人口が疎らとなった都は、それでもそれなりに人はいる。
サイレンは人々を恐怖の渦へと叩き落とし、暴徒と化した。
物が壊れる音と人々の悲鳴が木霊して、都は地獄絵図と化していた。
混乱の最中、門まで駆けつけた騎士は、妖怪のその余りの数に驚愕した。
波だ。
普段ならば少数で襲撃してくる妖怪。
その対策として都の周囲は平地となっており、奇襲や侵入を防ぐことを重視した形となっている。
その平地に、最早土の方が少ない程の妖怪がひしめいている。
小さく弱い妖怪が大多数だが、その数は下手な化け物よりも脅威となり得る。
周りの兵士の話を聞く限り、都は妖怪に包囲はされていない。
四方の内、妖怪が見えるのはここだけだそうだ。
しかしそれでも、月移住計画の第二段階でほとんどの軍人は月へと行ってしまっている。
更に言うと、一般人の混乱を治める為に一部の軍人が駆り立てられている。
故に都を防衛し切るのではなく、計画を繰り上げ、軍人以外の民を月に送る事になったそうだ。
残された軍人に月移住の手段は残されていない。それ以前に、この軍勢を生き延びる目は無い。
軍人達は自ら生死に構う事無く、己の職務を全うすべく。その眼は死兵の眼だった。
妖怪の群れが、軍人達の射程範囲内に入った。
少しでも数を減らすべく、軍人達は撃ち続ける。
そして、その腕前を買われ門前を守る騎士も魔法触媒を取り出した。
右手に叡智の杖。左手に呪術の火。
古の亡国オラフィスで作られた杖は、その先についた結晶により術の威力を大きく強める。
呪術の火は、呪術を扱う為の火。限界まで強められたその火は、呪術の力を最大限まで高める。
そして、騎士も迎撃を開始した。
猛毒の霧。ソウルの奔流。ソウルの結晶槍。封じられた太陽。
文字通り猛毒の霧を発生させる呪術は、霧の中に飛び込んでくる妖怪を片端から死に追いやり。
四本のソウルの槍に囲まれながら、極限まで高まった故ソウルが物質化し結晶となったソウルの槍が、射程限界まで妖怪を貫き。
身の丈ほどの太陽が、着弾した妖怪を消し飛ばし、弾けた焔から流れ出た溶岩が上を通った妖怪の足を骨まで熔かし切る。
騎士の前面こそ妖怪一匹とも抜ける事は叶わなかった。が、軍人達の弾幕はそうはいかない。
弾幕を抜け、いくつかの妖怪が入り込んでいる。
しかしそれでも壁に阻まれている間に撃ち殺される。
その奇跡とも思えるような膠着状態は長くは続かず。
撃ち殺された妖怪の死骸が積み重なり、壁は越えられ。
軍人達の弾幕も、壁を越えた妖怪への対処の為に薄くなっている。
騎士の術も、弾数が尽きた。弾数を回復する手段はあるが、その暇は無い。
押し寄せる妖怪。
眼前まで迫ったその先鋒を蹴り飛ばし、稼いだ一瞬の時間で持って魔法触媒から武器に持ち替え、鎧を着込む。
その揺らぐ事の無い重量と硬さを持った鎧は、ハベルの大盾と同じ材質の物。
ハベルの鎧一式を着込んだ戦士は、正に城壁。
肩ほどまでの全長を持ったその棒は、両端に刃が付いている。
その名をツインブレード。
使い手の技量で持って無尽に繰り出される斬撃は、刃の壁。
異形となった古の竜。その尾から生み出された斧は、竜王の大斧。
その秘めたる力は、木端妖怪など塵も残さない。
竜王の大斧を背負いこんだ騎士は、両手に持ったツインブレードを振り回す。
しなやかな筋肉により繰り出される斬撃は、迫り来る妖怪を磨り潰していく。
それからどれだけの時が経っただろうか。
甲高い銃声を、妖怪のざわめきの音が上回り。
そしてついには銃声は一音たりとも聞えなくなった。
代わりに生肉を食む様な独特の弾ける音が微かに聞こえる。
彼らは死してなお幾体かの妖怪を足止めしたのだ。
背負い込んだ竜王の大斧を両手に構え、その力を開放する。
