東方闇魂録   作:メラニズム

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第六話

 険しい山。

 自然の恵みと残酷さを体現した命の揺り籠を、騎士は分け入っていた。

 騎士の足元をリスの親子が横切った。

 今日これから何も無ければ、この親子の事を手帳に書こう、と騎士は思っていた。

 

 足を止めず、進む騎士。木々の群れに占領されていた視界は、光と共に解放される。

 

 青空。その下に、黄金がなびいていた。

 青々と茂る山。その山々に囲まれるように、平地がある。

 青空を照り返し、水色に光る大きな湖。その周りには平野が広がっている。

 その平地はほとんどが黄金色に輝き、なびく事で更なる輝きを放っている。

 

 いつ見ても美しい。

 騎士は黄金……稲の靡きに目を奪われながら、稲を作っているであろう村に向かって山を下りて行った。

 

 

 ♪モリヤの石の蛇様は

 

 ♪腹の膨れる黄金を

 

 ♪我らに与えてくれるとな

 

 ♪一尾の蛇が奪おうと

 

 ♪村を襲ってくる時も

 

 ♪我らが祭った輪で持って

 

 ♪蛇を裂いてくれるとな

 

 

 騎士が山を下っていくと、歌が聞こえてきた。

 その声音は甲高く、その村の子供らが歌っているのだと騎士は思った。

 

「あ!あんなとこに人いるぞ!」

 

「見た事無いね!旅の人かな?」

 

「旅の人!?旅のお話聞けるかな?」

 

 すると、騎士に気が付いたのか。

 子供たちは外套を着ていた騎士を、旅の者と思い、寄ってきた。

 

「ねえ、旅の人?」

 

 子供達の兄貴分なのだろう。

 背丈が周りより一回り大きい少年が、代表して騎士に話しかけてきた。

 彼らの眼は皆、煌めいていた。

 騎士は、稲穂の黄金よりも、彼らの眼が美しく見えた。

 

 騎士は彼らの問いに頷く。

 騎士は初めて、自らの舌が切られ、喋る事が出来ない事を悲しく思った。

 これでは彼らの望む旅の話を出来ない。

 彼らのきらきらと輝く瞳を、曇らせたくはなかった。

 

「ねえ、何で喋らないの?」

 

「もしかして、喋れないんじゃない?」

 

 彼らが悲しげな眼をし掛けた時、身動ぎをした騎士の篭手が金属の擦れる音を出した。

 

「今の、鉄の音?」

 

「そんな訳無いだろ、俺の父ちゃん鍛冶師だけど鉄は外に出てないって言ってたぞ。

 ここの……諏訪だけのものだって」

 

「いや、でも鉄の音だよ! 俺、鍛冶場にこっそり入った時、こんな音してたもん!」

 

「ねえねえ、もしかしてここの出の人なの?帰ってきた感じ?」

 

 どうやら、彼らは金属品に興味があるようだ。

 騎士は同じような年の頃を思い出し、鎧や兜、剣に憧れを抱いていた事を思い出す。

 

 そこで、騎士は自らの懐に差していたショートソードを抜き、子供たちに見せる。

 

 木々が立ち込める山中では、長すぎる剣はむしろ邪魔となる。

 故に、短く取り回しのいいショートソードを帯剣していたのだ。

 ただのショートソードではあるが、その出所はドラングレイヴでなく、神々の眠る地ロードラン由来の物である。

 その頑丈さは並大抵では無く、ドラングレイヴ製のショートソードの三倍を誇る。

 長旅に耐え得るロードラン製の武具を、騎士は愛用していた。

 

 その剣の鈍い輝きは、子供たちの目を釘付けにした。

 しばしの沈黙の後、子供たちは感動を声にして騒ぎ出す。

 

「すっげぇー!かっこいいーっ!」

 

「光で剣がきらーってなってる!」

 

「鉄ってこんななんだ……すごいなぁ」

 

 子供たちの騒ぎを聞きつけ、大人たちも騎士に近寄ってきた。

 騎士の持つ剣を見ると、表情が険しくなる。

 

「……お前たち、その人から離れなさい」

 

「えぇー、でもー」

 

「離れなさい」

 

 騎士から子供たちを引き剥がすと、大人たちは騎士を緩やかに囲みながら、騎士に話しかける。

 

「……旅のかた、諏訪までようこそおいで下さいました」

 

 騎士を見る大人たちの顔は、険しい。

 その眼は、不死人となった騎士を見る人の物に似ていた。

 無意識のうちに、騎士は外套に触っていた。その手は微かに震えている。

 

「対した歓迎も出来ませんが、疲れも溜まっているでしょう」

 

「休むところを用意しています。付いて来て戴けますか?」

 

 今、ここで抵抗すれば、人死には避けられない。

 子供たちの顔を、騎士は思い出した。

 ショートソードを村人に投げ渡し、騎士は大人達に付いて行った。

 

「旅のひとー! 丁度ね、今日からお祭りだから、一寸休んだら見に来てよー!」

 

