東方闇魂録   作:メラニズム

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第三十二話 東方紅魔郷

そして、一年が経った。

 

春も、夏も、秋も、冬も。

旅の空では瞬く間に流れ去るというのに、どうしてこんなにも永く感じたのだろうか。

 

騎士はここ数日辺りを覆っている、"一年前に見た事のある"紅い霧を何とも無しに見やりながら、少しばかり不思議に思った。

 

人の像は確実に減っている。

 

あと一、二年。

少なく見積もって、ではあるが……持ったとしてそれぐらいだろう。

 

期間を延ばす方法も無くは無いが……あまり、使いたくはない手段だ。

"危険すぎる"。

 

いずれにせよ、時間は刻一刻と差し迫っている。

というのに、騎士はこの一年が長く感じたものだった。

 

普通は時間に迫られれば時間は短く感じる物だ。

 

だというのに長く感じる要因。

それは、常に変化しているモノが、身近にあるからなのだろう。

 

「……おはよ」

 

おはよう、と。

言葉は無いが、代わりに手を上げてそれに応える。

 

寝ぼけ眼をこすりこすり、霊夢が神社の縁側へと腰かける。

紅霧に濡れた縁側が、霊夢の巫女装束の紅をしっとりと濡らす。

 

霊夢の背丈は、最初は腰ほどに頭が来る程度だったというのに、気が付けば胸元まで背が伸びている。

 

ある種霊妙ささえ感じられた無気力、無感動さが、物を知り、その霊妙さが陰る程度には鳴りを潜めた。

退魔の術も覚え、これまでの人並み外れた莫大な霊力による暴力……戦い方からも成長した。

 

総じて、霊夢は大分人らしくなったと言えるだろう。

 

人の中で生きていくには、それは好ましい変化だ。

 

「おー、おはよう霊夢!

それと霊夢の父さん!」

 

だが、それ以上に変化したのは魔理沙だ。

 

"いつも通り"、まるで魔女かなにかのような姿をして、箒に乗って神社の表に降り立つ。

 

 

 

"最初の"紅い霧の後、しばらくしてから彼女は突然家を飛び出した。

人里は先の霧の異変の動揺が収まり切らない中でのこの騒動に、当然ながら人里を丸々ひっくり返したような騒ぎとなった。

 

己も捜索に駆り出され、探し回った果てに、鬱蒼と茂る森……魔法の森、と人里では呼ばれているらしかった……の入口で見つけたと、霖之助が神社に連れて来た。

 

曰く、下見ついでに森に探しに行ったら見つけたのだ、と。

 

霖之助は、件の店を魔法の森の入り口周辺に構えるつもりだったらしい。

 

連れ戻されてからは、それはもう凄まじいまでの喧嘩である。

 

物は飛ぶ、罵詈雑言は飛ぶ。

己も霖之助と共に送り届けたは良いが、あまりの惨状に霧雨邸の外より見る他なく。

元より夕方から始まった喧嘩は深夜まで続き、陽光が無くなってもその怒声と障子越しの影絵のような形で、喧嘩の熾烈さが近所数件からでも嫌でもわかるほど。

 

それが夜明けまで続いたのだから相当なものだった。

 

最早投げる物を探すのにも苦労し、投げられた物の残骸が足の踏み場も無くした辺りで、ようやく喧嘩は収まったらしい。

 

だがそれは円満に収まったという事を指し示す訳では無い。

引き留める為の罵詈雑言が途絶えたという事は、つまりそう言う事なのだ。

いずれにしても、彼女が愛されていた事は疑うべくもない。

それが理解されているかいないかは、当事者ならぬ己には分かる筈もないが。

 

それから魔理沙は家を飛び出し、己や霖之助の助けを借り、魔法の森の内部に居を構え、彼女曰く"魔法使い"をやっている。

 

 

 

おはよう、と、騎士は魔理沙にも挨拶を返し、酒瓶を布に包み、肩に背負う。

 

「……出かけるの?」

 

霊夢の言葉に頷きを返し、台所の方面を指差して食事は用意していると伝える。

その程度で伝わる程度には、同じ月日を共にしていた。

 

「おいおい、こんな中一人で出歩いて大丈夫なのか?

……ってのは、大きな御節介か」

 

「どちらかと言えば、魔理沙の方が心配だけどね」

 

「おいおい、そんな酷い事言うなよ」

 

「事実よ」

 

相も変わらず、仲が良い。

 

二人の会話に思わず笑みを浮かべながら、騎士は二人に背を向けて紅い霧の中に消えて行った。

 

紅霧の中でその背は直ぐに掻き消え、霧の中から垣間見えるのはただ霧に遮られながらも届く僅かな夕日に照らされた騎士の鎧の反射光のみ。

 

きらり、きらりと。

 

紅色の闇の中に、鎧の反射光が鈍色の灯となって揺れていた。

 

 

 

魔理沙は不思議だ。

霊夢は思う。

 

この一年で、色々と学んだ。

そして学べば学ぶほど、魔理沙と言う存在が不思議に思える。

 

人は生まれを選べない。

教育と言う生き方の選択肢を指し示す物はあるけれど、少なくともこの幻想郷では大抵は生まれに沿った職に就く。

そして老いて死ぬ。

 

その生まれの流れを変えるのは、非常に面倒だ。

形としては少し違うけれど、私がこうしてここに巫女としてあり続けてる事も、それを証明している。

 

渡された物を投げ捨てるには、それに詰め込まれた物は重すぎる。

魔理沙のそれは、客観的に見てなお重いだろう。

 

けれど、魔理沙はそれを投げ捨てた。

 

「んー……最初と比べりゃそりゃあ腕は上げたけど……でもまだ、その……ぶっちゃけあんまり美味しくないよな、霊夢の父さんの料理」

 

「味見出来ないからね」

 

「そう考えると、この味でも大分上手くなったとは思うんだがなぁ……いずれにせよ良くやるぜ、自分が食べる訳でも無いのに」

 

作り置きされた昼食を二人で食べる。

 

魔理沙は捨てている。

かつてはあんなに馴染んでいた所謂お嬢様な口調も、その後に待っていたであろう決して悪い物では無かっただろう人生も。

 

魔理沙は不思議だ。

そんなに何もかもを捨てて、一体何を持ちたいんだろう。

そんなに大きなものを捨てなければ持てないものなんて、一体何なのだろう。

 

魔理沙がそこまでして持とうとする価値が有る物なんて、有る物なのだろうか。

あの人里の中での生活がそこまで悪い物のようには、霊夢には見えなかったが。

 

 

 

「……じゃ、行ってくるから」

 

「おう、解った」

 

「食材は、いつもの所。

自由に使っていいから」

 

「解ってる解ってる」

 

「泊まるなら、布団も自由に使っていいから。

帰るなら、気を付けて」

 

「何時も勝手に使ってるだろ、何を改まって」

 

魔理沙の魂胆を知ってか知らずか、其処まで言うと、霊夢はそれで用事を済ませたように空へ飛び立った。

その方角を魔理沙は記憶し、脳内の幻想郷の地図と照らし合わせる。

 

あっちは、確か霧の湖の方だったな。

 

紅い霧で察しはついてたけど、やっぱり、そっちか。

 

霊夢がそっちのほうに飛んで行ったのは、彼女にとってはただの勘によるものなのだろう。

だが魔理沙にとって、霊夢の感とは指針にするには十分な信がおけるものだった。

それは例えるなら方角ではなく必要な物を指し示すコンパスだ。

 

……となると、相手はあの吸血鬼なんだろうなぁ。

 

私は懐のカードを改める。

 

懐には二枚。

少なくとも今は、それで全部だ。

加えて一枚は試作で、まともに使えるか解らない。

ルール上使える事にしておいた方が有利だから持って来ただけだ。

例え使えなくても、スペルカードが残ってるならルール上は戦えるんだから。

 

"あの"夜から、随分と幻想郷は変わった。

戦いにルールが出来た。

 

スペルカード・ルール。

別名弾幕ごっこ。

人も妖怪も老いも若いも、だいたい同じ土俵に立てる遊戯。

 

当たっても死なない弾をばら撒いて、あらかじめ作っておいた必殺技を撃ち合って、力尽きるか技が全て攻略されたら負け。

 

誰が言ったか、綺麗で死なない決闘。

 

そして、それはこんな紅い霧のような"異変"でも通用する。

 

「……さて、行くか」

 

自分のスペルカードを検めて、私は箒に跨る。

 

通用する、と言うよりは。

通用するんだ、と証明するのが、この異変なんだろうけれど。

 

この紅い霧の異変はスペルカードルールのデモンストレーションの為に仕組まれたものだ、ってことくらいは薄々察してる。

そう察する事ができる程度の情報を知る事は出来た。

伊達に今代の"博麗の巫女"と一緒にいた訳じゃない。

色々と漏れ聞こえてくるものはある。

 

それに、そうだと分かれば色々と納得もいくというものだ。

 

そうじゃなきゃ、こてんぱんに叩きのめされた"事になっている"吸血鬼が、また同じような異変を起こす訳が無い。

何も知らなきゃ、吸血鬼はそういう奴なんだろう、とか、これはリベンジなんだろう、って勝手に思い込んで納得もするのだろうけど。

 

まあ、解ってようが解ってまいが、どちらでも構わないんだろう。

体面ってのはそういうもんだ。

外面の帳尻さえ合えば中身はどうだっていい。

 

「ま、どちらにせよ。

私は私のやりたいようにやらせてもらうけどな」

 

そうだ。

 

この異変は、霊夢と、スペルカードルールと。

そして、この霧雨魔理沙のお披露目の異変だ!