振り上げられた大斧は、その秘めた力を微かな白霧と変えて斧に纏わりつき。
振り下ろすと同時に周囲一帯を、門ごと塵へと変えた。
ツインブレードで刻んでいる間に、騎士は気付いた事がある。
この木端妖怪共は、何かに追い立てられるようにこちらに向かってきている。
つまり、妖怪を恐怖で持って追い立てる存在が、後方に居るという訳だ。
烏合の衆ならば、頭を倒せば瓦解する。
共に守る者が居なくなった今、一人で足止めするならばそれしかない。
周囲が消し飛んだ、数瞬。
その間に、騎士は装備を整えた。
魔術による威力、輪唱時間を縮める指輪を外し、黒い目玉のような指輪に赤い宝石をはめ込んだ指輪、更に細工が施された指甲を嵌める。
黒い目玉の指輪は邪眼の指輪といい、殺せば殺す程体力を回復する。
細工を施された指甲は封壊の指輪、武具の損耗を減らす。
赤い宝石をはめ込んだ指輪はゴダの守護指輪であり、着ける事により亡霊を背負い込む。
重荷と化した亡霊は、しかし同時に身を挺して騎士の背を守るのだ。
そしてツインブレードと竜王の大斧を仕舞い込み、ハベルの大盾と身の丈以上の長さを誇る長槍を取り出した。
長槍の種別は突撃槍といい、本来騎兵が使う代物である。
だが騎士の人並み外れた膂力は、それをも扱い切る。
威力と丈夫さを兼ね備えたそのグラン・ランスは、並みの敵など木端同然となる突撃力を誇る。
騎士は装備を変えると、ハベル盾を構えながらグラン・ランスを持ってただひたすらに走った。
グラン・ランス、ハベルの大盾、ハベルの鎧一式。
その一つ一つが、常人が持てるかどうかという重さ。
それを支え切る騎士の膂力と、それぞれの重さが合わさり、比類し得ない強さを生み出す。
ただ走る。それだけで、騎士の持つ武具の重さが、正面に対する妖怪を押し潰す。
串刺しにされた妖怪は、後から串刺しにされる妖怪の重みで更に深く突き刺さり、終いには刺さった所から二つに裂け落ちる。
開いた脇からの攻撃は、頑丈なハベルの鎧に阻まれて。
その防御を抜いたとしても、邪眼の指輪の回復速度に追いつけはしない。
ただひたすら走り続ける騎士だったが、ある時指先から割れる音がした。
装備できる指輪数の限界は四。先ほど入れ替えた指輪は三つであり、最後の一つは常用していた指輪だった。それが壊れたのだ。
三匹目の竜の指輪。竜の形をした封蝋印を施されたこの指輪は、竜の加護がかけられている。
その効果は身に着けた者の身体能力を跳ね上がらせるという強力無比な物だが、封蝋を施されたその指輪は脆い。
封壊の指甲によりある程度補う事は出来ていたが、ここにきて無数の妖怪の波状攻撃により破壊された。
如何にソウルの収納術に長けた騎士といえど、この状況で自在に装備を変える事は出来ない。
故に、運に任せて壊れた三匹目の竜の指輪とすぐに取り出せた指輪を入れ替えた。
普通に考えれば、一年前に使ったからなのだろう。
だが、騎士にとっては何者かの悪意。あるいは罰のように感じた。
ささやきの指輪。
都に押し寄せる妖怪の九割九分は、まともに言葉すら話せぬほど弱い妖怪である。
だが、物を考える事は出来るのだ。それが生を持つ物なのだから。
今は誰も知る方法こそないが、都の人間にとって騎士の所業は英雄、あるいはそれ以上のものだ。
では、彼ら妖怪にとっては。
悲鳴。怨嗟。周囲から響いてくる呪いの言葉。
前方から聞こえてくる悲鳴と怨嗟だけ、どれも途中で途切れていく。
言葉にならない悲鳴の中に、微かに聞えてきた。
化け物。
それを皮切りに、聞えてくる悲鳴と怨嗟の声は様変わりしていく。
騎士を人でなし、化け物、悪魔と罵る妖怪たちの声。
最早騎士の意識は遠くの過去に飛んでいき。それでも尚体は立ち塞がる妖怪を薙ぎ倒していっていた。
「師匠! 先生はどこに行ったのですか!?
