東方闇魂録   作:メラニズム

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第四話

「まいどありー!」

 

 威勢のいい声が、町に響き渡る。

 

 活気の少なくなってきた都で、永琳から頼まれたお使いを済ませて、騎士は帰路についていた。

 

 騎士がこの都に来てから、一年が経とうとしていた。

 一年の間に騎士が知った事は多い。例えば、この都……そもそも町では無かった……の事。

 

 この都は、神が統べる都だったのだ。

 神の名は月夜見。無論、騎士はドラングレイヴ、ロードランで耳にした事は無い。

 

 この大地は天上の神々が作り出し、出来た大地に二人の神が使わされた。

 その二人の神は死別し、残された男神が、三人の神を生み出した。

 その内の一人が、月夜見なのだそうだ。

 

 月夜見は男神……伊弉諾(いざなぎ)という名前らしい……より、夜を支配するよう命じられたらしい。

 その為か、最近は月移住計画という計画が実行段階であり、既に第一、第二段階まで完了したそうなのだ。

 第一段階で機材と技術者、第二段階で大多数の軍人と民間人、第三段階で地位の高い者と残りの者を送り出す為に、既に都には人は疎らにしかいない。

 

 騎士の雇い主である永琳や、教え子である依姫、豊姫は当然ながら第三段階で月に上がる。

 思った以上に長く続いた指南役という仕事は、そろそろ指導する事も無くなっており、ちょうど良いといえばちょうど良かった。

 

「あら、依姫ちゃんの先生。お帰りなさい」

 

 間延びした口調で出迎えたのは、依姫の姉である豊姫。

 他二人と比べて関わる事の少ない子であったが、一年も共に居れば騎士にも大体の性格は掴める。

 怠け癖が玉に瑕とは永琳談だが、被った昼行灯の皮から滲み出る才覚は並外れている。

 依姫が武に長けているとすれば、豊姫は文武両道。永琳を小さくしたようなものだ。

 

 そんな彼女は、騎士を出迎えながら桃を一つ差し出す。

 買った物を脇に抱え直し、ありがたく騎士は桃に齧り付いた。

 

 桃の甘やかな香りが鼻腔をくすぐる。

 しかし、汁自体の甘みを騎士は感じる事は無い。

 

 騎士の舌は喉奥深くまで切られており、舌の味を感じる部分がそっくりそのまま無い。

 故に味を感じる事は無いが、幸いというべきか、嗅覚には何の問題も無い。

 健常者と比べれば幾分か見劣りはするのだろうが、食事を楽しむことは出来る。

 

「そういえば永琳師が呼んでましたよ。早めに行かないと、また血を大量に抜かれてしまうかもしれませんよ?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべながら豊姫が言い、それを聞いた騎士は桃の汁で咽る。

 身体検査だと言って注射器で血を取られる事があったが、旅の最中血を吸う生物と遭遇する事があった騎士はそれに過剰反応した。

 その顛末は割愛するが、永琳の注射器が四つ破損し、本来取る筈の量の五倍取られたという事だけ話しておこう。

 

 兎にも角にも、また血を大量に取られるのは遠慮したい騎士は慌ただしく桃を食べ終えると、永琳の自室へ駆け込んでいった。

 

 

 

 

「来たわね……さて、まず何から話そうかしら」

 

 騎士が駆け込むと、永琳は椅子に座って頬杖をついていた。

 ほんの僅かに愁いを帯びたその表情は、ただの世間話でない事を騎士に悟らせる。自然と騎士の背筋が伸びた。

 

「最初に言っておくけれど、私はこれでもあなたの事を嫌ってないわ。

 だけど、これから話す事は耳触りのいい言葉で話す事は出来ない」

 

 意味が無いもの、と永琳は呟く。

 元より歯に衣着せぬ言い方をする永琳が、今更何を言うのだ。元よりいつでも追い出される準備は出来ている。

 気にしない騎士の態度に毒気を抜かれたのか、永琳は笑みをこぼした。

 しかし、それも一瞬。

 

「あなた、この世界の人間じゃないでしょ?」

 

 永琳の浮かべた笑みに気を緩ませた騎士は、その一言に不意を打たれた。

 眼を見開く騎士を一瞥すらせず、決まり悪げに虚空を見つめながら永琳は話を続ける。

 