 

……そうだ。

証明するんだ。

 

この道を選んだ価値は、有ったんだと。

私は霊夢に追いつけるんだと。

 

 

 

空を飛ぶ。

空を飛ぶ。

 

箒に跨って空を飛ぶのは、最初に出来た時から今に至るまで嫌いじゃあない。

 

それは最も魔女らしい姿だし、最も目に見える進歩でもあるし。

それに、見かけだけではあるんだろうけれど、霊夢を見上げたあの時とは違うって思える。

 

霊夢に追いつく。

それは、多分並大抵の事じゃない。

 

何年どころじゃない、何十年。

もっとかかるかもしれない。

 

でも、それが千里の道だとしても、今はその一歩目を踏み出せたんだって思うんだ。

 

夕日の後ろ髪の如く紺色に染まる夜闇。

その上に薄く被せられた紅い霧は、しかし魔理沙の衣服に纏わり付く訳でも無く、ただ宙を漂い視界を遮る。

 

こんな厚い霧だから、もっと蒸し暑いモンだと思っていたけれど。

蒸し暑いは蒸し暑いけれど、そこまでじゃ無かったな。

 

そんな事も、あの日は知る事すら出来なかったんだな。

 

私の箒は紅い霧を切り裂くように飛んで行く。

生暖かくて湿った霧が、私の速さで冷たくなる。

 

「……こういう気持ち、なんというか……。

あいつだったら、どう言うんだろうな。

気持ちいいわね、くらいは言うのかな」

 

「あいつ、って誰?」

 

紅い霧の奥から、声が響いた。

 

「そう聞くあんたは誰なんだ?

人に名前を聞く時は自分から、って言うだろ?」

 

「人の名前を聞く時は自分から、とは聞いた事無いわね」

 

「じゃあ私が教えてやるぜ、人に名前を聞く時は自分から、人の名前を聞く時は姿を見せてから」

 

そう言うと、霧の中から一人の女が出て来た。

腰まで来る長い金髪がたなびく。

 

「私の名前はルーミア。

……これでいいの?」

 

魔理沙は拍子抜けした。

 

彼女が明らかに妖怪であるというのも、その風体が大人びた女性の姿であるというのも。

そのどちらの風貌からでも、こうして素直に返事する姿が想像出来なかったから。

 

まるで、彼女は……ルーミアは、物を知らない子供のような物言いだった。

 

「あ、ああ。

私は霧雨魔理沙。

で、今言ってたやつの名前は博麗霊夢」

 

「そーなんだー。

じゃあ、もう一つ聞いていい?」

 

「あなた、食べても良い人間?」

 

思わず、息が止まる。

 

「……さて、どうだかな。

少なくとも、旨いとは思わんが」

 

「それを決めるのは、私じゃない?」

 

落ち着け。

 

解ってた事じゃないか。

 

例え子供っぽい奴だろうと。

例え素直に返事するような奴だろうと。

 

妖怪は妖怪なんだ。

 

そして、足を踏み入れたのは、こういう世界だ。

 

空を飛んだ。

それが一歩目だ。

 

だから、二歩目を。

 

「じゃあ、そうだな。

スペルカードで決めよう」

 

踏み出すんだ。

 

「私が勝ったら、お前は金輪際私を食べようとしない。

私が負けたら、好きに喰え。

……じゃあ、やろうか!」

 

もしも食べられたら、痛いのかな?

痛いだろうなぁ。

 

震える膝を殴りつけて、怖気を吹き飛ばす為に私は吠えた。

 

 

 

光球が私を襲う。

 

その数は無数で、まるで壁だ。

壁が迫ってくる。

押し潰される。

 

こんなの、通れるのか?

 

落ち着け。

 

壁なんかじゃない。

避けられる弾幕じゃなければいけないルールなのだから。

 

……もしもこいつがルール違反した所で、霊夢に締められる時には私はこいつの胃の中だろうけれど。

 

落ち着け。

 

こいつはルールを破っちゃいない。

 

だから、この光は壁じゃない。

 

光が近づいてくる。

それは良く見たら確かに壁なんかじゃなかった。

壁のように密集して見えるけれど、隙間が有る。

 

だから、あれは壁じゃない。

 

落ち着け、落ち着け。

 

ほら、あの隙間は充分私が入れそうな大きさじゃないか。

もっと狭い中だって潜り抜けた事が有るだろう?

 

そうだ、自分で弾幕をぶちまけて、何度も何度も練習したじゃないか。

これぐらいは避けられるはずだ、そうだろう?

 

縫う。

 

縫う。

 

光を縫う。

 

スペルカードルールは、相手の攻撃を凌ぎ切るだけでも良い。

無理に攻撃しなくても良い。

 

無数に浮かび上がる思考の中からそれだけを頭の片隅に留め、私は光を避ける。

 

夜符【ナイトバード】。

 

どこか遠くでそう言う声が聞こえる気がした。

 

光球が飛ぶ。

 

避ける、避ける、避ける。

 

ふと、思った。

 

本当に、死なないのかな。

 

確かに、当たったって死にはしない。

弾幕の弾は威力はほぼ零で痛いだけだから、根性で耐えれば続行は出来る。

 

でも、痛い事には痛いんだ。

 

もしも。

 

あれに当たって、バランスを崩したら。

そして、箒から落ちたら。

 

自然と、下を見た。

見てしまった。

 

跨る箒の棒に分かたれて、赤い霧が見える。

その奥に地面は見えない。

それだけ、高い。

 

落ち着け。

 

落ちたら。

 

落ち着け!

 

ここから、落ちたら。

 

落ち着け!!

 

もう心でどれだけ叫んでも、落ち着けやしなかった。

 

最初から、恐怖は当たり前のようにあったんだ。

そりゃそうだ、どこまで行ったって私は私でしかないんだ。

 

私は霊夢じゃない。

だから、失敗だって普通に有り得るんだ。

 

ただ、"もしも"を、その恐怖を無視していただけ。

でも、恐怖はもう無視するにはあまりにも大きくなりすぎていた。

 

闇符【ディマーケイション】。

 

そして、私は恐怖を見るあまり弾幕から眼を逸らしていた。

 

だから、その言葉にはっとして。

 

新たに放たれた光球の群れの一発に、私は当たってしまった。

 

 

 

「……私の勝ち、なのかー?」

 

ルーミアは霧雨魔理沙が落ちて行った紅い霧の奥を見通そうとして、何も見えずに首を振る。

 

「ミンチはあまり美味しくないんだけど、仕方ないかー」

 

そう言って、高度を下げようと身をかがめた。

 

それと同時だった。

 

「……ぁぁぁああああああああ”あ”あ”あ”あ”!!」

 

だから、ルーミアは反応が遅れた。

 

雄叫びを上げながら急上昇してきた魔理沙に。

そしてその箒の先に対して。

 

箒の先はルーミアの額の真中を突き通す。

その衝撃によってルーミアは額を弾かれ、強制的に頭上を見上げる。

 

そこには、八角形の物を突き付けた魔理沙の姿があった。

 

 

魔符【スターダストレヴァリエ】。

 

 

そう叫ぶ声と、数多の星屑、そして額と全身を包む痛み。

 

最後にそれだけを認識して、ルーミアは気を失った。

 

 

 

咄嗟だったんだ、と思う。

色々と。

 

気が付いたら、周りに有ったのは私のスペルカードの残滓の五芒星で。

そして目の前にはきゅう、と目を回して気絶したルーミアが落ちて行って。

 

「……私、勝った、の、か?」

 

「勝った、んだよな」

 

「そうか、勝ったのか」

 

疲れて、息が切れて、酸欠からか頭が痺れて。

弾が当たった所が痛くて、触ってみたら痣でも出来た様な感じの痛みがあって。

箒を握り締めていた手が強張って中々手を離せなくて。

痛む膝も、スカートをめくってみれば青痣が出来ていて。

……ああ、これは自分で殴りつけた奴だったか。

 

一つ一つ並べ立てるのも億劫で、結局疲れたとしか頭に浮かばない。

 

正直、このまま布団に入ったらそのまま二日ぐらい寝そうなくらいだ。

それでも箒は館の方へと向かっている。

 

ここで帰っても、何にもならないんだから。

せめてこの節々の痛みを価値あるものにしなけりゃ帳尻が付かない。

 

感じる風が強くなり、火照った体が冷えていくのと同時に、やっと実感が湧いてきた。

 

私は、勝ったんだな。

あの妖怪に。

 

霊夢と同じ事をやったんだな。

 

じわじわと。

霧が、服に滲みるように。

重く纏わりつくような疲労感。

 

それが、私が最初に感じた、勝利の味だった。

 

 

 

「……うわぁ」

 

美鈴は思わずうめき声を出す。

 

10秒。

 

湖の氷精と巫女の弾幕ごっこが決着するまでの時間だ。

 

パチュリ―様から貸して頂いた、月夜の暗闇だろうと霧の中だろうと見通せる望遠鏡から目を離す。

 

あれは、確かに一年前にレミリア様が自ら時間稼ぎするはずだわ。

 

持ち合せた有り余る資質の全てを……知性とかも犠牲にして……力に割り振ったような氷精。

その、少なくとも量だけは相当な弾幕の中。

いや、知性辺りを犠牲にしている分、場合によっては回避不可能になる事もあり得る以上、その厄介さはただ量をばら撒くよりも数段上か。

 

それを、まともに避ける動作すらせず真正面から近づいて、それでなお全てを避けて一撃。

 

「あんなの、人間の戦い方じゃないでしょ……」

 

「少なくとも、私は巫女よ」

 

「ぅえっ!?」

 

やれやれ、と。

望遠鏡から眼を離して目を揉みながら呟いた言葉に、"真正面から"返事が有る。

 

驚き、飛び退く。

見れば、ちょうど望遠鏡で除いていた時には死角になる場所……正確に言うならば胸元だ、望遠鏡で覗いていようがいまいが私は胸よりも下が見えない。でかくて。……、その至近距離に巫女が居た。

 

「……あ、あれー?

さっきまで、そこに居ましたよね?

……本当に人?」

 

「人の事を化け物呼ばわりするあなたこそ何者?」

 

「えーと」

 

……瞬間移動かぁ。

しかも儀式も何も無しに。

 

美鈴は頭をこねくり回して考える。

 

思っていた以上に巫女がやばかった。

これだと咲夜さんもどれだけ持つだろうか。

 

……たぶん、あまり持つまい。

あの人自身も人としては凄いけれど、どちらかというと一芸特化だ。

 

こんな妖怪基準ですら全点豪華主義な、人間?相手じゃ分が悪い。

 

かと言って私自身そんな弾幕ごっこは得意じゃないし。

 

……レミリアお嬢様と"彼"が話す時間くらいは稼がないと。

折角この巫女の目をかいくぐって、人里で彼相手にレミリア様からの手紙をスリ渡すなんて綱渡りをこなしたのだ。

何の話をするかは知らないが、ここまでやっておいて最後の最後で巫女に邪魔をされちゃ堪らない。

 

それに、あの飄々とした小さな上司があんな神妙な顔で頼み込んだのだ。

なら、多少なりとも無茶を押す価値はあるというもの。

 

「普通の人間……よ?