防衛隊を除いて、もうほぼ全員が移住船に乗り込んでいるのに……!」
八意永琳は、目の前で喚いている教え子の片割れの対処に頭を抱えていた。
サイレンの後、彼は永琳の制止を聞かずに飛び出していった。
止めようにも、永琳はこの都の有力者である。更に言うならば都に残っているのは大多数の権力者であった。
権力構造の上層部のみが固まった現状は、別格の権威を誇る永琳自体が統率を取らねば混乱が悪化する。
立場に囚われているのは永琳だけでなく、目の前の彼女……依姫も同じだ。
戦っても帰る見込みが無い……死兵以外になれない現状では、依姫の身分は軍人としてでなく名家の令嬢として扱わざるを得ない。
彼女も無能では無い。それは解っているはずなのだ。
それでも彼女が喚いているのは、その身の未熟故か、それとも理性で抑え切れぬ程の感情を彼に抱いているからか。
見れば、彼女はいつも肌身離さず持ち歩いている、家に伝わる刀と、見慣れぬ一振りの刀の二本を抱えていた。
その瞳は潤んでいる。
「まだ……教わりたい事も沢山あるのにっ……
これだって、渡されただけで……まだ、使ってもいないのに……
刃が毀れたら、研いでくれるって……約束だってしたんですよ……?」
彼女の嗚咽が、移民船の発着場に木霊する。
それを永琳の耳に沁み付けようとでもするように、防衛隊の通信が全て途絶える。
移民船の発着準備は、そろそろ終了しようとしている。
懐に入れた不死の霊薬を、永琳は無意識に撫でていた。
騎士が思い出していたのは、不死人になりたての頃。
最早年月すらも忘れてしまった程昔の事ではあるが。
それでも、あの時の視界に広がる景色は、目に焼き付いている。
国に騎士として仕えていた時の事。隣国との小競り合いで命を落とした。
真正面から剣技の差により命を落とした。騎士の正面以外は、仲間が死にもの狂いで守っていてくれた。
鉄火場で実感した友情に満足しながら騎士は、倒れ伏す彼に駆け付けた友の、兜から漏れ出る鉄臭さを混じらせた塩水を浴びながら闇に身を委ねたはずなのだ。
次に目を覚ましたのが自らの家。
今となっては篝火に当たる時しか感じない、"帰るべき"家に居る暖かさは、家族の見る、己への冷たい、化け物を見るような瞳により霧散した。
その時に初めて、彼は己が人の理から外れたという事に気付いたのだ。
そうだ、その時に初めて、化け物と呼ばれたのだ……。
白昼夢と言うにも弱い回想は、妖怪を潰す感覚が無くなった事により覚めた。
見れば周囲には木端の妖怪はおらず、恐ろしいモノを見る様に遠巻きにこちらを見つめていた。
騎士の正面には、一体の妖怪が居る。
筋骨隆々のその男は、騎士の倍の背丈を持って周囲の妖怪を見下げている。
そして、まるで菓子でも喰らう様に同族の肉を食んでいた。
木端の妖怪たちは、騎士を恐れているのか、それともこの妖怪を恐れているのか。
恐らくは両方であり、彼らが一定距離よりも近づかない事によって、図らずもリングのようなものが出来上がっていた。
「おう、来たか」
聞くものを威圧する重低音の声は、親しい者を歓迎するような声音だ。
「貴様の事は遠くから見ていた。遠からずここまで来ると思っていた」
待ちに待っていた瞬間が訪れたように、その妖怪は笑みを崩さない。
口上に構わず武器を構えようとする騎士を手で止める。
「まあ待て。俺とてすぐさまやりたいのは山々だが、口上を並べ立ててから尋常にやり合うが、戦場の誉れというものよ。
……それに、時間は貴様の方に味方するのだろう?」
「あの集落には前々から目を付けていたが、そこから二つほどよく分からん物が飛んで行ったのを見てな。
人の数が減っているのを見て、あれに人が乗っていると知ったのだ」
おかしい。人の数を確認できるような高所は都の周囲には無い。そして妖怪の侵入を防ぐほど、防衛隊の彼らは無能では無い。
妖怪は、訝しむ騎士の態度に満足気に笑った。
「何故解るとでも言いたげだな。それは俺の能力に拠る物よ。
"生き物の数を把握する程度の能力"。細々とした力は嫌いだがな、これはこれで役に立つ」
この能力があるからこそ、これだけの数の雑魚を統率出来るという物よ。
何せ、逃げようとしても判るのだからな。後で喰いに行くとでも言えば逃げる事は無い。
そういいながら、妖怪は指で周囲を囲む妖怪の内の一匹を呼び。一口で喰った。
肉の間から滴る血を、上手そうに飲んでいる。
「ああ、喋り続けるのは喉が渇いていかん。……で、俺がここまで面倒な事をしてでも。旨い人間が逃げるのを待ってでも。
やりたかったのは」
そこまで言うと、妖怪は騎士に指を差した。
「貴様のような強者と殺り合いたかったからよ。
血沸き肉躍る闘争の果ての、強者の骨肉を喰らいたかったからよ。
どうやら、貴様も相当の修羅場を潜ってきたのだろう?