「半分冗談よ。でも、それが私がこの一年あなたの体を研究した末に出た結論。

 私はこれまでの間、あらゆる伝手を使って腕の立つ舌を切り取られた罪人を知っているか調べた。結果は0よ」

 

 あなたは知っているでしょうけど。

 そう続ける永琳の言葉を半ば聞き流しつつ、騎士はこの八意永琳という賢人の才覚に感嘆する。

 

「あなたがこれまで何度か使った力。それは霊力、妖力、神力、魔力、どれにも当て嵌まらず、同時にどの要素も含んでいた。

 種族云々でなく、もっと根源的な、魂そのもののような力。

 私は知らなかったわ、この力についてはね。

 ……解らないでしょうね、私が知らないという事の、その重さが」

 

「知恵を司る神、重兼(オモイカネ)、その化身。それが私なのよ」

 

 見た目よりずっとお婆さんなのよ?と笑みを浮かべながら話すその姿は、老いや若さを超えた魅力を放っている。

 

 特に驚く事も無い騎士につまらなそうな顔を浮かべながら、永琳は話を続ける。

 

「あなた、死んでも死なないでしょう?正確には、死んでも復活する」

 

「あなたの体に刻みつけられた呪い。

 私の見立てでは、死んでも復活して、死に過ぎれば記憶や知識を失っていき、最終的には本能のまま生き物を襲うだけになる。違うかしら?」

 

 少しも外していないと伝えるべく、首を縦に振る騎士。

 当然とばかりに軽く頷き、永琳は話を続ける。

 

「そして、今はその呪いは変質している。いや、蝕まれていると言った方が自然ね。

 呪い自体が病原菌のようなものに侵されて、機能不全に陥っている。そしてその結果、あなたは死に過ぎても記憶や知識を失う事は無くなっているはず。

 おめでとうと言うべきかしら?偶然の産物だけど、あなたは不老不死を手に入れたのだから」

 

 これまで抱いていた仮定。それは今、永琳によって肯定された。

 だが、今はそれはどうでもいい。永琳は、それだけの事を言うだけで、こんな愁いを持った顔になる筈が無い。

 騎士は続きを促すように首を振った。

 

「理解が早い相手だと話すのが楽でいいわ。ええ、ここからが本題よ。

 先に結論から言うと、あなたを月に連れて行く事は出来ない」

 

 元より月について行くつもりはない騎士は、何故永琳が申し訳なさそうな顔をしているのか解らなかった。

 不思議そうな顔をしている騎士に、永琳はため息を一つついた。

 

「心が強いのか、それとも……まあ、それは置いておいて、何故連れて行けないか説明するわね」

 

「月移住計画は、ただ月夜見が夜を統べているからだけでは無いのよ。

 彼らは不老になりたいの。月に行く事で、ほぼ完全に寿命から解放されるのよ」

 

 そこまでいうと、永琳は傍らに置いてあった薬を手に取った。

 

「これ、何だか解る? あなたの呪いと全く同じものを飲んだ者にかける薬よ。変質した状態も含めてね」

 

 あまり深くは"力"について理解できてないけど、再現するだけなら簡単だったわ、と永琳は言う。

 

「この薬は公表してないわ。誰かに教える気も無い。理由は二つ。

 彼らが不老は望んでも不死は望んでいないという事が一つ。

 そしてもう一つは……これが"穢れ"と同質の物だから」

 

「穢れこそ、彼らが月に行く理由でね。

 寿命の長短はその場所の穢れの濃度によって決まって、濃度が薄ければ薄い程寿命は長くなる。

 ついでに言うと、人や神を襲う妖怪の発生源でもあるわ。

 そして、月には穢れが無い。

 寿命を延ばす為、ついでに妖怪が出ないところへ……そういう事情で、月移住計画は始まったのよ」

 

「皆知っている事だったから、敢えて話題にする人も居なかったでしょうね。あなたも知らなかったんじゃない?

 ……兎に角、穢れの事も含めて、彼らは大々的に宣伝したわ。

 結果は想像通り、穢れは唾棄すべき物と認識され、これが世に出る事は無い」

 

 少し寂しげに薬を弄ぶ永琳。

 物悲しげな雰囲気が漂い出した時。

 

 それを裂くように、サイレンが鳴った。

 

 都において、サイレンが鳴った時は一つの事柄を示す。

 

 妖怪の軍勢による、都の襲撃である。 


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