えーと、あれよ、観光客。

この湖の」

 

「どこがよ。

そんなに妖力持ってて」

 

実力では駄目。

なら会話で誤魔化し誤魔化し引き延ばすしかない。

……の、だけれど。

 

全力で隠してた妖力まで見破られてたら、誤魔化しようもない訳で。

 

「じゃあ、妖力を持った人間は人間じゃないの?」

 

まあ、無意味でもやるから足掻きなのだ。

混ぜっ返すように問いを投げ掛ける。

 

「……そういう訳じゃない、と思う」

 

意外な事に、その言葉に巫女は首を傾げた。

どうやらそこら辺に思う所が有るらしい。

ならば、ここを突かない手は無い。

 

「でしょ?

だからー……「でも」」

 

「少なくともあなたは人間じゃないでしょ?」

 

そう言って、巫女はスペルカードを構える。

 

あー、もう。

氷精には通じたんだけどな、こういうの。

 

いや、ここで氷精ぐらいにしか通じないような誤魔化しを仕掛ける時点で、私も相当焦ってる、か。

 

ぐちゃぐちゃになってるであろう精神を落ち着ける為自分の頬を張り、私もやけくそでスペルカードを構える。

 

というかそもそも私はスペルカードルールはあまり好きじゃないんだけどなぁ。

ルール的に殴り合いはNGっぽいし、私自身はこういったきらきらー、とした綺麗さとかそういうのはあまり好きじゃないし。

血と汗と時を糧に育った武技こそが、最も綺麗な物だと思っているから。

 

まあ、だからと言って、スペルカードが無くてもこの巫女と殴り合う気にはならないけれど。

血も汗もない圧倒的な才能で殴り掛かられても、別段滾りなんてしないのだから。

そういう意味では、彼は良かったなぁ……。

っといけない、眼前にいるのはそれこそ彼方に思考を飛ばしていたら肉体まで彼方に吹っ飛ばされかねない相手だった。

 

「仕方ない、背水の陣だ!」

 

「あんた一人で陣なのか?」

 

私も、巫女もスペルカードを構えて。

 

その間隙を縫うように、私達の間に風が流れた。

 

私も巫女も、その風を見やる。

 

そこには、如何にも魔女って感じの金髪の少女が、箒に跨って館へと飛んで行った。

 

……え、誰?

 

「……なんで」

 

巫女の呟きと共に、感じる霊力が途端に増える。

 

それは、それこそレミリア様とか、大妖の妖力とかと比べられるレベルの霊力で。

 

……隠し通せてたのはそっちの方ですか、そうですか。

 

「……とっとと、あんたを片付けて。

魔理沙を追い掛けないと」

 

「……こんなの、どうしろと」

 

人が、妖と対等に戦う為のルール?

"そんなもの"の為にこの弾幕ごっこが出来たわけじゃないんだろうとは分かっていたけれど。

 

それでも、美鈴は弾幕ごっこの存在意義を疑わざるを得なかった。

 

人間と妖怪を平等にする為のルールなんて、必要ないでしょ、こいつには。

むしろ"妖怪側がこいつと対等に戦うために"同じ土俵に引き摺り下ろすためのルールにしか思えない。

 

こんなのに時間稼ぎ?

 

hard

厳しいってレベルじゃない。

 

lunatic

狂ってる。

 

ため息を付きながら、美鈴は思わず紅い月夜を仰いだ。

そういえば、あの日もこんな感じの月夜だったかな、なんて思い出しながら。

 

 

 

「へへ」

 

「へへへ」

 

霊夢に、先んじた。

 

それは、些細な事でしかない。

恐らくは門番とやり合おうとしてて、霊夢は私を意識さえしてなかった。

だから、先んじたも何も無い。

 

けれど、霊夢を越した。

 

例え内訳がしょうも無くても、純然たる事実だからこそそれは私を奮い立たせる。

 

蹴り破った館の扉の先を、私は初めて見た。

 

紅い壁、赤い絨毯。

全部が紅で、窓一つ無い。

 

それはまさしく、吸血鬼の根城らしい姿。

外来の医学書か何かにあった、鮮明な胃の中の写真を思い出す。

 

まるで、腹の中に居るみたいだ。

 

そんな感想を、湧き上がってきた怖れと共に腹の中に閉じ込めて、魔理沙は箒を加速させる。

 

速くしないと、追いつかれちまう。

あいつはあの門番らしき奴なんて、すぐさま叩きのめしちまうだろう。

 

追いつかれたら何て文句を言われるか、解ったもんじゃない。

最悪スペルカードで喧嘩を売られて強制的に神社に戻される可能性だってある。

 

それは嫌だ。

そんなの霊夢が私の保護者みたいじゃないか。

私は友達なんだぞ?

 

魔理沙は考える。

この終わりが見えない廊下から、どうやって親玉の元へ行こうか、と。

 

……そう言えば、小説では吸血鬼って地下に居るよな。

じゃあ、このこれ見よがしにある階段は、登らない方が良いって事か。

 

じゃあ、地下を探さなけりゃあな!

 

そうして魔理沙は階段を上がる事無く突き進み。

そして見つけた、周りと違って大きく、古びた本めいた香りが漏れてくる扉を、魔理沙は開けた。

 

 

 

魔理沙は思わず見上げていた。

 

そこは、見渡す限りの本の山だった。

見上げるほどに高い本棚があり、その丈の長い本棚が小さく見えるほど天井が高くなっている。

 

それは、館の外観からは最早有り得ないレベルでの高さだった。

そして、そんな本棚の中、ぎゅうぎゅうに詰まった本からは、大小さまざまながら魔力を感じる。

 

「……すげぇな、こりゃ」

 

本棚の壁、乱雑に積まれた本の丘、あるいは山。

 

飛べば飛ぶほどその割合は増していく。

というか、本の山と山が繋がって本の山脈になっていく。

そしてその山脈が更に繋がって行き、また大きな山となる。

そういや、富士山も幾つかの山が噴火して一つの山になったんだったか。

 

そして数分も飛べば、最早本は山脈どころか床を埋め尽くすまでになっていた。

此処まで来るともう海だ、本の海。

 

紅い内装も形無しだな、と魔理沙は思いつつ、ちょうど飛行している高さにある本棚の段から、本を適当に抜き出す。

 

これなんか、良さそうだな。

 

その本は、魔理沙にとって過剰でも不足でも無い、ちょうど良い量の魔力を感じる代物。

 

「……こんだけありゃ、一冊くらいは……」

 

魔力が詰まった本。

その中には、私にとって有益な内容の物もあるはずだ。

 

上手く使えば、霊夢にちょっとでも近づけるかもしれない。

 

塵も積もれば、だ。

そしてここにはその塵が山ほどある。

 

「……異変解決者じゃなくて、盗人が来たようね」

 

「おっと、そいつぁ違うぜ。

正真正銘、私は異変解決者さ」

 

振り返ると、私よりも高い位置に、紫色の髪をしたネグリジェ姿の女が浮かんでいた。

 

「ついでに言えば、図書館の利用者ってとこだ。

図書カードはどこだい?

"推定"司書さんよ。

返却期日は?」

 

「無いわ」

 

「そいつはいいな、じゃあ自由に持っていくぜ」

 

「貸す気が無い、って事よ。

で、"確定"盗人さんは、何用でこんな所まで来たのかしら?」

 

「何、吸血鬼は地下で寝るモンだろ?

けどまあ、ついでに幾つか"借りる"のも良いな」

 

「やっぱり盗人じゃない。

えーと、盗人をたたき出す方法は……」

 

そう言って、ネグリジェの女は魔法でそこらの本を浮かせて読み始める。

 

「おいおい、何でもかんでも本に書いてあると思ったら大間違いだぜ?」

 

「あら、そうなの」

 

そう言って、ネグリジェの女はペンを浮かせた。

ペンはそのまま女に持たれる事も無く、そのペン先を本に走らせる。

 

「『何でもかんでも本に書いてあると思ったら大間違い』。

これで書いてあるわね」

 

「……『私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる』。

フェルマーとかいう有名な学者様の至言だ、判子に彫って持っときな。

その内同じ文面を書き過ぎて書いてられなくなるぜ」

 

魔理沙が肩を竦めると、ちょうどその時にネグリジェの女と私の間に一人の羽の生えたルージュ色の女が割って入ってくる。

 

「おやぁ?

パチュリ―様、侵入者ですかぁ?」

 

「……小悪魔、遅いわよ。

こういった雑事はあなたに任せたはずだけど。

……というより、このそこかしこにある本の山は何かしら?」

 

そうしてパチュリ―が指さす先には、魔理沙が飛んで来た後に残る本の海。

 

「あの本の山はお前の仕業だったのか?

へぇ、じゃあ感謝しないとな。

ずっと紅い内装だったんで、目の保養になったぜ」

 

「……あの盗人が散らかした訳でも無いみたいだし?

さて、小悪魔。

あなたは一体何をやっていたのかしら?」

 

「げっ」

 

「……これでもね、私はあなたを信用して研究に没頭していたのだけれど」

 

「良く言うよ、ガッチガチに契約で縛り付けといて」

 

ボソリ、と子悪魔が呟く。

 

「……兎も角。

今すぐに片付けなさい。

本も、"それ以外"も」

 

「……へぇ?」

 

小悪魔が笑う。

頬を釣り上げ、その名前の通り悪辣な悪魔じみた笑みを。

 

「じゃあ、"片付け"は一任してくれるわけですか?

その後の"処理"も?」

 

「ええ。

そこのイレギュラーもね」

 

「いやぁ、パチュリ―様は解ってらっしゃる!