でなければ、"妖怪のような"気配など出るはずがない」
「……さて、これで俺の口上は終わりよ。
さあ、やろうか!」
その一言。言い放つかどうかという時には、既に騎士は飛び出していた。聞きたくないとでも言う様に。
手に持つ槍を投げ、大盾も投げつけ、腹に突き刺さり、足を砕いた槍と盾の代わりに取り出したのは二振りのトゲ棍棒。
"化け物"
"妖怪のような"
その二言は、騎士の思い出したくない過去を呼び覚まし。
その記憶を否定するように、抵抗の出来ない妖怪の頭部に一心不乱に棍棒を振り下ろすその姿は、依姫が敬意を持つ、戦士としての騎士の姿でなく。
皮肉にも、彼が否定したい化け物の姿、そのままであった。
その彼の背後から、轟音と共に移民船が月へと飛んで行った。
彼が正気を取り戻した時には、周りに生物の気配は無かった。
足元には形すら分からなくなったかの妖怪の残骸が転がっている。
どれだけの時が経ったのか。恐らくは、永琳たちも無事月に旅立ったのだろう。
騎士が薙ぎ倒した妖怪の残骸を、逆に辿る様に騎士は都に戻って行った。
その道は、無数の血肉によって赤く染められている。
都は酷い有り様だった。
精緻に建てられた建物は、全て荒らされており。残された残骸は、その精緻さとの対比が荒涼を引き立ててしまう。
それは永琳の家も例外でなく、唯一手付かずとなっていた篝火だけが、破裂音を響かせる。
それは騎士の心に更なる寒さを感じさせるだけであり。
温もりを求める様に、騎士は永琳の部屋へと足を向けた。
永琳の部屋。本来ならば綺麗に整頓されていた部屋は、これも例外なく荒らされていた。
寒い。騎士は知らず知らず、身震いしていた。
全てが破壊された部屋を、騎士はひっくり返していた。
化け物という声が聞こえてから、全てがおかしくなってしまったのだ。
仮初めでも胸を張って人として居れた、あの時の名残を。
見つけ出さねば、それこそ凍え死んでしまいそうだった。
あらゆる物をひっくり返す時、力が余って床まで剥がしてしまった。
畳という名前の床は、草で編まれた床だと、ここで教えられたのを思い出す。
偶然にも、騎士がひっくり返したのは、説明された時に指を指していた畳だった。
そして、その下。そこには、少し大きな箱が入っていた。
箱を開けると、中には三つの鍵と小物、そして鍵が掛けられた箱が入っていた。鍵は小物と纏められており、それぞれに紙が添えられている。
一つは香水だった。一度噴いてみると、桃の香りがする。
紙には、桃が好きな先生へ 妹をこれからもよろしくお願いします と書かれている。
一つは耳飾りだった。何やら奇跡にも似た力を感じる。
紙には、先生へ いつもありがとうございます これからもご指導お願いします と書かれている。
一つは手帳だった。見ると、騎士が来てから一年間の間に起こった出来事が、感情を一切挟まずに綴られている。
紙には、後はあなたが綴りなさい 無限に書く事が出来るから、そこは気にする必要はない と書かれている。
それぞれの鍵を嵌め、箱を開けると、中には灰色の外套が入っていた。
触ると妙に暖かい。
香水と紙を、丁寧に仕舞い。
耳飾りと紙を、噛み締める様にゆっくりと付け。
手帳と紙を、宝物を扱う様に懐に入れ。
外套を、子供の様に羽織った。
騎士は、何だか無性に暖かかった。
日は落ち、夜になろうとしていた。
篝火のところまで戻った騎士は、篝火に刺さっている剣を蹴っ飛ばした。
篝火の火は剣が抜けた瞬間消える。
篝火は消え、その温もりも消えた。
だが、騎士は寒くは無かった。
騎士は都を離れようと歩き出した。
彼の進む先は、満月が明るく照らし出していた。