「俺たちと一緒に回ろうよー!」

 

 大人達から強引に引き離される子供達が、騎士にそう声をかけた。

 抵抗しなくてよかった。彼らを斬り伏せなくてよかった。

 この選択は間違っていなかったのだ。

 

 騎士の手の震えは、いつの間にか消えていた。

 

 日は暮れようとしている。落陽に照らされた稲穂は、眩しい。

 

 

 

 

 

 騎士を取り囲むようにして連れて行く先は、ある一つの山のようだった。

 その山には、遠くからでも見える程長い石造りの階段が備わっている。

 近づけば近づくほど、深く響く太鼓の音と祭囃子の音が大きくなっていく。

 

 山の階段を登り切ると、そこには一つの建物が在った。

 木で作られた裸の灯篭がその周囲に置かれ、弾ける音と少し遠くになった太鼓の音が響く。

 その建物自体を、あるいは中に居る何かを崇める様に建てられたその建物の扉は閉まっていた。

 

 騎士の周囲の大人達は、目に見えるほど明確に緊張し出す。

 そして騎士を捕まえておく者以外は、建物に対して土の上に座り、頭を下げた。

 大人達の中でも最も年長らしい者が、騎士から取り上げた剣を頭の前に置いた。

 そして、建物に対して話し出す。

 

「モリヤ様、村に鉄で出来た様な剣を持つ旅人がやって来たので、剣を取り上げひっ捕らえました」

 

「この者の沙汰をお願いしたく……」

 

 年長の者が頭を地面に擦り付ける様に更に下げ、周りの者もそれに続く。

 騎士を捕まえている大人達は、騎士を捕まえておくために自らも頭を下げられない。

 こうして捕まえておくのがいいのか、緊張と恐怖がない交ぜになった表情をしていた。

 

 

 しばしの沈黙が、辺りを包む。

 心なしか、祭囃子の音も遠のいているように、騎士は感じた。

 

 いざとなれば、彼らを押しのけて逃げねばなるまい。

 何時逃げるか。気づかれないよう逃走経路を探していると、唐突に声が響く。

 

『その者をここに置いていけ。そしてその方らは立ち去れ』

 

 大人達は微動だにせず声を聴く。しかし、彼らの驚きと戸惑いは、無言のまま伝播する。

 各々顔を見合わせながら、恐る恐る山を下りて行った。

 

 祭囃子。

 太鼓。

 

 祭りの音は聞こえるというのに、静寂を感じる。

 霧のようにその静けさが辺りを包み込んで、濃くなっていく。

 

 それを切り裂くように、建物の扉が開かれた。

 

 木と木がぶつかる音。

 木造建築故のその音は、それすらも神事の一環のように思われた。

 

 扉の先に立っていたのは、子供だった。

 

 澄んだ瞳は空を映すような青色。

 目玉が付いた帽子から覗く金色の髪は稲穂と同じ輝きを持つ。

 その纏った雰囲気。

 静かにただそこにある、しかし誰も無視する事の出来ない、山のような雰囲気。

 

 彼女の姿は、あの稲穂の実りをもたらした神なのだ。と、理屈抜きに騎士に感じさせた。

 

 彼女は……モリヤは何も言わずに歩きだし、地面に置かれたままのショートソードを手に取った。

 

 舐め回すように眺めた後は、無表情のまま立ち尽くしている。

 

 しばしの沈黙。

 

「いい剣だな」

 

 彼女は唐突に話し始めた。

 

「これならば、無手の村人など切り捨てて逃げ遂せただろうに。

 ……子供らから、親を奪いたくなかったのか?」

 

 ずいぶんと甘い事だ、と一言で彼女は切り捨てた。

 だがその口調には温かみが含まれている。

 

「村人が失礼をした、旅人よ。

 彼らに悪気は無かったが、こんな事が有った後だ。彼らの家には泊まれまい」

 

 お前さえ良ければ、この村に居る間はこの社に逗留するといい。

 そういう彼女の顔は、自らの子を見るような慈しみの篭った、優しい顔だった。

 

「心配するな、お前の嫌疑は既に晴れた。

 この村に、これだけ質の良い鉄は打てんよ。村人にも伝えておく。

 ……さ、もう行くと良い。子供達にも顔を出してやれ」

 

 そうだ、子供達が誘っていたのだ。騎士は思い出し、石階段を下りて行った。

 

 その後ろ姿を見ながら、彼女は……モリヤ神は、子供達をあやしていた、騎士の姿を思い出す。

 

「子供を泣かすまいと懐剣を見せ、子供に親を失わせまいと剣を渡す。

 ……そんな事をする者が、奴らの、大和の神々共の手の者であるはずがあるまいて」

 

 彼女が見下ろす村は、至る所に篝火が灯っている。

 

 祭囃子、太鼓の音、それに混じる笑い声。

 

 守らねばなるまい。

 

 モリヤ神は……洩矢諏訪子は、彼らから祭られた、鉄輪を取り出し、握り締めた。

 

 祈りの篭ったその鉄は、ほんのりと暖かい。


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