その一言が欲しかったんですよぉ」

 

そう言って、小悪魔は魔理沙を見つめながら舌なめずりをする。

……ああ、そう言う事ね。

 

「……生憎、もうそう言う手合いは慣れて来てるんでね。

というか今日で二度目だ。

ビビりゃしないさ」

 

いやまあ、怖いっちゃ怖いんだが……そこまで心は揺らがない。

 

例えるなら水の溢れたコップだ。

もう満ち満ちるまで恐怖が入っちまってるもんだから、後から入れようとした所で上滑りするだけ、みたいな。

 

「じゃあ、慣れたまま死んでくださいよぉ!」

 

そして、小悪魔が光球をばら撒く。

 

「不意打ちか!

悪魔らしいな!」

 

だけど、生憎とそんな事だろうと思ってたんだ。

言動どころか仕草からして見るからに狡すっからいからな、こいつ。

 

身構えていた魔理沙は後方へ飛び去る。

 

弾は小悪魔自身から放物線上に放たれている。

それなら、距離が開けば開くほど弾の密度は加速度的に減る。

 

魔理沙は自分の判断を鑑みて、頷く。

 

大丈夫、私は冷静だ。

これなら、行ける。

 

魔理沙は眼前の弾幕を見る。

 

大小さまざまな光球が、視界を埋めている。

けれど、その隙間は大きい。

 

少なくとも、避ける場所に困らない程度には。

 

「このっ、このっ!」

 

次は、ここだな。

 

「当たって、美味しく、食べられなさいよ!」

 

この軌道は……ちょっと下がるか。

いや、こっちに避けた方が後後楽だな。

 

「……なぁ、小悪魔、って言ったっけ?」

 

「なんですかぁ?

降参するなら認めてあげますよぉ、だから早く落ちなさいよぉ!」

 

「いや、本気出すなら早くしてほしいんだよ。

どうせ手を抜いてるんだろ?

このままのんびりやってたんじゃ霊夢が来ちまうよ」

 

ルーミアと比べて、小悪魔の弾幕は薄い。

更に避けやすい。

 

普通の妖怪があんな感じなんだ、曲がりなりにも悪魔って名を冠してるこいつの本気が、こんな物なはずないだろう。

 

このまま時間切れを狙えるなら狙いたい所だが、霊夢に捕まったら全てがおじゃんだ。

調子に乗っていると言われたら否定は出来ないが、多少なりともリスクは飲もう。

 

半分本音、半分挑発のつもりで、私は小悪魔に返答する。

 

「……"小"悪魔だからって、馬鹿にしやがって!」

 

元から敬意の欠片も無い敬語をかなぐり捨てて、小悪魔は叫ぶ。

 

……だが、その弾幕の密度は全くと言っていいほど厚みを増していない。

スペルカードも使ってくる様子が無い。

というか、小悪魔はもう息も絶え絶えだ。

 

……もしかして。

いや、そんなはずは。

だって、仮にも悪魔だぜ?

 

「……えーと。

じゃ、じゃあスペルカード使うぜ?」

 

「へっ?」

 

魔符【スターダストレヴァリエ】。

 

ばら撒かれた星屑が光となって炸裂する。

その炸裂を、肩で息をしていた小悪魔はもろに喰らう。

 

そして星の炸裂の後には、本の山に頭から刺さった小悪魔の姿が有った。

本の山から生えている足が、ピクピクと痙攣している。

どうやら生きているようだが……本がクッション、になったのだろうか?

 

「……えーと。

本、片付けとかなくて良かったな?」

 

「どこがよ。

……折角使い魔として悪魔を呼んだっていうのに、碌に仕事しない所か人一人倒せないほど弱っちいとは。

というかあの程度の弾幕で息切れする?

普通」

 

「あー、その、なんだ。

御愁傷様?」

 

小悪魔との弾幕ごっこの間、そのまま本を読んでいたパチュリ―が本から顔を上げてため息を付く。

 

「まあ、使えない奴の事なんてどうでも良いわ。

……あなた、何者かしら」

 

「おいおい、名乗って……はいないか、確かに。

私は霧雨魔理沙だ」

 

「そ。

……本来、今日この館に訪れる奴は彼と巫女だけだと聞いていたのだけど」

 

「ん?

それって、もしかして兜を被った男か?」

 

「そうだけれど」

 

「……霊夢のお父さんが、ここに、ねぇ?

もしかして、あんたら、去年よりも前から知り合いだったのか?」

 

「……へぇ。

彼が、あの巫女の父、ね。

……元鳶の鷹が鳳凰を生んだのかしら」

 

「正確には育ての親だとよ。

本人がそう言ってた」

 

「そう。

鳳凰は托卵の習性でもあったのかしらね。

まあ托卵したのは鳳凰じゃなく鵺か何かでしょうけど。

紫色の、ね。

……中々面白い話をありがとう。

じゃあ、とっとと帰りなさい。

……その懐に入れた本を置いて、ね」

 

「……けっ。

やっぱばれてたか」

 

パチュリ―から突きつけられた指先。

その矛先は、肩掛けた鞄に隠しておいた魔導書を指していた。

 

私は懐から本では無く、スペルカードを取り出す。

 

「抵抗する気?

いい度胸ね。

……まあ、良いわ。

スペルカードの試運転は、何時かやらなくてはならないと思っていたし」

 

そうして、パチュリ―は一冊の本を浮遊させ、手元へと持ってくる。

 

……よし、乗って来てくれたな。

ルーミアですら応じたんだし、大丈夫だとは思ったが。

 

ちゃんとスペルカードルールで戦ってくれるみたいだ。

 

「おいおい、スペルカードルールでも確認するつもりか?

読書好きだってのに碌に内容を覚えていないんだな」

 

「あら、何を言っているのかしら?

この本にスペルカードを保管しているだけよ」

 

本からカードが……スペルカードが抜きとられる。

 

「確か、最初に枚数を提示しなきゃいけないんだったわね」

 

抜く、抜く、抜く。

 

「あ、ああ。

一応、形式上は、だけどな。

やらない奴も多い」

 

抜く、抜く、抜く。

 

「じゃあ、提示するわ」

 

抜く、抜く、抜く。

 

「"取り敢えず、21枚"」

 

にんまり、とパチュリ―が笑う。

その顔は、小悪魔に似た悪辣な物で。

 

「……さっきはあんた、悪し様に言ってたけどさ。

やっぱ、あの小悪魔って使い魔?

あんたにぴったりな使い魔だよ」

 

「あら、それは褒め言葉かしら?」

 

んな訳ねえだろ、クソッタレ。

 

 

 

霊夢は辺りを忙しなく見まわしながら、紅魔館の嫌気がさす程に紅一辺倒の内装を駆け抜ける。

そして、窓のある階段へとたどり着く。

 

「……居ない」

 

だが、見渡す視界の中に、捜している金色は無い。

 

代わりに入って来たのは、"唐突に現われた銀のナイフ"。

 

右頬、左頬、脳天。

その三か所に刺さる機動で現れた銀のナイフを、しかし霊夢は背中に倒れる様に躱す。

 

振り子の如く縦に半回転した霊夢。

 

髪が地面へとしな垂れている霊夢の首に、ナイフが突きつけられる。

その磨き上げられた刀身が鏡の如く反射して、ナイフの持ち主の姿を映す。

 

「……そう言う服って、メイド服って言うんだっけ」

 

「そう言うあなたの服は、巫女装束って言っても良いのかしら?

随分と脇がお寂しい限りね」

 

「良いでしょ?

軽くて涼しいわ」

 

唐突に霊夢の姿が消える。

そしてナイフを突きつける銀髪の女の背後に、霊夢は現れる。

 

「で、メイドさん。

もう一人、この館に入って来た魔女っぽいのが居たはずなんだけれど。

どこにいるか知らない?」

 

「いいえ?

生憎と」

 

ナイフ。

ナイフ、ナイフ、ナイフ。

 

銀髪の女は消え、霊夢の周囲をナイフが取り囲む。

 

「ですが、情報提供感謝しますわ。

……片付けなければならない塵がもう一つ有るのならば、速く片付けなくてはなりませんね」

 

霊夢を取り囲んだナイフの軍勢は、抱擁するようにその包囲を急激に狭める。

 

霊夢は微かに首を傾げる。

手を微かに傾げる。

膝を微かに曲げる。

背筋を微かに伸ばす。

 

それだけで、ナイフはその抱擁をすげなく躱された。

 

霊夢は見上げる。

 

そこには、紅色の月光に照らされた銀髪の女が、階段の手摺りに腰掛け、足を組んでいた。

 

「……スペルカードルールに従うつもりはあるの?」

 

「ええ、それは勿論。

メイドですもの、主の指示には従いますわ」

 

「その割には、そのナイフは随分と鋭いみたいね」

 

霊夢が壁を見やる。

そこにはあれだけあったナイフは一本たりともなく、しかし壁には無数のナイフが空けた切っ先の穴が有った。

 

「ナイフが一本や二本刺さった所で、死ぬ事はありませんわ。

もしも死ぬ事が有れば、それは運が悪いか、よほど脆い人間位でしょう?

どうせ弾幕ごっこなんて、実際の所は妖怪がやるものなのだから」

 

「人間が、ここに居るのだけれど?」

 

「少なくとも、あなたは脆い側の人間では無いでしょう?

それに、事故死というものは有る物ですわ。

どんなスポーツでも」

 

「審判は私よ」

 

「審判が競技に参加するとは、可笑しな話ですわね?」

 

「そういうルールだもの」

 

「では、私もルールに則るとしましょうか。

メイドのルールは"お掃除をする事"、ですものね?」

 

 

 

「……これで、何枚目だ……?」

 

「まだ四枚目よ。

もう少し位は耐えてね?

実験にならないから」

 

その声に魔理沙は弾幕を撃つが、パチュリ―が放つスペルカードの弾幕の波に掻き消される。

 

「やっぱ、普通の弾幕じゃ無理か……!」

 

「当然ね」

 

もう恐怖をも超えて呆れる程の弾幕だった。

それが後……17枚?

