた、血を吹き出して死ぬのだろう。

これまで自分がしてきたように。

 

しかし、私が血を流す事は無く、目の前に居るはずの化け物は、ただ話を続ける。

 

「当時のロンドンは、まあ酷い街だったからねぇ。

売春婦から生まれて、捨てられた子もいっぱい居たと思うわ。

だから、私はこう思う訳よ。

切り裂きジャックは、殺された五人の売春婦の内、どれかから生まれた女なんじゃないか、ってね」

 

化け物は私の首に指を這わせた。

 

「私が善良な人間なら警察に突き出すかしたでしょうけど。

でも、生憎私は人間でも無いし、善良でも無いのよね」

 

そして、私は目の前の化け物に唇を奪われた。

柔らかい唇が私の唇を食み、少しだけ歯を立てる。

私の唇を化け物は更に深く奪い、血を啜る。

ただ唇を舐めとられているだけだというのに、私の体は火照ったように熱を帯びていた。

 

「ねぇ、取引をしない?

悪魔との取引」

 

私は魅入られたように、その化け物の眼を見つめるしかなかった。

 

「私は、あなたの全てを貰う。

代わりに、私はあなたが欲しいたった一つの物をあげるわ」

 

「……それ、は?」

 

私は酔っ払ったように、回らない呂律で化け物に問うた。

 

「愛よ。

私が、ずっと愛してあげる。

私の物として、ずっとずぅっと。

あなたが擦り切れ壊れ果て、塵の一つたりとも消え失せるまで」

 

クリスマス。

 

全ての者の罪を背負ったとかいう聖人が生まれた、これまでの私にとってはどうでも良い日。

新しい私にとっては、自分が生まれた日だった。

 

私はその日の景色を覚えている。

自分が生まれた日だという事もあるけれど、それ以上に、私の名前はその日の景色を司っていたから。

 

その日の月齢、"十六夜"と、花が"咲"いたように雪が舞い散る"夜"。

 

その日、私は切り裂きジャックと言う殺人鬼から、"十六夜咲夜"という人間に、生まれ変わったのだ。

 

 

「いやぁ、しっかし寂しくなるなぁ。

一月もしないってのに出ていくなんて、旦那、忙しないにも程が有りますぜ」

 

己を送り出す為の別れの席で、騎士は酒に酔った妖怪の話を聴いていた。

 

「しっかし、お嬢様の考えも良く解らんなぁ。

自分で件の暗殺者を殺りに行ったのは良いですが、その襲われた客人の別れの席に出れない日に行くとは」

 

妖怪の話を聞き流しながら、別れの酒宴の会場を騎士は見渡す。

 

やはり、フランは何処にも居なかった。

 

騎士は、この酒宴が終われば直ぐに発つつもりであった。

レミリアにはあらかじめ別れを告げてはいたが、何故か自室に閉じこもっているフランには、ついぞ挨拶する事が出来なかった。

昨日は、今日に酒宴が有る為に、そこでフランに挨拶すればよいだろう、と思っていた。

 

だが、何処にも居ない。

渡したい物も有るというのに。

 

「……楽しんでいるか?」

 

酒を呷りながらフランの姿を探す騎士に声を掛けたのは、アルカードであった。

 

楽しんでいる、と伝える為にグラスを騎士は掲げるが、フランを探していたのがばればれだったらしい。

アルカードはため息を付きながら、騎士と同じように辺りを見渡しながら言う。

 

「フランか。

あいつは、お前に懐いていたからな。

昨日晩餐に来なかったのは、ただの癇癪だと思っていたが……。

すまんが、酒宴が終わってから、あいつの部屋まで足を運んでくれんか?

別れの言葉も言えなければ、後々気にかかるだろう」

 

騎士は頷き、グラスに入った酒を呷った。

 

 

酒宴が終わると、騎士はフランの部屋よりも先に、図書館へと足を向けた。

 

相も変わらず本に埋もれた図書館の中央にパチュリ―が居る。

 

「……来たわね。

来なければどうしてやろうかと思っていたわ」

 

いつもの鋭い毒舌を聞き流しながら、騎士はパチュリ―の前にある椅子に座り込む。

 

「……ま、来たからいいわ。

じゃあ、早速残った二つの権利を行使するわ。

……と言っても、余りにも時間が足りな過ぎたから、私としては満足のいくまで内容を詰め切れなかったけど」

 

そう言って、パチュリ―は肩を竦ませながら、騎士を睨み付けた。

 

「じゃあ、早速一つ目。

これは物品よ。

あなたの持っている中で、最も禁忌とされている魔導書を寄越しなさい」

 

パチュリ―の要求に、騎士は腕を組んで考える。

 

禁忌というのであれば、それこそ山ほどある。

だが、果たしてそれを渡して良い物だろうか。

文字通り、その身を破滅させ兼ねない代物も有るというのに。

 

騎士が思い悩んでいる事を敏感に察したか、パチュリ―は言葉を重ねる。

 

「私の身を案じているのならば、それは杞憂と言う物よ。

禁忌な物だからと言って破滅するようなら、私はとうの昔に滅んでいる」

 

そのパチュリ―の言葉に、騎士はようやく決心し、一つの魔導書を差し出した。

 

ソウルの共鳴。

 

生命の力を捻じ曲げる、禁術中の禁術。

死者を食し、それにより輪廻するソウルを、使い潰してその威力を発揮する、外法。

 

これよりも更にソウルを喰い潰し、更に威力を増す物もあるが、流石にそれらを渡すのは憚られた。

 

パチュリ―は魔導書を受け取ると、二つ目の要求を言い放つ。

 

「じゃあ、二つ目ね。

これは質問よ。

この世界で、あなたの世界について最も良く知っている者の居る場所を教えなさい」

 

その問いには、騎士は直ぐに答えた。

懐から紙と鉛筆を取り出し、さらさらと書く。

 

騎士から渡された紙を、パチュリ―は読んだ。

 

「……幻想郷?