……無理だな、絶対無理だ。

疲れか魔力切れかで落ちる。

 

つまり、持久戦は無理。

どうにかして、私はこの弾幕を掻い潜ってあの魔女をダウンさせなきゃならない。

 

……ようやく、まともなスペルカード戦になってきたな。

分かっちゃいたが、実にくそったれだ。

なんだよ21枚って。

 

迷路のようになっている本棚を駆け抜けて、本棚を盾にしながら逃げ惑う。

本棚に衝撃が走り、私が通った本棚が私の後を追うように倒れていく。

 

弾幕が本棚に当たって弾ける音と、本棚が倒れる音が響き渡る。

その最中、微かに。

 

咳をするような声が聞こえた。

 

「……ん?」

 

見れば、パチュリ―が口元を抑えていた。

そして周りには、本に積もっていたであろう埃が目に見えるほど宙に浮いている。

 

「……成程、な」

 

これは、いけるかもしれない。

 

 

 

「……試せたのは六枚。

まあ、良く持ったと褒めてあげましょうか。

聞こえちゃいないだろうけれど」

 

パチュリ―が嘯く。

 

図書館の中空からパチュリ―が見下しているのは、図書館の一角。

魔理沙が墜落した場所だ。

 

周囲の本棚を纏めて倒した挙句の墜落によって、その一角は周囲よりもなお増して本が積み上がっている。

その下に埋もれているであろう魔理沙を見通すように眼を細め。

 

そして、それを見つけた。

 

見つからないように蹲り、風呂敷に本を掻き集める魔理沙の姿が。

 

「……異変解決者、ねぇ?

あれだけ自信満々に言っていた割には、随分と無様な姿ね。

誇りは無いのかしら?」

 

その言葉に驚くように肩を震わせ、魔理沙は飛び立つ。

そしてまた、本棚を盾にするように飛び続ける。

 

土&金符【エメラルドメガリス】

 

そして、緑色の光球が図書館を照らす。

 

魔理沙の体躯を悠々と呑み込むような巨大な光球が本棚を薙ぎ。

それと比べて小さいながらも、魔理沙と比べれば十分大きい光球が飛沫の如くばら撒かれる。

 

文字通りエメラルドの巨石が降り積もるようなスペルカードは、今までの物と比べても強力な物。

 

複数の巨大な光球に追い立てられ、魔理沙は逃げ場を無くす。

 

「……終わったわね」

 

パチュリ―は、魔理沙の姿が光球に遮られ見えなくなったのを尻目に、手元にある本を開く。

 

そして、本を照らす光源、天井のシャンデリアの光が影に遮られた。

 

振り向く。

 

そこには、"風呂敷の結び目を解く"魔理沙の姿が有った。

 

「生憎と、"誇り"も"埃"も有り余ってるんでな、お裾分けだ!」

 

掃除が行き届かず、舞い上がった埃ごと掻き集められた本。

その本からも埃は山のように出てくる。

 

その量は風呂敷に包める量を考慮すれば相当な物であり。

不意を突かれたパチュリ―が、成す術なく埃に呑み込まれたのは仕方のない事だった。

 

咽る。

咽る。

咽る。

 

スペルカードを維持できない。

次のスペルカードを宣言できない。

 

「これで、私の勝ちだな!」

 

そう勝ち誇る魔理沙に、パチュリーは罵声の一つでも浴びせようとして。

また、咽た。

 

 

 

「私の能力は、運命に干渉する事が出来る。

けれど、全てに干渉出来る訳じゃない」

 

紅魔館の裏。

名前も何も彫られてはいない、一見すればただの石にしか見えない墓石。

その傍らに酒瓶を置く騎士の背中に、レミリアはぽつぽつと話す。

 

「……人の運命って言うのは、例えると、衣服のような物なのよ」

 

「一部の編み方を……途中経過を……変える事は出来る。

そして変わった糸は、その後にも変化を与える。

同じ種類の衣服でも、編まれ方が違えば別物に見えるようにね。

けれど結局、出来あがる衣服の種類は……結果は……変えられない。

元がマフラーだったものを、セーターには出来ないの」

 

「仮に、お父様があなたを見つけなかったとしても。

何時か、お父様はああなっていた。

この幻想郷に辿り着き、誰かの手により朽ち果てていた。

それは変わらなかった」

 

けれど。

あなたを見た時……あなたの運命を、少しだけ垣間見た時。

 

「その時に見えたお父様は、そのお父様だけが、満足してたのよ。

だから、私はあなたをあの時館に呼んだ。

……軽蔑するかしら?」

 

騎士は首を横に振る。

仮に軽蔑できる者が居るとすれば、それはアルカードの他に無い。

 

確かに己達は彼の人生に関わり、良くも悪くもそれを捻じ曲げたのやもしれない。

だが、それで変わったのは、彼の人生なのだ。

加害者が被害者を軽蔑するなど、滑稽に他ならない。

 

それに、"彼"は気付いていたのだろう。

レミリアが自らの生の終局を覗いていた事を。

 

それを知った上でのレミリアの行動を、最後の最後まで咎めなかった。

 

ならば、己は何も言うつもりは無い。

 

それよりも。

 

騎士は背に差した竜血の大剣に手を伸ばす。

 

レミリアは、どこまで己の運命を見たのだ。

 

"いずれ己は行動に移すだろう"。

 

それが成功するにせよ、失敗するにせよ、己が何をしたいのかは分かるはず。

 

で、あれば。

 

"どこまで知っているのだ"。

 

そう考えた己の心を読んだのか。

あるいは、こうして考える事まで運命で読んでいたのか。

 

レミリアは微笑む。

 

「安心なさい。

色々と迷惑かけたもの、悪いようにはしないわ。

……約束するわ。

"私は誰にも口外しない"。

そして……そうね、これくらいなら言っても問題無いかしら」

 

「"このまま暮らしていけば、あなたのやりたい事は成功するわ。

おおむね、あなたの望む形で"」

 

5歩、6歩、離れた所で呟かれたその言葉は、だというのに耳元に囁かれたように聞こえて。

そしてその呟きが消えないように静かに騎士は竜血の大剣の柄から手を離す。

 

「……お父様の分も含めて、あなたには借りが山ほどあるわ。

機会が有れば、協力してあげるつもりよ?」

 

騎士は、その言葉に首を横に振る。

 

どうせ、その協力が有ろうと無かろうと成功するのだろう。

それは、先ほどの例で言う所の衣服なのだ。

協力しようがしまいが結果は変わらない。

 

ならば、わざわざ骨を折らせてまで"編み方"を変えさせる必要も無い。

 

成功する。

それだけが解れば、騎士には充分だった。

 

「……欲が無いのね。

悪魔の契約の空手形だって言うのに」

 

紅い月光に、一人の人影が差した。

その影の正体を、騎士も、レミリアも知っている。

 

「……あら。

そろそろ、時間切れみたいね」

 

そして、レミリアも飛び立つ。

 

騎士は、それをただ見上げるだけだった。

見上げる他無かった。

 

それは、煌びやかで、艶やかで。

対して己の出来る事は、身も蓋もなく、鉄臭く、赤錆びている。

 

つまるところ、どうしようもなく。

騎士は、それに参加する資格がないのだ。

 

 

 

「なんだ、やっぱりあったじゃないか。

地下室が」

 

特に隠された様子も無かった地下への道を、魔理沙は見つけた。

 

「……もたもたしてたら霊夢が来ちまうな」

 

ここに地下室が有ったって事は吸血鬼が居るはずだ。

それなら霊夢も絶対にここへたどり着くだろう。

 

階段の先は、これまでと変わらないような外装の真っ赤な一本道だった。

ただ地下だからなのか、それとも灯の数が少ないのか、これまでよりも薄暗い気がする。

 

本当にこの先に吸血鬼が居るんだろうか?

 

そんな思考が浮かぶくらいには、素っ気なさ過ぎる道筋だった。

親玉の部屋に続く道なら、もうちょっと豪勢になっててもおかしくはなさそうだというのに。

 

「……ん?」

 

そして、魔理沙は見つけた。

 

これまでの道とはまるで雰囲気が違うような、可愛らしい扉があった。

 

「……吸血鬼は少女趣味、ってか」

 

魔理沙は少しだけ躊躇ってから、扉を開けて入り込んだ。

 

「……誰?」

 

明かりが一切ない、暗い部屋だった。

背後の通路にある光源は部屋を照らし切れず、闇がどこまでも広がっているように見える。

辛うじて見える床には、ちらほらと本が散乱している。

だがその量は莫大な量ではなく、故に書庫というよりは片付けの出来ない子供が、読み散らしたような印象を抱かせる。

 

そして、その闇の中。

 

背後の通路からの光でかすかに黄金に輝くところから、少女の声が響く。

 

「あんた、吸血鬼か?」

 

「……そうだけれど」

 

その呟きとともに金色がゆらりと揺れる。

その絹のような揺れは、魔理沙にその金色はその少女の髪なのだと言外に教えてくれる。

 

「私は異変解決者だ。

外の霧を止めに来た。

……ここまで言えば解るだろ?

とっととやろうぜ」

 

「……何の事?」

 

「おいおい、すっとぼけるなよ。

弾幕ごっこだよ、スペルカードルール。

互いに弾幕出し合いながら、必殺技みたいにスペルカードを使って相手を倒すか相手のスペルカードを全部しのぎ切れば勝ち。

……解るだろ?」

 

「……ええ、知っているわ。

本で読んだことあるもの。

けれど、私にそれをする理由はない。

私は霧なんて出していないんだから」

 

「はぁ?

嘘をつけ、去年の霧は吸血鬼が出してたのは確かなんだ。

なら今年のこの霧だって吸血鬼が出してるに違いないだろ」

 

何せ、去年の事については他ならぬ霊夢から聞き出した事なのだ。

吸血鬼の誰かがやっているのは確定だ。

 

「……あなた、吸血鬼に用が有るの?」

 

「ああ、そうだよ。

道を塞ぐ妖怪、悪魔、魔法使い!

どれもこれも苦労してぶっ飛ばしたのは、その為なんだからな」

 

「……小悪魔とパチュリーの事?

倒せたの、あなたに?」

 

「お。

聞きたいか、私の今夜の武勇伝を!

……霊夢もまだ来てないしな、良いぜ、聞かせてやるよ!」

 

それは度胸、機転、勇気の物語。

 

虚栄と自慢、総じて傲慢に彩られた語りながらも、それらを振り絞った事に変わりはなく。

 

暗がりから魔理沙を見つめる紅い瞳に浮かぶのは羨望に、嫉妬。

そしてそれらを覆い隠すほどの、嘲笑。

 

だが、魔理沙はそれに気づかない。

 

「今頃まだ咽てると思うぜ……っと。

あんまり長いこと話してる時間は無かったんだった。

……一度先におっ始めさえすれば邪魔はしないと思ってたけど、改めて考えると普通に乱入してきそうだもんなあいつ。

……なあ、この異変は吸血鬼が親玉なんだろ?

一年前みたいに。

そんでもって、私の予想だが……あんたは吸血鬼だ。

そうだろう?」

 

「……。

そう、そうなのね。

……あなたの言っていた事が解ったわ。

ええ、そうよ。

私は吸血鬼。

……だけれど、あなたの探している吸血鬼は、私じゃなくてお姉様の事だと思う」

 

「お姉様?

……吸血鬼は二人いたのか。

じゃあ、そのお姉様は一体どこに居るって言うんだ?」

 

「……さあ。

知らないわ」

 

やっちまったな、と魔理沙は頭を掻きながらぼやき染みた問いを投げかける。

それに答える吸血鬼の妹の口調は、およそ感情と言う物が籠っていない素っ気ないもの。

 

「……それよりも、早くどこかへ行った方が良いわ。

私の近くに居たら、危ないから」

 

「ん?

なんでだ、お前の近くに居たら急に頭が吹っ飛んだりするのか?」

 

魔理沙は手に持っていた箒を後ろ手に握り直す。

扉は背後だ、こうすれば箒に跨った時にすぐ通路へと飛べる。

 

抜け目ない魔理沙のその動作に気づく事無く、吸血鬼の妹はくすり、と笑う。

そして、おもむろに左手を差し出した。

 

暗がりより躍り出た、吸血鬼の妹の白魚のような手に、魔理沙は少しだけ見惚れる。

 

「ちょっと近いかも。

……私ね、目に見える生き物の大事な"何か"を手に呼び寄せられるの。

そして、握り潰せちゃう」

 

そして、唐突にその手を握った。

 

「……なんだ、何も無いじゃない……か?」

 

思わず魔理沙は目を瞑り、そして何もないと知ると軽口を叩く。

否、叩こうとした。

しかし、魔理沙は姿勢を崩す。

急に片足だけ大地が無くなったように感じた。

 

そして、魔理沙は気づいてしまった。

 

散乱していた本。

それを魔理沙は一冊だけ、踏んづけてしまっていた。

しかし今足元を見ても、そこには赤い絨毯が広がるのみ。

 

"足元にあったはずの本は、どこに行った?"

 

吸血鬼は身動ぎをする。

そして、魔理沙の視界に薄っすらと、その顔の輪郭を表す。

 

その口元に浮かんでいたのは、歪な三日月のような笑み。

 

「……お前、私を"握り潰す"気か?」

 

「私、思うの。

人は生まれた時には、既にやれる役割(ロール)が決まっているんだ、って」

 

魔理沙の震えの混じる問いに、吸血鬼の妹は答えず話し始める。

 

「ほら、物語に出てくるような勇者や賢者は、それらしい出自をしているものじゃない。

神の子孫だなんだ……とか、さ」

 

「……そうとは、限らないと思うぜ。

それなら、なんで私は今こんな所に居るんだ?

生まれは金持ちの店屋の娘だぜ、私。

誰だって、その気になれば何にだってなれるさ」

 

「あら、そうかしら?

似合わないロールをしても、物語には歪みが出来るだけだと思うけど。

だって」

 

「他ならぬあなたが、それを証明してるじゃない」

 

「だってそうでしょう?

今日起こったその異変は、本来はその霊夢って人とお姉様だけで完結するはずだったでしょう?」

 

「あなたも分かってるんでしょ、この異変は半ば出来レースだって。

軽く話を聞いただけの私だって解ったわ。

……あなたの出る幕は、どこにも無かったのよ。

生まれ持った役割を、そのままこなせば良かったのよ。

たおやかに、優しく、花のように……町人の娘のように」

 

どうせ、結局はそれ以外にはなれないんだから。

 

その言葉が吸血鬼の妹の口腔まで迫り出、しかし。

 

魔理沙が散乱している本を拾う音で、そのまま口腔の闇へと消え去る。

 

「桃太郎。

赤ずきん。

白雪姫に、シンデレラ。

……よくもまあ、こんだけ王道な物語を集めたもんだな。

だけど、世の中あんたの言うように生まれ持った役柄のまま終わるような話ばかりじゃないんだぜ?」

 

「あんたの言う事が正しいなら、ピノキオは人形のままだったはずだし、三匹の子豚はオオカミにそのまま喰われていただろうな。

だけどピノキオは人間になって、三匹の子豚はオオカミを煮殺した」

 

「でも、だからって町人の娘が勇者になれる訳じゃない。

……吸血鬼が、お姫様になれる訳でもない」

 

「……なあ、知ってるか?

世の中、出来る事の証明は出来ても、出来ない事の証明は出来ないんだぜ。

それを、人は"悪魔の証明"って言うんだ」

 

「あら、ならぴったりじゃない。

……証明してあげる。

町人の娘が、勇者にはなれない事を」

 

ふっ、と。

金色の髪のみが浮かぶ、闇の中で。

赤い……いや、紅色の瞳が浮かぶ。

 

そして、その後ろに、蝋燭に火を灯すように。

色とりどりの宝石のような物が、光を発し輝く。

 

「ああ、確かにぴったりかもな。

不可能の証明が悪魔の役割なら、可能の証明は人間がやるべきだろ?」

 

闇に沈む部屋から魔理沙が飛び出すと同時に、爆音が部屋を包む。

その爆音で魔理沙が呟いた言葉は掻き消され。

 

そして、弾幕ごっこは始まった。

 

 

 

「糞が……!」

 

奇術【エターナルミーク】

 

咲夜は罵声を漏らしながら、紅魔館の窓を突き破りつつ最後のスペルカードを発動する。

 

「まだ有ったの」

 

そしてその後ろを追い、霊夢が窓から躍り出る。

 

霊夢を迎え撃つべくして、青みがかった弾幕が滅茶苦茶にぶちまけられる。

 

「ナイフは品切れ、そしてスペルカードも悪あがき程度の代物だけ、か」

 

「悪あがきだと思うなら、破ってみなさい!」

 

霊夢はその弾幕の根源……咲夜に向かって一直線に飛ぶ。

そして、全ての弾幕を避け、眼前に浮かぶ。

 

眼前に浮かんでいる間も弾幕は絶えず放たれ続けているが、しかして霊夢には一発も当たらない。

 

「何故!?」

 

「安全地帯が出来るスペルカードが、悪あがき以外の何だっていうのよ。

出来が甘いわね」

 

そして、咲夜は霊力をぶつけられた。

炸裂するかのようなそれは、当然のように咲夜の意識を刈り取り、重力に身を委ねさせる。

自由落下する咲夜を、矮躯に翼を生やした、異形の影が支える。

 

「……ご苦労様、咲夜。

ゆっくり眠りなさい」

 

意識が無いというのに、その最も大切な主人に抱かれた咲夜は、安らかな顔を浮かべた。

 

宙で咲夜を受け止めたレミリアは、ゆっくりと降下して地面に咲夜を横たえる。

 

そして、レミリアはゆっくりと視線を上げる。

 

そこには、真っ赤な月を背にした博麗の巫女がいる。

 

かすかな風に鴉羽色の髪が揺れる。

その顔が神秘的なまでに青白く見えるのは、紅い月光を背負っているからだろうか。

それだけを見れば病的な人間、と言える。

だが、紅の月光に照らされ艶やかに煌めく髪と肌は妖のようで。

人が、人という範疇から綻び出る。

そんな様を人は神懸る、と言い、そしてそれを人の枠組みに当て嵌めて巫女と呼ぶのだろう。

 

この国の言葉も中々上手く出来てるわね、とひとりごちると、レミリアはふ、と笑みを浮かべる。

 

「……なるほど。

親玉は、少しは出来るみたいね」

 

「さあ、どうかしら?

良く解らないわ。

これまで外に出して貰えなかったから」

 

「……なら、一年ぶりの外出って訳?」

 

「まあ、そう言う事になるわね」

 

レミリアは少しずつ上昇する。

館を背にするように。

そしてレミリアに向きなおろうとする霊夢の動きによって月明かりの角度が変わり、影になっていた霊夢の顔を照らしてゆく。

 

レミリアは霊夢と相対するまで上昇した。

 

紅い月光は、霊夢の白い顔を照らす。

紅が差す。

 

月光で髪が香油を注がれたように艶やかに輝き。

頬紅を注すように赤らみ。

頬の白さが際立って。

 

その様はまるで化粧がされていくようで、レミリアにはそこで初めて霊夢の生気を感じられたような気がした。

 

「……本気で、殺すわよ?

こんなにも月が紅いのだから」

 

そのつもりでやらなければ、つまらない。

そのつもりでやらなければ、届かない。

 

目の前のヒトは、そういう類の存在だ。

その事は、一年前の時点で身をもって思い知らされている。

 

「……長い夜になりそうね」

 

「「こんなに月が紅いのだから」」

 

 

 

紅色の月が、御猪口の中の酒に映し出される。

 

「……紫様。

何故、見過ごすのです」

 

「……どれの事を言っているのかしら?」

 

紫は御猪口をゆっくりと傾ける。

御猪口の中の月光が揺らめき、その形を歪める。

 

「無論、全てです。

一年前の紅魔館への事後処理。

奴への紅魔館の接触。

そして今日の……」

 

「大丈夫よ。

彼の知り合いだったようだし。

吸血鬼といえども悪魔は悪魔、契約を破るような性質でもない。

……それに、一年前のあれで前々から目をつけていた潜在反抗分子を根こそぎ始末出来た。

まるで我々がそいつらに目を付けていた事を知っていたようなくらいに抜けもなく、そして余分もなく。

詰まる所、元々そのつもりだったという事。

ただ降伏するように見せかけるだけなら態々そこまでやる必要もなし、であれば幻想郷への危険性は無いでしょう。

ならばこちらも警戒する必要はなし、当初の計画通り、反乱分子や妖としての本能を抑えられなかった者等の対処の形式化を推し進めれば良いだけ。

そう、スペルカードルールによる、ね」

 

「……はっ」

 

問いの一切合切を流し去るような説明に、何を言おうとも聞き入れはしない事を藍は悟る。

 

藍は己が主に礼をし、部屋より退出する。

 

紫様の言っている事は、実際七割ほど事実を言っているのだろう。

だが。

 

「……紫様は、奴に甘すぎる」

 

藍は独りごちた。

 

情は人を狂わせる。

それは妖怪であろうと例外は無い。

否、狂ったからこそ妖になる事もあるか。

 

紫様は、平等だった。

故にこの幻想郷を思いつき、そして作り出した。

その思いにいささかの偏りもなく、故に私は一層の忠誠を誓った。

そしてそのきっかけから忠誠は離れ、何にも依存しない確固たる物となっている。

 

そう、私はいいのだ。

何があろうと紫様についていく。

それは揺るがない。

 

だが、紫様自身はどうだ。

 

誰が思う?