聞いた事の無い土地だけど……まあ、場所は追々探す事にするわ」

 

騎士が幻想郷を推したのは、一重に永琳の存在である。

 

己の世界でも謎めいた部分が多かった世界の理を、乏しい手掛かりで一定の真実にまでたどり着いた永琳。

彼女以外、己の世界に詳しい者はこの世界には居ないという確信が有った。

 

「……じゃあ、これで契約も終りね。

まあ、精々死なない様になさい。

また会った時は、今度こそじっくりと情報を抜き出してやるから」

 

騎士は椅子から立ち上がり、図書館の重々しい扉を開け、立ち去った。

 

「メリークリスマス。

良い夜を」

 

パチュリ―のその声に後ろ手で手を振り、騎士はフランの部屋へと向かった。

 

 

騎士は、フランの部屋の扉を開けた。

 

部屋は薄暗い。

 

蝋燭の光だろうと眼は光に慣れていて、暗闇が見えるようになるまで少しばかり時間が掛かった。

 

暗闇の中が見える様になれば、フランのベッドが膨らんでいる事に気が付く。

 

寝ているのだろうか。

今は夜、彼女ら吸血鬼にとっては昼間も同然のはずだが。

 

起こすのは忍びないが、別れの挨拶ぐらいはしなければ。

したくても出来ない時とて、あるのだから。

 

騎士はフランのベッドに歩み寄る。

 

そして膨らんでいる所を掴み、揺り動かす。

 

「……ねぇ、おじさま」

 

フランは起きていたようだ。

起きていたならば、何故にあいさつに来なかったのだろう。

何か、嫌われるような事でもしただろうか。

 

小さな声で呟くフランの声は、夢でも見ているかのように浮付いていた。

 

「私ね、悪い子なの」

 

そんな事は無いだろう、と、騎士は優しくフランを抱き起こし、その顔を見やる。

 

その顔には、今にも腫れあがったように泣き濡れている瞳と。

 

それに反するように、攣り上がった口があった。

 

フランは、開いていた手を、そっと閉じた。

柔らかい何かを、優しく握り潰すように。

 

その時、騎士は死を感じた。

 

己のソウルが漏れ出て宙へと溶けて行き、意識が暗闇へと落ちていく感覚が。

 

膝から崩れ落ちる。

その膝は、既にソウルとなって霧散していた。

 

真っ暗だった部屋に、白緑のソウルが舞う。

己の身に貯蔵されていたソウルが、行く宛を失い漂う。

その動きはまるで踊っているようだ。

 

魔術にも、何にも変えていない、方向性の無いソウル。

それが、物理的な圧力すら感じられるほどに暴力的な量を以て舞う。

それに押し倒され、フランはベッドへと倒れ込んだ。

 

「ああ」

 

「やっぱり、綺麗だった」

 

騎士は、落ちていく意識の中。

綺麗に包装した小包を、フランの眼の前に置いた。

それで騎士は最後の力を振り絞ってしまい、霧散していった。

 

しばらくの間、フランは呆けていた。

壊れてしまったように眼から涙をこぼし続け、しかしその口から笑みは消えなかった。

 

重々しい罪悪感と、吸収されていくソウルによる快感が体を駆け巡っていた。

 

ふと、死んでしまおうと思った。

自分の塊を握り潰せば、それでいい。

 

自然にそうしようと思い、体を動かして、紙が擦れる音に気が付いた。

気がつけば、足元に袋が置いてある。

袋はそれなりに大きかった。

 

フランは、何の気なしに包装を開けてみた。

 

中には、玉が八つ入っていた。

玉は八色に光り輝いていた。

 

フランは、その存在を知っていた。

おじさまの物語にも出ていた、七色石。

 

見入っていた。

綺麗だと思った。

笑みが消えて、涙がぼろぼろと零れた。

 

七色石を、抱きしめた。

少し、暖かい。

 

フランはその温もりに包まれながら、眠りについた。

 

眼が醒めれば、抱きしめていた七色石はどこにも無かった。

七色石を探し、体を振り振り探す。

 

背中から、からん、と音がした。

フランは背中を見る。

 

そこには、いつもの蝙蝠羽では無く、樹木のように伸びた骨に、木の実のように七色の宝石が成っていた。

 

フランが初めて貰ったクリスマスプレゼントは、七色に光る、優しい"いし"だった。

 

フランが、言葉を話せないサンタクロースと再会するのは。

もう少しだけ、先のお話。


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