紫様が……自身が、幻想郷を作る切欠となった人物が現れるなどと。

 

固い決意も、その固い決意を抱く切欠となった事柄を前にしては揺らぐ。

それはある意味では当然の事だ。

どれだけ強固な意志……扉だろうと、内側から開けられれば……その意思を固めた理由が障害となっては、もろくも崩れ去るのと同じように。

 

そして、一度失っていたと思っていたものが現れれば、今度は失うまいと思うのも当然のことだ。

それを責める事はできない。

だが、それでは駄目なのだ。

 

「……ですが、それはあなたの為にはなりません、紫様」

 

その呟きは、誰に届く事もない。

 

 

 

掲げられた掌に、現れたのは黒くひしゃげた尻尾のような物。

 

禁忌【レーヴァテイン】

 

吸血鬼の妹が……フランドールが呟いたのを、魔理沙は聞くと同時に吸血鬼の部屋から飛び出る。

 

そして、可愛らしい扉を、炎が壁ごと切り裂く。

 

「……スペルカードって、こんな風にするんでしょ?

……遊びなのに、色々と壊しちゃった」

 

幽かな笑いと共に、やっぱり駄目な子だね、私、と炎の中から響く。

 

「おいおい、ガキが遊んでて物壊すなんて愛嬌みたいなもんだぜ?

私なんて随分壊したもんだ」

 

そう言いながら、魔理沙は弾幕をぶちまけながら通路の出口……一先ずは図書館の方へと箒の先を向けて飛ぶ。

 

ふ、と。

半身が少しだけ熱く感じたような気がした。

反射的に一人分ずれる。

 

そこを炎の刀身が通り過ぎた。

 

「……っ!」

 

「凄いね、今のが当たらないんだ」

 

その通り過ぎた一瞬の熱さ故か、それともスペルカードだと言うのに当たれば死ぬ攻撃が間近を通り過ぎた故か。

一瞬で魔理沙の全身から汗が噴き出る。

スペルカードで人が死ぬ威力になるという事は、それだけ埒外の力が込められている、という事なのだから。

 

後ろをちらりと見れば、吸血鬼の妹が空を飛んで追いかけて来ている。

 

「なぁ、妹!」

 

「……フランよ。

フランドール・スカーレット」

 

「じゃあフランだな」

 

「……それがどうかしたの?」

 

「いいや、何でも?」

 

魔理沙は笑う。

無論、客観的に見れば笑ってられる状況ではない。

これまでの弾幕ごっこよりもより直接的に死がある。

 

でも、だからって怯えたりするのはそれこそ負けたような気がするから、だから魔理沙は笑う。

こいつには、勝ちたいと思ったから。

 

「ただ、私ら互いの名前すら知らなかったなってさ。

そう思っただけだ」

 

「……じゃあ、そういうあなたの名前はなんていうの?」

 

「魔理沙。

霧雨魔理沙、お前を倒す奴の名前だよ。

覚えとけ」

 

「ええ、覚えておくわ。

……私が、"本当に"殺しちゃうだろう最初の人だもの」

 

それに対する軽口を叩く間もなく、今度は横降りにレーヴァテインが振るわれる。

それを、魔理沙は図書館へと続く階段を駆け上がるように躱す。

 

箒の先端で図書館への扉を突き破り、その馬鹿げた図書館の中空で止まる。

 

「あら、鬼ごっこは終わり?」

 

「元々逃げてた訳じゃないしな。

流石にお前くらいの相手だと、これぐらい広くなきゃまともに弾幕ごっこなんてやってらんないぜ」

 

「へぇ……」

 

そう言った瞬間、魔理沙は陽炎を見た。

フランが……吸血鬼が、ぶれて見える。

 

「「じゃあ」」

 

否、ぶれていない。

 

「「「私が一人じゃなかったら」」」

 

これは……増えて……!

 

どうする?

 

唐突に、耳元に呟かれた。

 

禁弾【スターボウブレイク】【カタディオプトリック】【過去を刻む時計】

 

「スターダストレヴァリエェェェェェェェェ!!」

 

星屑の爆風が、魔理沙もろとも周囲を包む。

魔理沙の全力を込めたスペルカードは、その周囲を囲み圧殺しようとしていたスペルカードの檻を打ち破る。

 

全身を包むスペルカードの痛みに耐える。

痛みの分だけ強く箒を握り、その筆に全力で推進剤たる魔力を込め。

急加速して暗くなる視界に反比例するように輝く計四つのスペルカードの残滓。その間、自分の背後の位置に。

"四人目のフラン"がレーヴァテインを持っているのが見えた。

 

「……ッ!」

 

今のが間に合ってなかったら。

今頃、私は……。

 

魔理沙は息を飲んだ。

そして、笑った。

 

 

 

「あはは」「凄い凄い」「今のも避けるんだ」

 

ニタリ、ニタリと。

四人の私が笑みを浮かべる。

 

「次は避けられるかな?」

「それとも今度はあなたの番?」

「早く早く、頑張れ頑張れ」

 

「そうしなきゃあなたは死んじゃうのよ?」

 

手にレーヴァテインを持ち、私たちは魔理沙を取り囲む。

 

「……なあ、一つ聞いていいか」

 

そんな状況だと言うのに、目の前のあの子は……魔理沙は問いを投げかけて来る。

 

「あら、なあに?」

 

「お前は、本当は何がしたいんだ?」

 

私が本当にしたいこと。

そんなものは……。

 

「……そりゃあ、あなたで遊んで、殺してしま「いいや、それは違うだろ?」」

 

まるで見透かすように、魔理沙は私の言葉を遮る。

 

「だってお前が今している顔は、私が実家にいる時親に見せてた顔と一緒だ」

 

「体面とか、義務感とか、諦めとか、そういう一切合切が全部籠ってる顔だ」

 

「無理とかやってはいけないとか、そういうのを差し引いた『やりたいこと』だよ」

 

「私は一杯あるぞ。

そうだな……今はケーキが食べたいし、香りのいい紅茶も飲みたい。

この図書館の本根こそぎ持って帰るのもいいな、だけどぶっちゃけもう疲れたから寝たいぜ。

ああ、それ以前に……ここから、生きて帰りたいな」

 

「……何?

それは命乞いなのかしら、それとも起きながら夢でも見ているのかしら?」

 

夢は叶わないものだ。

見上げる星のように、届かないものだ。

だから、そんな"起こりえないようなこと"を、夢と呼ぶのだ。

 

「夢……か」

 

魔理沙は微笑んだ。

私はそれに虚を突かれる。

 

それは、これまで自信満々だった彼女には似合わない表情で。

ひどく、気弱そうに見えて。

そして、なぜだか私自身に被って見えたから。

 

「ああ、分かってるさ、分かってる。

誰にだって無理なことはあるさ。

……私だって、霊夢に勝てって言われたって……無理だろうな」

 

でも、と。

魔理沙は言葉を絞り出す。

 

「でも、諦める訳にはいかないんだ」

 

「……なんで、諦めないの?」

 

おじ様を殺してしまった私のように。

 

「努力したって出来ない事だって、沢山あるんだよ?」

 

能力を制御できない私のように。

 

「だって、まだ分からないじゃないか」

 

力強く、魔理沙は言う。

 

「最後の最後までやって、それで出来なかったら出来ない事なんだろうさ。

でも、今は最後の最後じゃない。

だから、まだ私は賽の目すら振っちゃいないんだ」

 

「……そんな、分の悪い賭けに人生の全てを賭ける、って?」

 

「ああ。

だって、賭けなきゃ絶対に後悔する。

賭けないでずっと後悔したまま生きるのと、賭けて人生をふいにするの。

どっちだって、一緒だ。

なら、私は賭ける」

 

「お前は賭けようとは思わないのか?

私のように」

 

「前に進もうとは思わないのか?

私のように」

 

「……なんで、そんな事を聞くの?

私とあなたは知り合いですらない、初対面なのに。

私がどうなろうと、あなたには関係ないのに」

 

「ああ、そうだ。

ぶっちゃけお前は赤の他人だ。

だけど、ちょっとばかしお前の事情を知っている。

で、だ……」

 

「お前はまるで"何も行動せずにそのまま人里で諦めた場合の私"みたいで腹が立つ。

それだけだ」

 

「……なに、それ」

 

煮えたぎる物が、せり上がってくる。

滓のように粘ついて、汚らしくて、だけどどうしようもなく明確に私の物が。

眠っていた物が。

眠らせて、いた物が。

 

「そんな訳の分からない自分勝手な理由で、私の前にいないで!

迷惑よ、私に諦めるなって言いたいの!?

そんなのは……そんなのは、あんたみたいにまだ失敗してない奴だけが言えるのよ!!

あんた、目の前で恩人が。親が……好きだった人が消えていく事を見た事があるの!?」

 

禁忌【クランベリートラップ】

 

「無いね!

無いが、それは足を止める理由になんてならない!!

こう言っちゃなんだがな、人なんざ割とポンポン死ぬもんさ。

だけど、私たちは物語の世界に生きてる訳じゃないんだ、『恋人が死んだお姫様はその後ずっと悲嘆に暮れました』なんて一文で済む訳ないだろう!

誰かが死んだ後も、ずっと世界は続くんだ!

失敗したって続くんだ!!」

 

禁忌【カゴメカゴメ】

 

「でも消えないわ!

続くからって失敗が消える訳じゃないのよ!?

あの光景が私の瞼から消えないの!!

私の心から消えないの!!

私が私を信じられないの!!!

"失敗を恐れるな"!?

無理よ、恐ろしいものは恐ろしい以外の何物にもなりはしないの!!

誰かが近くにいるのが恐いの!

また傷つけるんじゃないかって考えるのが恐いの!!」

 

秘弾【そして誰もいなくなるか?】

 

ぶちまけられる、覆い尽くす。

私の弾幕が、眼前を。

私の言葉が、私に残された最後の言葉を。

 

「そうなるくらいなら、ここでずっと独りで居たほうがいい!

そうすれば、誰も傷ついたりなんてしない!!!」

 

QED【495年の波紋】

 

四方より放たれるは幾重ものスペルカード。

 

叫びと共に放たれたそれは冷静さに欠き、スペルカード同士弾幕が多分に干渉し、相殺し合う。

しかし、それでも魔理沙を……人間一人を跡形もなく消すには十二分に足りる物量。

 

魔理沙はそれを避けるように地へと飛ぶ。

それにより大多数の弾幕は直撃コースを外れるが、幾つかの誘導弾や流れ弾は魔理沙目掛けて飛翔する。

全体の分量からすれば余波、と言い切れるそれですら、人を圧死させるには事足りる。

 

眼前は地面。

左右に避ける隙間などなく、背後にあるのは弾幕の壁。

最早逃げ道はない。

 

だが、魔理沙は逃げるために飛んだのではない。

勝つために、ここにいるのだ。

 

魔理沙は懐から"二枚目の"スペルカードを取り出す。

未完成のスペルカード。

成功率は未だ低く、その上失敗したら死ぬ危険もある。

 

上等だ。

 

ミニ八卦炉。

乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八つの図形により森羅万象を表す炉は、道教の神である太上老君が仙丹を練る為に用いたとされている。

勿論魔理沙の持つ八卦炉は本物ではなく霖之助が作った贋作……再現品ではあるが、人一人に持たせるには過剰な代物。

暴走すれば、その余波は容易に使用者を殺し得るだろう。

 

頼むぜ、と魔理沙は呟きつつ振り返り、自らめがける弾幕へとミニ八卦炉をかざす。

視界の片隅、その四方にはフランの姿。

よし、と呟いて八卦炉を握り締める。

 

出力設定は限界出力。

安定出力ですら手に負えなかったスペルカードではあるが、魔理沙は安定出力で切り抜けようとは思っていなかった。

 

――霧雨魔理沙は、結局の所常人でしか無い。

努力と言う塵を積もらせ、八卦炉という下駄を履いても、そこだけは変わらない。

ましてや、何をも纏えぬ心ならば、なおの事。

その感性も、常人のままだ。

 

故に、ずっと心の何処かに恐れがあった。

神社から飛び立つ時も。

ルーミアとのやり取りの時も。

霊夢を追い越した時も、小悪魔の時も、パチュリーの時も、地下の廊下を歩いている時も。

そして、今も。

ずっと、ずっと、怖ろしいと思い続けている。

 

その恐怖は、ずっとずっと視界の片隅に居座り続けている。

 

故に分かるのだ。

自分が、霧雨魔理沙がこの恐怖を直視してしまえば、目の前の彼女のようになるのだ、と。

ちらり、とでも恐怖を見てしまえばなり得るだろうその姿は、容易に成り得る姿でもある。

 

"だからこそ"、その姿に対して一発かましてやらなくては気が済まない!

 

誰かに負けて死ぬのは、確かに恐ろしい。

だが、自分の心が折れるのは……自分に負けるのは。

 

「それだけは、嫌だ!!」

 

恋符【マスタースパーク】

 

 

 

流れ星が、天へと昇った。

 

 

 

――それは、吸血鬼の鋭敏な感覚だからだろうか。

それとも、それがあまりにもきれいだったからだろうか。

とても、とても長く感じたのだ。

 

図書館が光で白く照らされる。

塵が燃える燐光が花火のように消える。

光が集まる。

 

そして。

 

分身し、魔理沙を囲んでいた四体の私全員が"丸ごと"その流れ星に……マスタースパークに飲み込まれた。

 

虹のように原色めいた、しかしてきらびやかな光と、瞬き消えていく五芒星の星屑の奔流。

それに打ち据えられ、そして打ち上げられて。

分身が掻き消え、屋根を突き破り。

 

そして、霧を見た。

雲を見た。

空を見た。

星を見た。

 

八卦炉の莫大な出力によって晴らされる霧。

その果てに現れた雲を掻き分け、現れた空。

その先に、瞬く星を。

 

「綺麗……」

 

全身が痛い。

奔流に飲み込まれてもなお、その言葉が口から漏れる。

 

虹色の奔流と共に、空へと近づいていく。

極彩色の七色と、玩具のような五芒星の魁に、小さく、しかし煌めく本物の星が見える。

私を空へと導く、その極彩色は徐々に解けていって、七色の光が真っ暗な空に散っていく。

 

赤、橙、黄、緑、青、紺、紫。

空の闇に、星の光。

鮮やかに咲く花に、朝露が滴るような。

 

それは、ただの人間が成したにしては、あまりにも綺麗で。

 

星が近く感じて。

 

星に手が届きそうで、思わず手を伸ばした。

 

「……あ」

 

近づいた星が、離れていく。

 

打ち上げられた体が、その勢いをついに使い果たしたのだ。

 

思わず伸ばした掌が、無意識に星を掴もうとして空振る。

 

遠ざかる星が、背中にかかる少しの衝撃と共に止まった。

 

「……これは、私の勝ち、でいいんだよな?」

 

その背中からは、覚えのある声が聞こえる。

魔理沙が、私を抱えていた。

 

「……ええ、私の負けよ」

 

だって、手を伸ばしてしまったのだから。

届きそうだと、思ってしまったのだから。

 

「よっしゃ。

これで、吸血鬼一人ずつ。

霊夢とは引き分けだな……引き分けでいいだろ、うん」

 

心底疲れたような声色で呟きながら魔理沙は呟く。

 

「あー……もう無理」

 

そう言いながら魔理沙は紅魔館の屋根へと降下し、私を降ろしてから寝っ転がった。

 

「寝るわ」

 

「……お休みなさい」

 

うと、うとと。

眉尻を下げ、瞼を少しずつ下ろしていきながら、思い出したように魔理沙が呟く。

 

「……ああ、そうだ。

反証、なんだけどさ」

 

「要するに、能力が暴走するのが怖いんだろ?

なら、私と一緒に外に出ようぜ。

お出かけだ。

まあ、やらかしそうになったらまた私がなんとかしてやるよ。

ぶっちゃけもう二度とやりたかねぇが、さっきも言った通りお前にうじうじされてるとなんか腹立つ。

……あー、もう無理、寝る。

……寝込み襲うなよ?」

 

「……さて、どうかしらね?」

 

まあ、面倒だから襲いはしないけれど。

 

まあ、そうね。

あなたが死なないで頑張り続けてる間は、怖がらないでいようと思う。

あなたが夢見がちに生き続けていられるならば、私も夢を見て生きられると思うから。

だって、私はあなたみたいなんでしょう?

 

「……まあ、やるとしても。

とりあえず、年一くらいがいいかな」

 

「……それじゃ、意味、ないだろ……せめて、月一……」

 

そう呟きながら眠りこける魔理沙の髪を、私は弄った。

 

 

 

「……両方ともスペルブレイク、ね。

……他の弾幕ごっこでの流れ弾によるスペルブレイクって、どんな判定になるのかしら?

博麗の巫女さん?」

 

「……さあ。

面倒だからタッグ組んでたって事で」

 

【夢想封印】と【紅色幻想郷】の残滓が下に降り積もる。

 

「ちなみに私はさっきのがラストスペルだった訳だけど?」

 

「まだある。

だから、私の勝ちね」

 

「そのようね」

 

霊夢とレミリアは示し合わせたように下降し、地面に降り立つ。

そして、気が付けば霊夢の隣には騎士が居た。

 

騎士は魔理沙とフランを見やりながら、言外にレミリアに問う。

 

これも想定通りか、と。

 

「いいや?

可能性はあったけれど、まあまず有り得ないくらいの確率、と言っておきましょうか。

あの子も面白そうね」

 

「喉乾いた」

 

そう言いながら騎士の袖を引く霊夢に、騎士はレミリアへの視線を外さずに水が入っていたはずの水筒を取り出し、与える。

 

酒香が漂った。

 

もしや、と思い、騎士は霊夢を見やる。

……間違えて、酒の入った水筒をやってしまっていた。

となれば彼の墓石の前には水が供えられている事になる。

彼の微妙な顔が目に浮かぶようだ。

 

「……美味しい」

 

「あら、酒盛り?

良いわね、私もご相伴に預かるわ」

 

……まあ、彼の弔いにもなるだろう。

それに、巫女ならばその内に御神酒を呑む機会もあるか。

それが今であっても、まあいいだろう。

 

騎士は酒瓶を取り出した。

 

 

 

夜が更ける。

ともすれば朝日の昇るような、しかして昇らない時刻。

霊夢も魔理沙も紅魔館の客間に寝せ、そして客間の中、その扉の脇で騎士は剣を抱え座り込んでいる。

 

最も暗い時間。

ふと、香りと、腕に少しの重みと温もりを感じた。

 

あの日から……再び会った日から、たまにこうして紫が眠りに来る。

霊夢にも、誰にも見つからないように、密やかに。

夜が更ける頃に現れ、そして朝日が昇る前には消える。

ほんの、僅かな時間。

 

そして、己が眠っているとでも思っているのだろう、たまに呟くのだ。

それも決まったように同じ文言を。

 

「……もう、何もしなくて良いから。

だから、もう、居なくならないで」

 

その呟きに返す舌を、騎士は持ってはいなかった。

 

夜が明けようとしていた。


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